Page2. 生い立ちのはなし。〜青春編〜

こんにちは!現役大学生の りり です。

このnoteは前回アップしたnoteの続編となります。
まだ読んでいない方はぜひPage1 を先に読んでからこちらを呼んでいただけたらと思います。

リンクはこちらになります⬇️



さて、なぜ私が中2のクラス替えでおそらくいわゆる普通の生徒より配慮されるような生徒になっていたかという話ですが、

時は中1に遡ります。

中1の頃の担任(以下Y先生)が私のことをとても気にかけてくれていたんです。スクールカウンセラーさんに繋げてくださったり、たくさん話を聞いてくださったり。

小5から通っていた塾に中学も続けて通っていたのですが、中1の6月頃、ちょうどみんなが部活を始めた頃に事件が起こりました。
(詳しいことはPage2-2としてまた書きます。というかもう書ききっていて後は公開するだけです。こちらも読んでいただけると嬉しいです。)

私の学校では、連絡ノートを生徒と担任との交換日記のように使っていました。しかし、その日を境に私の連絡ノートは暗い話題だらけになっていました。

当時中1で、担任のY先生とやりとりをしていたんですが、あまりにも私が書く内容が暗すぎて(「死にたい」とかも普通に書いてました)、10月ごろにはじめて呼び出し(といってもお悩み聞いてくれるみたいな)をされました。

それ以降も、何回もY先生は私の相談を聞いてくれて、どんなに私が暗い気持ちをノートに吐露しても、どんなに私が死にたいと言っても、Y先生は私の見方でいてくれました。
「親にこのやり取りの話はしないで」という趣旨のお願いをしたのですが、それもこのY先生だけが守ってくれました。(もしかしたらY先生とのやりとりはXにあげるかも。)

そんなやり取りの中で、私はたびたびH先生の名前を挙げてH先生大好き!なんて話をしていました。(ちなみに二人とも女性の先生です、禁断の恋とかじゃないからね)ときどき、H先生からの返事もノートに書いてもらえたり。死にたいって言い続けてた病み病みのノートY先生からもらってH先生もメッセージくれたり。

ずーっと、一年間、Y先生とノートのやり取りを続けていたんですが、進級するとクラス替えがあって。Y先生は異動が決まっていたんです。
そこで、Y先生の後継?みたいな感じでH先生が担任をするクラスが私がいるクラスに決まった、というわけです。

で、大好きなH先生のクラスになれてうれしい新年度に、という感じでしたが、この年に前回書いたように生徒会活動に行き詰ってしまったり、拒食癖が出てしまったり。。。
自傷行為を始めたのもこの中2でした。希死念慮を抱いていることが親にバレたのも中2です。

結局生徒会は2年の後期の途中に私の状況を見かねたH先生が生徒会の先生と話し合いをしてくださって休んで(副会長なのに、笑)、結局3年生になっても立候補せず終わり、という感じでした。

超不安定な精神状態で、H先生のすすめでメンクリにも行ってみましたが相手にしてもらえず、、


こんな生徒会と拒食癖でボロボロになった心身をひきずったままコロナ禍に入り、休校に。めっちゃ嬉しかった。でもH先生に「来年私の担任H先生じゃなかったらどうしよう」という不安を先生に吐露できないままだったので、先生に会えないのが嫌で嫌でしょうがなかったです。
ただ、休校期間中も3日に1回くらい私が家に1人のタイミングを狙って自宅に電話をかけてくださったのでそれが本当に心の支えでした。

休校期間が年度初めまで続いて、そのまま自宅にクラス替えの紙が新しい教科書と共に配られる、という事態に。

で、超体育会系!な男の先生が中3の担任(以下O先生)でした。幸い教科担任は変わらずH先生だったので関係は途切れず、という感じです。

はじめこそ私はO先生と全く関わりを持たないつもりでしたが、少しずつH先生から色々私のことを聞き始め、結局めちゃくちゃO先生にもお世話になりました。

「人を見た目で判断しない」ということを学んだのはこの頃です。いくら屈強で私とは対照的に明るい男でも私に寄り添ってくれる優しい人だっている、ということ。(この言い方すらいいのか分からないですが。。笑)

で、卒業、という感じです。卒業までの間にも親が学校に呼び出されたり、2年の時よりひどい自傷行為をしていたりなどいろいろありましたが、また今度ゆっくり書きます。

高校の話はまた今度書きます。しばしお待ちください。

この記事が中学時代だけでここまで書けるのも、本当に濃密な3年間を過ごせたからなんだと思っています。

先生方に届くといいなぁ。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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