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【書評】超・美術鑑賞術

見出し画像は昨年京セラ美術館で開催された「ワタシの迷宮劇場」展を鑑賞時撮ったもの。今振り返るとモリムラ・ワールドを体感するのにすごくいい展覧会だった。

#caution

現代美術家 森村泰昌さんの書いた『超・美術鑑賞術/お金をめぐる芸術の話』を読んだ。


森村さんの書いた本を読んだのは、多分これが2冊目。1冊目は同じちくま学芸文庫から出ている『美術の解剖学講義』。ただし、結構前に読んだので、そっちの内容はあまり覚えていない。


内容は、5/6が「超・美術鑑賞術」編、2002年にNHK人間講座で放送されたものがベース。残り1/6が「お金をめぐる芸術の話」編、2008年に森美術館で行われた講演がベース。トークが文章化されたものであり、真剣でありながらも同時にサービス精神旺盛&気配りの行き届いた言説(たぶん森村さんの人柄なのだとおもう)で、スムーズに引き込まれる。読みやすく面白く飽きずに最後まで一挙に読み通せる。


森村さんと言えば「変身セルフポートレート」作家であり、出会ってしまったら否が応でも視線が奪われる持ち味が、作品の特徴。美術や世間の常識・良識・記憶に対する挑発的なテーマ・モチーフが多いので、好きな人は好き、嫌いな人は嫌いとはっきり好みが分かれる現代美術作家ではないだろうか。私は森村さんの作品を目にしたり書いたものを読むほどに、好きになってきた口である。


ちょっと書評からはそれるが、つい先日、NHK日曜美術館アートシーン(4月2日放送)でも森村さんが出てきて、その内容に感心してしまった。昨年京セラ美術館で開催された個展(「ワタシの迷宮劇場」。この記事の見出し画像はそれ)で、会場設営で用いた大量の布を再利用した新たな芸術作品の創発とその展覧会に取り組んだプロジェクト「アート・シマツが紹介されており、これを見てまた私の中で森村さんの株が上がってしまった。なお、私が動いてる森村さんを見たのは実はこれが初めてな気がする。

最近、NHK日曜美術館本編よりアートシーンの方が面白く価値があると感じることがしばしば。要は両方とも目を通せってことですが。

#さらに余談



この本の感想。書きすぎ内容ネタバレはもったいないので、個人的に特に強く印象に残った数箇所とそれに対し私なりに考えたこと。


p.11 鑑賞方法の二つの大枠
①世相がナビゲーター、美術がナビゲーター
→世相から美術を読む、美術から世相を読み取る。互いを往還して、深いあるいは鋭い作品理解に繋げる
②脳の初期化
→色々なところで色々な言い方がされるが、いわゆる「無垢な目で見る」というやつ


森村流美術鑑賞の八つの極意が披露。日頃から自分も思っていたことと多く重なる。それがズバッと書き記されている/明言されているのは、心地いい。何かの節に引用したくなる。また、森村さんの年季だから言えること、経験を経た学識で裏打ちされた極意もあり、なるほどと思う。


p.37 美術館をレストラン、展覧会をコース料理と考えると
森村流美術鑑賞の極意そのニ「アートはイートである」の実践。このようなアナロジーで考えてみると、たとえば、地域博物館は必ずしも畏まるレストランである必要はなく、フランクな大衆食堂/大衆料理であったっていいし、時には飲み交わし口泡飛ばす酒場であってもいいのではないか。発想が広がる、柔軟になる。(注:ミュージアム内で飲食させろ、という意味ではありません。鑑賞の振る舞い方や場の受入雰囲気ということです。念の為)

他にも、「料理」「食べる」のアナロジーで、美術鑑賞のバリエーションを考えることもできそう。鑑賞/味わい方、創作/料理の仕方。
→そーすると、ただ差し出されたものをそのまま食べるだけでなく、時にはお好みで調味料をふって自分で味を調整したって構わないのでは。これは、デジタル/バーチャルな展示/鑑賞と相性がいいかも。背景をホワイトキューブからブラックキューブに変えてみたり、仮想的に照明を変えてみたり音楽を流してみたりとか。


p.87
森村さんの代表的作品の一つだと思う、変身セルフポートレートの一つ《はじまりとしてのモナ・リザ》に関するエピソード。それを見た小さい子が、自宅の画集で本物の方のモナ・リザの図版を見たとき発した言葉。『あ、森村さんだ!』

公の歴史とひとりの人間の個人的な出会いの歴史がいつも一致しているとは限らない。そしてどちらがリアリティーをともなう歴史なのかは、誰にも判断できないのです。

本文引用

この本の中でも特に「そうだ!」と強く共感したシーンと言葉がこれ。何か美術作品を観て感動し知り合いに話しても「別にそれ新しくない」と言われることは、あると思う。しかし、「美術史」的因果関係はどうあれ、「何か」について初めて遭遇しそれで感情が沸き立ったのなら、その時そのモノが観た者にとってのリアリティーであり、体験としての「事実」が誕生した瞬間なのである。きっと。もちろんこの「リアリティー」は常に更新されうる。

ここで「歴史」という言葉を「感動」に代えても、いい。



締めくくりに、もう一つ森村さんの言葉。

そうなってはじめて、あのプラドでの時間が、なかなか豊かな人生体験であったと、ようやく実感できるようになる。美術鑑賞は時間がかかる愉しみなのである。
ともかく美術鑑賞はしておくべきだと、私は、美術館にさして多くは足を運ばない人々にも推薦してみたいのである。

p.266-267より



以 上


誠にありがとうございます。またこんなトピックで書きますね。