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なにものにもなれなかった僕

何者にもなれなかった。
そう落胆した夜があった。26歳。

別に夢がなかったわけではない。
大学生の頃はあったし、それに向かって邁進していた。
けれど、希望の就職が叶った瞬間、目標が達成されて勢いも希望も無くなった。『就職』というゴールを経験して、バーンアウトしてしまった。
「目標は?」「やりたいことは?」と聞かれ、いろいろと言葉を並べて、回答を濁らせてきた。「ここまできて、本当は何がしたかったんだっけ?」と。

職業柄、誰かのやりたいことをサポートする仕事だった。ある意味、自己実現のサポーターというべきか。(ほかにも仕事はあったけど)
役回りは応援団。けど、僕はその業界には関わりもなく、その界隈から弾かれた人間だった。活動家の人たちに取り残された人間に何ができるのか、正直わからなかった。
逆に活動的になれる人は、自宅でうずくまってしまうくらいの僕みたいな人間の気持ちはわからないだろうなという大きな壁を感じていた。それでも、無理をしながら『活動的な人』を演じた。
しかし、限界はすぐ隣を歩いていた。

僕の中にあった『活動的な人』の弦は嘘を弾く。
そして、糸は切れた。そのときの音は今でもはっきり覚えている。

『活動的な人』を演じていたわりに、完全ではなかった。今になって思う。その仕事をしても、素人という感覚が抜けなかった。
その間も何者でもなかったのだと。
演じているものが納得できる型ではなかったからだろう。『型』をつくりあげる上での知識不足がそうさせていたのだろう。『あくまで素人』という感覚が首を締め続けた。

僕にとっての『何者』の言い換えは『専門職』なのかもしれない。でも、僕はまだ納得のいく専門職にはなれていない。

−−−−−

今、周りが昔より見えるようになって「何がしたい?」ときかれれば、いくつか出てくる。
「原作作家になって、アニメ化したい」とか「脚本を書いて、ドラマやアニメの制作現場にいきたい」とか「声優になって、作品を届ける人になりたい」とか「ただ単に都会で生活できるようになりたい」とか「前職での無念を晴らすため社会福祉士をとって専門性をあげて挽回したい」とか。
業種も何もかもばらばら。

結局エンターテイメントへの憧れは消し去れなかった。遠い地方からアニメ制作会社への転職も考えた。制作進行からアニメ脚本家になる路線としてである。また、シナリオ専門学校の講座も通信で受講した。でも最終的に障害の多さに落胆して諦めざるおえなかった。
地方性、経済性、個人の身体能力の問題を鑑みて、何度も憧れ、何度も諦めを気がつけば中学生くらいからずっと繰り返してる。今も続いている。その度に自分の真剣さが足りないことを自覚する。また落胆する。結局、乗り越えられない。叶わない。夢物語と、、、

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前職退職後、一回すべてをリセットするまでもなく、医療福祉業界に入った。社会福祉士になるために、医療から福祉を見るという理由で。
また社会的意義に逃げた。そんな感覚が少なからず残っている。
でも社会福祉士の取得したいと思い始めたのは大学生のときからだった。何度も必要だと思うのは、これ取らないと一生後悔するやつだ。という判断だった。「人に論理的にも技術的にも優しくなりたい」という漠然とした理由もある。

小説を書いても、脚本を書いても『人間』を知らなければかけない。人を知るためにも、この資格を取ろう。そういう幾つかの側面から理由をつけて納得させた。

けれど、理由に『小説』や『脚本』が出てくるということは諦め切れてないんだろうなとも思う。
実際諦められてないわけで。。。

前職でラジオパーソナリティ(ラジオドラマのキャストも)をかじった。正直、話をするのが苦手で、マイク前で話すのはもっと緊張して苦手で、話を回す、質問するなんてのが毎回下手で一番苦手な仕事だった。
(そもそもその業務を提案したのが自分であったのだけれど。。。)
でも、声はいろんな人から誉めてもらった。
それが嬉しかった。それだけが嬉しかった。
だから、退職するまで続けられた。
声優に憧れるのは、そんな小さな理由。
あと声優さんの技術を習得すれば、もっと聞こえやすくなるかなとか、話がうまくなるかな、とかも、もちろん思うにはあるけど。

そして、エンタメ関連にとても批判的だった母親が僕の出演したラジオドラマを聞いて、「あなたのこの才能を伸ばす方向の選択もできたのかもしれない」とボソッと言った。だから僕もその選択をしても良かったのかも知れないと今更ながらに思った。

真剣に語ることを避けてきた。
叶えるための努力の覚悟ができなかったから。
でも、周りに何度も言われる。
「それが本当にやりたいことなんでしょ?」と
「シナリオの話をしているときの方がイキイキしてる。あなたらしい」と
「怪談とか、朗読とかもしてほしい」と

今となって言えること。
何者にもなれなかったのは、“他者との関わりを通して、自分が何者か理解できてなかったということ。”
すなわち、自己理解ができていなかった。
早急に「何が好きで、何がしたいか」を決めるべきではなかった。
「〇〇が好き」なら「自分の半径1m以内の人たちは喜んでくれるはず」という発端の思考があった。そしていつしか、架空の他人が思う「〇〇をすべき」を僕の「〇〇をしたい」に自動変換されるようになった。
本当の「やりたい」をきれいに箱にしまい、違うカテゴリに当てはめて、検索がかけられないようになった。
呪いのように、『そうすれば社会で生き残っていける』という生存戦略を入墨のように身体へ刻んだ。

そこには対話すべき他者は存在しなかった。心がなかった。体裁が、誰かのうわべの言葉を大切に受け取っていた。誰が悪いわけでもない。
それが僕のこれまでの人生の反省点。
ここからは、修正していくフェーズ。
演じるのはほどほどに、けども、仮面は捨てずに。

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僕みたいな、14歳くらいで人生の方向性を勝手に決めてしまう子がいたら、ひとまず、誉めないでいたい。圧倒的情報不足・知識不足は否めないから。
もっと他者と対話して、自分と対峙させないと一生演者で終わる。
やりたいことができないという自己実現の欲はそう簡単に消えたりしない。その感情に背を向け続けると最後には自分の思っている言葉も表現できなくなる。許可がなければできないと認識することもある。そんな自分で自由を制限することほど、気が狂いそうなことはない。

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ここ二、三日で僕自身も何をしてるのやらということをした。声優の養成所に資料請求をしたのだった。そしてついさっき、そこからの電話があった。
好きなアニメや声優さんを聞かれ、それは普通に答えられたけれど、『エンタメ業界への転職』のワードが出た瞬間、一気に「正直に答えるべきか」「年齢的な体裁を保ったまま答えるか」の二択が脳裏を占領した。結論として年齢的な体裁を考えた「現実的ではない」の言葉を選んでしまった。
今この地方的、経済的、身体的な障害を乗り越えられるものがあるとするなら、常識的なこと・通例的な流れを全部無視をして、両耳を塞いで爆走するくらいの覚悟が必要なのかも知れない。

何をおいても、「やらなくて後悔しないか」の基準で考えてきた。26歳で現実的に寿命の終わりを意識せざるおえなくなったこともあり、「本気?」と言われて、「本気だ!」と言える勇気がほしい。
「後悔しないか?」と聞かれれば、多分後悔するだろうとも予想ができるから。

芦舘 芽衣華

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