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紙コップが気になって仕方ない。和歌山毒物カレー事件(2)

 重要な証拠の一つとして、夏祭りの現場から毒物の混入に使われたとされる紙コップが発見された。このコップの底には亜ヒ酸が付着していたが、指紋は検出できなかったとされる。
 そして、林死刑囚の家にあった「白アリ薬剤」と書かれたプラスチックの箱にあった亜ヒ酸と、この紙コップの亜ヒ酸の成分が一致したことで犯人である証拠の一つとされた(正確には「同じ場所で製造されたもの」というだけで「同じもの」ではない)
 この紙コップ、一体どこから出てきたのであろうか。祭り会場にあったとされているが、いつしか容疑者がガレージでヒ素を入れた紙コップとされている。

祭り会場のゴミ袋からヒ素が付着した紙コップが発見されており、犯人はこの紙コップでヒ素を運び、鍋に混入したと考えられている。

田中ひかる著「毒婦 和歌山カレー事件20年目の真実」より
発見された亜ヒ素が付着した紙コップ

 紙コップは夏祭り会場のゴミ袋から発見されたと報道されている。

夏祭り会場周辺で集めたゴミの中に、亜ヒ酸の付着した紙コップがあった。(中略)カレーを調理していた祭り会場東隣の民家のガレージには、当日の午前10時ごろから冷えたお茶を魔法瓶に入れて置いていた。亜ヒ酸の反応が出た紙コップと同じ型のコップがこの付近にあったという

朝日新聞1998年10月6日

 調理していたガレージにはお茶が置かれており、同型のコップが置かれていたとされているが、どうも文脈からすると夏祭り会場にあったゴミの袋の中に問題の紙コップはあったようだ。
 紙コップは大量に使う物であるため当日は大量の同型紙コップが会場に溢れていたはずだ。同型の紙コップがガレージにあったことを強調したいのだろうが、別の記事にはこう書かれている

このコップにはカレーも付着していることから(中略)
捜査本部が会場周辺のゴミなどを回収した際、カレーを盛ったトレーなどとともにゴミ袋に入っていた。

毎日新聞1998年10月6日

この内容だとどう考えても祭り会場にあったゴミ袋の中にあった表現となる。
 もうこの時点で既にかなりおかしい。裁判では容疑者がヒ素を入れたのはガレージで、おそらく昼過ぎとされている。
 祭り会場のゴミ袋はガレージにあったのをわざわざ会場に持っていったものなのであろうか?

亡くなった4人がいずれも早い時間にカレーライスを食べていたことから「青酸化合物は調理の最後に鍋がかき混ぜられたあと、上部にふりかけられた疑いがある」と発表した。カレーライス担当の主婦たちは、祭りが始まる1時間ほど前からカレーを温め直している。当然その時かき混ぜているので、もし「上部にふりかけた」のであれば、毒物が混入されたのはカレーライスを配る直前ということになる

田中ひかる著「毒婦 和歌山カレー事件20年目の真実」より

 カレーは午前中から作り始められ、昼には完成した。その後夏祭りが始まるまでガレージで交代で見張り番を行っていた。カレー鍋2つは16時ごろから会場に移動し、17時ごろから温め直しが始まった。18時前から配り始めており、この16時から18時の間にヒ素が混入されたと最初は見ていたのだ。なぜなら早い時間に食べ始めた者がより高濃度のヒ素を口にしていたからだ。
 そう考えるとカレー鍋が夏祭り会場に移り、温め直すタイミングあたりで混入され、その後会場のゴミ袋に捨てたというのが最も自然に見える。

 この日の時系列を振り返ってみる。
8:30 ガレージでカレー作りを開始(主婦20人)
10:00  カレーの煮込みを開始。
11:30  6人の主婦が味見をするが異常なし。
12:00ごろ カレーが完成し、主婦が交代で見張りを始める。
12:05  林死刑囚がガレージに到着する。
12:10  林死刑囚は夏祭りに使う氷の状況を確認するため一度家に戻る。
12:20  戻ってきて林死刑囚が見張り番をする。
13:00  この時間までに林死刑囚がヒ素をカレーに入れたとされている。
14:30  この時間までに焼きそば屋店主と次女、その友人がカレーの味見をするが異常なし。
16:00ごろ 鍋が会場に運ばれる。
16:30ごろ  林死刑囚が近所の家からカレー用のご飯を集めて会場に持って行く。その際に「友達と出かけるので、今夜は手伝えない」と言い去る。
17:00ごろ カレーを温め始める。設営準備をしていた2名の男性が忙しくなると食べれなくなるからと、先にカレーを食べ始める。その後自治会長と副会長がカレーを食べ始める。
17:45  カレーを先に食べた男性が嘔吐し始める。
18:00ごろ 夏祭りが始まる。林死刑囚は夫、長男、次女とともにカラオケに出かける。

 公判では12時20分から13時の間に林死刑囚はカレーの中にヒ素を混入したということになっている。しかし、実はその後次女とその友人、焼きそば店の店主がカレーの味見をしている。
 味見した次女ほか2名は既に中毒症状を起こしていたはずなのに何も起きていない。食べたカレーの鍋が違っていたかもしれないという意見もある。そうだとしても、次女も食べるかもしれないカレーに母親がヒ素を入れるだろうか、という疑問も生じる。
 次女が味見の後に混入したのではないかと考えることもできるが中学生がヒ素をどこから持ってきたのだろうか。後述するが次女は林死刑囚によく似ていたらしく、目撃情報の混同も多い。
 話は戻るが、この犯行に使われた紙コップは公判で主張するとおりに容疑者が時間通りにヒ素を入れたのであれば、「ガレージにゴミ袋を備え付けられており、その中に入れた」ことになる。もっと言うと「そのゴミ袋は誰かがガレージから夏祭り会場に移動させた」ことになる。というかガレージで投入し、ガレージで捨てたのであればもうかなりの犯行の杜撰さである。
 ガレージで捨てておらず、更に林死刑囚の犯行とするならば、毒物を投入した後ご飯を持っていく16:30ごろまで紙コップを持っていたことになり、わざわざ会場で捨てたことになる。
その全てが違うのであれば、会場で別の人間が混入させ、そのまま会場で捨てたことになる。カレーのトレイと共に捨ててあったのなら夏祭り会場にあったとしか考えられないのだが、いったいこの紙コップ、どこにあったものなのだろうか。

●誰も見たことがない「白アリ薬剤」のプラスチック容器
 80名の捜査員が家宅捜索4日目にしてキッチンのシンク下から「白アリ薬剤」と書かれたプラスチック容器を見つけた。

見つかったプラスチック容器

 このプラスチック容器はビニール袋に入った状態で見つかったが、プラスチック容器にもビニール袋にも指紋がついていなかった。
 しかもこのプラスチック容器、家族の誰も見たことがないらしい。
 よく語られる情報として、過去ヒ素を扱っていた夫はヒ素の薬剤には業界用語である「重」という但し書きをしていたそうだ。それならばこのプラスチック容器に「白アリ」と書いたのは夫以外の人間ということになる。

●49%のヒ素はなぜ75%になったのか
 これら林家にまつわるヒ素たちは夫が白アリ事業(事件の10年ほど前)を行っていた時のものだとされている。ただし所持していたヒ素は不要となったため、親戚に渡している。
 蓋に「重」と書かれたミルク缶に入っていたシロアリ用のヒ素の濃度は49%とされている。
 このミルク缶からプラスチック容器に移し、紙コップに移したとされているが、なぜか紙コップに掬われる頃には亜ヒ酸の濃度は75%までに濃くなっていた。

検察の主張するヒ素の流れ

 薬品などが経年の劣化で濃度が低下するのは想像に易いが、入れ替える度に濃度が上昇する薬品は聞いたことがない。わざわざ投入するために家で煮詰めて濃度を上げたのだろうか。むしろそもそもミルク缶のヒ素とコップのヒ素は別のものと考えた方が自然だ。

●目撃証言とコップの色
 祭り会場から発見された紙コップは青色とされている。2枚のカラー写真があるが全く同じ色に見えない。下の写真の紙コップ②の写真に至ってはこれ、青色か?というレベルでむしろピンクや白に近い(下の写真は同じ紙コップを写したものとされている)時間の経過や劣化、ヒ素により褪色したりするのだろうか。

青色紙コップ①
青色?紙コップ②

 コップの色については、お好み焼き屋のアルバイトの青年による目撃証言にその記述がある。しかし、青年の証言はなぜか裁判では使われなかった。
「彼女は白のTシャツにクリーム色のズボン、首にタオルを巻いていた。右手に二、三個重ね合わせた紙コップを持っていました。いちばん外側からピンク、青、黄色の順番でした。左手は振っているのに、右手は振らず、不自然な歩き方で、紙コップに何か大事なものが入っていて、こぼさないようにしているようでした。ガレージに入る直前、360度見回すように周囲を見て、ガレージに入っていきました。ガレージから二メートルほど入ったところで、ピンク色の紙コップを左手に持ち替えました。そのときも上からわしづかみにして隠すような感じでした」とある。
 しかし、実はこの日容疑者を見ていた主婦たちは「黒のシャツ、黒いズボン、それに黒に黄色のプーさんのロゴが入ったエプロンをしていた」と記憶しており、一緒にいた主婦たちも「黒っぽい服を着ていた」と証言している。上記の白い服を着ていたのは外見がそっくりだった次女だと考えられている。
 その後青年は、警察からわざわざ和歌山市内の眼科で視力検査を受けさせられている。20メートル離れたところから容疑者(多分次女)が重ねて持っていた紙コップの色を「外側がピンク、青、黄色の順番」と見分けることができたということになっているからだ。

3つの紙コップの色は見えないとしか思えない

 青年の証言によると、ヒ素が直接入れられていたのは、一番内側の黄色い紙コップだということになるが、祭り会場のゴミ袋から発見されたヒ素の付着した紙コップの色は、青である。
 もちろん捜査員はそのことを知っているため、黙殺した可能性が高い。しかも、ガレージには魔法瓶が置かれており、そのお茶を持っていた可能性も高く、ましてや色も違う。もっと言えば当日同型の紙コップは周辺に沢山あったと思われ、「怪しげな紙コップを持っていた人」なら沢山いたはずだ。

 もはや、意味がわからない。一貫性のある証拠には全く見えない。
 恣意性をひどく感じるし、事実と捏造が混在しているようでもはや事実すらどれなのかわからない。狭山事件の万年筆とそっくりだ。

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