<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第十五回 ドライブ・マイ・カー
Chapter 14 ドライブ・マイ・カー
諦めて家へ帰ることにした。
不動産屋に言われるまま家具と家電もセットで契約して家賃と一緒に割賦を払っている。おかげで冷蔵庫も洗濯機もテレビもまとめて最新のものが揃った。その割賦を払い終えるまでもなく逃げることになった。やたらと笑顔の爽やかな不動産屋の店員を思うと心苦しい。
ナビの画面をテレビに切り替えた。
ニュースは接近している台風の情報を伝えるといつも通り流行のテロと暴動の最新情報になった。
杉浦がコメンテーターとして解説をしていた。脂の浮いた顔にベビーパウダーでもはたいているのかやけに粉っぽい顔色だ。
話題になっているのは契約を切られた中年の非常勤講師が学校を吹き飛ばした事件だ。
この頃のトレンドは学校の物理や化学教員によるものだ。
原材料を手軽に手に入れられるし、知識もあって器材も実験室に揃っている。この講師も万が一復職できたならきっと生徒から人気者になるだろう。爆弾の作り方の授業があったら田中は真面目に聞いていたはずだ。
突然に中継に切り替わった。
都市高速で車が突然爆発して、中にいた女が死亡したとアナウンサーが緊張感のない口調で伝えた。
こんなことは日常茶飯事だ。ちょうど家に着いたので俺はテレビを切った。
車を地下の駐車場へ入れる。自宅での過ごし方は特に書くことがない。典型的な単身者向けのマンションだし、変なものも置いていない。
着ていたものを洗濯機へ放り込むとそのままシャワーを浴びた。
冷蔵庫の中身を適当に食べながら携帯ゲームを少しやった。小夏や櫻子もやっていたもので、社宅に置いてあったものを気まぐれで持ち帰ったのだ。
すぐにそれにも飽きてベッドへ入った。
携帯デバイスを開く。メールを確認したが何も新着はなかった。期待はしていなかったが少し落ち込む。ボスは逃げたのだ。
外では風が鳴り始めていた。台風は明後日に最接近するらしい。ビールでも飲もうかと起きかけたが嫌な酔い方をするだけだと思い直して眠った。
起きるともう喫茶店のモーニングが終わりかけの時間だった。風はますます強くなっていた。陽射しがベッドの脇の窓に吊るした黒いカーテンからぼんやりと透け見える。
寝坊というのはたまの休みにやるから気持ちが良いもので、やることがなにもない朝だとただ惨めな気分になるだけだ。
添い寝するみたいに握ったままのデバイスを開く。
新着メールはない。ますます惨めな気分になった。
無音が耳に障る。風の音と蝉の鳴き声、エアコンと冷蔵庫の作動音だけだ。テレビをつけた。
帰宅中に車で見たニュースの続きがやっていた。都市高速で走行中の車が爆発した事件だ。
「爆発の瞬間を視聴者から提供いただきました。ご覧ください」
後続車の車載カメラの映像が画面に映る。その時点で嫌な予感があった。
まっすぐの道で混んでもいない。それでも先行する車のブレーキランプが光り車体の後ろが浮くほどに急減速した。止まりきらないうちに左側から男が転げ落ちてくる。男は起き上がるとそのまま路肩を後方へ走り去り画面から消えた。
車は運転手がないまま惰力で進み爆発した。
映像が終わりキャスターが続けた。
「車内からは身元不明の女性の遺体が発見されました。警察は女性の身元の確認を急ぐともに現場から走り去った男性がなんらかの事情を知っているものと見て行方を調べています。
またこの影響で都市高速は全面通行止めとなり、一般道にも大規模な渋滞が発生しています。お出かけは交通機関で」
俺は画面を見続けた。どこかの海水浴場からの中継映像になっていた。8月末にして記録的な酷暑らしく海水浴場はどこも大盛況だ。数万人がかき回した砂で灰色になった海面が水着で埋まっている。渋滞がますます長くなるだろう。
俺はデバイスを開きニュースで爆発現場の映像を見た。
どう見ても田中にしか見えなかった。あの金髪と赤いワークパンツは車載カメラの荒い画質でも間違えようがない。
15分後には家を出ていた。渋滞を回避できるルートを考えながら駐車場へ向かった。いよいよ逃げないとまずい。もう手遅れな気もしたが。
ニュースの通りどの道も渋滞しいていた。それに加えてニシ地区は暴動以来主要な道には検問が敷かれて、それを避けるために俺は生活道路を縫って車を走らせる。
道端に置かれたプランターは暴動で手頃な投擲武器や鈍器の代わりにされて一時期は随分と減っていたが数が戻りつつあることに気がついた。住宅地区を抜けて川の土手の道を南へ向かう。
北から大きな川がニシの脇には流れている。一年中雑草がなくならない河川敷があり、そこに家すら持てない連中が小屋を建て、巨大な菜園まで管理している。ちょっとした村だ。
正面にくる太陽が眩しくてサンバイザーに挟んでおいたサングラスをかける。右手側の川面に黒い肌の女が何人か洗濯をしているのが見えた。日焼けマシンで焼いた肌よりもリアリティを感じた。その脇ではほとんど全裸の子供達が水遊びをしている。川面が太陽を乱反射させていた。子供が跳ねるたびに一層細かく光が散った。
川に沿ってニシを抜けた。川沿いから街中へ戻る。車の流れは多少スムースになった。検問がないからだ。しかし渋滞には変わりない。いつもなら都市高速に乗るところだが封鎖されていることはつけっぱなしにしたラジオが繰り返していた。
空港線を南へ下る。都市高速ができるまでの旧幹線道だ。空港がある半島のほうへ伸びている。
ラジオが古いポップスを流していた。DJは英語訛りの日本語で、曲の合間にサーフィンの自慢をしている。市街を抜けると渋滞がましになった。自然とアクセルの量が増える。指先でハンドルを叩きリズムをとる。
1時間ほどで海が見えてきた。窓を少し開けた。熱気のこもった風と潮が車内に入り込んできた。サングラスを上にずらして海を見る。窓を最大に開けてラジオのボリュームを上げた。
海外逃亡を企てているテロ事件の重要参考人にも、職責を放棄した管理売春組織の幹部にも見えないだろう。どう見ても社用車でさぼってる営業だ。
母親と別れた浜はどこだったのかと思った。児童福祉局の管轄から考えてこの辺りのはずだ。道すがらいくつも海水浴場はあったが似たようなもので区別はできない。20年も経っているのだ。
海水浴場をいくつか通り過ぎて、太陽が正面から右へ傾き始めた頃に空港が見えてきた。
あの日、母親もこの空港からどこかへ逃げたのかもしれない。どこでもよかったんだろう。わかる気がした。
どこへ行ったにせよ、俺と同じ開放感はあったのか?
それとも自分を呪っていたか?俺を思って泣いていたのか?
母親がいつも口にしていたフレーズをポップソングに合わせて口ずさんだ。意味は知らない。なにかのまじないや祈りの文句みたいに俺は口ずさんむ。
車を空港の駐車場に向けた。どうなるにせよどうせ戻ってこないだろう。帰りのことは気にせず空いている旅客ターミナルから遠い駐車場に停めた。
荷物は着替えと弁当を詰めたボストンバッグだけ。逃避行は身軽じゃなきゃいけない。海パンがいるならどこかで買うつもりだった。
しかし上手くはいかないだろうなと分かっていた。むしろ分かっていたからこそ、逃げるつもりになったのだと思う。
第十六回に続く
隔日更新予定
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