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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第十一回 踊り場でダンスを

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
客に娼婦小夏を届けホテルの地下で待機しているところで爆発騒ぎが起き混乱した現場で鈴木は右往左往とする。

 先頭近くで一人が転んだのが見えた。前にいた数人を巻き込んで1階の踊り場まで転がり落ちる。それを見たすぐ後ろの数人が一瞬立ち止まる。後ろからの群衆に押されまた転げ落ちる。後はもうパニックになるがままだ。壁に叩きつけられた人を助け起こそうにも俺まで潰されなかねない。そのまま1階の扉を開ける。

あらすじ

Chapter 10 踊り場でダンスを

 エレベータへ向かうべきか、守衛室へ向かうべきか迷った。喧しく鳴り続けるサイレンが思考を乱す。俺はエレベータへ走った。呼び出しボタンを何度も叩く。
 「火災が発生しました。安全のため、エレベータは使用できません。係員の指示に従い、最寄りの非常階段から落ち着いて避難してください」
 取り付く島もないアナウンスがボタンの脇に開けられた網目のスピーカーから流れるだけだった。続いていくつかの言語で同じ内容がアナウンスされる。
 なんの役にも立たない。糞。
 俺はスピーカーに吐き捨てると守衛室へ取って返した。2人の警備員のうち一人は電話機にしがみつき、もう一人は壁に埋め込まれた各種のコンソールをマニュアルらしき冊子を見ながらおたおたと操作しているのが見えた。たった数十メートルの距離も革靴で走ると向う脛の筋肉が攣りそうになる。ほとんど走ってきた勢いで突っ込むようにアクリルの仕切り窓を何度も叩く。二人が同時に振り返り、ちょっと待ってて!と叫んだ。アクリルとサイレンに遮られてほとんど聞こえない。待てるくらいなら走ってくるわけがない。俺はアクリルの窓を強引に開いた。
「なにがあったんです?」
「ちょっと待っててって言ったでしょう!非常時です!」
 電話機にしがみついていた胡麻塩頭が邪険に叫んだ。
「だからどんな非常時なんですか?」
「とにかく待っててください。こちらの指示に従ってください」
「そっちの機械はどうなってるんですか?」俺はコンソールをいじっている若い方の警備員に訊ねた。
「あの、よくわかんないすけど、火災って出てますから、多分そうだと思います」
 若い方がいじっていたコンソールを見ると各部屋ごとに警報の通知ランプが並び23階を中心に赤い警報ランプがついていた。小夏がいるフロアだ。
「誤作動かもしれないから警報を停止して確認しに行ったほうがいいのかな」
 俺に聞くな。と言いかけたところで胡麻塩が受話器を本体に叩きつけた勢いで怒鳴った。
「誤作動じゃないだろ!さっき爆発みたいな音がしたからそれだよ、それ!」
「え、そうなんすか。花火じゃなくて?」
「そうすかじゃねぇ!居眠りなんかしやがって!花火がここまで聞こえるわけないだろ!」
「上へ行くにはどうすればいいですか?連れがいるんです」
 胡麻塩が俺を見て露骨な舌打ちをした。「非常階段はありますけどね」とエレベータのある壁面の左隅を指す。
「しかしあんたね、こんな時に行ってどうするつもりですか。降りてくる客に揉まれて上の階へなんて行けませんよ」
「しょ、消防に電話しなきゃ」若い方が胡麻塩から受話器をひったくろうとする。
「とっくに自動で通報してるよ!馬鹿大卒が!」
 胡麻塩が声を裏返しながら怒鳴り散らした。
「とにかくあんたも早く出ないと消防やら警察で埋められて立ち往生しますよ。どうせまともな商売じゃないでしょ。ゲート開けるから早く行って」
 そう言うとどこかへ電話をかけ始めた。俺は非常階段へ走る。
 金属製の扉をひったくるように開ける。青白い蛍光灯に照らされた階段室は空調がきいておらず熱気がこもっている。すでに上の方では避難が始まっているのか集団がざわつく音がする。一気に半階分駆け上がり踊り場で折り返したくらいで入ってきた扉が閉まる音が響いた。同じ音が上のほうからいくつも響いた。
 大股で階段を昇る。スーツの尻の部分からびりっと破れる音がした。どうせパンツも黒のボクサーだ。わかりはしない。
 息が切れる。右手で手すりを掴む。引き寄せる勢いで体を引っ張りあげる。その度に風切り音が耳元でごおっと鳴る。空気に焦げ臭さが混じり始めた。煙の粒子が喉に絡みつきむせる。
 汗が噴き出す。上から駆け降りてくる足音が近づいてきた。ちょうど1階の扉の前でかちあった。見上げるとかなり長い行列だ。
一人が転べば将棋倒しになると思った瞬間、「ついた!」と先頭近くから叫び声が上がった。「あぶない!あぶないからゆっくりと!」と制止する係員の叫びを無視して一気になだれ込んでくる。

 先頭近くで一人が転んだのが見えた。前にいた数人を巻き込んで1階の踊り場まで転がり落ちる。それを見たすぐ後ろの数人が一瞬立ち止まる。後ろからの群衆に押されまた転げ落ちる。後はもうパニックになるがままだ。壁に叩きつけられた人を助け起こそうにも俺まで潰されなかねない。そのまま1階の扉を開ける。
 エントランスは混乱した群衆で埋まっていた。上階にいた宿泊客や従業員が吹き抜けの階段や、いくつかの非常階段から次々に吐き出されてくる。悲鳴や怒号に近づいてくるサイレンが重なる。
 俺は小夏の名前を叫びながら周りを見渡した。
 正直に言うと動転していた。あの修羅場から人間一人と合流できるわけはない。しかしひたすら叫びながらごった返すエントランスを走り回った。警察なり消防に保護されると厄介なことになる。怪我をして自力でここまで来れないのなら救助されるだろう。それが厄介なのだ。
 とにかく無事でいてくれ。そうでないと困る。それともいっそ焼け死んでくれたほうがいい。
 自分で23階まで行くかと考えたが、降りてくる避難の流れに逆行することは無理だ。将棋倒しの最下層になるだけだろう。仮にやったとしてもいくつかある避難経路で別のルートから小夏が降りてくれば行き違いになる。そもそも生身で火事場へ飛び込んでもこちらが死ぬだけだ。
 結局、エントランスで小夏を待つしかないことに気づくまでおたおたと歩き回りながら小夏の名前を叫んでいた。そうしている間もエントランスには次々に避難者が集まってくる。まるで沈没しかけた船みたいだと思った。そのうちに耐火服のレスキュー隊が正面ロビーから突入してきた。このままでは俺まで救助されてしまう。そうなればすぐに動けない。潮時だ。
 ついさっき駆け昇ってきた非常階段へ向かった。非常階段は押し潰された何人かが係員や他の客に介抱されながら運び出されていた。重傷だ。みな血まみれで腕や足が妙な方向へひしゃげている。水音の代わりに怒号や悲鳴が縦に長い空間に反響していた。
 踊り場には何人かがうずくまっていた。それを避けるように上階から流れてくる波が蛇行している。波の中の一人一人も必死だ。気を取られて立ち止まれば自分も流れに潰される。
 俺は階段から吐き出される流れに強引に身体を割り込ませた。地下階へ向かう。流れていく何人かが不審な様子で俺を見た。階段を4段飛ばしで走った。むしろほとんど転げ落ちた。こういう時に革靴なんか履くものじゃない。
 地下駐車場への扉を開ける。俺の車の横には放水用の水源を確保しにきた小振りな消防車が停まっていた。
 二人組の消防士が壁に埋め込まれた非常用取水口に、消防車から伸びたホースを接続していた。俺の後ろで非常階段の扉が音を立てて閉まった。それに気付いた消防士が俺になにかを怒鳴る。早く逃げろとかだろう。
 車に乗り込み発進させる。サイドミラーを見ると消防士が俺に向かって怒鳴っている。ホースを踏むなとかだろう。アクセルを踏み込む。警備室を通り過ぎる。ごま塩と目が合った。
 ゲートを出る。薄暗い通路の床を放水ホースが這っている。そのホースはヒガシ側へ伸びている。つまりそちら側に消防車両が集まっているということだ。
 俺はニシ側へ地下道に進んだ。逆走だがどうせ入り口は規制されているだろうから対向車は来ないと踏んだ。
 地下道の中は生ぬるいオレンジ色の照明が流れていく。窓ガラスの数センチの隙間から流れ込んでくるきな臭い匂いが地上へ出た途端強くなった。
 地下道の入り口前の交差点は警察や消防車両と野次馬で埋まっていた。車はすぐに立ち往生した。暴動みたいだ。歩道車道構わず人が歩き回っている。その中の多くは携帯電話のカメラを上方へ向けている。カメラの先を見る。俺の右後方、ツインタワーが膝くらいから火を上げているのが見えた。煙は中層階から上を隠すほどだ。
 暴動みたいだ。それとも祭りみたいだ。
妙に冷静に思った。そしてどうやってここから抜け出そうとも考えたが結局車を置いて歩くしかないようだ。

第十二回に続く
隔日更新予定
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