見出し画像

クリミナル・トラッキング

 行方を眩ませたものの追跡について、何らかの技術があることを初めて知ったのは映画からだ。若きトミー・リー・ジョーンズの出演する「逃亡者」「追跡者」からで、徒歩の人間の可能な行動範囲や、人間の逃げ方の癖など、科学的に逃亡者を追跡する方法があることを知り当時は驚愕したものだ。

 同じぐらいの時期にはFBIからプロファイリングが起こり、社会的に被害者との繋がりが全くない犯人をどうやって探すか、をこれまた映画「羊たちの沈黙」により知って衝撃を受けた。近年ではプロファイリングはリヴァプール方式と呼ばれる統計データに裏打ちされた技術で、より詳しい犯人像に近づこうとしている。

 失踪した人間を追跡するのはかなり難しい。だが、手がかりとして絶対に衣食住は確保するはずだ。狩猟や採取で生きていく原始人のような生活をするのは現代人にはかなり難しいからだ。
 人間は様々な理由で社会的な繋がりのある場所を捨て、何処かへ逃げる。その理由は借金であったり、駆け落ちであったり、いじめであったり、病気であったり、犯罪であったり、違った自分になりたかったりと様々だろう。しかし、よくよく調べてみると、失踪・逃亡者のほとんどはすぐに発見されているし、帰ってきている。

 二度と帰ってこない犯罪者などはどうやって探せば良いのだろうか。そいつらは、明確な意思を持って逃走している。じっと一ヶ所で息を潜めているかもしれないし、常に移動を続けているかもしれない。金銭さえあれば移動し続けることは可能だ。明確な意思を持って逃げている者ほど金銭に困ることが多いだろう。
 彼らは身分を明かしてしまうと逮捕されるため、身分証の不要なところで働くだろうし、住居を持たないため住み込みで働いたり日当制で簡易宿泊所や漫画喫茶を使ったりするだろう。また、察知すればすぐにそこを捨てて移動を開始するだろう。協力者がいればそこで潜伏するだろうし、ホームレスになっている恐れもある。より人里離れたところへ移動するかもしれないし、山の中や無人島に入るかもしれない。となると空き家や廃墟に潜んでいる可能性もある。逃亡する犯罪者が逃避行動をどうするかはその者の価値観と経験則に左右される。

 では、トラッキングのための手掛かりにはどんなものがあるのだろうか。トラッカーたちの技術から現代社会でのトラッキングのヒントを考えたい。

狩り
 狩猟におけるトラッキングには技術と長年の経験が不可欠だ。ハンターは獲物を追う時は無作為に動き回るのではなく、「寝屋」と呼ばれる動物が寝る場所や、休み場所や餌場などの立ち寄る場所を見回っているそうだ。確かに、睡眠という行為は一定時間獲物の動きを止める。動物はその種類により睡眠時間は様々だが、人間は1日のうちで1/3程度の時間を消費して休息のために留まる。しかし、人間は住居にどんな人間がいるのか外部を眺めることができない。ある程度予測がついていれば張り込みが必要となる。

 また、「忍び猟」と言って獲物の足跡を追い、追いついたら撃ち獲る方法もある。他にも獲物が良く通るところや、付き場といわれる場所に先回りして待ち伏せる方法もあるそうだ。人間よりも聴覚や嗅覚に優れた野生の獣に近づくのは、そう簡単なことではないだろう。現代社会ではアスファルトと鉄と人工物に囲まれてフットプリントが付きにくい。追跡のための手がかりが少ないのだ。
 待ち伏せはある程度対象の現在位置が特定されていることと、その行動パターンがわからないと容易ではない。人間もある程度固定化したパターンで生活するだろうが。

逃亡者の追跡
 「SASサバイバル・マニュアル(バリー・デイビス著 原書房)」では、戦場や紛争地帯において回避行動を取るものを追うことを専門にしている「追跡者」(トラッカー)と呼ばれるものがベトナム戦争以来活躍が成功を収めてきた。彼らは目で獲物を追うために「ヴィジュアル・トラッカー」とも呼ばれてきた。
 彼らは「テンポラリー・サイン」と呼ばれる荒らされた下の草や枝、そして地面、虫の死骸から、または「パーマネント・サイン」切られた、もしくは壊された木の枝など、落とされたもしくは取り残された人造品などを手掛かりに逃亡者を追う。
 これは人の膝の高さを境に「トップ・サイン」と「グラウンド・サイン」に二分し、それを観察することでこれらの痕跡はどの方位に逃げようとしているか、どこを目指しているのかを推測するヒントとなる。なるほど失踪や逃亡直前の行動は次の行動へのヒントになるだろう。
 逆に回避者は後ろ向きに歩いたり、よくわからない行動を混ぜることで「非合理的行動」としてトラッカーを混乱させる技術も存在する。確かに逃亡者は整形を試みたり衣服や髪型をいつもとは違うイメージに塗り替えようとする。

 次に、これまでに公的機関などを使って試されてきた方法から考えてみる。例えば、住民票は住民に関する最も信頼性の高い情報だ。しかし、同一世帯員のみ、戸籍は直系親族のみしか取得権限がないため、人探しに気軽に利用できるものではない。
 こちらが債権者で、対象者が債務者の場合、債務を証明する疎明資料を提示できれば、前住所の管轄の自治体で、住民票の除票や戸籍の附票(住所履歴)の交付を受けられる。しかし、正当な調査理由がない場合や、住民票の住所や本籍がわからないと、いきなり住民票や戸籍の附票を取得することは不可能だ。
 蒸発者のような場合、住民票登録を異動させずに転居するのが普通のため、住民登録の移動履歴が照会できたとしても実住所は判明しない。つまりは一般人には使えないということだ。
 電話帳の掲載率は年々低下しており、全国の掲載率は30%程度と言われている。さらに、都心部の掲載率は5%を下回るそうだ。そのため40歳代以下の世代の人物を探す場合、電話帳はほとんど機能しない。数で当たれば同じ苗字でもしかしたら血縁者に当たる可能性もあるが、もはや運ゲーである。
 居住地域が限定されている場合、ゼンリン住宅地図で登録されている氏名をサーチして、住所を絞り込むことが可能ではある。しかし、共同住宅の場合、居住者の氏名登録が入っている可能性はほとんどない。また、表札を出していない人物は、住宅地図に氏名が登録されない。住宅地図を使って人を探すのはあまり得策ではなさそうだ。
 対象者が日本法人の代表者なら、会社の商業登記簿を取得すると、自宅住所がわかる。その他、企業信用データベース(東京商工リサーチ等)の役員検索を利用すると、対象者が役員に就任している法人が見つかる可能性がある。しかしあまりこのような人物らが突然行方不明になったり、犯罪者となることはなさそうだ。
 官報検索では、破産者や帰化した人物の住所を検索することができる。当然、破産や帰化をした記録がある人物しかヒットしない。
 探したい相手が家族で、住んでいた場所が分かるのであれば、『住民票の除票(じょひょう)』から転居先を調べることができる。引っ越しや死亡などの理由があると、それまでの住所地での住民登録は抹消される。ただし、パソコンのデータのように削除してしまえば見ることができなくなるのではなく、抹消データは「除票」というかたちで残されている。分かり得る範囲で最後に住んでいた場所の役場に行って除票を請求すれば、転居先が分かる。もしその転居先からさらに転居していても、同じように除票を請求すればいいだけだ。ただし、除票の請求は同一世帯だった人や探したい人からの債権回収・訴訟を提起しているなど正当な理由がある人しか請求ができない上、DV・ストーキング・虐待などを理由に閲覧が制限されている場合もある。

 これまで取られていたスタンダードな方法は個人情報保護法により近親者にしか公開されなくなったものがほとんどだ。役所媒体では個人を探すのはかなり難しそうだ。
 他にも「探偵の技法」(大沢知己著 イースト・プレス)によれば調査に必要な情報は以下の通りとされている。
・ターゲットの氏名
・顔写真
・年齢
・住所
・勤務先
・身長などの身体的特徴
・メガネ使用の有無
・好む服装
・現在の髪型
・勤務時間や勤務形態
・起床時間や就寝時間
・立ち寄り先
・移動手段
・生活パターン
・行動パターン
・家族構成
・交友関係
・趣味や趣向
・調査経験の有無
 それでは、基本情報の少ない犯罪者はどうやって探せばいいのか?これまた映画「ハンテッド」のように、トラッキングには手がかりが必要なはずだ。では現代社会では何が「サイン」となりうるのだろうか。

 例えば、リンゼイ・アン・ホーカーさんを強姦目的で自宅で殺害し、2年7ヶ月にわたって逃亡生活を続けた市橋達也は整形手術を行いながら逃避し続けている。所持金5万円ほどで自転車や電車を利用しながら、自らカッターなどでほくろや下唇を切除し自己整形している。
 千葉県から埼玉県・群馬県・茨城県を放浪し、静岡県を経て青森県まで北上する。彼は青森駅の公園前で1週間ほど寝泊まりをし、その後大阪西成区の職業安定所を訪れ、その後四国に移動している。贖罪の意図で四国で遍路道を歩いたらしいが、やはり捕まりたくないため、図書館で無人島について調べ、沖縄県のオーハ島に鹿児島から渡ったが、準備不足により食料に困り1週間ほどでその計画は頓挫した。沖縄本島に移り建設現場で住み込みで働き、さらに大阪西成で住み込み労働し、オーハ島に定期的に渡るようになった。
 彼は宿舎付近で警察らしき車両を発見すると、身近に捜査が及んでいるのではと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返している。逃亡中にオーハ島には4回訪れており、最長で3ヶ月ほど滞在している。2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、魚や蛇、ヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどして生活している。

 オウム真理教の高橋克也人は何人かの信者と共に逃亡し、共犯者が逮捕されたことで16年間どのように生活していたかがわかった。逃走中は実在する人物の住民票を悪用し、本人になりすまして生活していた。共犯者が逮捕されたと報じられると逃亡を再開した。
 警察は顔写真だけでなく、逃走直前にほぼ全額を引き出した金融機関や、職場で高橋の顔が写った防犯カメラの映像、コンビニで捉えられた防犯カメラの映像を公開した。「潜伏先は地方を避けて都会にすべき」や「駅や空港には防犯カメラが多いから避けるべき」と高橋が供述していたとする菊地の証言、キャリーバックを購入したスーパーからタクシーに乗車する際に脚と青いキャリーバッグがわずかに映った防犯カメラの映像、社員寮に夏服がない一方で冬服が残されていることから何着かの夏服が持ち出されている可能性が高いこと、社員寮に防犯カメラ特集の雑誌が残されており防犯カメラに関する知識を悪用して逃亡している可能性が高いこと、川崎駅周辺の透明なドア越しに歩く姿がわずかに映った喫茶店の防犯カメラの映像、職場に提出された履歴書や金融機関払戻請求書に書かれた筆跡に至るまで連日に逐次公開し、結果として連日にわたって世間の注目を集めた。
 市民から有力な内容を含むいくつかの情報が寄せられる中、逃亡開始から17年後の2012年、潜伏していたの漫画喫茶で似た男がいると通報があり、駆け付けた捜査員が「高橋克也の件で捜査しています」と聞くと「はい。私が高橋克也です」と素直に応じ、逮捕された。
 これらを見ると移動はし続けるが、生活が安定し始めるとどこか定住の地、長期に安定して安心できるところを探しているように見える。

 逃亡の最初の選択肢は積極的に「群衆に紛れるか」それとも「人を避けるか」だろう。群衆に紛れるためにはかなりの胆力が必要なだけでなく、人目につきづらい時間帯に活動したり、明るい日中は避けるなども考える必要がある。
 行き当たりばったりの行動では衣食住に困窮するため、それなりの計画性を持って逃亡生活を送ろうとするだろう。その日暮らしで刹那的に生活するには精神的にもかなりの疲労が溜まるはずだ。そのためある程度の生活パターンを確立しようとするだろう。しかし、安定した生活を続けていても捜査が及んでいることを考えると、ある程度は定期的な移動を行うようになる。
 そのために必要となるものはやはり金銭だ。そこで選ばれるのは日雇い労働や住み込みの仕事などだ。日雇いの仕事といえば「解体作業員」「工事現場の交通整理スタッフ」「イベントスタッフ」「商品の梱包・仕分け作業員」などがある。家出・逃亡状態の初期にもっとも出費がかさむのが宿泊費であり、住み込み・寮つきの仕事では、運転免許証などの顔写真付き身分証明書さえ不要となるところもある。これらの仕事は例えば「自動車の期間工」「旅館スタッフ」「製造業の工場勤務」「警備会社」などがあるが、逃亡生活中であれば人と関わりのあるサービス業などの仕事は避ける傾向があるのではないだろうか。
 その中で有名なのが、日本最強のドヤ街「西成」である。ここの給料相場はおよそ1日1万円。飯場は居室と3食付きで、必要経費として3000円が天引きされ、手取り7000円となるそうだ。幾らかの貯蓄のために使われそうだ。
 もう一つの選択肢としては、普通の社会生活を捨てること。つまり「ホームレス」になることだ。浮世を捨てれば見つかる確率は限りなくゼロに近くなる。しかし、貧困でホームレス生活に慣れている者でもない限り、これまでの生活レベルを最低まで落とすことはそうそうできないだろう。
 そして、人間はイメージや経験則に左右されやすい。特に逃亡者はこれまでの人生経験や知識からしかその行動を決定できないと思われる。人物像とその価値観の理解は絶対に必要で、近親者からも話を聞くべきだ。また、メディアを使った威嚇行動も炙り出しには格好の方法だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?