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【2020/07/10→→→2020/07/01】 。。。。。。【 宮 崎 正 弘 】 💕 🐧

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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月10日(金曜日)弐
       通巻第6578号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~香港の自由な言論、人権を守るために豪政府、ヴィザ政策を変更
  留学生、技術研修生のうち10000人に永住権を付与する
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 豪政府はさらに厳しい政策変更の決意を表明した。
 7月9日、スコット・モリソン首相は「豪に留学中の学生ならびに技術研修などで豪に滞在している香港籍の中国人に、希望があれば永住権を付与する」。

 現在のヴィザの条件は留学生が五年有効、技術者ヴィザは二年有効とされている。
 2016年の調査で豪に住む香港籍の留学生などは8・7万人、現在の推定滞在者は10万人、このうちの一万人に永住権資格を与えるというのだ。

 「政治亡命、人権抑圧、人道上の保護が必要な香港籍の人々を、我々はヒューマニズムの価値観からも擁護しなければならない」とモリソン首相は付け加えた。

 お隣のニュージーランドもウィンストン・ピーター外務大臣が記者会見し、「香港の貿易関連で、戦略物資につながる(中国軍へ横流しの懸念が高い)品目の輸出制限に踏み切る」とした。(7月9日)。
 オークランド大学構内を歩くと中国人だらけ、街のど真ん中にはファーウェイの巨大広告塔、NZはこれまで英連邦の中でも比較的親中路線で知られたが、立ち位置の変更に迫られていた。

 中国はオーストラリアからの食肉輸入を禁止する措置を講じている。
 またカナダとNZは、自国の鉱山、金属資源の鉱区や金属企業への中国のM&Aに関して、審査を厳密にすることも同時に発表している。

   
集中連載 「早朝特急」(41) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その7)

 第七章 バングラデシュは貧しさがゆえに

 ▼バングラデシュは人口大国

 バングラデシュはアパレル産業の工場である。
ユニクロもH&MもZARAも、どこもかしこも世界のアパレルメーカーは、この国のミシン女工に製品加工を依存している。
 コロナ災禍で、ぴたりと注文がとまった。ひとたまりもなかった。四百万人いた女工さんの過半がレイオフとなり、彼女たちの給金で生活が成り立っていた貧困地区の人々が悲鳴を挙げた。
 H&Mなどは注文した分に関しての支払いは保障するとしたが、秋の新製品のファッションデザインは決まらず、年内の工の再開は望み薄となった。

 バングラデシュに本格攻勢をかける中国はBRI(一帯一路)を拡充するとして、「BCIM」(バングラー中国─インドーミャンマー経済回廊)構想を打ち上げた。
 2019年7月5日に北京を訪問したハシナ(バングラデシュ首相)を厚遇し、九つの合意文書に署名した。とくにインフラ建設協力では電力発電所、道路建設、農業支援などのプログラムを含み、総額310億ドルになるそうな。
 嘗て習近平は宿敵インドを訪問し、200億ドルの投資を約束した。モディ首相の出身地であるグジャラード州にも足を運んで、中印友好を演出したものだった。その後、約束は果たされず、実行されている案件は殆どない。そして国境で軍事衝突。

 こうした約束不履行への蓄積された不満が、インドでは中国製品排斥運動となって爆発した。
 中国はアフリカ諸国に300億ドルを約束したが、実行されたのは88億ドルだった。大風呂敷を拡げるのが得意な中国は大言壮語だけなして後日頬被りする癖があるが、バングラデシュに対する構想は、インドのバングラ支援を超える巨額である。リップサービスでインドを牽制しようとする計算があまりに露骨である。
 バングラは産油国ではないが、人口大国。したがって人件費が安いので、夥しい中国のアパレル企業が進出していた。そのうえ南のチッタゴン港近代化工事を中国が応札した。またミャンマーから移動してきたロヒンギャの避難民援助に中国は2500トンのコメ支援を約束した。
 貧困なバングラデシュに隣国ミャンマーのラカイン州から流れ込んだロヒンギャ難民は70万人! この救済と保護のために世界に支援を呼びかけている。

 ▼ 三方はインドに囲まれて。。。

 バングラデシュは周りをぐるりとインドに囲まれ、南は海である。
その国境地帯、とりわけ西ベンガルとアッサムの無法地帯には多くのテロリスト、過激派、分離独立主義者の秘密拠点がある。彼らはときに爆弾闘争に打って出る。
 地図をひもとけば判然とするが、西ベンガルはバングラデシュの西北から北部一帯、じつに広い国境線がひろがり、アッサムはバングラデシュの東側、ミャンマー国境との間に広がる宏大なインドの辺疆地域だ。
 当然だろうが、バングラデシュ政府の統治は及んでいない。

 武装集団の跳梁に対してインドとバングラデシュの間に情報交換が円滑化しておらず、国家安全保障での共同作業がうまくいかない。あまつさえバングラデシュの山岳地帯とアッサム国境付近にもアッサム独立を唱える過激派のマオイストが盤踞している。
 バングラデシュ第二の都市はチッタゴン。この港湾整備の一角を中国企業が請け負っている。将来、中国海軍が軍港として利用する野心があると言われるが、チッタゴン郊外に大規模な工業団地を造成しているのが韓国である。
 近郊のアンワラ地区は多くの河川が流れる湿地帯で、工業団地の造成と言っても土地の埋め立てに時間がかかる。森林には1700万本の木々があり、17の湖沼があり、この土地を整備し舗装道路をつくるのだが、土地使用許可さえまだ承認されず、プロジェクト自体が暗礁に乗り上げる可能性がある。
 当該土地はそれほどの密林、ジャングル、マングローブが密集、湖沼、そして氾濫する河川。こうした地域にテロリストが潜んで爆弾基地をつくっても当局はなかなか発見できない。

 成田からバングラデシュに直行便があるが、二回目の取材旅行では日程の都合で関空JALホテルに前泊し、ダッカへの道のりはクアラルンプール経由となった。
 やけに時間がかかる。しかもダッカで着陸をやり直した。北京のPM2・5騒ぎ同様に南アジアのヒマラヤの麓は砂嵐と霧で視界が滅法悪い。
上空から見ると駐機中の飛行機が泥水に沈んでいるかのように錯覚した。砂が霧状に立ちこめているからである。
 二回目にようやく着陸し首都ダッカの町へ入った。その聞きしにまさる交通渋滞は十年前とあまり変わりがない。筆者は十年前にもバングラデシュ各地を歩いた経験がある。
 人力車のタクシーが50万台というが未登録の闇リキシャがほかに50万台。合計百万台が市内の幹線道路を占領している。
 外国人を刺すような目で見る。
産業が少ないため男達に雇用機会が希少だからだ。ただし中古、オンボロ自動車は激減し新車が目立った。バングラの経済が上向きな証拠で、この現象は南アジアからミャンマーにかけて共通だ。走っているクルマは圧倒的に日本車だが、一部の金持ちはBMWやアウディを疾駆させている。
貧困国とはいえ財閥はどの国にもいるものだ。
 数年前に縫製工場のビルが崩壊し一千名の犠牲者がでる惨事があった。この事件で露呈したことはミシン女工が四百万人もいて、この半分が中国系企業に働いていることだった。町の看板はJUKIなど日本のミシンの宣伝である。ダッカ市内には五万人のチャイナタウン建設が喧伝されたが、まだ影も形もなかった。
 「五万人もの中国人がくる? 反対運動がおきるんじゃないですか」と地元の人々が言った。

 ▼闇ドル屋が姿を消していた

 ビルは六階建てくらいが上限、竹で足場を造り煉瓦を積み重ねる原始的な工法が多い。だから重量に耐えかね崩落事故が起きる。湿地帯だから地震の心配はないが、逆に陥没事故、落盤、洪水、台風が年中行事である。
 したがってミシン工場のほか目立つ産業は煉瓦、マッチ、セメント工場ていど。日干し煉瓦の生産現場は家内制手工業で、手で泥をこねて型にはめ、煉瓦をひとつひとつ作っている。労賃は一箇一円五十銭程度。一日はたらいて六百円である。煉瓦工場は無数にあり、煙突は規定で50メートルというが田舎へ行くと、どうみても30メートル、なかには瓦も生産しており、イタリアへ輸出しているという。
 十年前と比較して、もう一つの驚きがあった。両替商、闇ドル屋が町から消えていることだった。これは大きな変化ではないか。
 またバングラの東大といわれるダッカ大学はマオイストが猖獗していたが、構内からも毛沢東のポスターが消えていた。
 隣国インドでもモディ新首相の登場に前後して勃興したナショナリズムは町から闇ドルを駆逐した。自国通貨への自信回復は経済政策の根幹である。
 バングラデシュもまた外国通貨より自国通貨の流通に苦心しつつ邁進している(ネパール、ブータン、スリランカではまだ米ドルが大手を振って通じる)。

 ちなみにダッカ市内の銀行で外国為替の両替順を書き写してみた。トップは米ドル、次は意外にも英ポンドだ。やはり旧英国植民地の名残り、その次がユーロなのは当然にしても日本円との交換レートは記載されていない。ならば四位以下はというとシンガポールドル、サウジ、マレーシア、UAE(アラブ首長国連邦)である。この順序こそはバングラデシュ人の出稼ぎ先ランキングでもある。それほど外国への出稼ぎ、彼らが懸命に働いた送金で国家収入の相当部分が成立しているわけだ。

 ▼出稼ぎの送金が途絶えると悲鳴を挙げる構造

 バングラは農業でも人が溢れているから出稼ぎに外国へ行く。そして外貨準備は出稼ぎ労働者の送金で成り立つ国ゆえに空港は産油国とマレーシア、シンガポールへ出稼ぎにいく人々でごった返している。
 出稼ぎひとりが外国から帰ると平均で十人が空港に出迎える。フィッリピンも一時期そういう風景が日常だったが、ダッカ空港では深夜でも出迎えの人々で周囲は鈴なりの人だかりだ。迎えの車が到着するにも一時間近い時間を無駄にした。
 コロナ災禍で出稼ぎからの送金が止まり、困窮家庭が顕著になった。出稼ぎに頼る経済構造は、もちろん抜本的な改正が必要だろう。

 ホテルは四つ星でも風呂のお湯はほとんど出ないし、日本との電話は繋がらない。FAXの送信は一枚300円もかかる。通信が貧弱で若者は時代遅れの携帯電話を持っている。町で日本語はまったく通じない。英語が少し通じるほどでコミュニケーションにも大きな支障がある。インフラ整備にもう少し時間を要するだろう。 

 首都のダッカばかりか、バングラは狭い国土に人間がひしめき合い、半分の国土は湿地帯ゆえに定住地は限られている。人口稠密度は世界一、そのうえ若者が多い。人口はじつに一億六千万人である。
 国民の識字率は低く、農業国家として農作物の輸出で糊口をしのぎ、あとは手先の器用な女性が大量にアパレル、服飾、繊維産業に流れている。しかし外国人の不動産取得が可能なため投資を果敢に展開する日本企業がはやくもダッカに存在している事実も驚きだった。
 軽工業と農業が主体ゆえ地方へ行っても戦前の日本のように農村に夥しい若者がいる。農閑期になると昼間からぶらぶらしているのがやたら目に入る。めがねをかけた人はいない。都市部にも眼鏡屋を見かけない。
 外国人が珍しい所為もあって町を歩いているとワッとあつまってくる。物乞いは少なく、人なつっこい目をしている。ベンガル特有の黒褐色の肌だが、女性のなかには長身でモデルのような美人が多くなった。
 ダッカから南西へ二百キロ、クルナ市周辺は魚介類の養殖も盛んで主にエビが輸出の稼ぎ頭だ。湖沼、泥濘の湿地では小魚やバラエティに富む小魚にナマズ。昔ながらのカワウソ猟も観光用に残っている。このクルナからさらに南へ80キロ、世界遺産「シュンドルボン国立公園」の宏大な敷地が広がり、河川が縦横にながれマングローブの湿地帯が延々と続き、ワニ、猿、鹿、五百種類もの花々。ここだけは西欧人観光客が目立った。

 ▼マングローブ、湿地帯、カワウソ漁業。。。。。

 農村では懐かしき田植え風景が見られ、時代遅れの耕耘機やらリヤカー、牛車、馬車。ちなみに牛の糞を集めて棒にこすりつけた燃料が普及しており、一本三円。備中炭の焼き鳥なんぞ夢のまた夢である。飲酒は御法度でどこにも売っていないが唯一国産のビール「ハンター」をガイドに頼んでなんとか手に入れて貰った。一本500円もする。タバコは安い(10本入り一箱が24円程度)。
 コンビニはゼロ、日本でも半世紀前まで残っていた雑貨屋風の店がいたるところにあるが陳列商品が貧弱で、この風景はインド、スリランカ、ネパールなどと共通である。
 市場は主に屋台村とバザール。朝から活気に溢れ、野菜、果物、お米など物資、商品は豊富で安いのだが、日本人向けの食材は殆どない。米もインディカ米と赤米、ジャポニカはない。例外的にスーパーらしき店が高級住宅地にあったので、ためしに入るがスナック菓子まで中国からの輸入品。周辺には韓国バーベキューの店が多かった。
 こうなるとバングラデシュの今後の経済発展のカギは労賃の安さが最大の武器だろう。
 とくに軽工業、繊維、雑貨などにとっては魅力である。なぜならシンガポール、マレーシア、タイの賃金はもはや中国並みであり、最低賃金比較でみると、インドネシア、フィリピンも急上昇した。僅かにベトナム、ラオス、カンボジアが川下産業の進出先として残るのが東南アジア労働市場の実情であるとすれば、南アジア、とりわけミャンマー、バングラデシュ、インドが今後の有望地帯だ。

 バングラデシュ経済の浮沈は極端に言えば日本の6000億円の援助に大きく依存している。安部首相のダッカ訪問(14年九月)では巨額の援助をぶち挙げて世界の度肝を抜いた。
 安倍首相のバングラ訪問にはIHI、清水建設、三菱重工などの企業二十社以上が随行し、インフラ整備などに向こう五年間で6000億円を供与するとした。日本経済界のバングラへの期待はベンガル湾からインド洋を臨む地政学的要衝という利点のうえ、ミャンマーと国境を接し、アセアンとインド経済圏を結ぶ架け橋でもあるからだ。
 バングラデシュ国民から見れば日本はまぶしい存在なうえ、各地の幹線道路や橋梁は日本が建ててくれた。日本の国旗がちゃんと工事現場の石碑に嵌め込まれていて感謝の意を表している。
 韓国の進出は日本より目立つが評判は悪い。中国は率直に言って嫌われている。理由を聞くと、独立戦争と爾後の安全保障、外交問題に繋がる。
 1972年まで「東パキスタン」を名乗ったバングラデシュは、「パキスタンからの独立」を掲げての戦争だった。だからパキスタンは大嫌い。その背後にいる中国はもっと嫌い。インドは保護国だから好き、インドと仲良しの日本は独立後最大の援助をしてくれたので大好きという構造になる。町中では日本国旗に似た、「緑地に赤」のバングラの国旗が溢れていた。
 貧富の差が激しくイスラムの戒律が厳しいが、人々の表情はなぜかは明るい。未来に希望をもっているところが日本の若者達とたいそう異なると思った。

 なお初回のバングラ紀行は下記ホームページに掲載されております。
http://miyazaki.xii.jp/travels/index.html

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<< 編集部から >>好評を頂いております「暴走老人 第二部 アジアの国々 第二節の南アジア七ヶ国を往く」は、今回で終わりです。
 しばし時間を置いて、次回から「世界の果てを往く」シリーズで、ガラパゴス、イースター島、南アフリカ。そして南太平洋の島々を含め、ヨーロッパ諸国の旅です。ただし前者の国々に関しては、拙著『地図にない国を往く』(海竜社)、ならびに『日本が危ない 一帯一路の罠』(ハート出版)と重複する箇所が多いため、ダイジェスト版とします。
 また旧ソ連15ケ国、旧東欧の15ケ国、合計30ケ国の見聞記は拙著『日本が全体主義に陥る日』(ビジネス社)をご参照下さい。
          ★☆★☆★ ◎◎◎◎◎ 
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(読者の声1)6月24日に私はこう投稿いたしました。
 「ボルトンの暴露本の発刊に関する騒ぎが面白いです。なぜなら商いをしてきた人Aと商いの経験のない人Bとのトランプに対する評価が鮮明に出ているからで
す。Bに属する人たちは、この世は言葉が表面的に表現する限りにおいての意味や論理から成り立っていると思い込んでいる人。この世の意思疎通は言葉と論理が
示していることがすべてと思っている人達です。
Aに属する人は、言葉はあくまで、意志疎通の全体の一部であり、その多くは言葉以上の感覚や感情に手段を絞って目的を達成するモノであり、時として、自分の
本心とは全く逆の言葉を言うことを厭わない人達です。Bの人達はトランプが云う事は何もトランプの本心や最終目的でなく商談上のテクニックのプロセスの一部
であることが判らないのです。一方Aの仕事に精通してきた人達は「ははーん、トランプは俺と同じスタイルで商談しているな~」と、わかっているのです。特に、在日米軍の経費負担額の4倍を吹っ掛けてきたことでも、Aに属する人なら、別に驚いたりせず「アーまた始まったな~」と思うだけのことです。私はボルトンにはちょっと期待していたのですが、この暴露本で『アーやっぱり彼はB人間なんだな~』とがっかりしました。」と。

 産経新聞(7月9日)は「ボルトン単独インタビュウ」と称して、ボルトンが「トランプは在日アメリカ軍基地費用の増額を日本が受けないなら本当に米軍を撤退させる気だ」と発言したと大きく報じています。
私はトランプは交渉をゆだねた(ボルトンのようなBタイプ人間である)部下に対して、決して本心は明かさず、あたかもそれが本気であるように思いこませるような指示のしかたで、交渉を瀬戸際まで急速に追い込む方法を使っているな、と思いました。
なぜならいかなる組織でも、「交渉相手に打ち勝つにはまず側近に、親分は妥協しないという確固たる印象を与えることが肝心」というのがAタイプの人が指揮する組織ではあたりまえだからです。
しかし産経の記者はBタイプのボルトン同様そのようなことはわからないBタイプ人間ですから、本朝のような記事になるのだと思います。
私が懸念するのは、ボルトンがかようなことを言った以上、他の交渉に影響を与えることを嫌い、トランプは意地になって「本気まがい」に固執せざるをえなくなると云う事です。つまり暴露本と産経記事がトランプの本心でないことを本心にさせてしまうという皮肉な顛末です。      (SSA生)


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「宮崎正弘の国際情勢解題」    令和2年(2020)7月10日(金曜日)
       通巻第6577号 <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~香港安全維持公署、はやくもオープン 銅鑼湾の外れ天后近くに臨時オフィス
  自由民主活動家、支援する外国人まで根こそぎ逮捕し、裁判にかける
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 手回しの良さ、その迅速さ。香港国家安全法の施行からわずか一週間。中国共産党中央直属の「香港安全維持公署」の開所式が執り行われ、初代署長鄭雁雄と香港の歴代行政長官が並んで開所のテープを切った。中国傀儡の顔が並ぶのは一種妖怪の城のようだ。

 中国公安機関が取り締まりのため、白昼堂々と香港の主権を侵したことを意味し、もはや一国両制度は存続しない。
今後は民主活動家、独立運動家、リベラルな言論陣が取り締まりの対象となり、これらを支援する外国人もその対象に加わる。言論の自由はなくなり、まさに「香港は死んだ」。

 この香港安全維持公署は、メトロポールホテルの表玄関を臨時的にレンタルしたもので恒久的な建物は後日に正式決定する。仮オフィスは銅鑼湾の外れ、ヘネシー通りから公園を回り込んだ「天后」にある。

 米国は規制強化、制裁の一部発動に踏み切っているが、欧州ならびに日本、ASEANの足並みが揃わず、インドと英国のみが米国の強硬路線に加わっている。
 ポンペオ米国務長官は、インドの外務大臣に対して「中国の領土侵略行為に対して、もっとはっきりと制裁をすべきである」と呼びかけ、チベットからのルート遮断などを示唆した。領土が侵されているブータンにもポンペオは言及した。
 
 米国のコロナ感染者はとうとう300万人を突破、死者131336人、インドは感染者75万、死者2万人を超えた(7月8日)。コロナ災禍、その犠牲の夥しさに怒りはますます激しくなるだろう。
    
集中連載 「早朝特急」(40) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その6の2)

▼インドは政教分離の民主主義国家

 「世界最大人口の民主主義国家」がインドのうたい文句。そのインドの政治は政教分離である。「最大」はいまのところ中国だが、「最大の民主主義国家」と続けるところが、西側へのインパクを狙っている。
 外国企業よ、どんどんインドへ進出して下さい、との呼びかけでもある。
 信仰の自由は保障されており、それゆえヒンズー寺院のとなりがモスクであったり、キリスト教会であったり。こういう混在光景は世界ではあまり見られない。
 タージマハールは十七世紀に建築されたムガール帝国の覇者の王妃の墓。これはモスクである。インドの正式名称はヒンドゥスタンン(ヒンズー教徒の国の意味)だが、インド自慢の世界遺産がイスラムのモスクとはこれいかに。
シャイプールのハワーマハル(風の寺院)、シティパレル(ピンクの城)はヒンズー建築である。いずれも世界遺産だ。南西部のゴアへ行くとキリスト教会ばかりが目立つ。

 不幸なことにインドのコロナ感染で最悪のクラスターは、タージマハールのあるアグラから起こり、三ヶ月以上わたって、この世界遺産はロックダウンが続いている(2020年7月9日現在も)。

 このアグラへはデリーから鉄道に揺られた。
早朝に駅へ行くと駅舎内は真っ暗で、目をこらすと夥しい人々が駅のプラットフォームに蹲っていた。ふっと油断したらカメラバックを盗まれて、このときはデジカメ時代ではなく、一眼レフのキャノン。だから、各地で撮影が不能となり、タージマハールではカメラ屋を頼んだ。二枚だけOKだからというのに、ネガをひっくり返して別のシーンに造り替え四枚売りつけてきた(もっとも四枚で千円ほどだったが)。そのずるがしこい狡猾な手法、これがインド商人道のようだ。
 ホテルを一歩出ると、「乗れ、乗れ」と執拗にリキシャがついてくる。それこそ根負けするまでついてくる。あまりのことに「還れ」と日本語で怒鳴っても、先方は馴れているのか、しゃあしゃあとついてくるのだ。
 普通の運賃の三倍はふっかけられると踏んで、外国人につきまとう。
 あきれ果てるというより、それがいかにもインド的で強い想い出となるのだから不思議である。

 宗教分布では最大人口を誇る伝統的なヒンズー教は昔のバラモン教から発展した。紀元前五世紀にブラマン教の改革宗教として誕生したのが仏教とジャイナ教だった。仏教はインドを離れ世界宗教となるが、ジャイナ教とヒンズー教はインド亜大陸にとどまった。独特のターバンを巻いたシーク教はヒンズー教とイスラム教を融合させて十六世紀初頭にパンジャブで生まれた。シン前首相はシーク教徒だった。
 インド生まれの宗教が日本にあたえた影響は計り知れない。
とくに仏教の影響が最大と考えられるが、じつはヒンズー教の日本へもたらした文化的影響力も大きく、雷神のインドラは帝釈天に、「宇宙を創設するブラフマ神、宇宙を維持するヴィシュヌ神、堕落した宇宙を破壊してブラフマ神に繋げるシヴァ神はそれぞれ梵天、多聞天ないし毘沙門天、大黒天になりました。ブラフマ神の妃であるサラスワティは弁財天、ヴィシュヌ神の妃ラクシュミは吉祥天」になった(日本戦略研究フォーラム編『愛される日本』、ワニブックスを参照)。

▼日本とインドの友好親善の象徴は、インド象「はな子」

象徴はインド象の「はな子」だった。
しかしこれはタイの国王から送られ、上野動物園の人気者だった。縄文時代、日本列島は大陸と陸続きだったから、象も、縄文人ハンターの狩猟対象だったと推定されている。
記録の残るインド象は亨保十三年(1728)、八代将軍吉宗の時代に、ベトナムから送られ長崎に上陸、翌亨保十四年三月に長崎から江戸のへ行脚を開始し、各地では見物人が多数押しかけての大騒ぎとなった。四月に京へはいり、中御門天皇が天覧された。それからも延々と一日五キロ前後の行程で、五月末に江戸に到着し、将軍・吉宗が台覧したという。
送り主はタイ、ベトナムだが、もともと象はインド産だったので、日本人はインド象の印象が強い。

 インドの独立戦争を支援した日本への感謝の念をインドの人々は忘れることがないという厳然たる事実を肝心の日本人のほうが忘れている。
 日露戦争に勝った日本の輝かしい歴史を語ったネルーの『娘に語る世界史』のなかの日本の項目はいまもインドの教科書に載っている。
トルコの教科書に日本のエトルールル号救助の美談がいまも語られているように、学校で培われた日本への近親感は強い。

 このインドが主導する地域連合に大きな楔を打ち込み、南インドの地政学を攪乱しているのが、かの中国である。
 中国の狙いはSAARC(南アジア地域連合)の諸国への影響力の浸透であり、南アジア政治においてインドの主導権を弱体化することである。インド外交への、あからさまな妨害工作と言える。
 従来、SAARCへの中国投資は250億ドルだったが、今後、インフラ建設への協力により300億ドルを投資する用意があるとしてインドを牽制した。
SAARSカトマンズ会議の費用を中国が負担するなどの大盤振る舞いだった。
 インドが露骨に反対しなかったのは中国が提唱したBRICS銀行の融資が目の前にちらつき始めたからだった。資本金500億ドル、加盟国のインフラ整備に巨額を有利な条件で融資しようという、国際金融常識を度外視した「政治工作資金銀行」がBRICSだった。最近はその動向も聞かないようである。
 
 ▲毎年のリパブリックディに、世界からひとり、インドは国賓を迎える

 2015年1月26日、インドは「リパブリック・ディ」の主賓に米国のオバマ大統領を主賓として招待している。2020年はトランプだった。
 インドのリパブリック・ディは独立記念日とならぶ重大行事。インドの29の州が合邦した歴史的記念日とされる。このリパブリック・ディの主賓は「毎年ひとり」だけ。世界の指導者から選抜される。2014年は安倍首相が主賓として招かれてインド国会でも演説した。
そのときも、たまたまインドにいた筆者はテレビニュースも新聞も安倍首相のデリー訪問を一面トップで大きく扱っていたことを目撃した。ホテルでレストランで、日本人と分かると「OH! ミスター・アベ」と言われた。
 オバマを招待するという意味はインドの「外交のクーデター」である。直前の14年九月に習近平が訪印し、200億ドルという途方もない経済プロジェクトをぶち挙げたのだが、その日、人民解放軍がインド領に軍事侵攻し、習近平の顔に泥を塗った。インドの対中不信感はぬぐえなかった。
 これまでインド最大の友好国かつ武器供与国はロシアである。プーチン大統領はその直後にインドを訪問することが決まっていた。
 中国、ロシアをさしおいてインドが米国大統領を招待するわけだから北京もモスクワも面白くない出来事だった。
 
 天皇皇后両陛下が2013年師走にインドを親善訪問され、チェンナイ(旧マドラス)にも足を延ばされて大歓迎を受けた。チェンナイには日立、ヤマハなど日本企業の進出が目立ち、工業団地がある。自動車工場も林立している。
  14年八月下旬にはモディ首相が五日間も日本を訪問した。日印関係はあつく燃える。
 「インドには三つの強みがある」とモディ首相は力説する。「若い人口、民主主義、そして豊富な資源である」。
 デリー周辺、とくに西のグルガオンには日本企業専用工業団地があり、スズキとホンダが大工場をつくって二輪、スクータを大量生産してきた。その西に広がるグジャラート州が日本企業の大規模誘致を決断、「日本企業専用団地」の造成が近道という強い政治判断をなしたのはモディ首相がグジャラート州第一首相時代だった。グジャラート州にはすでにタタやフォードの工場もあり、ダイキン、日本通運なども操業中だ。ところが中国企業は殆ど存在しない。

 ハイダラバードのIT新都心では若者達が恰かもカリフォルニア州のシリコンバレーのような、のびのびした環境の中で日夜次の技術開発に鎬を削っている。新設大学は日本が支援する。周囲には高層マンションが林立している。
 キリスト教信者が多い沿岸部(とくに西海岸から南端まで)は比較的西洋化している。他方、デカン高原やアッサムの山奥、パキスタンに近い砂漠地帯など習俗も風俗も、ましてや宗教が異なり、州ごとに政令が違う。いや、インドは共和制である前に二十九の州からなる連邦国家、この点で米国の合衆国に似ている。
 ほかにも土地収用の困難さ、労働組合の強さなどインドには難題が多い。

 ▼パル判事は日本無罪を主張した

 インドのパール判事と言えば、日本の無罪を主張してくれた恩人という評価で保守陣営から高い人気が続いている。
 安倍首相が最初にインドに足を踏み入れたとき(第一次安倍政権)、わざわざコルコタ(旧カルカッタ)に立ち寄ってパル判事の記念館などを回った。
 中嶋岳志・西部遭共著『パール判決を問い直す』(講談社新書)によると、パールの日本無罪論は「A級戦犯」に関して「刑事上無罪」であるとし、道義的無罪を主張してはいない。張作霖爆破や満州建国、南京事件に関しては「毒を制するに毒を以てなした行為」であって非常にネガティブだと指摘されている。要は「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という事後法によった裁き方が当時の国際法にはない概念であり、A級戦犯は当然だが無罪であり、また連合国が主張したような「共同謀議」は成立しないとパール博士は言ったのである。
 パール判事は大東亜戦争を肯定してもいなければ全面的に日本が無罪とは言っていない。西部遭は「パール判事より清瀬一郎のほうが東京裁判の問題点をきちんと指摘して」おり、「東京裁判が一つの事後法にもとづく不法行為であり、二つに政治的復讐劇である、と最初に指摘したのは清瀬」だったと言う。そういえば筆者も学生時代に清瀬一郎を熟読した記憶が蘇った。講演も聴きに行った。清瀬一郎『秘録東京裁判』(中公文庫)には傍線を引いて何回か読んだ。
 そもそもパールは現在のバングラデシュ出身でベンガル人だ。身分の低いカーストであったため差別され、苦学して大学をでたが、法律研究の動機は伝統的な長子相続法だった。なぜなら「インドでは『政治経済』の領域はイギリス流に、文化宗教の領域はインドの伝統を尊重するという(英国の)統治」であったがため法の分断が生まれていた。
 商法、契約、訴訟などはイギリス流の法律が裁くが、結婚、相続、扶養家族はインドの伝統に基づき、ムスリムにはイスラム法典が、ヒンズー教徒にはヒンズー法が用いられた。
 問題は統一されたヒンズー法が存在しなかったため絶対的な判定をできる法典がなかった。そこで「法学者らが依拠したのが、サンスクリット語で書かれたヒンズーの古典籍」だった。学者らは古典籍を体系化し、ヒンズーの法律は「古典回帰によって統一され、全インドに施行されて行きました」(中嶋)
 西部遭は「(だからパール判事は)イギリスの植民地であるインドが如何にプライドを取り戻すか、(中略)いかにインド文化のレジティマシー(正統性)とジャストネス(正当性)を保証するための歴史的拠点を見いだすかという、インドの思想家としての姿勢がある」とまとめる。

 つまり東京裁判を通して、「パールは旧宗主国であるイギリスに、思想的な反撃を加える機会として書いた」わけであって、パールには、「親日の前に反英があった」のだ。
 パールは法廷に逐一出席せず、また東京裁判の最中にもインドへ帰国したりで判決文を書き上がることだけに熱中した。日本軍がインド独立の指導者として熱心に支援したチャンドラ・ボーズにパールは一言も言及していない。したがって西部遭はパールの思想は結局、日本の保守派は受け入れないとする。
 筆者はパール判決文を精密に読んだことがない。殆どは清瀬一郎のもの、裁判記録は富士正晴の著作、そして最近明らかになった証拠書類として申請し東京裁判で却下された夥しい証言などを小堀桂一郎が編集した。
印象深かった言葉は清瀬一郎が「ベトナム戦争で日本が心理的にベトナム側を支援している理由は大東亜戦争の復讐をそこにみているからだ」だった。
 
 ▼植民地を解放したのは誰だったのか?

 インド亜大陸は英国が植民地とした。強引に地図を線引きしてインドからパキスタン、バングラデシュ(当時は東パキスタン)、そしてミャンマーをわけた。
 これに果敢に立ち向かったのはインド、ミャンマーの知識人で日本軍に協力し、戦後、かれらが中心となって独立を獲得した。背後には日本の徹底した独立運動への理解と支援があった。

 英国の植民地支配は被征服民族の分裂と内訌を煽り、たとえばミャンマーでは国王夫妻をインドへ強制移住させ、王女はインド兵にあたえ、王子たちは処刑した。旧ビルマから王制は消えた。そのうえでムスリム(イスラム教徒)を60万人、いまのバングラデシュから強制的にミャンマーへ移住させ、仏教の国に激しく対立するイスラムを入れた。これがロヒンジャ問題の根幹なのだ。
一方、北部のマンダレーには大量の華僑をいれ、少数民族を山からおろしてキリスト教徒に改宗させ民族対立を常態化させて植民地支配を円滑化した。
西洋列強の植民地経営は、これほど阿漕、悪質だった。

 ベトナムでフランスが同じ事をやり、インドネシアでオランダがそれを真似、インドにも英国は民族の永続的対立の種をまいた。つまり言語と宗教の対立をさらに根深いものとして意図的に残し、あるいは強化し、インド支配を永続化させようと狙った。
 アジアの植民地を解放したのは日本である。旅行記の筈が、この項目では政治史になった。
        
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(読者の声1)中国に行くとなにかにつけ日本の影響が大きいことに気づきます。とくに書店では文学から漫画まで日本の流行がすぐに伝わる。
「谷崎潤一郎 上海交友記」(2004年 みすず書房)という本には大正7年と15年の二度にわたる谷崎潤一郎の中国旅行に関連する作品が収められています。
 大正7年(1918年)の谷崎は漢詩に描かれるような理想の中国を夢見るようなところがありますが、大正15年(1926年)には内山書店の店主である内山氏を通じて中国の若手作家たちと交流を深めることになる。
谷崎は小さいころから支那料理好きで西洋料理よりも支那料理のほうが遥かに美味いと思っていたと書く。「神韻縹渺とした風格を尚ぶ支那の詩を読んで、それから
あの毒々しい料理を食べるとそこに著しい矛盾があるように感ぜられるが、この両極端を併せ備えて居る所に支那の偉大性があるように思われる。あんな複雑な料理を拵えてそれを鱈腹喰う国民は兎に角偉大な国民だという気持ちがする。一体に支那人には日本人よりも大酒飲みが多いけれども、グデグデに酔ったりするような事は滅多にないそうである。私は支那の国民性を知るには支那料理を喰わなければだめだと思う」と書いたものの日本人らしく酔いつぶれる谷崎の姿が面白い。
 内山氏が語る支那人の新知識はほとんど日本語の書籍から供給される。西洋のものでも日本訳で読む。上海は商人の都会であるから、西洋の本屋があっても種類が限られる。原書が読みたければ東京の丸善に問い合わせる。日本語は読むだけならやさしく、小説や戯曲の味がわかるようになるには一二年はかかるが科学や法律の書籍なら半歳ぐらいで曲がりなりにも読めるようになる。
支那語に訳される西洋物も日本語からの重訳が多い。内山書店の売上の四分の一は支那人が買っていく。内山書店はそういう若い支那人に対して一手に新知識を供給している店だという。
 商務印書館では帝大出の文学士が六七人もいて彼らは絶えず東京の出版物に注意している、といった話の流れから谷崎を招待して顔つなぎの会をしたいと申し出がある。
田漢、郭沫若といった当時の二十台の青年たちと大いに語り飲み、ぐでんぐでんに酔っぱらい郭沫若に車で送られ部屋へ戻るや吐いてしまい恐ろしい二日酔いに見舞われるというのですからどれほど意気投合したのでしょう。
文学者が友好を深めても政治と軍事は対立を深めていく。100年前の中国と日本の関係は今もあまり変わらないのかもしれません。
   (PB生、千葉)

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(読者の声2)松田学vs宮崎正弘「コロナ以後、日本と世界はどうなるか?」
https://www.youtube.com/watch?v=O9YkbWaUqEQ
 35分ほど、上記サイトからご覧になれます。すでに七万人が視聴されました。
   (松田学政策研究所CH)

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(読者の声3)防衛省がイージスアショアの設置を「休止」したことで、コストと配備時期の兼ね合いが議論の的となっていると新聞が報じています。
そして本朝の産経新聞によると石破氏と中谷氏は「沖縄の辺野古も再考すべし」との御意見だと大きく報じています。
 ほんとうにコストと配備時期の問題が判断基準となるのであれば、私はもっといい案が彼らから出てもしかるべきではないかと思います。
つまり「嘉手納基地周辺周辺の街をそっくり別の場所に移してしまえばいいではないか」と云う事。公的機関・施設はもとより立派な住民用の住居など全てを整えた「スマート・シティ」を建設するのです。
「スマート・シティ」は環境問題を解決する最先端のインフラ施設であり世界の注目も集め、日本が腕まくりしても良い案件です。勿論、移転に伴う補償も「十分」用意します。
 恐らくこの方策のほうが、辺野古への移転よりコストも時期も、格段に優れた策だと思います。それが石破氏のいつもの政権に対する嫌味発言でないのであれば、そして地方創生相や防衛大臣をなさったお二人なら簡単に思いつくことであるはずなので「大声で」主張されたら良いと思います。       (SSA生)
          


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月9日(木曜日)弐
       通巻第6576号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~堪忍袋の緒が切れて、「WHOは中国の代理人」と正式に脱退
  留学生ヴィザは発給しない。FBI「知財窃取など操作中の半分は中国」
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 香港における国家安全法施行に激怒して、米連邦上下院は「中国制裁法」を可決した。
ウォール街からの中国企業排斥もすすみ、5G開発では欧州にも政治圧力、孔子学院閉鎖、そして留学生へのヴィザ発給を取りやめる(具体的にはオンライン授業のハーバード大学など)。

日本人留学生にも影響が出る。しかし中国人のアメリカ留学は37万人。ハーバード大学等の年間授業料は400万円前後、中間階級では自力でまかなえる筈がなく、国家が優秀な学生に技術、データの窃取を奨励、もしくは義務づけているとの指摘が以前からされてきた。

ハーバード大学は、九月からの授業をすべてオンラインで行うと発表しており、同大ならびにMIT(マサチューセッツ工科大学)は、トランプ政権のこの決定を不服として差し止め訴訟をおこす(7月8日)。

一方、レイFBI長官は「操作中の知財窃取、スパイ容疑など5000件のうち、半分が中国だ」と7月7日のハドソン研究所の講演で爆弾発言し、「中国が盗み出しているのは軍事技術からトウモロコシの種子にまでいたる」とした。

 ZTE、ファーウェイ排斥から始まった米中対立は高関税戦争から、技術を守るために企業買収阻止、スパイ摘発、留学生規制、そして金融制裁を含む法律を次々と制定し、武漢ウイルスへの怒りを込めて、WHOから脱退する。
 米国が堪忍袋の緒を切ったと認識するべきだろう。
     
集中連載 「早朝特急」(39) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その6の1)

 第四章 インドは燃えていたが。。。。。

 ▼インドといえば蛇遣い、カースト、貧困の極北

 インドは「大好き」派と、「大嫌い」派に鮮明に別れる。
 一昔前のインドの印象は蛇(コプラ)を笛を吹いて踊らせる魔法使い、ヨガ、聖なるガンジスだった。現在の印象はいきなり超モダーンな世界へ飛躍して、IT開発、ハイテクエンジニアの青田。ジョブス亡き後のアップルのCEOはインド人、トランプ政権の第1期国連大使ニッキー・ヘィリーもインド人だ。
 じつにシリコンバレーのハイテク開発はインド人がいないと成り立たないと言われるほど、その数学の才能が卓越している特質は世界に知れ渡った。
 筆者はどちらかと言えば「インド大好き」派の方だが、行けば必ずおなかを壊すことも保証できる。ましてどんな料理もカレー味、五日間以上の旅であれば、日本から即席麺、即席味噌汁と持参した方が良い。でないと胃袋が疲れる。日本で食べることがない即席麺も、インドで食べると美味しいのである。
 ミネラル・ウォーターを呑めば大丈夫という人がいるが、それも怪しい。インドの町で売っているアイスキャンデーは「絶対に」ダメである。インド人は抗体があるけれど、日本人のように、水道水が飲める国から行くと、ぶったまげるゾ。
 西洋人は濁っていないかを確かめるためにもソーダ入りミネラルを呑む。

 ▼乞食の群衆、一方で金ぴかロールスロイスに乗る大金持ち

 まして貧富の差が激しすぎる。どうしてこんなに貧困な人がいるのに、金持ちがロースルスロイスで疾駆し、寄付するとかの慈愛の精神がないのだろう?
 乞食をみれば小銭を恵みたくなるが、インドで最初にガイドから注意されるのは、乞食にカネをやるな、である。
 もし、ひとりに与えると、それを見ていた群衆がどっと押し寄せる。数十ではない、数百の乞食が我先に悲鳴に近い音響をあげて押し寄せることになる。
 タバコの吸い殻を拾い集め、天日で乾かしてブレンドし、紙に巻いて一本一円で売っている。ニューデリーでこそ見かけなくなったが、多彩なティストがまざって、しかも吸っている途中でぼっと燃えたりする。インドでは相変わらずマッチが主流で、ライターは中産階級以上。いや一本一円のタバコだって最貧困層には手が出ない。
 ガンジーのような哲学系の風貌の人、魔法使いのような面妖な顔の人、すばらしくエキゾティックな美人、人種的にはインドアーリア系と一口に言うけれど、雑多な混血、ベンガル系は真黒褐色、凶暴な顔つきが多いドラヴィーダ系の西部方面から、国際色豊かなのが、デリー、ムンバイに加えてバンガロール、ハイダラバード、ヨガ修業のたまり場はプネー、新興の工業都市はチェンナイとアーメダバード、観光地はアグラ、シャイプール、そして聖なる巡礼の終焉の地がベナレスである。

 結局、筆者は七回に分け、それも半世紀をかけてインド各地をまわったものの、とてもインドを知り尽くしたと語る資格はない。
 南西部のゴアはイエズス会が最初に拠点を築いた場所で、ザビエルの遺体が残る教会がある。ゴアは、ところが24時間ディスコ、カジノがあり、インドでは珍しい享楽の町となって、モスクワからも直行便がある。
 ロシア人専用のナイトクラブもあって、この町の観光はロシア人についで韓国人が多いという印象を抱いた。
 これらのことは、拙著『三島由紀夫の現場』(並木書房)でベナレスと、アジェンタ、エローラの拠点オーランガバードについて詳細を書いた。
 バンガロール、ハイドラバード、プネーなどに関しても、ほかの拙著に書き込んだので、参照にしていただきたい。
 この稿では現在、インド経済の抱える諸問題に焦点をしぼる。

▲「インドは輝かしい未来」のシナリオに暗雲

 2020年早々にトランプ大統領がインドを訪問した。
 おりから「市民法」をめぐってニューデリーでは暴動がおこり、多数の死傷者がでていた。たまさかトランプ訪印と重なりインド国民は荒々しく歓迎した。
 昇龍の勢いだった中国、対照的に中国のサプライチェーンとは縁が薄かったインドは、すくすくと経済成長を続けてきた。スズキの新車販売は軽々と百万台を越え、トヨタもホンダもインドで本格生産に入り、南東部にあるチェンナイには東京からの直行便も就航した。チェンナイにトヨタ、日産、ホンダが工場進出を果たしたので、空の需要が高まり、ANAは直行便を開設したのである。

 チェンナイに行ったのは四年ほど前、だから直行便は飛んでおらず、デリーで国内線に乗り換えた。
チェンナイはタミル人が多い。近代と中世が共存する、まことに情緒豊かな町、埃だらけの町中に一件だけ日本料理があって、アサヒビールが飲めた。中華料理も、中国領事館のそばに一軒あったが、外交官御用達らしく、店構えの豪華さ同様に、メニューの数字は日本料理より高い。いずれにせよ、チェンナイでは禁酒であり、ライセンスを取得した稀有の店以外アルコールは置いていない。
 ヒンズー寺院はあちこちにあるから情景描写は措く。インド特有の宗教画と刺繍は、やはり見るべきものがある。
 そしてリキシャ、オートバイタクシーは最初に値段を交渉しないと、いまいましいほど高い。うっかり乗ると、平気で三杯をふっかけるのが、印度式である。だから言うのだ。「華僑やユダヤ人より、インド人のほうが遙かに商売に長けている」って。

 都会では民族衣装は半分程度で、男性は背広に革靴も目立つし、女性もジーンズ、イスラム圏のように顔を隠すスカーフをしないから、大学やファッション街へ行くと、美人に出くわす機会が多い。そうそう、この国は、ハリウッドに次ぐ映画大国である。

 安部首相はモディ首相と親しく、出身地のグジャラート州へも飛んで、新幹線工事を決めた。日本企業のインド進出は1000社を突破し、ニューデリー近郊には日本人村も出現、デリーの高級ホテルには日本食レストランが多数ある。半世紀前、筆者が最初にデリーに行ったときは、日本から梅干しやら焼き海苔、両切りピースに乾麺を土産に持参した。いまでは日本食材の専門店もある。

 ▼割賦の支払いができなくなった

 好調だったインド経済に暗転の様相が生産現場や建築現場に出はじめた。
 個人破産が増えて新車販売が減少し、インド景気がマイナス局面に陥落した。
 トランプ大統領はメラニア夫人を伴ってインドを訪問したが、モディ首相の地盤であるグジャラート州で十万人の歓迎集会に出席したものの成果は期待ほどではなかった。
 米印首脳会談は、貿易、安全保障、地政学、5Gなど多岐にわたる議題を討議した。しかし見える形の成果は30億ドルの武器供与だった。シーホーク24機、アパッチヘリ6機、レーダー、通信機器など。
 インドはロシア製武器で防衛システムがほぼ完成されているため、基盤となる兵器体系が、F16戦闘機など、いきなり全体のシステム変更を余儀なくされる米国の兵器体系を供与されても運用効率が悪いとされ、小規模な武器商談に留まった。
 インド太平洋戦略では日米にインドと豪を加えての防衛システムの構築が急がれているが、インドが強く議題としたのはパキスタン問題だった。とくにカウンター・テロリズムへの協同、そして中国問題だった。
 消息筋に拠れば、中国問題では両国の意見はあまり噛み合わず、とくに5Gの排斥を求める米国に対し、既に基地局や工場、販売の普及などでファーウェイ製品はインド市場に浸透しており、5Gの完全な排斥は無理というインドの立場は変わらなかった。

 人口13億人のインドは基本的に農業国家である。
 コメ生産は世界一、小麦、綿花でも輸出国であり、コメの種類に至っては百種以上。主力はインディカ米で、ジャポニカは作れない。というのも、耕地を見ると、全土が水不足であり、とくにベンガル地方は湿地帯、農業に適さない。輸出のドル箱=紅茶は北東部に集中している。インドの西海岸に位置するムンバイとグジャラート州などは対中東、アフリカへの輸出基地だ。

▲インフラの未整備と水不足、そして停電

 発展を阻む最大の障害はインフラ未整備。この脆弱性がアキレス腱である。交通アクセスが悪いのもインフラ整備の遅れ(道路、水道)。就中、日常的な停電と交通渋滞。くわえて大気汚染、環境破壊、不衛生、教育の遅れ(貧困層が3億人)等の原因が挙げられる。
 インドの輝かしい未来のシナリオでは、13億人の購買力(しかし@GDPは2015ドル)に期待したのだが、過去数年来の絶好調に急ブレーキがかかった。
 理由は国民の資力、預金のなさ、消費拡大に貢献したバイクもスマホも月賦での購入だったからだ。賃金が横ばいとなれば、消費に息切れがおき、ノンバンクのローン破裂が目立つようになる。
 中国の鉄鋼ダンピングのため、製鉄でも高炉が止まり自動車生産も急減速となった。ましてやインドでも労賃が上昇したため、繊維、アパレル産業などはバングラへ移転した。

 社会構造をみればインドは29州からなる連邦国家である。各州が独自の法律と税制を持ち、強い自治を誇る。なにしろ各州が独自の首相、閣僚を選挙で選び、産業発展のメッカと言われるチェンナイが属するタミルナド州などは露骨に中央政府に逆らう。
 酒が典型例になる。インドで酒が飲めるのは限られた州で、国際都市だけ。
ムンバイを中心にボリウッド(ハリウッドの対抗)と呼ばれる映画産業があるが、地方へいくと映画はその州の言葉に吹き替えられる。主要言語が16以上。共通語は英語となるが、インテリ、ビジネスマン以外、英語は通じない。
 そのうえインド社会には構造的な矛盾が多多ある。
 第一はヒンズー教の戒律があって、カースト制が最大障害である。だからヒンズー教徒のキリスト教、あるいはイスラムへの改宗が増加している。
 第二には富と貧困と最貧の問題で、金持ちは御殿のようなきらびやかな住居、広い庭園に住むが、スラムへ行くと、吐き気を催すような臭い、トイレも水道もない。悪臭ただよう閉鎖的な空間に夥しい人々が暮らしている。コロナ感染が爆発したのは主として、こうした貧困地帯だった。
 第三にインドは民主主義国家だが、政党間の政争にくわえて宗教対立の根深さ(シーク教もイスラムも)がある。

 ▲それでも日本企業は健闘している

 このインドへ進出した日本企業は1072社。筆頭はスズキである。
 重要な事実はインドが親日国家であること、そのうえ日本は旧宗主国の英国を抜いて、最大のインド援助国だ。
 日本人は大東亜戦争におけるインド独立支援をあげるほかに、お釈迦様の生誕地という近親観がある。しかし正確には言えば、生誕地はネパールのルンビニ、インドは布教と入滅の土地である。

 武漢コロナがすべてを破壊した。
 コロナ禍でインドは都市封鎖を行い、それも全土にわたって、三回延長されている。3月25日から全都市の封鎖が発動されたが、感染の拡大はスラムの人口密集地帯だった。狭い住宅、トイレ、水道なし、医者にかかれない赤貧層が最悪の被害者となった。
 モディ政権は乏しい予算の中から財政出動を三回行った。しかし貧困国ゆえに限界がある。3月26日に邦貨換算で2・5兆円の経済対策を発表し、翌日 2・5兆円程度の量的緩和を行い、4月12日には20兆円の追加経済対策を発表した。
インドの夢は経済大国となって、地域のヘゲモニーを掌握することだ。
いずれ「MADE IN INDIA」という戦略が樹立されるだろう。けれども労働力は豊富だが外国企業の進出が鈍くなり、ハイテク産業は都市部に集中していて、軍需産業梃子入れに偏重が見られる。インド軍は136万人。核保有国である。 
 こうみてくるとインド経済のネックが顕在化する。企業活動となると、タタ、リライアンズ財閥の寡占状態があり、宗教的理由で効率労働ができない。まだインド人の性格は約束を守らない。土地の貸借に難儀があることなどが加わる。

 このインドが地政学的に重要なのである。
トランプは中国封じ込めのためにも、インド支援を明確化し、日米豪「インド太平洋」戦略の要として海軍の演習に力をいれた。5月30日、トランプは「G7の六月開催を九月に延期し、このG7にロシア、豪にまじえてインドを呼ぶ」と語った。トランプ大統領はインドの地政学的重要性を認識しているのである。
南シナ海を我がもの顔で軍事支配する中国は、その魔手をマラッカ海峡を越えて、カンボジアのシアヌークビル港、ミャンマーのチャオピュー港、バングラのチッタゴン港の浚渫・近代化工事を請け負い、さらにスリランカのハンバントタ港を事実上、中国の海軍基地とした。ついでインドの南西に位置するモルディブの無人島開発を持ちかけ、パキスタンのグアダール港からホルムズ海峡を扼し、アフリカの紅海ルーとの拠点であるジブチには、正式な中国人民解放軍の軍事基地を置いた。
こうして中国はインドを見事に取り囲み、いずれ海上封鎖が可能な軍事的能力を保有することになるだろう。インドの周囲は中国の「海のシルクロート」となっており、海軍戦略も周辺国を中国が軍港化したため、インド最大の脅威となっている。

 米国はこのインドをことのほか重要視し、原理力技術を含むハイテク分野でも異例の支援をしている。中国との関係で、インドを同盟国に巻き込む戦略的意図が働いているからだ。
 現在人口13億のインド。両三年以内に中国の人口を抜くと予想されている。
 日本はインドとは非常に相性が良く、馬が合う。岡倉天心が詩聖タゴールと魂の交流をもったように、或いはチャンドラ・ボーズがとことん日本を信頼したように。さきごろソフトバンクの孫正義がインドを訪問したところ、モディ首相がじきじきに会見した。一民間人実業家と会うというのは異例である。インドはコンピュータ産業の本場、ソフト開発のメッカ、孫正義の狙いは「第二のアリババ」探しだった。

 インドの自動車工場はデリー近郊のハリヤナ州、南東部のチェンナイ、一部はハイダラバード。しかし今後、間違いなく最大の生産拠点となるのは西部のグジャラート州である。州都はアーメダバード。14年九月、習近平中国国家主席はわざわざ、このアーメダバードを訪問し、同地の伝統的なブランコにモディ首相となかよく乗って「友好」を演出した。
 アーメダバードはデリーとムンバイの中間地点、建設中の新幹線がアーメダバートとムンバイ間に開通すれば、ますます便利になる。
そこで筆者は15年1月にもアーメダバードへ行った。インドは何回も行っているが、グジャラート州は初めてだった。
 グジャラート州出身のモディ首相は「経済改革」をここから手を付け、「停電のない工業地区」を実現したので世界企業が注目した。日本からの工場誘致にも熱心で、州知事(グジャラート州首相)時代にも何回か日本に来ている。
 
▼インドに産業の維新が始まった
 
 インドで生産を開始した第一号のスズキは1982年、地元のマルチと合弁で小型車の生産をおそるおそる開始した。
紆余曲折を経て、2002年にスズキはインド合弁企業を子会社化した。そしてインドでの生産は100万台を突破した。いまやスズキはインド自動車市場の45%という圧倒的なシェアを誇る。日本車で次に目立つのはトヨタ、その次はホンダ、そして韓国ヒュンダイである。
 1972年に筆者が最初にインドへ行ったとき、デリーで外国人が宿泊できるホテルはアショカホテルくらいしかなく、タクシーは「三日ほど待っている」(運転手)というほどホテルと空港と駅でひたすら客を待つ状態で主力はリキシャだった。手動のエレベータ係はチップをあげないと扉を開かなかった。冷房設備はなく、天井に扇風機が回り、各部屋に二人のボーイがいて、靴を脱ぐとさっと廊下へ運び出して磨いていた。
 
 インドを走る車といっても、時代遅れのロールスロイスやオースチン、それも中古のおんぼろ、まさしく英国植民地時代の名残であり、インドは独立後、ながらく
経済鎖国のままだった。外国製自動車の輸入関税は200%だった。よほどの財閥しか購入できなかった時代が長く続いた。雇ったタクシーは市内を三時間ほどチャーターしても、運賃はたったの一ドル(当時レートは330円)。チップに一ドル渡すとじつに嬉しそうだった。ホテルのフロントは筆者の安物のセイコー時計を「中古でもいいから売ってくれ」「是非、売ってくれ」と執拗だった。それで最終日に売ってあげた。18ドル(5940円)だった。日本で5000円もしなかった時代。時計には200%の関税がかかっていたからだ。
 空港の売店で英語の書籍はあまりなく、『TIME』がおいてあったが、なんと三ヶ月前のものだった。免税店もオールドバーが8ドル、タバコは「ダンヒル」「555」「ロスマンズ」など悉くが英国のブランドだった。
 時代は激しく変わった。
 2015年1月11日からアーメダバードで世界から1000社の名だたる企業人が参加しての「バイプラント・グジャラート」がモディ首相の肝いりで行われた。
 開会式のキーノートスピーカー(基調演説)に立ったのはスズキの鈴木会長だった。そしてこう言った。「インドに維新が始まった」

 (この項、続く)
        
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(読者の声1)貴誌連載中の「暴走老人 アジアへ」スリランカ編でコロンボからキャンディへの列車がツアーで満員とは驚きました。
ぼくが行ったときは北部での内戦が続いておりツアー客は皆無。空港と市内を結ぶ道路には何カ所も検問がありベルリンの壁の検問のようにミラーで車の床下まで
念入りにチェック。コロンボのホテルでは当時珍しかったデジカメで従業員の写真を撮ってあげたら港の見える部屋で撮ってくれと案内されスイートルームへ。フィリピンの革命家が泊まったという部屋は天蓋付きのベッドにシングルルームほどの広さもある浴室など豪華なもの。シングルルームは香港やマレーシアの古いホテルと同じくベッドは幅1メートルもない本当のシングルで洗面台やクローゼットも最低限という英国仕様だっただけに驚きました。
 キャンディでは仏歯寺で靴を盗まれたりしたもののインドやフィリピンとは違い裸足で歩く人もなく身なりもきちんとしていたのが印象に残りました。
キャンディに一軒だけあるという中華料理店はひどいもの。インド文化圏は中華料理の墓場ですね。連日のカレー味に飽きたときに英国パブを発見。ギネスとトーストしたサンドイッチが絶妙の美味しさで生き返る心地。ロンリープラネットにも紹介された店とありました。さすがは第二次大戦で英国軍の司令部が置かれた土地ではあります。
シギリアの壁画は見事でしたが撮影禁止のはずなのに撮っても問題ないという。デジカメの威力でフラッシュ無しでもきれいに撮れました。キャディの市場では日本の亀の子たわしが売られていましたが、亀の子たわしはほぼ100%スリランカ製なので納得。路上の魚売り、小魚は押切で大きな魚は鉈で捌くのはインドと同じ。魚料理といっても丸切りかぶつ切り、魚料理に包丁を使わない文化があるとは思いもしなかった。こんなところも中華料理とは相性が悪いのかも。
  (PB生、千葉)
 


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月9日(木曜日)
       通巻第6575号 <前日発行> 
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((( 読書特集 )))
河添恵子  『習近平が隠したコロナの正体──それは生物兵器だった!?』 (ワック)
楊 合義『日台を繋いだ台湾人学者の半生』(展転社)
連載「暴走老人 アジアへ」(モルディブの巻)
樋泉克夫のコラム「知道中国」   
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   (今号はニュース解説がありません)
           
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~まるで国際スリラー小説か、サスペンス、真実は薮の中
  コウモリから発生、海鮮市場? すべてはフェイク情報だった
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河添恵子 『習近平が隠したコロナの正体──それは生物兵器だった!?』  (ワック)
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 日本の大手メディア、とくに新聞とテレビは「武漢コロナ」「チャイナ・ウィルス」と書かない。中国共産党のご命令に従うかのように「新型肺炎」とか、WHOが名づけた「COVIT─19」とか曖昧な表現で、中国元凶説を打ち消している。
 いや、彼らは「日本人」の仮面をかぶったシナ人なのだ。習近平の顔色を窺って、日本人の生命より、独裁者の機嫌を忖度しているのだ。だから中国根源説をちっとも批判しないで、安部晋三が悪いという論調になる。国会議員にも親中派が多いから、「安部やめろぅー」と罵詈雑言の数々、本来なら「習近平やめろ」だろう。
 日本のメディアは中国批判となると相変わらず腰が引けているが、この疫病は日本人もたくさん死んでいて命に関わる問題なのだ。
 トランプ政権は明確に「武漢コロナ」と言い、損害賠償裁判がほうぼうで始まっている。この動きは英国や欧州にも、エジプトにもトルコにも拡がっていが日本は損害賠償請求の動きさえない。
 これはどうしたことなのか?
 すでに月刊誌は、大手メディアの論調と全く異なる解説と分析をしている。ユーチューバー局も、独自の情報ルートから、大手メディアがつたえる報道とはまったく異なって、中国の責任を追及し、こうしたサイレント・マジョリティの力で、多くの国民は中国の主張を疑いの目と耳で聞くようになった。
 出版界に目を転ずれば、99・99%が中国批判であり、すでに十数冊の「コロナ本」がでて、書店に並んでいる。

 ところが、本書はこれらのコロナ本のなかで、異色なのである。
 何がユニークで独自的からと言えば、「コロナは生物兵器だ」と結論しているポイントである。
 河添さんが重視したのが、アンソニー・トゥー(杜祖健)博士である。その父は「台湾医学の父」として尊敬されている人物である。そしてトゥー博士の過去の実績をみれば、この人の分析に絶大なる信頼が置けることが分かる。
 かれはオウム真理教が惹起した殺人兵器サリンを最初に解析した。
 最近の業績は「クアラランプール空港での金正男暗殺」で使われた生物兵器を、世界で最初に見破ったことだ。
 「殺害の際には毒の化合物が使われました。インドネシアの女性がまず彼の顔に何かをくっつけ、そしてすぐにベトナム人の女性が顔にくっつけたでしょう。私はこの映像を見てバイナリシステム(BINARY SYSTEM)だと直感しました。米陸軍が考案した方法なのですが,VX神経毒在は非常に危険なので、二つに分けます。分けておけばどこかに置いていて爆破されても影響しません。二つをくっつけるとVX神経毒剤になります」。
 この論文は世界的な反響を呼んだが、米陸軍関係者がワシントンDCからわざわざ博士を訪ねてきて、データを持ち帰り、結果、バイナリシステムが正しいという専門家の結論がでた。
 ゴーストタウンを中国語では「鬼城」という。しかし武漢は「死城」と比喩され、習近平は集金兵でも、集菌瓶でもなく「習隠蔽」となった。
 コロナ騒ぎは二次感染の拡大で、またまた不安が増幅している現状において、この本は興味深い解析に徹底しており、必読の参考図書である。
    
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~台湾現代史の貴重な資料が詰め込まれている
  仲間だった謝長挺(台北駐日経済文化代表処駐日代表=大使)が推薦の辞  ♪
楊合義『日台を繋いだ台湾人学者の半生』(展転社)
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 日台間の学者、ジャーナリストの間で楊氏を知らない人はいないが、一般的には無名の人だろう。平成国際大学教授を最後に引退された、基本は歴史学者である。
 京都大学へ留学してから、紆余曲折はあったものの、日本滞在は四十年に及び、日台間の会合、シンポジウムなどではよくお目にかかった。
 氏が二代目責任者として月刊『問題と研究』を毎月きちんと出されていたとき、評者(宮崎)は愛読者のひとりだった。一度、寄稿した記憶もあるのだが、手元に資料が散逸してしまって、確認できない。
 本書は幼年時代から金門島勤務の兵役を終え、日本留学、学者としての研究生活、そして台湾政治大学国際関係研究センターの駐日特派員として日本で諸活動を展開されてきた、その思いで深い経験や日本人との交流を淡々と語りながら、日本と台湾の運命共同体としての絆の重要性と、その未来を見つめている。

 評者の個人的な想い出は、三回、出席させていただいたアジアオープンフォーラムの記録に興味を惹かれた。
 回想と記録のデータが巻末に掲げられている。
 この「アジアオープンフォーラム」は日本と台湾の学者、知識人が毎年、会場を台湾と日本に移動しながら一堂に会してのディスカッション。シンポジウムに討論会。最終日にはアトラクション、あるいは小旅行が行われて、じつに幅広い分野の人々が結集し、夜遅くまで語らいの場があった。
 最初の発案は李登輝総統と中嶋嶺雄(東京外語大学学長、当時)で、日本の財界をまとめたのは住友電光の亀井正夫氏だった。
 日台交互に会場を替えて、合計12回開催された。
最終回は中嶋学長の出身地である長野県松本市で開かれ、最終日の余興では、音楽堂に中嶋学長が、突如舞台にあらわれて、見事なヴァイオリン演奏。余興とはいえ本格的なヴァイオリニストだった。
 さらに個人的な想い出を語れば、第九回の台中、十一回目の高雄、そして最終回の松本。いずれもジャーナリストの枠をとってアレンジしくれたのは新聞組長兼顧問の張超英さんだった。
 楊合義さんは、いつも舞台裏の黒子として活躍されていた。

集中連載 「早朝特急」(38) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」  第二節 南アジア七カ国(その5)

 第六章 モルディブは新婚旅行のメッカだったが

 ▼椰子、イルカ、無人島、そして海水浴客のリゾート 

 モルディブの首都は小さなマーレ島。ヴェラナ国際空港はフルレ島にあり、この飛行場からは小型ボートで渡る。五分程度。船着き場にはホテルから迎えのクルマが来ている。
 細い路地をくねくねと回り込むと、目ざすJENホテルがあった。その前がインド大使館で警備の警察がひとり、退屈そう。
このJENホテルはビジネスホテルのチェーンで、東アジアの多くの国にある。予約が便利で安いので使うことが多いが、マーレのそれはこじんまりとして、レストランのメニューも少ない。かと言って、この島にはましなレストランがない。
 中国が飛行場のあるフルレ島と、このマーレ島へ海の上に長い橋梁を架けてくれた(ただし全額が借金だ)。だから小型ボートはなくなったか、というとそうでもない。なぜなら観光客は首都には用事がなく、いきなり沖合のリゾートの島々へ向かうからで、ツアーでいく日本人もほとんどは素通りである。
 モルディブの観光行政はひとつの島にひとつのホテルと決めており、合計145の島々がリゾートの指定を受けている。

 コロンボで乗り換えてモルディブに到着した。
航空機には十人ほど日本人の団体客があった。ツアーは沖合のリゾートへすぐに向かった。イスラム教が厳格に適用されているモルディブでも、リゾートだけは飲酒ができる。
 テレビ番組では「海に沈む島」と紹介されたが、それは大袈裟で満ち潮のときに海面から隠れる岩礁が多いことを過剰に映像にしている。台風のシーズンには浸水がある。

中国がインド包囲網作戦として明確に狙う南インド洋の重要拠点はスリランカと並んで、この島嶼国家モルディブである。
 モルディブは1192の島嶼、岩礁からなり、GDPは53億ドル。ひとりあたりのGDPは9000ドルを超えるのだが、未開発で無人の島々はまだ二百島ほどある。
 地政学上、インド洋の要衝に位置し、ホルムズ海峡からマラッカへ至るシーレーンの通り道にあるため、海軍の大躍進を続ける中国が目を付けるのは必然的だった。 
 古くはスリランカと南印度からの移民がやってきて、十六世紀にはポルトガル、つぎにオランダ、そして英国の保護領となった。
 君主制はクーデタで倒されたが、共和制からまた君主復活、共和制、君主復活、そして共和制へ移行と政治体制は目まぐるしく変動した。

 南インド洋に浮かぶ、小さな、小さな島嶼国家をわざわざ習近平が訪問し、膨大な経済援助をぶち挙げた。
懸案となっていた空港と市内を結ぶモノレール工事も着工した。
 モルディブは人口40万人で、就労人口の14%が観光業に所属し、外国人観光客が落とすカネがGDPの14%を占める。
観光客のトップは中国人(年間40万弱、日本人は三万弱)。観光業のほかには漁業しかなく、しかもコロナ災禍、観光客はゼロ、あの業者たちはどうやって暮らしているのだろう?
 
 2018年1月にに就任したばかりの河野外相は最初の訪問地にこのモルディブとスリランカを選んだ。日本としても、南インド洋の島嶼国家が、このままずるずると中国の影響下に入ることを拱手傍観できなくなったからで、インフラ建設への協力を謳った。

 米国の長期的戦略は、世界秩序の塗り替えを図っている中国との対決である。これを前提とすれば、南アジア情勢の悪化は中国のシルクロート建設に甚大な悪影響を及ぼすだろう。
 「中国の罠だ」と訴える野党を弾圧し、前大統領ら反対派の政治家をごっそりと拘束して独裁的行動をとるヤミーン大統領は足繁く北京を訪問、習近平と握手を交わした。

 ▼中国がからみ戒厳令が敷かれた

 2018年2月6日早朝、首都マーレに異様な緊張がただよった。
突如、非常事態宣言がだされ、警官隊が最高裁判所の周囲を囲んで、最高裁判事らを拘束した。
 モルディブ最高裁は拘束中の前大統領を含む「政治犯」の保釈を認め、これを妨害するヤミーン大統領と対立していた。この本質は中国をめぐる利権争いで、要は親中派vs反中派の壮烈な政争であった
 すでに中国は16の無人島を購入したという。
将来、モルディブを軍港として利用できる港湾建設を企図しているのは明らかだ。
 中国は長期的戦略に基づき、着々とモルディブ政界を切り崩してきた。2001年には朱容基首相が訪問したが、それ以前に軍人の専門家が足繁くモルディブに通い各島を視察していた。2011年に呉邦国(全人代委員長=当時)、2012年に李長春(政治局常務委員)、そして2014年に習近平がモルディヴを訪問した。
 着々と布石を打ってきたのである。

 思い出していただきたい。中国は南シナ海の岩礁を埋立て七つの人工島をつぎつぎと造成し、うちに三つには滑走路も建設したが習近平は「あれは軍事施設ではない」と言い張り「すべては昔から中国領土であり証拠はある。文句あっか?」
 モルディブの親中派ヤミーン政権(当時)に食い入り、マーレ空港整備やマラオ島開発、軍事基地租借などの秘密交渉を進めてきた中国はモルディブ観光でもダントツのツアーを送り込んできた。
 GDPは52億ドルだが歳入は一億ドルしかないのに、モルディブは20億ドル弱を中国から借りた。そのうえ土木事業、新空港、道路建設にからむ汚職。背後で地政学上の拠点構築を企図する中国の政治的思惑とプロジェクトが一致すると歴代大統領は北京に挨拶に行く。
 そのくせ「インドとの歴史的友好関係に豪の変化もない」とする常套句を付帯させた。
 モルディブの貿易額は微々たるもので、日本はマグロ、カツオを買い付けているが、対中貿易は微量。膨大な借金を返せないと中国は当然「担保」を要求する。ちなみにモルディブへの援助は日本がトップで、豪、米国と続き、インド、スリランカ、中国という三代関与国の支援ぶりは渋い。
 日本はマーレ島の護岸工事を支援した。2004年スマトラ沖大地震で南アジア諸国は大被害を受けた。モルディブも例外ではなく、マーレの80%が冠水したが死者はなかった。これは日本の護岸工事の御陰だとして、2011年に東日本大震災のときは、マグロの缶詰を8万六千個、そして国民に呼びかけて集めた義援金4600万円を送ってきたのだった。

 マーレ島を徒歩で一周してみたが、2時間ていどで回れる。方々にモスクがあって、朝に昼に道路を人々がぞろそろ歩いている。中国の展開している工事現場は、標識も看板も中国語だった。ところどころに十数階建ての高層マンション。建てているのは中国企業とインドのタタである。
 翌日はフレル島へ渡って民宿のような小さなホテルに泊まったが、海浜の真ん前に野卑なレストラン。その小路の奧に中国人経営の中華料理、旅行代理店を冷やかすと、イルカウォッチに誘われて、35ドルだというので参加した。
沖合を遊弋する豪華ヨットは中国人ツアー客で鈴なり、当方が乗せられたのは筏のような原始的な船でよく揺れた。 

 2018年九月、またも政変が起きた。
 親中派ヤミーンが大統領選挙でおもわぬ敗北を喫し、しかも直後に汚職容疑で拘束された。新大統領はソーリフ、親日派とされ、2019年10月の天皇陛下即位の礼に初めて訪日した。
          
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樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@  【知道中国 2099回】                
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘59)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

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 ここで橘の三民主義論に入る前に、1938年3月に江蘇省、浙江省、安徽省の3省に加え、南京と上海の両地を統括すべく成立した「中華民国維新政府」で実業部長を務めた王子恵の三民主義に対する考えを紹介しておきたい。
 じつは王子恵は、あろうことか三民主義を全く評価していない。まるで木で鼻を括ったように、夜店に並ぶ古本から拾い集めた程度のガラクタ思想だと切り捨てる。さらには言うにこと欠いてか、「三民主義がいゝンなら六民主義はもつといゝはずですよ。十二民主義なんてやつならなほさらオツぢやありませんか」と、一刀両断である。透徹した眼力で真実を射抜いているのか。豪胆なのか。無謀なのか。だが匹夫の勇ではなさそうだ。

 孫文や三民主義、さらには辛亥革命に関する内外論文の全てに目を通したわけではないから確かなことは言えないが、これまで当たった関連する資料や論文を思い出しても、ここまで徹底した三民主義批判、というより嘲笑の言葉に接したことはない。たしかに「三民主義がいゝンなら六民主義はもつといゝはずで」あり、「六民主義」の2倍に当たるわけだから「十二民主義なんてやつならなほさらオツ」に違いない。

 これまで孫文批判の急先鋒は北一輝だと思い込んでいた。その証拠に『支那革命外史』の行間には激烈な孫文批判が溢れているではないか。たとえば、
「孫逸仙の根據なき空想・・・」。
「孫君の理想は傾向の最初より錯誤し、支那の要求する所は孫君の與へんとする所と全く別種の者なるをみたりと」。
「孫君の米國的大統領政治の翻譯は却て其の理想とする民主的自由を裏切りて專制に顯現すべきは論理上推想し得き所にあらずや」。
「彼の米國的理想(彼の親米主義と判別すべし)が、彼等の理想にも彼國の要求にも非ざる殆ど没交渉に近き者なることを・・・」。

 『支那革命外史』で北は、孫文の革命の思想・手法に徹底して異を唱える。だが流石に北も日本人であるから、批判は真っ正直で正攻法に傾きがち。その点、中国人である王は老獪で辛辣だ。頭からの全否定だから反論の余地もない。孫文を盲目的に絶対視する風潮への疑問を呈したということだろう。

 以下、橘の孫文評価を解き明かそうとおもうが、参考までに王子恵と北一輝による孫文評価を頭の片隅に刻んでおきたいものだ。

 橘は三民主義のうちの「民族主義は、先づ第一に滿洲民族から漢民族の手に中國の統治權を奪ひ返すものであ」るが、「其れは辛亥革命に依つて比較的容易に實現された」。だが孫文は、さらに先を求めた。国内における漢民族の支配的地位を取り戻すことに止まらず、「更に進んで中國々家に對する外國人の支配を排斥し、所謂國際平等の主義を中國の國際關係に於ても徹底的に實現せねばならぬと言ふのである」。「更に一歩を進めて『覇道的』の西洋文明に對し『王道的』の東洋的文化を世界の表面に打ち立てようとする」。

 孫文最後の訪日に際し「昨年〔大正十三年〕十一月二十八日に神戸で日本人に對して講演した『大亞細亞主義』」を、橘は「彼の民族主義の最後の目的を宣言したものである」と解釋する。
だが三民主義のうちの民族主義に、そこまで広範で深淵な理想が込められているのか。橘の孫文に対する買い被りであり、贔屓の引き倒しだろう。橘の見立てが正しいとするなら、1924年の第1次国共合作を機に掲げた「連ソ・容共・扶助工農」路線も、「『王道的』の東洋的文化を世界の表面に打ち立てようとする」試みの一環と見做すこともできる。
はたして「連ソ・容共・扶助工農」は「『覇道的』の西洋文明」ではないのか。
      
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(読者の声1)「一帯一路は、中共が途上国に高額の貸し付けをして、払えない国から、布団はがし的に担保の海外施設を手に入れる仕組みだ。しかし最近その奸計に気がついた途上国側が、ケツをまくり、払えないと言いだし、担保も差し出さないと言い出した。信用制度の否定だ。コロナと借金棒引き:新型コロナ被害を利用して、コロナの病疫被害で借金をチャラにしたいと言い出したという。頭が良い。」という落合先生の御投稿を拝読して、5月6日付けに投稿した下記考えが、現実に動き出しているのであればと思いました。

「例えば中国保有のアメリカ国債が1兆数千億ドル?アフリカの中国債務1500億ドルとしたら、合計2兆ドルです。一方で武漢コロナでの世界中の損害賠償
額は5000兆ドルでしょうか。そこで、国連とは別に賠償要求国家や債務国が集まってドル表示による『国際勘定表』を設定し、そこに加盟国の対中国の債権と債務を集中して『見える化』にするのです。この枠組みが出来れば、アフリカ諸国やその他中国からの借り入れに困窮している国が、中国離れに資するからと感じて「寄ってくる」こともありましょう。そして単独では難しい中国に対する要求よりは強い牽制になると思いますが、如何でしょうか。」

 これに対して宮崎先生は「良いアイディアだと思いますが、日本が音頭を取る意思はないでしょうから、EUあたりが言い出し、米国が追認して便乗、日本は一番最後に追随ということになるのでしょうか。」とコメントしてくださいましたが、落合先生の東京近代史研究所で対中国国際勘定を作成して頂けたら嬉しいです。
(SSA生)


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月8日(水曜日)
       通巻第6574号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~インドに続き、米国もティックタックを禁止へ
  中国のモバイルプラットフォーム、個人情報の取得は安全保障上の脅威
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 インドは中国製品のボイコットを決定したが、その中にモバイルアプリのティックタックなど59を禁止し、いきなり接続を遮断した。

 ユーザーが気軽に動画をおくるシステムが重宝され、世界的な大ブームを引き起こしているが、中国企業なのに、中国では禁止されている。同社の親会社は「バイドダンス」で、未上場。本社登記はシンガポールでなされている。

 ここに集まる情報は個人情報のデータになりうるため、安全保障上の脅威とみなす米国も「禁止を検討している」とポンペオ国務長官は記者会見で語った(7月7日)。

 また米国はウォール街に上場している中国企業の排斥に乗り出しており、アリババ、京東集団(JDドットコム)、ネットイースなどが標的だとされる。

 新興の中国企業は、規制の緩いナスダック(二部上場)に狙いを定め、いきなりウォール街に上場して、膨大な資金をあつめてきた。
ところが、経理報告など、杜撰かつ出鱈目な内容に以前から業を煮やしており、その上で香港に重複上場し、中国の投機筋の資金の受け皿の役目も果たしてきた。
 
 ナスダックでは古株で、ウェイボ(微博士)を経営知る「新浪」もMBOを駆使して非公開を検討するとした。
これらの動きはウォール街がナスダックの規制強化を鮮明にしているためである。

     
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 電気自動車、EVと大騒ぎをしているが、未来はそれほど明るいのか
  EV販売増の舞台裏は政府の介入、補助金、そして強制購入では?

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 川口マーン惠美『世界「新」経済戦争』(KADOKAWA)
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 マイバッハというのは世界一高価で贅沢なクルマらしい。自動車ファンなら皆が知っている由だが、評者(宮崎)、自動車免許を半世紀以上も前に返上しているので、クルマの種類まではしらなかった。
ところがひょんなハプニングが起こるもので、或るときにマイバッハに乗る機会があった。信号でとまると、わっと人が集まるほど人気だとは、日本にはトヨタのレクサスがあるのに、なぜいまもドイツ車のベンツやBMW信仰なのだろう?
 フェラーリやランバルギーニなど伊太利亜勢も人気を博しているが、本書の主眼はドイツの自動車産業の話である。
 「1882年、四十八歳のゴットリーブ・ダイムラー」は「ビジネス・パートナーだったヴィルヘルム・マイバッハとともに、小型エンジンの開発に取り組んだ」
 そして「奇しくも同じ頃、カール・ベンツがやはり車両用エンジンの開発に挑んでいた」
 いずれ、これら三人の名前が冠せられる名車の誕生に繋がるが、この時期にはお互いに知らず、おなじ夢を描いて、至近距離でそれぞれが独自にクルマの開発に努力していたのだ。
そして「フェルディナント・ポルシェが十九世紀末に造った最初の車」は、電気自動車だった。
 役者がドイツで同時代に勢揃いしていた。ちなみに、もうひとつ有名な商標の「メルセデス」は、自動車レースの愛車に選手で金持ちが娘の名前をつけたのが嚆矢、ダイムラーが商標の権利を買い取ったという経緯もあった。
 のちにヒトラーが号令をかけたフォルクスワーゲンは「国民車」の意味であり、ドイツ自慢の高速道路網、アウトバーンは速度無制限。でも夜間の照明灯がない区間が多いため事故が絶えない。
 学生時代から37年間、スタッツガルトに住んだ川口さんだからこそ、ドイツの自動車産業界の浮沈、その歴史と輝かしくない未来がわかる。
 評者も半世紀ほど前にスタッツガルトで、ベンツ博物館を見学したことがある。ドイツ人は日本車などまったくバカにしていた。フランスでもルノーとプジョーの工場見学をしたが(工業使節団の通訳兼ガイドとしてついていった)、「あれ、日本よりラインが遅いな」というのが率直な感想だった。
直感は当たった。
日本車の大躍進は1970年代から始まった。昨今はフォルクスワーゲンを抜いてトヨタが世界一となった。
 先週、テスラの時価総額がトヨタを上回ったというニュースに接した。驚きではなく、株価とはそういう面妖な動きをするモノで、投資家ではなく投機筋がテスラを餌に大儲けを企んでいるのだろう。
 テスラが牽引する電気自動車、あのはったりが気に入られて、優遇条件で迎えられ、中国で爆発的に売れている。
その仕掛けは補助金と強制であり、欧州勢は出遅れている。
米国はEVへの興味は深くない。ドイツは補助金をつけたが、潤ったのは外国車だった。そもそもドイツはファーウェイの5G排除を決めかねているが、光ファイバー網が遅れており、4G状況にさえない。長距離鉄道にのるとスマホが通信不能となる。鉄道はいまだにコインを投入して切符を買い、改札がある。時代から完全に取り残されているのがドイツの実相だと著者は指摘する。
 さて、電気自動車の未来を、ならば川口さんはどう見ているのか?
 「電気自動車は、世間で思われているほど完璧なものではない。本来ならそれらの問題を、イノベーションをベースにして、環境や経済に考慮しながら解決していくことがベストだと思われるが、現実は、多大な政府の介入で、理想の発展が妨げられているように感じられる。そして、急ぎすぎた電気自動車へのシフトは、多くの弊害を生んでいる」。
 使用する金属資源、電池のレアメタル類などはやくも過剰な高騰を示しているように。
 自動車業界を世界の市場を総括的に比較しながらも、過去、現在、未来をダイナミックに描いた報告である。
          
集中連載 「早朝特急」(37) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その4)

 第三章 パキスタンは幾重もの複雑な顔を持つ

 ▼パキスタンが二億八千万もの人口大国だって知ってました?

 パキスタンの実情を日本人はあまり知らない。
 まず戦争状態の「物騒な国」というマイナスの印象がある。中国と軍事同盟を結び、核兵器を保有する悪い国。治安が悪すぎて、日本人旅行者が殺害された危険ゾーン。
 イスラムのラジカルな人たちがいて、武装し、タリバンを支援し、秘かにビンラディンを軍の情報部が匿っていた信頼の置けない国。
 こうした暗いイメージが先行するので、次のような美点は顧みられない。
 パキスタンは「清浄な人々のすむ場所」という意味であり、宗教的に高潔である。そのうえ清潔好きである。これは行ってみて現地の人と接しないと分からない。
教育程度も急速に高くなり識字率は60%を超えた。
ましてサウジやイラン、アフガニスタンのような女性蔑視の風潮はない。暗殺されたブッド首相は女性宰相だったではないか。
現地で驚くのは映画産業が盛んなこと、そして美人が多いこと。ホテルで外国人は飲酒可能。ただしパキスタン産のウィスキーはまずいけれど。。。
映画「ランボー」のパート3は、シルベスタ・スタローンがムジャヒディンと協力し合い、ソ連軍をやっつける物語だった。
すなわちパキスタンは米国の同盟国だった。

1971年、突然のニクソン訪中の段取りをつけた秘密会談はパキスタンが斡旋し、補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは、イスラマバードで「仮病」を装ってホテルで記者団の目を誤魔化し、秘かに訪中した。周恩来とニクソン訪中の具体策を北京で打ち合わせていた。
その後、CIAがアルカィーダに梃子入れし、ビンラディンはCIAが育てたのだ。
途中からビンラディンはフランケンシュタインのごとき怪物に化けて反米闘争を展開するようになる。ま、国際政治の裏舞台は裏切り、謀事、騙し合いの世界だから。
現実のパキスタンは、中国と半世紀を超える軍事同盟を結んでおり、合弁の戦車工場を運営しているほどの蜜月関係にある。
ところが最近は中国の一帯一路プロジェクトを「鬱陶しい」と思うようになったほど、対中不信感が増大している。理由は後節にみる。

 インド・パキスタン紛争は1971年に東パキスタン独立戦争となって、インドはバングラデシュの独立を支援した。
戦局はインド有利に転化し、パキスタン軍を後退させた。各地にパキスタンの捕虜が収容されていた頃、筆者はインドを旅行した。シャイプールあたりで捕虜収容所を見た。インドでも、パキスタンでも、バングラデシュでも、兵隊に強姦されて処女を奪われた女性が十万人以上。彼女たちは決然と自殺した。その高潔! いまの日本女性には意味が分からないだろうなぁ。
 戦争が片付くと、日本人が結構パキスタンへの旅行をしていた。モヘンジョダロ観光もさりながら、K2登山、フンザ登山トレッキング組が多かった。治安はそこそこ保たれていた。

 四半世紀前に筆者は思い立って、パキスタン各地を旅行した。
 イスラマバード、ラホール、ペシャワール、カラチ。ラワルピンジ等々。昔の首都だったカラチは人口1200万人の大都会で、国際線の乗り入りも現在の首都のイスラマバードより多い。ビンラディンの独占インタビューをとったパキスタンの英字紙『ドーン』(夜明け)は商業都市カラチの新聞である。
 さて現地で筆者がもっとも衝撃を受けたのはペシャワールだった。
世界に密造武器製造工場として悪名高いことは劇画の『ゴルゴ13』にも出てくる。ここがアフガニスタン難民の集積場所で、当時、難民キャンプの人口が、23万といわれた。いまは百万人以上だろうか、人々でごった返す大都会である。ペシャワール全域の人口は300万人。また、ここが故・中村哲医師らアフガニスタン支援の日本人組織ペシャワール会の活動拠点でもある。

 ▼カイバル峠のアフガニスタン国境にて

 現在、パキスタンにいるアフガニスタン難民は合計で600万人ともいわれ、ここで生まれ、育ち、就労し、一度もアフガニスタンへ行ったことのない難民の末裔が多数派となった。路地は狭く通行人でぎゅうぎゅう、人口稠密、こんな裏通りにゴールドショップが多数店開きしている理由は何か?
 手作りのライフル銃など、危なっかしくて、正規軍は買わないだろう。しかしアフリカのゲリラか、ギャング団の需要は旺盛、密造ライフルなど武器産業に従事している難民も多い。

 このペシャワールがアフガニスタンとを繋ぐカイバル峠へ向かう拠点でもある。
 この峠は長い長い崖道、坂道、くねくねと曲がる道の連続で、沿道はといえば、驚くべし、プールつき豪邸、屋上にパラボラアンテナ、車庫にはベンツかBMWときている。無法地帯だからパキスタン政府の統治及ばず、密輸業者、武器業者の豪邸が並ぶのである。
延々と峠をのぼると、ようやくアフガニスタン国境。ここで休憩、少年たちが駆け寄ってきて、
「パキスタンの通貨と交換してくれ」という。
 紙くずのパキスタンルピーを欲しがるのは、おそらく世界広しと雖も、ここだけだろう。アフガニスタン紙幣と闇の両替が成り立つのである。
 国境の碑をまたぎ、二歩、三歩、アフガニスタン領内に足を入れた。警備についてきた軍人がライフルを肩に笑っていた(カイバル観光は当局に届け出て、軍の護衛がある)。

 イスラマバードは新首都だが、世界最大のモスクがある。全額サウジアラビアが寄付した。官庁街に近い高級住宅地を見学してみたが、パキスタンの最貧国のイメージはここで完全に吹き飛ぶ。ずらり、ハリウッドの豪邸群かと錯覚するほどの豪邸がならんでいるのだ。
 さらにイスラマバードを南下してラウルピンジへ行くと、軍参謀本部がある軍事都市。ここで中国と戦車の合弁工場がある。
 軍人65万人、パキスタンが軍事大国であることを忘れるところだった。パキスタンは核武装しており、そのノウハウを北朝鮮に提供した疑惑があり、またシリアでも原子炉を建造していた。機密を知ったイスラエルは空軍機六機を飛ばして、破壊した。

 ▼パキスタンはそれほどまでにチャイナマネーが欲しいのか?

 2019年七月、IMFはパキスタン支援の60億ドルを最終承認した。
 IMFは今後三年間にわたり、毎年20億ドルづつパキスタンに資金供与する。 
 引き換えにパキスタンは改革計画(財政均衡、輸出拡大、内需喚起)を是認しなければならない。同年四月までにIMF特別チームはパキスタンと協議を重ね、支援を決定していた。IMF理事会の最終承認がなされ、パキスタンのデフォルトは当面避けられる見通しとなった。
 IMFのパキスタン救済はこれで13回目。完全なモラルハザードだが、この決定にイムラン・カーン首相より、パキスタンで総額620億ドルの大プロジェクトを展開している北京が安堵の度合いが深かったかも知れない。
 クリケットの世界チャンピオンだったイムラン・カーンは首相に当選後、すぐに北京には赴かず、陸軍参謀長を差し向け「中国パキスタン軍事同盟」を確認させた。その間にサウジ、UAEを歴訪、緊急の200億ドル融資を勝ち取った。
それからカーン首相はおもむろに北京を訪問したが、追加融資の案件に中国側の明確な回答はなかった。

 中国がパキスタンへ注ぎ込んでいる世紀のプロジェクトは、習近平の「一帯一路」の目玉だ。CPEC(中国パキスタン経済回廊)と呼ばれ、各地で工事を展開してきた。
 イランのホルムズ海峡に近いグアダル港は深海であり、潜水艦寄港が可能、将来は中国軍の軍港として活用されるに違いない。コンテナ・ヤードでの貨物取扱量は2018年に120トン、2022年には1300トンの貨物を集荷し、仕向地向けに輸送するターミナルとなると中国は青写真を提示した。
中国が港の管理運営権を握り、向こう43年間。収益の91%が中国の懐に入る。巨大な投資はこれが担保だった。
 グアダル港の周辺にはコンテナ・ヤードのほか新空港建設に2億3000万ドル(エアバスの民間利用に加え、中国空軍も利用することになる)、病院建設に2億ドルを投じ、230病床を確保する。加えて単科大学を創設し、パロジスタン住民の子供達の将来を考慮したいとしているが、地元住民はまったく納得していない。
 グアダル港はアラビア海に面しており、周辺の土地は地下水の層が薄く、海水淡化プラントの建設が遅れており、飲み水に決定的に不足している。飲み水がなければ人間は生活できず、グアダル港新都心の水道設備はどうなっているのか、住民説明会はまだ開かれていないという。将来、立ち退かせた住民の漁業補償や住宅建設後の受け入れも視野にいれていると中国側は説明しているが、住民優先という発想がない。飲み水の問題が解決していない。
 ところが中国は、このグアダルより、さらに西に目を付けた。パキスタンの西端に中国軍にとって海外弐番目の基地を建設より、もっと西側でイラン寄りのジワニ港。アラビア海を扼する要衝がその標的である。

 深刻な危機感を抱き、軍事的緊張感を強いられたインド政府は露骨な対抗措置を講じ始めた。
 南アジアの盟主を自認してきたインドにとって明確な敵性国家はパキスタンである。このパキスタンを挟み込む戦略の一環として、インドはイランのチャバハール港近代化に協力し、コンテナ基地のキャパシティが拡大、輸送が開始された。
 このタイミングでトランプ大統領はパキスタンへの援助を凍結した。すると中国は直後のタイミングを選んで、秘密にしてきたジワニ港開発を打ち上げた。

▼中国の性急さも賄賂付けには根負け

 ところがCPEC(中国パキスタン経済回廊)プロジェクトの現場では、工事の遅れが顕著となった。
 まずパキスタン国内のハイウェイの現場である。中国が巨費を投じるCPECはグアダル港から新彊ウィグル自治区まで鉄道、高速道路、そして光ファイバー網と原油とガスのパイプラインの五本を同時に敷設する複合プロジェクトである。途中には工業団地、プラント、火力発電所などが突貫工事で進捗している。
 2016年の習近平パキスタン訪問時に、「中国シルクロード構想」(一帯一路)の傘下に入り、相乗りというかたちで高速道路建築プロセスが修正された。その高速道路建設現場の三箇所で工事が中断した。中国の資金供与が中断されたのが原因で「汚職が凄まじく、続行が困難」との理由が説明された。
 もともとパキスタンは中国同様に政治高官の汚職がはびこる社会。そのパキスタンと中国が軍事同盟なのだから、一部には『汚職同盟』という声もあった。
 しかしCPECは習近平が政治生命を賭けての一大プロジェクトであり、死にものぐるいでも完成しようとするであろう。突貫工事のために中国は囚人を労働者として送り込んでいた事実も発覚した。 
 パキスタン野党PPP(パキスタン人民党)のナワブ・ムハマド・ヨーセフ・タルプル議員がパキスタン国会の委員会で質問に立った(2018年3月1日)。
 「中国から夥しい囚人がCPEC<中国パキスタン経済回廊>の道路工事に投入されているのは問題ではないのか。國際間の取り決めでは囚人を工事現場に投入するケースでは、ホスト国の受諾が必要であり、ひょっとしてパキスタン政府は非公開の取り決め、もしくは密約を交わして、このような囚人を受け入れているのではないか?」とタルプル議員の舌鋒は鋭かった。
 パキスタン政府が期待した現地雇用はなく、治安は悪化し、おまけに労働者ばかりか、セメントから建築材料、建機に至まで中国から持ち込まれ、これはパキスタンの貿易収支を悪化させたわけだ。
 くわえてグアダル港が位置するパロチスタン洲では頻繁に中国人へのテロ、誘拐も起こり、労働者は隔離されている。工事現場の警備はパキスタン軍があたっている。バロチスタン地方は独立運動が盛んで、パキスタン中央政府の統治が及んでいない。
 中国の囚人らが犯罪に加担したかどうかは不明だが、最近パキスタンではATM詐欺が横行し、カラチでも反中国感情が猛烈に吹きすさんでいるという。ネットの書き込みは凄い。なかに「パキスタンはいずれ中国の犯罪者に溢れ、マフィアの巣窟になるだろう」というのがあった。

 ▼そう簡単には「撤兵」できない米軍、トランプの困惑ぶり

 「アフガニスタンの戦局において、米国の勝利はあり得ない。そこには、いかなる希望もない。タリバンと和平交渉をなす方向を探した方がよいだろう」
 こう言ってのけたのはパキスタン国家安全保障会議顧問のナセル・カーン・ジャンジュア元陸軍大将である。
 しかしトランプはペンタゴンの勧告にしたがってアフガニスタンへ4600名の増派を決めた。
ペンタゴンの方針は、過去17年戦ったタリバンと、どうしても勝利の決着をつけたい。トランプの目的はアフガニスタンに潜伏し、タリバンと連携するテロリストISのせん滅にある。
 トランプ大統領とペンタゴンとの思惑は、一枚岩ではない。なにしろ、第1期トランプ政権を囲んだフリン、ジョン・ケリー、マティスらが辞め、エスパー国防長官とも折り合いが悪い上、旧軍人の大者たち、たとえばコーリン・パウエル元国務長官らは『次の選挙ではトランプを支持しない』と連名で発表している。
 アメリカの世論といえば、アフガニスタンには関心が薄く、西側の安全を脅かすテロリスト戦争の文脈で捉えているだけである。そのために米国はアフガニスタン政権に軍事的経済的人道的支援をなし、傀儡と言われたカルザイと現ガニ政権を支えて、すくなくとも首都カブールの治安を死守してきた。

 パキスタンは、そのアフガニスタン支援の兵たんであり、米軍の橋頭堡である。
 それゆえに支援してきた国々がアメリカを批判している構図である。米国がアフガニスタン戦争に踏み切ったのは911テロへの報復であり、当時の世論は「アルカィーダをやっつけろ」だった。首魁だったビンラディンは、パキスタンの軍情報部がかくまっていた。このため米軍特殊部隊は、かれらの盗聴網を出し抜いて、密かにイスラマバード上空から潜入し、パラシュートで降下、奇襲攻撃をかけビンラディンを殺害した。この時点で、アメリカにとっては一応の決着を見たことになる。

 パキスタンは意外にジョークの盛んなところで、たとえば次の二つ。
 「パキスタンの国鳥ってなんだろうな?」
 「米国製ドローンさ」

 「もし、イムラン・カーン(首相)がカシミール問題をインドと話し合いで解決したら」
 「出来ないね。それなら彼は三回も結婚したんだ」。
          


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「宮崎正弘の国際情勢解題」   令和2年(2020)7月7日(火曜日)
       通巻第6573号  ( 七夕 ✨💕✨ 🐧 )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~中国製品不買運動、インド全土に拡大
  ゲームアプリ禁止から中国人宿泊拒否のホテルまで
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 6月15日の軍事衝突で、インド側に二十名の犠牲がでた。国境未確定のまま中国軍とインド軍のにらみ合いが続いてきた地域での衝突だが、中国側が軍事構造物を建設したため、これを解体していたインド兵が襲撃された。

 直後から、インドでは中国製品の不買運動が開始され、各地では「中国出て行け」、「中国製品買うな」とプラカードを掲げて座り込み、抗議集会、デモが巻き起こった。
 デリーの上野・秋葉原に相当する商店街では、「当店はスカイビジョンなど中国製品を棚から撤去しました」と張り紙、露天商でも中国製品が見つかると抗議を受ける。
 ゲームアプリ59種類も接続を中断し、フェデックスなどはインド向け配送業務を中断している。

 「全インド貿易商工会」(CAIT)は「およそ500品目の中国製品の販売禁止キャンペーンとなるでしょう」としているが、中国と長年、敵対関係にあったインドですらこれほどの中国製品の洪水だったとは!
実際に販売されているのは電気製品からスピーカー、扇風機、スマホから、靴、サンダル、スポーツシューズ、化粧品、ゲーム、玩具等々。

 さらに全土3000のホテルは「中国人の宿泊お断り」の措置を講じた(もっとも中国人ツアーは催行中止だから、宿泊者は不在だが)。
 マスクにも「中国禁止」デザインが登場し、ファーウェイ、OPPO専門店は襲撃を恐れて店を閉めシャッターを下ろしている。スーパーの食品棚からも中国の加工食品(即席麺など)が姿を消した。
     
集中連載 「早朝特急」(36) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その3) 
 
第二章 仏教国・スリランカの憂鬱

 ▲中国にNOを突きつけたが。。。。

 「ポルトガルの前に、やってきたのは鄭和艦隊でした」。
 コロンボ港でガイドがいきなり説明を始めた。
 歴史は1410年に鄭和がスリランカに寄港したと印している。鄭和は七回の世界航海を成し遂げ、東アフリカへの港も訪問し、その海図をジェノバで入手したコロンブスが、世界大航海時代の幕をあけたことになっている。
 マレーシアの西南マラッカにはポルトガル村がいまも残るが、チャイナタウンの入口にぽつんと建つ石碑は「鄭和、ここに寄港」とあることを急に思い出した。
 スリランカについて考えるとき、日本人の認識と現場のリアルとには幾分かのずれがある。
 第一に、この国は民主社会主義共和国である。人口は2200万、このうちの四分の三がシンハリ人だ。タミル人とは仲が悪い。
 仏教徒が主流だが、ヒンズー、イスラム、そしてキリスト教徒がいる。言語はシンハリ語とタミル語、そして英語の三つが、たとえば道路標識に並記されている。
 いつだったか日本語の源流はタミル語だと主張する頓珍漢な国語学者がいたっけ。
 首都はコロンボと思いこんでいる人が多いが、じつはコロンボの近くにあるスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテである。

 宗主国はポルトガルからオランダ、そして英国。独立は1948年で国の名前をセイロンからスリランカ(聖なる美しき場所)と改称するのは1972年、ときの首相は女性のバンダラナイケ。世界初の女性宰相だった。
以後、南アジアにはインド、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマーと女性宰相が輩出。西側でも英国、NZ、ドイツ等々、東南アジアでも、フィリピン、韓国、インドネシア、そして現在の台湾総統は女性である。だから次は日本でも?

 コロンボ港が見渡せるコロニアル・スタイルで白亜の五階建て。いかめしい建物はグランド・オリエンタルホテル。全体が英国植民地の臭いが残る偉容。
 ここに宿泊した。周囲は繁華街から外れていて夜はひっそりとした地区だった。目の前のコロンボ港の近代化工事を中国が請け負っていた。建材、コンプレッサー、鉄骨などが店ざらしになっていた。工事は中断している様子なのだ。
 歩いて五分ほどの鉄道駅は「フォート(砦)」駅。オランダ時代に建てられ、旧式の汽車には屋根にも鈴なりの乗客が、大きな荷物と一緒に乗っていて、貧困の度合いが知れるのだが、人々は気にしている様子がない。
そこから東西にメインストリートが延び、野菜市場やバザールの奧がバスセンター。いずれも疲れ切ったおんぼろバスで、このバスも屋上に乗客が乗る。運賃が半額以下になるらしい。

 ラジャパクサ元大統領が親中路線を突っ走って決めたプロジェクトとはハンバントタ港の99年貸与と、もう一つのプロジェクトは中国に唆されて、コロンボ沖に広大な人工島を建設し、そこをシンガポールと並ぶ「国際金融都市」とすることだった。
 この位置はむかし砲台が並んでいた戦略的要衝で、旧大統領官邸の目の前、ちかくに海岸沿いには米国大使館がある。

 ハンバントタ港を国際流通ルートのハブとする話にうっかり乗ったら、中国の軍港が出来ていた。世界が嗤う不名誉だが、ラジャパクサ一派は、これを屈辱とは捉えなかった。<カネが入ってくればいいジャン>
おまけにハンバントタはラジャパクサの選挙地盤、ちかくに空港も造成され、つけられた名は「ラジャパクサ空港」だった。
 ちょっと立ち止まって考えればわかることである。他人の領海に人工島をつくって当該国の経済発展に寄与する? エゴイズム丸出しの国家が何のためにそれほどの犠牲的精神を発揮するのか。きっと別の思惑があるに違いないと考えるのは常識だろう。
 シリセナ大統領となって、すべての中国プロジェクトの見直しが発表された。
 しかし契約内容から中国のクレームが続き、もしプロジェクト中断となるとスリランカに膨大な返済義務が生じることが判明した。
まさに麻生財務相が「AIIB(アジア投資開発銀行)は阿漕なサラ金」と比喩したように、高金利が追いかけてくる、身ぐるみはがれる仕組みとなっていた。
 不承不承、シリセナ政権は工事の再開を認可し、スリランカ南部に位置するハンバントタ港は熾烈な「反中暴動」が燃え広がったにも関わらず、99年の租借を追認した。同港にはすでに中国海軍潜水艦が寄港しており、近未来にインド洋を扼す地政学的な要衝となる。
インドがただならぬ警戒態勢を敷くのも無理はない。

 ▼経済発展は順調だったのだが。。。

 コロンボ沖合の埋め立て工事のほうは2019年一月に完成した。東京ドーム80個分、おおよそ269ヘクタールの人工島は99年間、中国が租借する。
(えっ? ハンバントラと同じ条件ではないか)。
中国はいずれ軍事利用することは明白だが、いま中国が喧伝しているのは「ポート・シティ」とか。「シンガポール、香港にならぶ国際的な金融都市にする」と嘯いている。そのために中国は60階建て高層ビルを三棟建設するとしている。
 大風呂敷を拡げるのは中国の特技だが、60階建ての摩天楼をみっつ並べる?

 数年前に、この現場で、まだ影も形もない沖合を見た。
夕日のきれいな海岸沿いには大統領迎賓館、その裏側が近代的なビルが立ち並ぶ一角であり、海岸線沿いにはシャングリラホテルなど世界の一流ホテルが土地を確保して、建設中だった。
 局所的とはいえ、スリランカの発展も迅速である。
 土木工事の常識からみても、海を埋め立てる工事は地盤固めが重要であり、シートパイルを打ち込み、セメントなどの流し込みほかの難題。日本は関空、中部、羽田、北九州空港の沖埋め立て工事でおなじみだが、かなりの歳月がかかる。何回も何回も踏み固めて地盤を強固にする。でなければ三十年くらいで海に沈む。中国の工期が早すぎるため将来、島の陥没が予想されないのか?
 それはともかく海に浮かぶ蜃気楼、例えばドバイは次々と人工の島を作り、モノレールをつなぎ、七つ星のホテルも建てて、繁栄の幻に酔ったが、加熱した不動産バブルは一度破産した。最大の投機集団は中国のユダヤと言われる温州集団だった。

 ▼紅茶の名産地、ほかに名産はナッツ。バナナ

 スリランカは昔の名前がセイロン。紅茶の代名詞、日本人には仏教国としてなじみが深く仏跡巡りツアーなども時折見かける。
 筆者がスリランカへ最初に行ったのは三十五年前。ヨハネスブルグへ行くためにコロンボ空港にトランジットしただけで、その掘立て小屋のような粗末なバラックが空港の待合い室だった。天井の扇風機が回っていたが、蚊が入り込んできた。
 2014年に、およそ三十年ぶりに訪れると、空港はすっかり近代化され、ビル全体に空調が行き届いており、快適だった。
日本の旅行者を通じて予め頼んでいたガイドは土建企業の下請けで日本に三年ほど働いた経験があると言う。その現場でなじんだのだろう、伝法な日本語を駆使した。
 
 このガイドに「真っ先にチャイナタウンを案内して欲しい」と言うと、「コロンボにはチャイナタウンはありません。中華料理レストランが三軒あるだけ」と答えた。多くは橋梁の建設現場にいて集団生活をしていると説明しながら、こう呟いたのだ。
 「そういえば中国人の建設現場周辺で不思議なことが起きてましてね」
 「何が起きたのですか?」
 「犬と猫がいなくなったのですよ。最近はカラスも」 
 思わず絶句してしまった。

 世界中で嫌われている中国人のマナー違反と文化摩擦の典型のパターンがスリランカにも押し寄せているとは!。
 中国人が夥しく在住しているのだが、特定の場所に集中している。それもこれもスリランカ政府が中国から膨大な資金と経済援助をもらい、こうした北京との癒着ぶりはインドばかりか欧米ジャーナリズムから批判されていた。
 その後、2018年にモルディブへ取材旅行があり、スリランカ航空を利用した。行きも帰りもスリランカで乗換だった。バンダラナイケ空港はみちがえるほど立派になっていた。

 スリランカの第二の都市はキャンディ。観光名所でもあり、仏教の寺院が林立し、静かなリゾートでもある。
中世から近代に欠けて、この地に首都が置かれた。
 一日に二本、コロンボから鉄道も出ているが、つねに西欧人のツアーで満員、切符は取れない。ドライブで四時間ほどかかる。
 道路はのびやかなカーブが多く、途中に洒落た喫茶店もあって、珈琲フレーク。キャンディに近付くと渋滞となったので、前方を見ると象が道を塞いでいた。
 「のんびりしてるなぁ」と思ったのは誤りで、象をつかって車を止め、通過料を取るのである。私設の関所?
 キャンディでは、世界中から押し寄せる観光客は小さなキャンディ湖を見下ろす、緑に囲まれた高台に宿泊し、朝、湖の周囲を散策する。ちょうど一時間である。
 緑の高台には日本語の旅館の看板が何軒かあって、日本の仏教団体が宿泊するという。本願寺や高野山の「坊」の発想だ。
 やはり白亜コロニアル風のクィーズホテルに宿ることにした。この付近にある王宮跡も、博物館も仏歯寺も歩いていける距離、湖畔には散歩にきている住民の憩いの場でもあり、寺にはいるときは靴を脱がなければならない。

 仏歯寺には紀元前五、六世紀に釈迦入滅のさいに歯を譲り受け、代々の王家が守護してきたという伝説が附帯しており、いってみれば正統王権の三種の神器のひとつということになる。長い行列ができていた。
 王宮跡は小高い丘の上に聳え立つが、中には入れなかった。規模からして、かなりの広さがあると推測され、当時の王権の強靱さが偲べる。
 スリランカはポルトガル、オランダ、つづいて英国の植民地となった歴史的経緯は見てきたが、王朝は衰滅して、独立後の共和制へ移行した。

 さて午後六時前に、鳥が一斉に帰巣するため、凄まじい音響が町中に鳴り響く。日没とほぼ同時に鳥の鳴き声、叫び声が静まり、メインストリートの二階のテラスでビールを飲んでいると、鳥たちの鳴声と同様に五月蝿い西洋人の酔客ががやがやと入店してきた。この町はすっかり国際化され、同時に仏教の聖地というより俗化された町になったようだ。

 ▼暴動が頻発する

 この静かな町が突然の騒擾に巻き込まれた。
 2018年3月7日、シンハリ派の仏教徒過激派がムスリム居住区を襲撃し、モスクや商店に火をつけ、みるみるうちに暴動となった。警官隊が導入され、キャンディに非常事態宣言が出された。放火されたとみられる焼け跡から一人の焼死体が見つかった。
 原因はムスリムの運転手が事故の処理を巡って仏教徒と対立したことだった。仏教徒過激派は武装し、ミャンマーの過激派とも連携があるとされるが、この背後にいるのが親中派のラジャパカス前大統領である。セリスナ政権が暴動を制御できなくなって社会が混乱に陥れば、次の選挙での復活がある。ラジャパカスは金権政治の象徴、その背後には中国があるというのがもっぱらの噂だった。その悪い予感が当たって、2018年、シリスナは政権を投げ出し、ラジャパクサの実弟が大統領に当選した。
 スリランカは三十年にわたってタミル独立運動過激派との内戦が戦われた。それを終結させ、国内に治安が回復させた功績はラジャパカス元大統領派である。

 シリセナ前大統領は2018年3月13日に来日し安倍首相主催の晩餐会に出席した。日本は追加援助を約束した。彼はベテランの政治家だった。青年時代から農業改革に挑んで、89年にはやくも国会議員。農業水利相もつとめて、タミル族過激派の暗殺部隊に二回襲撃され、窮地に立った経験もある。
 シリセナが、五年前の選挙で勝った原因はラジャパクサ大統領とその一族の利権掌握、とりわけ外国支援をうけたインフラ整備事業、港湾整備などで利権が一族の懐を肥やし、スリランカは孫の代になっても借金を払えない状態に陥没したことへの不満の爆発だった。

 ▼日本人女性観光客の人気はシーギリア・レディズ

中国がインド洋から南シナ海にかけて展開している「真珠の首飾り」戦略の一環としてスリランカの港がいずれ中国軍の基地化しかねない不安があった。
 インドは外交戦略上、シリセナ候補を間接的に支持するのは当然としても、旧宗主国の英国がメディアを動員してラジャパクサ一族の腐敗を暴き、シリセナ候補を間接的に支援した。選挙中もシリセナは「浅はかな外交でスリランカのイメージを破損した結果、スリランカは国際社会で孤立した」などと訴え、大統領宣誓でも「今後はインド、日本、そしてパキスタン、中国との友好関係を強化し、新興国との関係も区別しないで促進する」と述べた。

 こうした政治状況は2019年の大統領選挙でまたひっくり返り、ラジャパクサの実弟が辛勝した。すぐさま、弟は兄貴を首相に任命した。
つまり元大統領の傀儡政権が、スリランカのまつりごとを担うこととなり、腐敗が繰り返されそうだ。

 スリランカ人は性根がやさしいので、コロナ禍前までは日本女性の一人旅も多かった。彼女たちのお目当てはギャンディからさらに三時間ほどバスで北上したシーギリアの岩山だ。
頂上に宮殿跡があり、岩盤にはフレスコ画の18人の美女が描かれている。英国人探検家が発見し、これを「シーギリア・レディズ」と名づけた。麓の博物館は日本が寄贈しJICAが建てたのである。
              ◎◎◎◎◎
   ♪
(読者の声1)「お笑い一帯一路」
(あ)問題発生:一帯一路は、中共が途上国に高額の貸し付けをして、払えない国から、布団はがし的に担保の海外施設を手に入れる仕組みだ。しかし最近その奸計に気がついた途上国側が、ケツをまくり、払えないと言いだし、担保も差し出さないと言い出した。信用制度の否定だ。
(い)コロナと借金棒引き:新型コロナ被害を利用して、コロナの病疫被害で借金をチャラにしたいと言い出したという。頭が良い。
(う)踏み倒しは現地の智恵:もともと途上国には、「金の貸主が最後のたより」という諺がある。ようするに借主が借金を踏み倒すといって逆に脅すのだ。シナでは借金の踏み倒しは常套であるが、中共は自分が踏み倒されるとは思っていなかったようだ。
(え)一帯一路は美味いアイデアだ、と中共幹部は皆で手を打って喜んでいたのだろうが、「天網恢々、疎にして洩らさず」だ。中共は五兆ドルもの外貨をコロナ原発国の汚名と共に、外国に献上することになりそうだ。決めるのは借りた国だ。
   (落合道夫)

   ♪
(読者の声2)河添恵子先生出版記念講演『習近平が隠蔽したコロナの正体 それは生物兵器だった!?』。
https://www.kokuchpro.com/event/6a1b742bb4a202ea6a90cd4d2eec0f25
【講師】河添恵子(かわそえけいこ) 先生 ノンフィクション作家
【日時】令和2年7月23日(木・祝)14時半~16時半(開場:14時)
【会場】文京区民センター2F 2-A会議室(文京シビックセンター向かい側)
【参加費】事前申込:1500円、当日申込:2000円
事前申込の大学生:1000円、高校生以下無料
【懇親会】17時~19時頃 参加費:事前申込3500円、当日申込4000円(先着25名迄)
【申込先】7月22日21時迄にメール又はFAXにて下記で受付(当日受付も可・懇親会は7月21日21時迄受付)
★当日は混雑が予想される為 事前申込の無い方の入場は講演10分前とさせて頂きます★
【主催】 千田会 https://www.facebook.com/masahiro.senda.50
https://twitter.com/Masahiro_Senda
 FAX 0866-92-3551
 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp
 
 << 今月の拙論 >>

「憂国忌の半世紀」(『季刊文科』、夏号。「三島由紀夫特集号」)。
「コロナ、こころ、孤独」(『北国新聞』、コラム「北風抄」、7月6日号)
「コペンハーゲン民主主義サミットに蔡英文、黄之鋒」(『エルネオス』7月号)
「米国の台湾防衛、ハイテク武器供与の本気」(『テーミス』7月号)
「米中金融戦争のゆくえ」(『月刊日本』8月号、7月23日発売)  


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月6日(月曜日)弐
       通巻第6572号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~こんどは「腺ペスト」が中国内蒙古自治区で発生
  患者ふたりと接触した150名を隔離中
*************************************

 武漢コロナ、その二次感染に次いで、H1N1新型インフルエンザが中国で発生した。そして7月5日、内蒙古自治区の西部で、腺ペストが発生したと報道された。
ふたりの兄弟がマーモットの肉を食べて症状がでたため隔離され、この二人が接触した人々およそ150名も隔離中という(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、7月6日電子版)。

 一方、米国では、今頃になって、何故、マスクや医療用の器具、手術用器財、検査キッドなどが中国製ばかりで、米国製が皆無という状況に愕然となっている。

 マスクの生産を米国内でできないのかと調査すれば、製造機械が中国にしかなく、緊急に輸入したロスアンジェルズの企業も、材料がどこにあるのか、手配に手間取り、結局すべては中国で作った方が安上がりという事態を改めて確認することになった。
 医者用のゴーグル、手袋なども中国製が多い。

 中国は二月だけでも通常の12倍のマスクを生産したが足りず、3月から5月の三ヶ月だけでも706億枚のマスクを生産した(通常は2019年全体で200億枚だった)。
 とくに西側はN95医療用マスクが払底し、食糧同様に、これも安全保障に直結する物資であり、国産の必要性を認識するにいたる。オランダや伊太利亜では、中国から緊急輸入のマスクが不良品だったとして突き返す一幕もあった。

 医薬品、ジェネリック、とくに抗生物質は90%を中国に依存している。これは危機水域を越えて、製薬業界、医療品の業界の安易な中国依存体質に改めて気がついたことになる。
        📚 

「チベットの明るい未来のために助力することは日本国と日本人の責任」(桜井よしこ)「チベットが中国の一部」という歴史的根拠はない」と亡命政権

  ♪
チベット亡命政権・篇、亀田浩史・訳『チベットの主張』(集広舎)
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 同胞120万人が虐殺された上、伝統的な土地をすべて中国が盗んだ。
 そのうえ北東部を青海省に、東部の一部を四川省に、東南部の一部を雲南省にかってに省際線を引いて地図上の分割までした。
 嘗ての吐蕃(チベット)をずたずたに引き裂いたのだ。
 どれほどの地獄であったか、当時は正確な情報が伝わらなかった。人間とは思えない虐殺行為をなして、中国軍はチベット人を虐殺し、「あれは農奴解放の戦いだった」と平然と嘯いた。チベットに農奴はいなかった。
 同胞120万がどこで、時系列に、いかように虐殺されたかもグラフを掲げているだけで、この本には激越な文章が見あたらない。
 亡命政権は「中道」を標榜している。
いまも厳重な監視態勢で、チベット人を弾圧している中国共産党に対して、インドへのがれた亡命政権とダライラマ法王は、激しい怨念を抱いているはずなのに、この本はじつに静謐に淡々と、チベットの置かれた状況を客観的に述べ、激しい言葉の非難はみごとに回避されている。
そして「独立」を口にせず、ひたすら「高度の自治」を探り、北京政府に話し合いを求めている。中国共産党は会談に応ずる気配はなく、あまつさえ次期ダライラマは、共産党が選ぶと傲岸にも放言している。世界の自由陣営はあまりのことに、反論の言葉さえ失った。
 だからこそ本書は重要なのである。
 無言、無抵抗で非暴力のダライラマ法王は、世界に静かに訴える。その言葉は飾りも過剰もなく、静謐で、激するところがない。
 だからこそ人々のスピリットを震撼させるのだ。
 本書には1900年以後のチベットの歴史を簡潔に述べながらも英国、印度との関係も比較重視して、国際関係に軸足をおくことを忘れない。
そして数回の民衆蜂起、焼身自殺が連続した背景。辺疆や山奥にいるチベット同胞の近況と運命を語る。
 亡命政権は「チベットが中国の一部という歴史的根拠はない」と一言だけ、その立場を述べているが、それで十分である。中国が「侵略」し、チベットの領土を盗み、住民の多くが殺された事実は全世界が知っているのだから。 
 ダライラマ法王は次期十五世の後継問題について、「それは女性であるかも知れないし、外国人でかも知れないし、また自分が活きている内に選定し、育てることになるかも知れない」と選定基準を曖昧にしつつも、ひとつだけはっきりと言っている。
 「いずれにしても現在の中国(が占領しているチベット地区)から選ばれることはないでしょう」。
桜井よしこ女史が寄稿している。
「チベットの明るい未来のために助力することは日本国と日本人の責任である」と。
            
集中連載 「早朝特急」(35) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その2)

 第二章 ネパールにマオイストが猖獗

 ▼ネパールは誇り高い国である

 「国際平和の最前線に貢献するのはネパール」とカトマンズ国際空港の看板が誇らしげに宣している。ご自慢はネパールが誇るグルカ兵のことである。
国連軍に1000名が常時派遣されている(最盛時には五千人)ほか、英国軍には「グルカ旅団」があり、フォークランド戦争にも参加した。米軍ほかにも傭兵として活躍し、ブルネイ王宮を守っているのもグルカ兵だ。さらに香港、シンガポールの警察、警備会社もあってアジア各国の銀行ガードマン(軽機関銃で武装している)を担っている。
エベレスト登山に際して、多くの外国の探検隊は重い荷物をかつぐシェルバという山岳民族の集団を雇用する。あの体力、脚力、精神力をみれば、グルカ兵がなぜ耐久力にすぐれて戦闘に強いかを理解できるだろう。
しかも高山病もへっちゃらである。
50年ほど前に三浦雄一郎がエベレストをスキーで滑降しようという大冒険プロジェクトがあった。名誉隊長が石原慎太郎、総隊長が藤島泰輔だった。そのときの話を藤島さんから何回か聞かされていたので、ネパールには行く前に親しみを持っていた。
 ネパールはヒマラヤ山脈の南側、6000メートルから8000メートルの山々は世界の登山家を魅了した。
 コロナ禍で、現在(2020年6月)、登山は禁止されている。

 ▼政治は複雑怪奇、なぜこの国に毛沢東礼賛派がいるのか?

同時にチベットからの難民ルートであり貴重な水源地でもある。カトマンズにはチベット難民センターがあって、訪問すると刺繍の製作に余念がなかった。しかし、政治情勢もかわり、残るのは少数で、多くはインドへ出る。
 ネパールはお釈迦様が生まれた国でもあり、独自の文化の矜持を誇り、道徳を尊ぶ反面、山岳地域だから空気が薄い。山岳地区にすむ民族の特徴は、山ひとつ超えると方言がことなり、文化にも微妙なずれがでる。
これが部族対立の根源に横たわっている。

 ネパールの東西南北、それぞれが個性的な文化と伝統があり、南はインドに近い所為か、インド文化の影響が濃い。インド人ならびにインドからネパールに帰化した人たちがおよそ60万人。インドとの貿易で生活が成り立つ。 
 ところが盆地に位置する首都カトマンズは玉石混交、まして中国と深い紐帯があるマオイストが跋扈している。
 このくにの共産党政権は北京と馬があう。親中、反インドが基本である。つまり、基本はインドへの反感とみるとおおよその心理状態が把握できる。
 かくしてネパールは独特な国民性をつくりあげ、王制を転覆させたマオイストがかなり専制的な政権運営をしている。ネパール共産党が政権を担って以来、外交と経済政策は中国に急傾斜した。
 慌てたのはデリー政権だ。
 インドは従来、ネパールを保護国なみに扱い、また最貧国で寒冷地のため農業生産も思うようにならない。それゆえにインドの援助に期待してきた。ネパールの若者はインド、シンガポールに出稼ぎにでる。近年は相当数が日本にもやってくる。
 ところが、ところが。今や町を大股で風切って歩く、圧倒的な観光客は中国人となった。
 それも若者のグループが目立ち、傍若無人ではなく、いささかは礼儀を心得ているようだ。しかしネパール料理は口にあわないらしくカトマンズに夥しくある中華料理か日本食レストランに集まる。
 往時、日本人観光客に溢れた時代があり、東京の下町に居るような居酒屋や喫茶店が何軒かあった。それらも中国人ツアー客に溢れている。

 ▼インドと中国をはかりにかける強かさ

 たまたまカトマンズに滞在していたとき、華字紙が「中国外相、尼泊爾、孟加拉を訪問」と報じていた。前者はネパール。後者はバングラの意味だ。
 この中国語の新聞は街のスタンドにはなく、アンナプルナホテルのロビィで読んだ。
 2014年12月26日、王毅(中国外相)はカトマンズを電撃訪問し、「両国関係は互恵的であり、友誼関係に揺るぎはなく、また同時にインド、ネパール、中国の三国関係は南アジアの安定にきわめて重要」と述べた。
 同時に「早い時期に李克強首相がネパールを訪問する」としたうえで、王毅はネパールの発電所建設に16億ドルを貸与するとした。
この額はインドがネパールに対して行っている経済援助より多く、あまりに露骨な札束外交とその傲慢さにインドは不快感を示した。カトマンズ政府はにやり、である。
その後も中国はハイウェイ建設を本格化し、さらにはヒマラヤにトンネルを掘って、チベットからカトマンズまで「新幹線」を繋ぐと豪語している。

インドの警戒感は並大抵ではない。これまでのネパール援助が裏切られて、敵に寝返ったという感じなのだ。自分の庭先に敵国が土足で踏み込んだような印象であり、米国が中庭とおもっていたキューバにソ連がミサイルを搬入したような衝撃だった。
 しかし中国を梃子にインドと距離を取ろうとするのがネパールのしたたかな外交均衡感覚である。
 ネパールは外交的に誇りを重んじ、ときに頑固でさえある。ブータンのようにインド一辺倒の純朴、木訥、純真さはない。

筆者はネパールに二回行った。
 初回はじつに半世紀近く前で、インドのコルコタ(当時はカルカッタと呼んでいた)を経由した。エベレスト登山の拠点、ポカラにも行った。
カトマンズから搭乗した飛行機はうろ覚えだが、旧型DC9で、24名ほどしか乗せられず、ぎっしり客を乗せるから、ガイドは通路に座っていた。
ポカラ空港はみすぼらしく山小屋のようで、それでも西洋人が多く、ターミナルの出口にはおやつをもらおうと素足の少年らがたむろしていた。
そのうちの一人、10歳くらいの子がさわやかな笑顔を見せるので近づくと、かなりの英語を喋るのだ。ポカラの空港で、外国人から教わったのだというから二度びっくり、おやつを見せても、中国のようにひったくる様子はなかった。
いまのポカラはネパール第二の都市、世界の有名ホテルも進出し、一泊二千円のロッジから一泊七万円の豪華ホテルまで。
 ネパール人の多くは信心深く、主流はチベット仏教とヒンズー教徒だ。
しかも多くは向学心が高く、人々は親切で日本人を尊敬している。寺院はチベット仏教寺院、インド系仏教寺院、ヒンズー寺院。そしてストーパが建っている。
スキー冒険の三浦雄一郎は80歳でもエベレストの登頂に成功して話題となったが、これに刺戟されて多くの登山家たちはネパールに行く。近年の流行はヒマラヤ山麓のトレッキングである。それゆえか、カトマンズの目抜き通りは登山関連、トレッキング用品などを売るスポーツ用品店が目白押しだ。

▼目抜き通りは登山関連、トレッキング用品ばかり

 七年前に息子を同行した折、トレッキングをするという息子とは、カトマンズの飛行場で別れ、ポカラを起点に二日ほど歩いてカトマンズのホテルに合流したことがある。野外スポーツを楽しむ若者が世界中からネパールに集まっているのだ。そのホテルは2015年四月、マグネチュード7・8というネパール大地震で損壊し、最近、新築のように改修工事、営業を再開した。
 カトマンズ市内にはダルバール広場、スワヤンブナート、ダラハラ塔、マナカマナなど世界遺産の寺院などの一部で、建造物は修復不可能な損傷を受けた。
観光資源であるこれら寺院は木造建築で14世紀から16世紀に建立された古刹が多かった。
 そういえば、カトマンズ最大の寺院はチベット寺院である。周囲は数百店もあるかと思われる仏具店、土産屋、レコード店などが並び、壮観である。この寺はコンクリト作りだ。中央の塔に目玉のデザイン、てっぺんから小旗を数千、風になびかせている。チベット寺院独特の光景である。
 またネパールはチベットからの亡命者の本場だったが、マオイスト政権となってからはネパール側の監視を強化し、カトマンズにあるチベットセンターにも規制を加えるようになった。

 さてカトマンズを拠点に古都へ出かけた。
バスセンターの端っこからバスがでている。ミニバスで20人ものると一杯になり、意外に大学生が多い。途中にふたつほど大学があり、女子学生も華やかにお喋り。となりに座ったのは十八歳くらいの男子学生で、突如、この若者は日本語をしゃべり出した。
 「学校で日本語を習ってます。親戚の子が日本で仕事しているので、ぼくも学校が終わったら日本に行きたい」
 なるほどインセンティブが強いと語学の上達も早い。
 「日本で殺人事件を起こして疑われたネパールの人、無罪になってネパールに帰ったって話、知ってる?」
 「あの人は、補償金でカトマンズに家を買いましたよ」。
 そうこう世間話をしている内に古都のバグタブルについた。若者は、その先の学校へ行くと、足早にさった。

 ▼古都にて

 旧王宮のあるバクダブルはダルバール広場を中央に 旧王宮から東側には十五、六の、様式がそれぞれことなる寺院が並んでいる。町全体が世界遺産である。
 キアヌ・リーブス主演のハリウッド映画「リトルブッダ」(1993年公開)は、この町で撮影が行われた。
 路地は骨董屋とお面専門店、中世の都、仏教都市にタイムカプセルで運ばれたような感じで、階段の急な或る寺の伽藍に腰掛けていたら、こんどは三人組の中国人。一丸レフを持っているからすぐに分かる。当時、この日本製カメラは中国人のスティタスシンボルだった。
 「あんたたち中国の何処から」
「南京から、貴方は?」
「東京」
「あ、日本人。どうしてカメラもってないですか?」
 わたしは胸ポケット名刺大のデジカメを出したら、なんだか時代遅れのおっさんをみるような目をした。
 ちょうど真ん前の古ぼけた三階建ての寺院の最上階が珈琲テラスになっているのが視界に入った。
 「あそこへ行ってお茶でも飲みませんか?」
 というわけで、三人を誘ってエレベータのない喫茶店へあがると、テラスでも喫煙はできない。「建物が古いですから火気厳禁です」と店主が苦笑した。

 タンカの有名店があるというので、五分ほどあるいて裏手にまわると、イタリアからの観光団がぎっしりと店を占拠している。この店のタンカは世界的にも有名な画家を抱えているらしく、縦60センチ、横120センチほどの仏像や曼荼羅を描いた、色彩の濃いものが西洋人の好みらしい。
 イタリアの老人が手にとった大判のタンカを店員に見せて、「これ幾ら?」
 「120です」
 「えっ、そんなに安いのか」と言って財布からルピーを取り出すと、店員が
 「違います。米ドルです」
 120ルピーって、日本円で120円、米ドルだと13000円。価格感覚が麻痺している。結局、その老人、タンカを買うのを止め、ばつの悪そうに立ち去った。
 タンカは100ドルー300ドルのものが多いが、なかには1000ドル以上のものもあり、小さなサイズのものは20ドル台。なかにダライラマを描いたタンカがあった。
 くだんの中国人が言ったのだ。
 「この人、だれ?」

 さてカトマンズへ満員バスに揺られて(帰りは女子学生が多かった)、カトマンズへ戻り、最大のヒンズー寺院パシュパティナートへ行った。宏大な敷地の中には修業中のサドゥが何人かいる。写真をとっても金を取らない。モノも欲しがらない。意外に愛想が良い。といより達観した段階の瞑想なのだろうか。
猿がたくさんいる公園のまんなかあたりが、火葬場だ。
 インドのベナレス。聖なるガンジスで顔を洗い、歯を磨き、その隣では沐浴し、排泄し、火葬場の遺灰が、ここに一緒に流される。輪廻転生を信じるヒンズー教徒は、遺骨を残さず河に流すのだ。チベット仏教も風葬、鳥葬、火葬が多く、輪廻転生を信じ切っている。三島由紀夫の『豊饒の海』第三巻には、ベナレスの情景が、精密レンズでとらえて記憶したように克明に描かれている。
 パスパティナートの火葬場風景を見ておきたかった。
 河の砦のような出っ張った場所に遺族があつまって食事をとりながら口数少なく、じっと火葬の終わるのを待つ。遺灰をばさっと河に流し、かれらの葬儀は終わる。
 ベナレスでは撮影が禁止されているが、ここでは写真撮影はOKだという。わたしは数十枚かの写真をとった。
       
  ♪
樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@    【知道中国 2098回】           
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘58)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

      △
 橘の道教論議では「衒学臭」が気になって仕方がないものの、「普通に云ふ『理論的な道?』の外に『通俗的な道?』」を想定し、その「通俗的な道?」を通じて中国の一般社会を理解しようとした姿勢は評価できる。

 橘によれば、「中國の學者達が好んで研究するところの『哲學的道?』及び宗?家達がその本職として修業するところの所謂『道士の道?』と對立して、民間に行はるゝ通俗的な一切の道?的信仰や行爲や思想を總稱したもの」が「通俗道?」となる。
なぜ橘は「哲學的道?」「道士の道?」とは異なる「通俗的な道?」を思い立ったのか。おそらく現地で民間社会と接触を重ねるに従って、日本で学んだ道教──「哲學的道?」「道士の道?」──では理解し難い振る舞いに、日々接したからに違いない。

 ここで、はたして橘の道教に対する見方を儒教に敷衍できないだろうか、と考えた。日本における伝統的な儒教理解は哲学的に過ぎたがゆえに、中国民間社会に染み込んでいる(あるいは道教秩序に編み込まれている)通俗的な儒教を見落としてしまったのではないか。毛沢東の著作を思弁的・哲学的に考え過ぎたがゆえに、一般民衆の毛沢東思想に対する接し方を誤解してしまったのではなかろうか。
あるいは日本人は中国での出来事、中国人の考えを過大評価することで、日中関係の長い歴史を特殊視し、それに拘泥するあまり中国における現実を見誤ってきたのではないか。

 ここらで「通俗的な道?」という考えを宿題に留め、道教論を離れ、橘による孫文評価(「孫文の東洋文化觀及び日本觀」)に移りたい。
「大革命家の最後の努力」とサブタイトルの付けられた本論文は、「孫文氏は其の最後の努力が如何に報いられるかを見極める事を得ないかも知れぬ」と書き起こされ、「孫文氏は天津に向かふべく日本を離れると同時に、彼の長い且つ名譽ある獅子吼の生活から離れねばならぬ運命に逢着したのである。何となれば彼が天津に到着した時には其の老いたる肉體の中に不治の病を發見し、重大なる時局を眼前に控へつゝも再び民衆の前に其の含蓄多い雄辯を振ふ事が出來なくなつていたのである。(二月十日稿)」と結ばれている。

 孫文が「現在革命尚未成功(現在、革命は未だなお成功せず)」の一言を遺し北京で客死したのが、1925(大正14)年の3月12日だから、橘が本論文の筆を擱いたのは孫文の死の1カ月ほど前になる。本論文が掲載された『月刊支那研究』(第一巻第四號)の出版は「大正十四年三月」であった。

 こう時の流れを追って見ると、本論文執筆時の橘の耳に孫文の命数が尽きつつあることは届いていたはずであり、それゆえに熱情を込めて筆を運んだと十分に想像できる。あるいは橘は死の淵に立つ孫文に篤い思いを込めながら原稿用紙のマスを埋めた。
だとするなら、本論文は橘が唱う孫文への鎮魂歌とも思える。

橘の思いが象徴的に現れているのが「大革命家」の四文字だが、なぜ、そこまで尊敬するのか。
 橘に依れば「孫文氏を普通の革命家とせずして特に偉大な革命家として取り扱ふ」理由は、「第一に、孫文氏は中國の革命を單なる中國のみの政治革命、民族革命、或は社會革命と局限する事なしに、一層深く且つ廣い意味即ち全人類の文化に直接且豐富なる貢獻あらしむるところの革命でなくてはならぬと云ふ確信の上に立つて居た」からである。

 このように橘は、孫文が目指したものは「廣い意味即ち全人類の文化に直接且豐富なる貢獻あらしむるところの革命」であり、三民主義を「此の確信を具體的に表現した」ものであると位置づける。
だが、それは過大な評価というものだろう。
      


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月6日(月曜日)
       通巻第6571号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「孔子学院」は「言語教育開発センター」と改称か
   欧米で閉鎖あいつぎ、「スパイ機関」という悪評を受けたので
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 中国が「中国語教育と国債交流のため」という触れ込みで最初に「孔子学院」を開設したのは2004年、ソウルだった。爾来、わずか14年で、154ケ国に、548校を開いた。
米国だけでも教員数4000名を数えた。

 孔子学院では「おかしなことを教えている」と批判の声が最初にあがったカナダでは、PTAが立ち上がり、孔子学院の閉鎖を求める署名運動が開始された。
この孔子学院への不信感、スパイ容疑の声は米国に波及し、米教育省は当該大学に対し孔子学院の閉鎖を要請した。
閉鎖しなければ予算配分をやめるという強硬措置である。
 
 実際に孔子学院の閉鎖はデンマーク、オランド、ベルギー、仏蘭西、スウェーデンが続き、欧米では非難の的になったため中国は印象を和らげる必要に迫られた。
 「孔子学院」は「言語教育開発センター」と名称変更するという。

 西側と価値観を共有するはずの日本には立命館、早稲田など十五の大学に孔子学院があるが、閉鎖の声は一向に聞かれない。
     
集中連載 「早朝特急」(34 ) 
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第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その1)

 第一章 プータン

 ▲ブータンは「世界一幸せ」?
 
 ブータンはインドの保護国である。
 軍事力をインドに依拠し国家の安全を保障してもらっているからだ。だからブータンの通貨はインドルピーに為替レートを準拠させており、また若者たちはインドへ「英語」の語学留学へ行く。
 ということは舌をくるりと丸めるインド発音の英語となる。「Where you from?」は{Which Country are you belonging?}となる。しかも発音はホイッチ コントラリー アー ユー ビロンギングと英国的印度式発音になる。
 GDPではなくGHPで、「世界一幸せ」と喧伝された神秘の国はヒマラヤ山脈の麓に拓けた山国だ。
ブータンは何回も国土を中国に盗まれているため、すっかり反中国、いまだに正式の国交がない。軍事的にはインドを頼る以外に道がない。
 近年は道に迷い込んだ等と偽って中国人がブータンに冬虫夏草を盗みに来るからタチが悪い。
 私はタイの首都バンコックで中型機に乗り換え、ブータンのパロに着いた。山脈を縫っての着陸だったのでアクロバット飛行のごとし、ちょっと怖い。
パロの町は中国陝西省の延安に地勢が酷似しており、川に沿って細長く町が発展し周囲は山に囲まれている。
一本の短い滑走路、もちろん、ジャンボ機は着陸できない。おまけに道路事情が悪いので大型バスは市内だけ、地方へ足を伸ばすにはマイクロバスか、スズキアルトの小型タクシーしかない。昔、荷物を運んだというロバは見かけない。
 空気が綺麗で新鮮、おもわず空港で深呼吸。空港ターミナルの入り口には国王夫妻の巨大な写真が飾られている。民族衣装をまとって、はにかむような笑顔だ。
 パロの空港から町へは車で二十分ほどでこぼこ道と未舗装の山道を走る。パロの町並みは百年前にタイムスリップしたように古色蒼然、瑠璃色の瓦、黒い木材を使った商店街は観光用のセットかと思うほどにノスタルジーを感じさせる。
商店を覗くと仏像、タンカ(仏画)は殆どがインドかネパール製。ほかに色石、和紙の手帳、民族衣装などしか品揃えがなく、まずいビールが三種類だけ。タバコは禁止。公衆の面前で喫煙すると罰金か、刑務所行きである。
  ーーこれじゃ、観光客は少数に制限されるし、ブームはこないだろう。 

 所々、民家の屋根が真っ赤である。
 「赤い屋根瓦は何故?」とガイドに聞くと、「あれ、赤唐辛子ですよ、ブータン人は赤唐辛子がないと食事をしたことにならないので、ああやってみなが屋根の上に干しているのです」。
 このガイド、男性で30歳後半くらい。英語の他に流暢な日本語を喋ったので驚いた。日本に二年間留学し、奈良でホームステイの経験があるという。

 ▼鎖国しているから邪な思想や音楽はブータンに入ってこない

 少数の観光客以外、ブータンに来る人はいないから、外国の邪な思想とは無縁、とくに「悪魔のような」中国とは国交がない。
 果たして欧米の文化的影響は極小であり、日本からアイドル歌手がきて街を歩いても誰も振り返らず、米国のスターがパロの街を平然と歩いたが、誰一人声もかけなかったという逸話が残る。
日本のアニメも紹介されていない。漫画も入っていない。
 こうなると何が起きるか。日本で地方の盆踊りを連想すると理解が容易だが、仮面を付けた単調な踊りのお祭りが年中行事。これを見にゴザ、水筒、弁当を抱えてかなりの見物人がある。ほかに楽しみがないから、ブータンはやっぱり世界一幸せなのである。
 ならばこの国に財政はいかにして成り立っているのか。外貨収入の第一は豊饒な水力による発電で余剰電力をインドに売っている。
つぎに観光客に一日あたり290ドルの強制両替、つまり冷戦中、ソ連や東欧諸国がそうであったように、強制徴収システムがあって大事な外貨獲得になる。外国人からの税金である。その次が小麦、木材などの輸出である。欧米人のトレッキングがブームだといってもロッジが整わず、悪路が続くので依然として少数派、旅慣れた人は規制の少ないネパールへ行く。つまり観光立国をめざすにせよ、道路、交通機関、アクセスの貧弱さなどインフラの拡充が遅れている。
 建物も六階建てが上限のため、ホテルはロッジか旅館程度が関の山、やっぱり静岡市より少ない人口だから、それでやっていけるのだ。義務教育ではないが、田舎でも小学校へは行く。子供達は簡単な英語を喋る。医療費は無料である。
 ブータン最大の都市は首都のティンプー(人口が十万弱)である。王宮はチベットのポタラ宮殿に匹敵するほどの広さ、荘厳さを誇っていて壮観と言ってよい。
 ブータンは九州くらいの面積しかない上、ほとんどが山、それも北方はヒマラヤ山脈で七千メートル級。ちなみに「あの山の名は?」と尋ねても六千メートル以下の山には名前がなく「右から六番目の山」とかの答えが返ってくる。
 水利が豊かなので山の稜線は棚田がどこまでも続く。赤味かかった稲穂が特徴で、なつかしや、田圃には案山子、赤とんぼ、蛙。用水路は清流が流れている。稲作のほか、サトウキビ、トウモロコシ、ジャガイモ。そして赤唐辛子。棚田の美しさをみていると日本にいる錯覚に陥るほどである。静寂で、夜は河の音しか聞こえない。
のどかな田園が山々の間に広がる。民家を訪問すると外国人歓迎で独特なバター茶でもてなしてくれるが、これは日本人には不向き。
杯を空けないでいると、「それなら」と出してきたのは自家製の蒸留酒。日本の麦焼酎に似てまろやか、思わず四杯呑んでしまった。

▲人口過疎、だが若者が多い 

 小麦も豊かなのでパンが美味しい。民家では庭に牛を飼い、鶏小屋があり、犬が寝そべり、野菜をすこし育てている。名も知らぬ花々が咲き乱れていた。
 ドチュラ峠(海抜四千メートル)を超えてプナカ(旧首都)へ向かった。峠から見渡すと遠くに7314メートルのチョンモラリが見えた。山の中の辺疆とも言える場所にあるのがプナカで、なんとここが三百年間、ブータンの首都だった。「冬の王宮」と呼ばれる王宮は二つの河が交差する中州に建てられた立派な城である。これは地政学を熟慮した地形を撰んでの軍事的要塞である。
 この「冬の宮殿」で現国王夫妻の結婚式が執り行われた。ワンチュク国王とペマ王妃は民族衣装(ゴとキラ)に身を包み、象と馬の行列に導かれて入場した。国民はこぞって祝った。国王ご夫妻が来日された折、通訳兼案内人がペマギャルポ氏だった。

 ブータンは若者が多い。純朴で、子供達ははにかみや、人を騙すような面構えのブータン人を見つけるのは難しい。そして国王以下、みんなが民族衣装を着ておりジーンズやミニスカートはいない。
 しかし日本でも長野県がそうであるように山をひとつ越えると方言が異なる。それどころか、ブータンは山岳民族と遊牧民に加えてインド系、チベット系、ネパール系にシャーマニズムを信仰する土着民が混在するので、部族間でまるっきり言語が違う。公用語はゾンカ語だが普及率は25%しかない。
 だからインド同様に統一言語は英語と決められ、それも小学生から授業は英語である。道路標識も町の看板も英語が主体である。
 GDPならぬ「GNH」(Gross National Happiness、国民の幸せ度)でブータンが「世界一」なんていうのは誇大宣伝であり、それも日本のマスコミが大きくつたえた所為で一人歩きしている。
 実態は貧困にあえぐ国民が二割近く、GDPは40億ドル程度だ。文明的なインフラが不揃いなうえ、言語教育に難点があり、失業率が高く、日本的な価値基準からすれば、とても幸せとは言えない。けれども事実上の鎖国をしているから外国の邪悪な思想も文化も入らず、伝統的価値観が生き残り家族を大事にし、田舎ののんびりとした生活で満足できる。幸せだといえば、それは感じ方の問題である。食料が豊かなので外に不満が少なければ少ないほど幸せを感じるのである。

 町を歩くとやたら黒犬が目立ち、道路にのんびりと寝そべっている。しかも野犬だ。ただし去勢手術と狂犬病の注射をすませているので「野犬はこれから減りますよ」とガイドが言った。いまのところ「犬も幸せな国」である。
牛ものんびりと道路を占領する。インドに似ている。ブータンは仏教が主体とはいえ、インドと隣接しているため土着の民はヒンズー教とシャーマニズムを基礎に上積みされた、外来宗教としての仏教(それもチベットのドゥク・ガキュ派)である。したがってダライラマ法王が最高位。寺院の建築思想はチベット仏教風だが、おまじないの白い旗をなびかせ、そこにも経文を書いたりしている。
 土葬、火葬の習慣がなく遺灰を河に流す習慣はヒンズーであり、山の高いところでは鳥葬が行われている。したがってブータンには墓がほとんどない。お墓がぽつんぽつん存在するのはキリスト教徒とムスリム。
 牛は聖牛扱いだがブータン人は牛肉も食べる。主食は赤みがかった米、鶏肉、ジャガイモで、野菜が少ない。川魚は漁が禁止されているためインドから輸入。つまり肴は殆どない。食生活は質素そのものだ。

 ▼ブータン国民の99%は中国が嫌い。だからインドと防衛条約を結んでいる。

 前述のようにブータン人は中国が嫌いだ。
 PEW研究所の調査によれば93%の日本人は中国が嫌いらしいが、ブータンは99%が中国嫌悪、いまだに外交関係がない。かわりにインドと防衛条約を結んでいる。
 実際に筆者は五日間ブータン各地を歩いたが見かけた中国人は五人だけだった。一眼レフをもっているのですぐ分かる。中国語で話しかけると驚いた表情になるが、それだけ、彼らがブータンでは嫌われていることを自覚し、神経を使っている証拠だろう。世界中どこにでもある中華料理レストランがパロ市内に一軒だけだった。
 ブータンは「平和な国」という好イメージも実際は大きく異なり、戦争をいくつか経験している。チベットとも、ネパールとも、そしてインドとも。
だからあちこちに軍要塞跡が残り、仏教寺院の多くは城のような建て方である。軍は志願兵で一万人の陸軍だけ。

 中国を嫌う最大の理由はマオイストの跳梁だった。
2003年にアッサムから3000名のマオイストが武装してブータンに入り込んだ。彼らはインドからの独立を主張していて背後で中国が使そうしていた。ブータン国王自らが交渉したが埒が明かないので軍事作戦を敢行し(前国王が軍の指揮を取った)、テロリストをインドに引き渡した。ネパールがマオイストによって王制が覆滅されたようにブータンが中国を危険視する動機はそれである。
 日本の皇室との交流が深く、ブータンが親日国家であることはよく知られるが、JICAの農業指導が積極的に行われ、150名ほどの日本人が各地に駐在している。ブータン農業の指導と発展に尽くした西岡京二という日本人がアベよりも一番有名だった。

         ♪
樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@   【知道中国 2097回】                
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘57)
橘樸「道?概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

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中国は激動のとば口に立っていた。だが、そんな時代の雰囲気も知らぬ気に、風光明媚な西湖を振り出しに蘇州、南京、揚州と続く気儘旅。旅先での庶民とのやりとりを楽しみ、日常の裏側に潜む彼らの生存原理に思いを巡らしながら、青木は『江南春』(平凡社 昭和47年)を綴った。

 「上古北から南へ発展してきた漢族が、自衛のため自然の威力に対抗して持続して来た努力、即ち生の執着は現実的実効的の儒教思想となり、その抗すべからざるを知って服従した生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となったのであろう。彼らの慾ぼけたかけ引き、ゆすり、それらはすべて『儒』禍である。諦めの良い恬淡さは『道』福である」と説くが、当時の青木の考えを敷衍するに、あるいは、こういうことだろう。

 黄河中流域の中原と呼ばれる黄土高原で生まれた漢民族は、やがて東に向かい南に進んで自らの生存空間を拡大してきた。先住異民族と闘い、過酷な自然の脅威
にさらされながらも生き抜く。こういった日々の暮らしの中から身につけた知恵の一方の柱が、何よりも団結と秩序を重んじる儒教思想だ。団結と秩序が自らを守り
相互扶助を導く。だが獰猛無比な他民族、猛威を振るう自然、時代の激流を前にしては、団結も秩序も粉々に砕け散ってしまう。人間なんて、どう足掻こうが所詮は無力。そこで、もう一方の知恵の柱──なによりも諦めを説く老荘思想の出番だ。団結と秩序への盲従、つまり誰もが大勢に唯々諾々と迎合する情況を「『儒』禍」と、人力ではどうにも動かしようのない自然や時の流れをそのまま受け入れることで自らを納得させる術を「『道』福」と呼んだのではなかろうか。

 さらに青木は、「韮菜と蒜とは、利己主義にして楽天的な中国人の国民性を最もよく表わせる食物」となる。そこで、「己れこれを食えば香ばしくて旨くてたまらず、己れ食わずして人の食いたる側に居れば鼻もちならず。しかれども人の迷惑を気にしていてはこの美味は享楽し得られず。人より臭い息を吹きかけられても『没法子』(仕方がない)なり。されば人も食い我も食えば『彼此彼此』(お互い様)何の事もなくて済む、これこれを利己的妥協主義とは謂うなり」という辺りに落ち着くこととなる。

 また中国芸術を指して「まさに韮のようなものだ。一たびその味わいを滄服したならば何とも云い知らぬ妙味を覚える」とも説いている。(なお、原文では滄は「さんずい」ではなく「にすい」)

 以上を対外開放以降の40年ほどに当てはめると、一貫する激越なカネ儲けにしても、間歇的に起こる反日言動にしても、習近平の強圧的な内外路線にしても、それらに相乗りすれば「香ばしくて旨くてたまらず」「何とも云い知らぬ妙味を覚える」。
 調子よく立ち回っている人の「側に居れば鼻もちならず。しかれども人の迷惑を気にしていてはこの美味は享楽し得られず」。かくて誰もが我先にイケイケドンドン。他人は関係ない。これが「『儒』禍」。だが時代の敗者になったら致し方がない。キレイサッパリ諦めるだけ。これを「『道』福」と言うのではないか。百年生きたところで、たったの36,500日でしかないだろうに。

 一方、林語堂は「成功したときに中国人はすべて儒家になり、失敗したときはすべて道家になる」(『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999年)と説くが、青木の指摘と重ね合わせると、中国人は儒家と道家をご都合主義で演じ分けているようにも思える。

 青木の説くところに基づくなら、「『儒』禍」と「『道』福」に裏打ちされた「利己的妥協主義」が中国人の行動原理となるだろう。それにしても、彼らの民族性を韮や蒜で表す青木の韜晦振り──いや敢えて洒落っ気というべきか──には、完全に脱帽するしかない。
 橘の中国論に欠けているのは、やはり青木の醸す「洒落っ気」ではないか。
      
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(読者の声1)7月3日夜放送された[フロントJAPAN]は下記サイトでご覧になれます。佐波優子さん、宮崎正弘さんコンビで、外交の在り方、「疫病と漢方とアビガン」などを独自の視点で分析討論した内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=eRqlLNjEwUE
  (日本文化チャンネル桜)

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(読者の声2)7月29日は、日本と中国との戦争が始まった昭和12年に、北京東方の通州という城郭都市で起こった日本人虐殺事件の83年目の日にあたります。この日は殉難者の命日でもあります。
 虐殺事件の下手人は、親日的な地方政権の配下にあった、「名目は警察・実質は軍隊」といえる保安隊という組織の3000人の支那人でした。彼らは通州に在住する約500人の日本人を保護する任務を帯びていたにもかかわらず、卑劣にも日本軍の守備隊が作戦行動のため出かけたスキをついて反乱を起こしたのです。
 29日午前零時、反乱軍は城門を閉鎖し、電話線を切断して外部との連絡が出来ない密室状態にしてから、未明から午後にかけて、城内各所で、予めチョークで印をつけておいた日本人の家屋や日本旅館を集団で襲いました。城内では眼球を抉り取り、腹部を断ち割り、内臓を引き出し切り刻む、妊婦の腹から胎児を取り出し踏みつける、などの天人倶にゆるさざる蛮行が終日続きました。城内には血の匂いが充満し、殉難者たちの阿鼻叫喚の声が止みませんでした。こうして無辜の日本人257人が支那兵によって拷問・惨殺され、死体陵辱されたのです。
 詩人・西條八十は、「かかる鬼畜に似たる蛮族を隣邦に持ちたるある時代のアジアの恥ずかしさ、けがわらしき歴史を子々孫々まで語り聞かせよ」と訴えました。
 私たちは、この呼びかけに応えて5年前から活動を始め、当時の新聞記事を網羅的に集めたり中国で出された事件関連論文の翻訳資料をつくったりするなど、歴史研究の基礎資料の蒐集・刊行に取り組んで参りました。
 それと同時に、4年前から靖国神社に昇殿参拝し、殉難者の無念の心に思いを致し、ご冥福をお祈りする慰霊祭を挙行して参りました。参加者数の多寡にかかわらず、この式典は必ず毎年続けて参ります。それが、恨みをのんで斃れた同胞への義務であり、未来に生きる子孫への責任でもあると信じるからです。
 心ある日本国民のご参加をよびかけ、お誘いの言葉とします。
         記
日時 令和2年7月29日(水)午後2時より
    (15分前までに靖国神社参集殿にお集まりくださいませ)
参加費 千円 
なお、人数確認のため、参加希望の方は、7月25日までに、メールもしくはファックスにてお知らせいただければありがたく存じます。
https://tsuushuujiken.com/
FAX:03-6912-0048
主催:通州事件アーカイブズ設立基金(代表 藤岡信勝、事務局長 三浦小太郎)
     


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月3日(金曜日)弐
       通巻第6570号  
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 (休刊予告) 小誌は明日7月4日(土曜)と5日(日曜日)が休刊となります 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~たしかに失業率は14・7%から11・3%まで回復した米国だが
  米予算局、経済は[V字]回復。年内に12%のGDP成長と予測
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 テキサス州で外出禁止が解禁されると、バアにあつまって、若者らは「コロナ」ビールを飲んだ。フロリダ州も同様、いずれも共和党の大票田である。トランプはこの二州を失うと当選が覚束なくなる。だから経済活動再開に熱心だ。
 ところが二次感染の拡大で再度の休業となった。

 7月2日、米予算局は先に第一四半期のGDPはマイナス20%という悲観的数字を報告したが、こんどは一転して、年末までに「V字」回復を果たし、GDPは12%の成長になるとした。凸凹も、これほど激しいと、エコノミストが信用しないのではないか。

 たしかに失業率は14・7%から11・3%まで回復したが、依然多くが職を失い、自粛生活にもあきて、何かおもしろいことないか、と外出すれば、あちこちで暴動。

 さて、日本は感染もすくなく、死者も少ないが、緊急事態が解除されても、クラスターが夜の町で発生し、またもや自粛要請の気配。
 倒産は手続きが面倒なので、いまのところ目立たないが、飲食店の激減ぶりには目を見張る。久しぶりに食べに行くと「閉店しました」「廃業しました」。

 問題は日米欧が対応した巨額の財政出動である。このツケがいずれまわるが、だれも、この解決法を議論しない。経済論壇はシーンと沈黙している。為替レートの改編による「新プラザ合意」が必要か、新円切り替え、それとも徳政令。近未来のどこかで、巨額のツケの精算をおこなわなければならなくなることが明白なのに。。。
     
集中連載 「早朝特急」(33) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~〜第二部 「暴走老人 アジアへ」(第1節アセアンの国々)

第五章  ブルネイという小さな王国は日本贔屓だが
 
 ▼国王宮を警護するのはグルカ兵

 この小さな王国はマレーシアのボルネオ島の北東の一部地域を統治する、
 人口僅か四十万人。その面積は三重県ほどである。日本人観光客は殆ど見かけない。
 資源リッチでひとりあたりのGDPはシンガポールより高く、「金持ち喧嘩せず」の格言通り、性格はいたっておとなしい。信号がなくても横断歩道ではクルマがちゃんと止まってくれる。
 2018年三月にブルネイへ行ってきた樋泉克大愛知大学教授によれば、中国の広西チワン族自治区からうじゃうじゃと中国人が、「チャーター機で南寧からひとッ飛びだ」などと嘯いて大勢が観光にきていたとか。
 シンガポールのチャンギ空港でブルネイ航空の座席に就いた時、隣席のアメリカ人のウイスキーに気づいた。そこで樋泉教授が彼に質問すると「ブルネイは禁酒禁煙の国、ただし持ち込みはOKだ」と解説した後、「お前は持参しないのか」と訊かれたそうな。

ブルネイ王国はイスラム法を厳格に適用し、禁酒禁煙である。
レストランに置かれているのはアルコールゼロのビール。タバコは、ブルネイ国中探しても売っていない。
 中国人ツーリストらのホテルの朝食風景。食べ物を挟んだ箸を手に、食べながらしゃべくりながら歩きながら。「郷に入らば『郷を従わせる』」というのか、すごい振る舞いだった。
 資源リッチのブルネイに進出していた外銀は四十余年間も営業を続けてきたシティーバンクが2014年に営業を切り上げ退出した。HSBCは17年末に同じくブルネイから撤退した。となると残る外銀は16年末に初めて進出してきた中国銀行(香港)支店の一行のみである。
 中国依存が顕著な証拠である。
 ブルネイへの投資は米国の1億1600万ドルに対し中国は桁違いの41億ドル。ブルネイ華人社会は急拡大の様相だ。
 筆者は四年前にブルネイに行って三泊したが、ブルネイ王宮の警備がグルカ兵だったことに驚くとともに、すでに災害救助協同演習などと称して中国の軍人が夥しく滞在していた。軍事協力も目立つようになった。

 しかしブルネイ王国は石油とガスで豊かな社会を築き、王室の権威はそれなりに盤石である。世俗イスラム国家とはいえ、世界最大モスクの一つは大理石でぴかぴか輝き、原住民の水上生活者三万人の集落(カンポン・アイール=水上集落)へ行くと、何と海の上のバラック小屋を回廊がつなぎ、下水が完備しているではないか。
 ボートを雇って、この水上生活者の集落を見に行ったが、台所はガス、トイレは水洗で、テレビもちゃんと繋がっていた。
 こういう贅沢な水上生活者の集落は世界でも稀だろう。いかにブルネイが経済的に富み、福祉にまわす余裕資金があるか、という事実を物語る。

 ▼北を眺めればコタキナバルにサンダカン

 地図をよくよく見入っていると、ブルネイのすぐ北はマレーシアのコタキナバル、その先がサンダカン、そこから海へでると、スプラトリー岩礁。つまりフィリピンの南端である。
 サンダカンには日本の「からゆき」さんたちの売春窟もあった。数々の悲劇が生まれたことは山zaki朋子『サンダカン八号娼館』に詳しい。このあたりまで昔はブルネイ王国だった。少数の海洋民族が棲息していて、舟で暮らしているらしいのだが、現地旅行社に尋ねても、「さぁ、どうやって行けるのか。冒険旅行だから、ほかのトラベルエージェントに当たったら?」と素っ気ない。

 ブルネイはスプラトリー諸島の一部の岩礁の領有を宣言し、中国とは一歩も譲る気配がない。すなわちルイス岩礁とライフルマン浅瀬だ。軍事的対立こそないが、中国とマレーシア、フィリピンにクレームを付けている。ブルネイは周知のようにふんだんな海底油断開発で輸出に精を出しており、大半は日本が輸入している。
 ブルネイ軍はフィリピンと同様に海軍力が貧弱であり、戦闘力が欠落しているため中国の横暴には手をこまねいているのが現状である。なにしろスプラトリー群島は満潮に海に隠れる岩礁がおよそ150,つねに海面より顔を出している岩礁、環礁は48しかない。

 ところでブルネイは二日もあれば、観光資源のほとんどを見ることができる。スルターン・オマール・アリ・サイフディー、ジャミ・アサ─ル・ハサナル・ボルキア・モスク等々モスクばかりである。
 ほかにイスタナ・ヌルル・イマン(王宮)があるが、内部には入れない。門前で警備員に断って写真を撮っただけ、ロイヤル・レガリア博物館は立派だが、展示にこれという宝物はない。
民族博物館へ行くと原住民の漁業生活の蝋人形やジオラマもあるが、暇をもてあます係官は全員が公務員。なにしろ国民の八割が公務員とその家族という豊饒なる無駄を平気でする国家で、富を公平に別けるという国王の施策である。

 日本企業はエネルギー関係だけで、ほかは自然環境、トレッキング、カヌーなど冒険にくる日本人相手の旅行代理店くらいしかない。豪華なホテルとデパートもあるが、なにしろ人口が少ないため、がらんとしている。一軒だけ日本食レストランがあったが、でてきたものは「日本食」まがいだった。
 なにはともあれ、人々は豊かな生活を享受し、余裕綽々なのである。
         △□□◎◎◎□△□◇

(編集部から)この連載も半分近くになりました。第二部「アジア」の第1節「アセアンの国々」は、今回でおわり、次号からは同第二部の第二節「南アジアの国々──『インド経済圏』の七カ国」がスタートします。第三部は「世界の果てを行く」の予定です。
 ご期待下さい。
        □△●□●△□●□●△□●□●△
 
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  ■「加瀬英明のコラム」  ■「加瀬英明のコラム」 
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パンデミックは奇貨となるだろうか
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 ようやく全国に外出自粛を強いていた、緊急事態宣言が解除された。といっても相手は疫病神(えやみがみ)だからまだ安心できない。しばらくはマスクを着用して、人々とのあいだの距離をとることになるのだろう。
 武漢(ウーハン)ウィルスの大流行という奇禍によって、自宅と近くの事務所を往復して逼塞する日々を過していたが、自分の時間を落ち着いて持つことができたのは、珍しい財貨──奇貨というものだった。
 予想もしなかったが、おとなになってから、はじめて長い休暇に恵まれたと思った。

 ▼インスラ、アウタルキア
 2つの小さな島に似た、自宅と事務所に籠るうちに、英語で「孤立、隔離」を意味するアイソレーションの語源が、海外に留学した時に学んだラテン語の島の「インスラ」insulaであるのを思い出した。英語のアウタルキー(自給自足)の語源が、ラテン語の「アウタルキア」autarkiaだったと、頭に浮んだ。
 自粛中は人出や、交通量が大きく減ったから、喧噪が失せて静かだった。
 仕事や会合や、絶え間ない都会の騒音によって、関心がつねに散らされて、自分をおろそかにしていたが、案じることから感覚まで自給自足するようになった。自宅が表通りの裏の路地に面しているが、狭い庭に集まったスズメの囀りや、近くの皇居の森から飛んでくる野鳥が鳴きかわす声が、はっきりと聞えて嬉しい。
 街が静かになったからだ。玄関を出入りする時に、家人が植えた花の甘い香りに気がついて、狼狽(うろ)たえた。喧騒のなかで視覚や聴覚を酷使していたために、五感が鈍ってしまったのだと思った。
 つい、4、50年前までは、私たちは東京に住んでいても、自然が心身の一部になっていたから、自然を身近に感じたものだった。
 だから樹木が芽をふくころに、屋根や緑を静かに濡らす雨は、春雨(はるさめ)だったし、五月に入ると五月雨(さみだれ)、秋から冬にかけて降る雨や、通り雨は時雨(しぐれ)といった。
 春なら霞(かすみ)、秋は霧といったのに、いまでは環境が人工的になったためか、心が粗削(あらけず)りになってしまったためか、1年を通してただ霧としか呼ばない。
 英語は季節感が乏しいので、霞も、霧もすべて「フォッグ」fogか、「ミスト」mistか、「ヘイズ」hazeであって、季節によって呼び分ける繊細さを欠いているから、味気ない。

 ▼自然との一体感
 英語では、ヨーロッパ諸語も同じことだが、チェリー(桜)、ピーチ(桃)、プラム(スモモ)、オレンジというと、私たちはすぐに花を思い浮べるのに、心より胃袋が先にくるので、食用のさくらんぼ、桃、プラムの実や、オレンジの果実を連想する。こんなことにも、異文化に出会うとカルチャーショックとなって、眩暈(めまい)を覚える。
 そこでチェリー・ブロッサムとか、ピーチ・ブロッサム、オレンジ・ブロッサムというように、あとにブロッサム(花)をつけないと、花として鑑賞する対象にならない。花より団子なのだ。アメリカやヨーロッパで、邸宅や、高級レストランに招かれると、季節外れの同じ油絵が、1年中掛けられている。日本であれば、それぞれの季節に合わせて掛け軸をとりかえるのに、興を殺がれる。

 ▼『源氏物語』を読む
 私は『源氏物語』、川端文学の優れた訳者として有名な、エドワード・サイデンステッカー教授と昵懇(じっこん)にしていた。
 「サイデンさん」と呼んだが、下町をこよなく愛していたので、山の手で育った者として、下町文化のよい案内役をえた。永井荷風文学をよく理解できるようになった。
 サイデンさんが米寿になった時に、拙宅において40人あまりの男女の友人が集まって、祝った。
 全員で相談して、米寿の祝いに浅草で和傘を求めて贈った。洋傘が普及したために、残念なことに、幼い時に母がさしかけてくれた和傘の油紙を打つ、調子(ここち)よい雨の音が聞かれなくなった。
 サイデンさんはその6年後に、東京で亡くなったが、生前愛していた上野池端の会館でお別れの会が催され、丸谷才一氏、ドナルド・キーン氏など、500人以上の親しかった人々が参集した。私が献杯の辞を述べた。
 私は『源氏物語』を、サイデンさんの知遇をえるまで、製紙、香料の産業史の本として読んでいたが、サイデンさんの導きによって、王朝文学として親しむことができた。

 ▼香りは舞台回し
 『源氏物語』には数えたことがないが、50種類あまりの紙が登場する。溜漉(ためす)きの紙は中国で発明されたが、源氏に「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」(鈴虫)と、述べられている。
 流し漉きの丈夫な和紙は日本で発明されたが、物語のなかで紙が重要な役割をつとめている。
 さまざまな香り──薫香が、もう1つ物語の進行を取りしきっている。名香に、梅花香、侍従、黒方(くろぼう)、荷(か)葉(よう)、薫衣(くのえ)香、百歩香などという名がつけられているが、おそらく6、70種類の薫香が舞台回しのように出てくる。
 香りはくらしに密着していた。屋内にくゆらしただけでなく、袖や、紙、扇に香りをたきしめた。それも、自分なりの芳しい香りを工夫して、四季にあわせて調合した。
 今日の日本では、クラブのホステスや、名流婦人が、不粋なことに1年を通して同じ西洋香水をつけているのには、辟易させられる。大量生産された安いガラス瓶に、はいっている。
 源氏の世界では自分だけの香の壺を、四季にあわせてもっていた。
 香りは清めであり、人々ははかない香りに感傷を託して、宇宙の静寂を感じた。
 西洋の香水は、今日、日本の家庭に普及している除臭剤とかわりがないが、源氏の世界の香りは、優美なものだった。
 自然は静かだが、人間は煩さすぎる
 「匂」という字は、もとの中国にない。日本でつくった国字だ。よい香りがたつことだけを意味していない。
 日本刀の小乱れした刃紋も「匂う」と表現するが、美しく輝いていることをいう。「朝陽に匂う山桜哉(かな)」という句がよく知られているが、山桜が朝の光をいっぱいに受けて、輝いているという意味である。
 『源氏物語』のなかで、女性が「匂ひやか」というと、美しいことを表している。
 桜の花は馨らない。光源氏が桜の花が美しいのに、香りがないことを慨嘆している(若菜)。

 香を賞(めで)るというが、香りと静けさは1つのものだ。心を落着かせて集中しないと、身心を香りにゆだねることができない。
 ゆとりがなければ、香を賞でることができない。香を嗅ぐことによって、ゆとりが生まれた。人生に間をはかることが、大切なのだ。
 世間で“引きこもり疲れ”とか、“自粛疲れ”という言葉が流行っているが、自分を取り戻すよい機会だろう。

 ▼2020年は、文明開化の成れの果て
 私たちは明治の開国から、文明開化の号令のもとで西洋を模倣するのに努めるうちに、四季のゆるやかなうつろいに背いて、いたずらに慌(あわただ)しい社会をつくってきた。欧米に憧れて、モダン──スピード感、刹那的、享楽的なもの──を追い求めてきた、成れの果ての時代に生きている。

 今日、私たちが洋装をまとっているのは、日本を守るための手段であったはずだったのに、利便な文明開化に身を窶すあまり、いつの間にか目的にかわってしまった。
 サイデンさんはキーン氏と同じ海軍日本語学校の卒業生で、硫黄島の攻略戦に加わった。
 日本では先の大戦中に英語を「敵性語」として使うことも、学ぶことも禁じたが、アメリカは今日でも敵国の言葉を積極的に学ぶ。
やはり、覇権国家なのだ。
                  (かせ・ひであき氏は外交評論家)

 << 今月の拙論 >>
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「コロナ、こころ、孤独」(『北国新聞』、コラム「北風抄」、7月6日)
「コペンハーゲン民主主義サミットに蔡英文、黄之鋒」(『エルネオス』7月号)
「米国の台湾防衛、過剰なほど本気」(『テーミス』7月号)
「米中金融戦争のゆくえ」(『月刊日本』8月号、7月23日発売)   

   ♪
(読者の声1)米中の経済戦争が激しさを増しているなか、次から次へとニュースがでてくる。中国では融資の担保の金の延べ棒の一部がメッキの偽物だったという。
【「金メッキを施された銅だった」過去最大級、83トンもの偽造GOLDを融資担保使用=中国「武漢金凰珠宝」】
https://coinpost.jp/?p=163991
https://asia.nikkei.com/Spotlight/Caixin/Mystery-of-2bn-of-loans-backed-by-fake-gold-in-China

 「もえるあじあ」というサイトの記事によるとアメリカでは税関で中国から密輸の合成麻薬やアサルトライフルの分解された部品を10000点押収。
https://www.moeruasia.net/archives/49665201.html

 コメント欄を読むと黒人過激派にはブラックパンサーの残党がいてマオイスト繋がりだとか。アメリカ独立記念日にあわせてなにかしでかすつもりなのでしょう。
さらにアンティファの正体について大紀元の記事を紹介。
【「共産主義以外はすべてファシズム」極左暴力集団アンティファの正体とは】
https://www.epochtimes.jp/p/2020/06/57721.html
https://img.epochtimes.jp/i/2020/06/06/t_jhuthxwgcpjisrgfxk4c.jpg

 1928年に撮られたという写真にはハーケンクロイツの男を拳で叩くアンティファの姿。日本の反安倍デモに必ずといっていいほど「安倍=ヒトラー」がでてくる理由がわかりました。
『アンティファの起源:旧ソ連の反ファシズム統一戦線』?
 「この組織はもともと、ソビエト連邦がドイツで共産党政権を実現するための統一戦線作戦の一環であり、すべてのライバル政党や組織には「ファシズム」という
レッテルを貼ろうとしていた。
統一戦線政策は、共産主義革命を扇動するために左派の諸勢力を結集させることだった。1920年代から、ソビエト連邦では、ドイツ共産党を含むコミンテルンとその系列政党は、資本主義社会全体および事実上の反ソビエト、反共産主義の活動や見解を表すには、「ファシズム」という代名詞を使用していた。ドイツ共産党は1932年5月26日、機関紙「Die Rote Fahne(赤旗)」で「反ファシスト運動(アンティファ)」の結成を正式に発表した。同運動を「唯一の反ファシスト政党─ドイツ共産党の指導下にある赤い統一戦線」と表現した。
 ドイツ最大のアンティファ団体だった「オートノーム・アンティファ(Autonome Antifa)」の元メンバー、ベルント・ランガー(Bernd Langer)氏が執筆した
ドイツ語の回想録『80年の反ファシズム運動』によると、アンティファは1921年6-7月のコミンテルン第3回大会で採択された統一戦線政策にまでさかのぼることができる。ランガー氏は本のなかで、「反ファシズムは一つのイデオロギーではなく、一つの戦術である」と定義し、ドイツ共産党が統一戦線政策のもと、反資本主義を「反ファシズム」として対抗していた。そして、このレトリックを使って、他のすべての敵対政党にも「ファシズム」というレッテルをつけたと述べた」
 上記記事によると1937年に設立されたNLGは、全米150以上の支部に所属する約6千人の左翼弁護士で構成され自らをアメリカ左翼の「必要不可欠な法律の片腕」と自称し、会員数41万人を超える米国法曹協会(ABA)の保守的な動きに対抗しているという。
 組織の5%も押さえれば乗っ取れるのは日本でも学生運動が盛んだった時代の大学自治会をみればわかります。
記事によるとNLGにはフォード財団や米投資家のジョージ・ソロス氏など左派リベラル系の財団が後援とあります。ソロスはともかくヘンリー・フォードは草葉の陰で嘆いているのかも。
 100年休まずにチクタクチクタク、ユダヤ人の歴史観からすれば100年などどうということもない。いま女子中高生を中心に人気のTikTok (ティックトック)は中国製の動画共有アプリですがスマホの個人情報を抜き取るスパイウェアとして問題になっている。
韓国アプリのLINEも危ない。サイバー戦争の前哨戦はもう始まっています。
   (PB生、千葉)

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(読者の声2)「暴走老人 アジアへ」のバンコク、日本人経営の印刷会社がでてきましたが、日本企業が進出し商品カタログを作ろうにも現地企業では日本人の要求レベルを満たすことができなかったと聞きました。
印刷会社が進出すれば紙もインクも必要となり関連会社すべてが進出することになる。1970年代の学生時代、欧米のペーパーバックの用紙の粗悪さに驚いたものですが、日本でいえば漫画雑誌レベルと思えるほど。それに対し美術書などグラビア印刷は欧州が本場で素晴らしいものでした。
 バンコクといえば伊勢丹も今年の8月末で閉店。例によって賃料が折り合わなかったらしい。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00118/031700005/

 BTS(高架鉄道)ができたころから現地のスクンビットの日本人も駅直結の百貨店や近くのスーパーでほぼ間に合うのでセールの時くらいしか行かないといって
いました。伊勢丹は駅から遠く、しかも渋滞が一番ひどいエリアですからどうしようもありません。ASEAN近隣の駐在員にとっては便利な店だったのですが時代の
流れなのでしょう。大丸・そごうも撤退しヤオハンは本体が経営破綻、残るは東急だけ。イオン(旧ジャスコ)は近隣諸国で大型モールを展開しているのにタイでは伸び悩み。小型スーパーも今年になり半分以上閉店している。バンコクにいたころ飲食業ではマレーシア資本が進出し最初は物珍しさで人気を集めるもすぐに飽きられ撤退という事例を何度も見ました。似て非なるといいますがタイとマレーシアではイスラム女性でも見た目で違いがわかります。マレーシアは身体のラインを隠すのにタイでは隠さない。
 東の隣国カンボジアとは荷車を見ればわかります。カンボジアはアンコールワットの遺跡に描かれたような車輪の大きなものですがタイでは車輪が小さくなる。千年たっても基本は変わらないというのが面白い。ダーウィンの進化論に対し今西錦司は棲み分け理論を提唱しましたが、欧米の難民・移民の現状をみても人種のるつぼといった概念には無理があるのがわかります。日本でも中国人や韓国人、さらにはクルド人まで集住して日本になじもうとしない人たちがいる。
 アメリカの人口動態では白人は白人エリアへの移動が増えているという。アニメのシンプソンズでは役柄の人種にあわせて声優を当てるとか、ユニリーバは美白
化粧品の扱いを止める・商品名を変える、カーレースのF1ではメルセデス・ベンツが車体色を黒にするなどまるで1970年代の同和や朝鮮勢力の恫喝の再現です。人間も動物ですから危機がせまれば同族を守るために異種族と争う事態がおこるのかもしれない。コロナ以後の世界は100年前の白人至上主義が復活してもおかしくないようにも思えます。日本では北朝鮮が拉致を認めるまで新聞テレビは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)としていました。多様性を主張する組織が一番独裁に近いというのがよくわかる事例ですね。
  (PB生、千葉)
  


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月3日(金曜日)
       通巻第6569号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  中露国境問題、香港の国家安全法で再び火が付いた
  「ウラジオストクはもともと中国の領土だ」と中国のネット世論
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 ウラジオストクは日本史とも無縁ではない。かつて「浦塩」表現したが、国際的には無政府状態だった時期があり、ロシア、日本、朝鮮、ほか有象無象の「紳士淑女」が群がった。伊藤博文の哈爾浜行きを知って、暗殺に向かう安重根は、このウラジオストクを根城にしていた。

 ウラジオストクの沖合の島のひとつがルースキー島、マリンスポーツやテント村が点在するだけで桟橋からボロ舟がでていた。

 プーチンが「ウラジオの無人島を開発し、APECの会場とする。新都市を造成し、そこで毎年のように「東方経済フォーラム」を開催する」と大号令を発した。
付近の四つの大学を統合し、このルースキー島の宏大な敷地内に「極東総合大学」(学生数四万)を短期で造成し、大学キャンパスの真ん中に聳えるセンターが、APEC以後、経済フォーラムの会場となっている。

ウラジオストクAPECは2012年九月。プーチン、オバマ、胡錦涛、日本からは野田首相(当時)が参加した。
プーチンの得意の絶頂時代、極東シベリア開発が目標だった。

筆者が見に行ったのは2010年の夏、まだ無人島の開発中だった。まずは本島から橋を架ける工事をしていた。島へは船で渡り、四輪駆動のSUVで工事現場などを視察したが、密林をいきなり文明の地に変えようというかなり無謀な工事だから、荒っぽいやり方だった。なにしろ半年は凍結すると工事が中断される。急ぐ必要があった。

新都市造成後、またウラジオストクに行ったが、景観はすっかり様変わりとなっていて、本島から大学へはバスが通じ、総合大学のキャンパスも出入り自由だった。

さて現況である。
7月2日、駐北京ロシア大使はツィッターで「ウラジオストック併合160周年を祝う」とするヴィデオを投稿したところ、中国で一斉に反発、反感、SNSが沸騰した。 
近視眼的にみれば、1991年から開始されたウスリー、アムール河の領土交渉が2003年にまとまり、中露観の領土問題は解消されたはずである。

中露国境は4209キロ、ながらく両国は領土問題をめぐって対決してきた。 
珍宝島事件(ロシア名=ダマンスキー島)では1969年に軍事衝突、旧ソ連兵42名が死亡し、中ソ対立が明らかになった。世界は其れまで中ソ両国は蜜月関係と信じ込んでいたからだ。

これが弐年後のニクソン訪中であり、米国は対ソ封じ込めの楯に中国を利用する戦術を思いつき、一方のソ連は、中国を背後から牽制するためにインドに膨大な軍事支援を本格化させるのである。

寄り道をした。 
ウラジオストクは1860年に三つの条約にもとづきロシアに編入された。
しかし旧名「海参威」(ハイシェンウェイ)をいまも使う中国は、そのセンチメンタリズムからもウラジオストク(東方を征服せよという意味)の名前を受け入れず、中国に地図には、いまも「海参威」の地名が記載されている。

騒ぎ出したのはタイミングが悪かったからだ。
7月1日、香港返還23年記念日に、全人代が前日に可決したばかりの香港国家安全法を施行した。この微妙な時期にロシア大使の無神経なヴィデオ配信に苛立ちが爆発して、ネットでの大騒ぎに発展したのである

     
 (休刊予告) 小誌は週末の4日、5日は休刊の予定です 

●集中連載 「早朝特急」(32)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」(第1節 アセアンの国々)

第九章 ラオスは貧困な、あまりに貧困な一党独裁

  ▼ラオスの子供たちに笑顔がない。

 ラオスは小さな仏教国である。
この国の不幸は北部が中国と国境を接していることだ。アセアン十ヶ国のなかで、日本から直行便がないのはブルネイと、このラオスである。ブルネイは人口40万、関連するビジネスマン以外、観光客は滅法少ない。エコトリップ、動物観察、キャンプ好きのグループ以外、日本からのツアーも組まれていない。したがってバッコック、シンガポールか、クアラランプールで乗換となる。
ラオスは人口もそこそこあるから直行便が飛ぶと便利な筈である。そのうえ、日本人にはヴィザが不要となっている。
 過去に三回ラオスへ行った。行きはバンコク経由だが、帰りはバンコクへ一度でて、北京へ飛び、そこでまた乗換だった。不便であり、時間がかかりすぎる。
 ラオスの一人あたりのGDPは1400ドル強という最貧国。人口650万人。そのうえ海に恵まれていないので輸送手段に乏しい「内陸国家」だ。
 十数年前には、北の保養地ルアンバルパンにも足を延ばした。発展ぶりが顕著だった。そもそもラオスはたいへん親日的な国家で、たとえば日本が寄附したバスには前後左右に日本の国旗、「これは日本国民の善意による」と大書されている。
 ビエンチャン自慢の豪華ホテルには、広い座敷の日本料亭もあるが、客がいない。一度昼にウドンをたべに行ったが、乾麺だった。このホテルから2ブロック離れたところに、ラオス民謡と舞踊が毎晩見られるラオス伝統料理のレストランがあり、ここには世界の有名人、そして日本人では小泉、小渕、安部首相らのスナップも飾られていた。

 ▼チャイナ租界はラオス北部にあった
 
 不思議なことに数年前までは街を歩き回ってみて、中国の存在が希薄だった。ビエンチャンの西北にばらばらと点在するチャイナタウンは見窄らしく、そもそも高層ビルがない。ラオスの首都では中国語新聞は発行されていない。
 ボロボロな小屋が名物の雲南料理レストラン(華僑は雲南省から陸伝いにラオスに住み着いた)、ブティックは流行遅れのファッションが並び埃を被っている。傾きそうな中華風の木造の建物が華僑が経営するホテルだった。
いったいこれはどうしたことか、と訝った。
 ところがラオスの本格的なチャイナタウンはミャンマー、タイとの国境地帯、北西部ボケオ県に完成している。
そこには唐風の中華門があって西安のミニチュアのごとき町並みが再現され、このチャイナタウンは既に一万人近くが暮らす。
 香港に登記された中国企業「キングロマンス集団」がボケオ県に3000ヘクタールを租借し、大々的な開発を遂行してきた。名目は経済特区(免税特典がある)。しかしカジノホテルまで営業を開始しており、中国とタイからの博徒で賑わっている。ボケオ県はミャンマー、タイと国境を接する「黄金の三角地帯」。いまも麻薬密売のメッカとされ、治安が悪い。
 この地にキングロマンス集団は4憶9000万ドルを投じて大規模なチャイナタウン建設を成し遂げ、ラオス政府高官を招いての開所式を行った。すでにホテルの他、70軒のレストランも店開きしており、多くで人民元が通用する。
中国から引き連れてきた建設現場労働者は中国の労働請負企業が斡旋した。同集団は2020年までにあと22億ドルを投資し、大規模な工業団地を造成すると豪語した(中国全体のラオス投資は800件、40億ドル)。
 このチャイナタウンの本格出現に焦るのは、これまでのラオス投資の筆頭格だったベトナムである。もともとベトナム共産党はラオス共産党と親密である。反対に中国とは犬猿の仲である。
 ベトナムはすでにラオスに50億ドルを投資し、449件のプロジェクトを抱えているが、主としてエネルギー、鉱山開発と農業部門である。タイも760件のプロジェクトに48億ドルを投資している。
 ところが中国のいきなりのラオス進出、それも首都ビエンチャンではなく、北西部の国境地帯から入り込んでいつの間にか地域の多数派となることを狙っている。しかしラオス政府もしたたかで、中国、ベトナム、タイを競わせて鼎の軽重を問う。

 ▼観音菩薩に似た仏像をみると心が癒される
 
 首都ビエンチャン市政府当局は工業区開発予定地区の住民の訴えをしりぞけ、開発の主契約者は中国の「上海万風集団」と決めたと発表した。
 住民は激高し激しい反中抗議運動が起きた。
中国からの投資がめざましいラオスが首都に新しい開発地区を発展させようとする動機はとなりのカンボジアが川の中州を開発して新都心を造成し、成功したからである。カンボジアは親中派の代表、プノンペンの高層ビルの大方が中国企業の投資である。
 ラオスはメコン河を挟んでタイの北側に位置するビエンチャンに観光資源が集中しており、摩天楼こそまだないが十階建てのビルはたいがいが外国投資である。

 寺院が多く、それもほとんどが仏教寺院だが、仏像をみていると、きわめて日本の仏像に似ているのだ。穏和な、おだやかな表情で、このような仏像の造形はほかのアジア諸国では稀である。
 ビエンチャンの仏蘭西大使館の脇にある古刹など、あたかも京都銀閣寺にいるような錯覚にとらわれた。
 中国のゼネコンはようやく首都開発に食い込んできた。
 新しく造成中のルアンマーシ地区に公園を造成し、巨大ショッピングモール、娯楽コンプレックス、スポーツ施設など新都心型の大型な町作りをなすという中国企業は住民435家族への保証金を要求額の十分の一しか提示していなかったのだ。
ラオス住民の不安感は嘗ての巨大開発を言いつのり、四億ドルのプロジェクトを提案した中国企業が、その後の住民の保証金要求に一切回答せず、プロジェクトは立ち消えとなったような不信感だ。

 ▼怯える目、怖れる目
 
 ラオスにおいて衝撃的な旅の印象はと言えば、子供の目に笑いがないことだった。
 何におびえているのか、笑顔がない。子供たちに微笑がない。独裁国家のもつ目に見えない、張り巡らされた密告制度の所為であろう。
 ラオスを中国は「老国」と表現するが、華僑世界の台湾、香港、シンガポール、マレーシアなどの華字紙を見ると「寮国」と表現されている。内陸国家からベトナムとミャンマーという東西両国をつなぐ幹線道路ができると「陸鎖国」から「陸連国」になると騒いでいる。中国が仕掛けているのである。
 近年ここへ韓国企業がけたたましく入り込んで、コリアとラオスを引っかけて「コラオ」というオートバイを生産し始め、そのあとに中国が入ってきた。雲南省と陸続きであり、もともと国境地帯にはアヘン密売組織が暗躍し、マフィアの跳梁があった。
 中国はラオスの南北を縦貫し、マレー半島を縦断し、シンガポールまでをつなぐ鉄道の敷設工事を始めた。またビエンチャンを基軸に東はベトナムのダナンへ、西はタイをまたぎミャンマーへいたる東西横断幹線道路を打ち上げるとラオスに生産拠点をおいても、物流が滞らなくなるとばかり、どっと海外から企業進出がつづきGDP成長率は8%を記録するにいたる。

 そこでラオスに繋がって新幹線の建設現場を見に行くことにした。
 ビエンチャンは空港から一時間に一本、市内までバスがでていて、ど真ん中からちょっと外れたところにアイビスというビジネスホテルが建っていた。小さなホテルだが、部屋に入ると窮屈でもなく、近くにばバーベキュー、韓国焼き肉、そして日本風居酒屋もあった。
 一泊して、翌日国内線で北部の町へ。往路の機内でジャイカの若者にあった。この町にも数人、ジャイカ派遣の人がいて、現地の女性に刺繍、工芸品などを教えているという。夜は街灯が殆どなく薄暗い町である。ゲームセンターも夕方までは子供の声が聞こえたが夜は客人ひとりいない。
 翌日、白いシャツに黒ズボンの若者が現れた。現地旅行者に手配を頼んでガイドで、精悍な感じ、長身で、かなり流暢な英語を喋る。
「どこで習ったの?」と聞くと「お寺です。自分は小学校にも行っていないけれど、お寺が修業と教育の場所でした。そこで英語を覚えました」。
 「国境近くの中国の新幹線建設現場へ行くことは聞いてますね?」
 「ええ、あのあたりはモン族とアカ族が多いですが、日本の寄付でたてた学校もありますし、ご希望ならモン族の集落にも案内します」。
 というわけで、ホテルを九時頃にチャックアウトし、一路新幹線建設現場へ急いだ。ドライブすること、およそ四時間の行程だ。
 実際に大規模な工事を展開していた。高架の鉄道専用の橋梁、付近にはコンクリの破片、煉瓦、セメント、鉄骨置き場があり、「中鉄五局」の看板、宿舎、広い駐車場。
 「どのくらい中国から労働者がきていますか?」
 「分かりませんが、寒村に降って湧いた建設ブームで、密林、曠野が開発され、木木は乱獲され、舗装されていない道路には中国製トラック、ダンプカーがひしめくようになりましたね」。
実際にダンプは長いながい列をつくっており、ナンバープレートを見ると、近くの雲南省などが少ない。黒竜江省、遼寧省からのトラックは長距離輸送の還りというより、どうも、中国東北地方の不況によって、トラック運動が大不況。ラオスへ行けば運搬の仕事がやまとあるからと、出稼ぎにきているのだ。
 現場ではカジノホテルが二軒、免税店の大型ビルが二軒、まわりはマンション分譲。いずれもぴかぴかの新築である。
その看板は価格が人民元建てだった。看板も中国語だけ、ハナからラオス人を相手にしていないのだ。

 ▼農地も中国資本の買い占めが起きている
 
 ラオスは人民革命党の独裁で、1945年にいちどは日本の後押しで独立したが、すぐにフランスのあくどい植民地主義者が軍とともに入り込み、1952年にようやく本格的な独立を果たした。
 ラオスは労賃の安さを魅力に今後、国際市場に打って出る可能性が高いが、日本企業はインフラの未整備と道路の未舗装などを理由に進出をためらう。ラオスの現行法では外国企業の土地購入は認められておらず、最長99年のリースとされる。すでに2600件の土地貸与(北方のチャイナタウンを含める)、合計270エーカーが外国企業や個人にリースされている。
 「農地が外国企業に買われること、地下水資源を含む広大な土地がラオス人から奪われた場合、これは国家安全保障に繋がらないのか」と反対が多く、とりわけ「買いに来るのは中国に決まっているから反対」という意見が目立つ。
ラオスの特産品である翡翠と玉を、中国雲南省の宝石商らが、ごっそりと買いに来るために良い翡翠などは、ラオスに出回らず中国の富裕層に売られている。
 中国資本が虎視眈々とラオスの土地をねらうのには、もう一つの理由がある。
 中国の砂漠化、農地の喪失によって農業従事者に農地がまったくないという驚くべき現実である。北京APEC期間中の自動車乗り入れ禁止などの措置をおこなっても、すでに年間120万人もの中国人が大気汚染が直接間接的な原因として死亡している(コロナの死者数なんて目じゃないって)。

 そのうえ内蒙古省、遼寧省、陝西省などでの大気汚染は凄まじい。砂塵ははるか東シナ海を越えて日本列島へも飛んできているように華北から東北三省の空は真っ黒の日がある。
 「中国は植林事業に年間130億ドルを投資し、すでに3600万ヘクタールを緑化するための植林プロジェクトを開始しているが、国土の26%、凡そ四億人の人々が暮らす土地が砂漠化、大気汚染の脅威にさらされている」(『TIME』、2014年11月10日号)
 そこでラオスの政策変更は渡りに船、多くの中国人農民がなだれ込む懼れもある。

どこかの国は、すでに自衛隊を見下ろせる場所やレーダーサイト近辺の土地が買い占められたり、地下水を豊富に含む森林などが中国資本に買われて、付け焼き刃で「外国人土地所有法」の改正を議論している。
        
   ♪
(読者の声1)マレーシア在住(コタキナバル)のため、本日の「暴走老人・・」を興味深く拝読しました。感想を述べさせていただきます。
 老骨に鞭打って政界復帰したマハティールさんですが、丁度コロナ禍が猛威を振るい始めた本年2月に突然辞任しました。
直後に暫定首相に指名されたものの、 結局所属政党の党首のムヒディン・ヤシン氏を国王が首班に指名したため、首相の座を明け渡すこととなります。
現地で耳にするのは、前回の総選挙で共闘した因縁のアンワール・イブラヒム氏へ約束した首相禅譲を避けるためマハティールさんが企てた策略が、結局失敗したのだという噂です。
その後、コロナ禍によって マレーシアも活動制限令が発令され、マハティールさんの影はすっかり薄くなった印象ですが、その後、新首相候補に現職のサバ州主席大臣を指名するなど、 政権への執着は消えていないようです。
1997年のアジア経済危機をその手腕で乗り切り尊敬していた氏ですが、最後は少々晩節を汚したかなとの印象です。
一方、汚職容疑で起訴されていた前サバ州主席大臣のムサ・アマン氏(前政権の与党側)が無罪となり、前首相のナジブ氏の裁判の行方も怪しくなってきました。
この様な状況で同国の行方、特に対中国関係がどうなるか、心配なところです。
宮崎先生はどのようにお考えでしょうか。また別件ですが、以前JBpressで末永恵さんがマハティールさんの記事をちょくちょく書かれていたのを読んでいたのですが、最近、目にしません。どうされているでしょうか。
 (堀弘)


(宮崎正弘のコメント)マレーシアも若い国民が増えて、マハティールさんも「過去の人」扱いですね。破天荒の汚職をやってのけた前首相も、裁判はちんたら、ゴールドマンサックスは司法取引に応じ、罰金を支払うようですが。
 申し訳ありませんが、そのJBプレスを読んだことがないので、末永さんのこと、何も存知ません。
 


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月2日(木曜日)弐
       通巻第6568号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コロナ以後、確実にやってくる高金利時代
  金価格、8年ぶりに1800ドル(1トロイ・オンス)を突破
*************************************大失業時代となった。
アメリカは失業率14・3%を記録、日本もおそらく実質的な失業率は7%台ではないか。非正規雇用とアルバイトの職が蒸発し、インバウンド業界は寒風吹きすさび、観光地も人出がほとんどない。

 コロナがすべてを変えた。
アメリカはトランプ再選に黄信号が灯ったかと思うのも束の間、八月中に雇用状況を改善しなければ、居眠りジョーが大統領になりそう。最悪のケースに備えなければならない。日本でも安倍政権に吹き荒れる逆風。次は親中派首相の誕生となれば、やはり最悪のケースになる。

マーフィの法則に曰く。
 「そこに最悪のシナリオがあれば、事態は必ずその方向へぶれる」。

 さて日米欧は、恐慌回避、不況克服のためにカネをばらまき始めた。日本はひとりあたり10万円を給付。中小企業には企業活動維持交付金として百万円から二百万円。詐欺も横行している。書類が難しいので偽造書類をつくり、百万円をせしめると、手数料を四割ピンハネする悪徳業者が跋扈しているという。

 問題は、日本が120兆円、アメリカが二兆ドル(220兆円)のばらまき、これらは財源のない、架空のカネである。GDP拡大のためには消費拡大、民間の設備投資、貿易黒字に政府支出だが、後者のみが突出し、日本の中央銀行は国債と社債、株式を買う。FRBも同様、日米金利差はほとんどなくなった。

 金利が同様にゼロレベルだと、通貨投機は起こりにくくなり、いずれこの裏付けのない資金は償還時期を迎えるが、国債の買い換えに応募する投資家は消えているだろう。

 となると高金利時代が再来する。
 1981年、レーガン政権発足のおり、米国のプライム・レートは、じつに18%台だった。いったいこのような高金利で、企業活動が出来るのか。訝ったが、赤字国債増発と国防費膨張によって乗り切った。

 日本は再生産のための投資はほとんど目立たず、社会保障福利厚生医療費に国家予算の三分の一を注ぎ込み(32兆円 vs 防衛費=5兆円)、国家の根幹であるべき安全保障を閑却している。

 財源のない金のばらまきは必然的に通貨価値を下げる。表面だけをみるとドル円ユーロの交換レートが安定的な枠内に収まっている訳だから、通貨価値は下がっていないと誤断しやすい。

 金価格が1800ドルを突破している事態は、相対的に通貨価値が下がっているからである。たぶん金は史上空前の1900ドル台に迫るだろう。
投機筋が株式投資を引き揚げて商品投機に本格的な移行をはじめると、金融恐慌に陥落する懼れなきにしも非ずではないだろうか。

     
集中連載 「早朝特急」(31) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」(第1節 アセアンの国々)

第八章 マレーシア経済は少数派の華僑とインドが握る

  ▲気がつけば「中国の植民地」になりかけていた

 「マレーシアはイスラム国家のなかでは稀な民主国家である」(ロバート・カプラン『アジアの大鍋』。拙訳)
 マレーシアは意外に人口が少なく(2500万人)、しかも国民の35%が華僑である。必然的に中国の影響が政治を大きく左右する。マレーシアは北京との対立を上品に回避してきた。
 それでもなくてもフラッグキャリアのマレーシア航空(MH)は厄災に連続的に祟られ、一機は南インド洋あたりで行方不明に、またウクライナ上空を飛んでいるとミサイルに撃墜されるなどさんざんな目にあった。
 中国海軍が偉そうに進出し、マレーシア領海にある島々をかってに盗んでしまった。
 マレーシアが領有を宣言しているいくつかの岩礁は南砂群島のなかにあり、領海内ではつねに中国漁船が違法操業を繰り返した。しかし、マレーシアはこれまで国連に提訴するだけで、軍を動かして漁船を取り締まるという直接行為は忍耐強く避けてきた。

 クアラルンプールのチャイタウンは宏大で、活気があり、夜ともなると屋台が犇めき、外国人観光客も大勢が食事に来ている。一年中お祭り騒ぎである。
 いつだったか、屋台をひやかしていたら流暢な英語を喋る外国人に出くわした。ドイツ人で、すっかりマレーシアに取り憑かれ、三年ほど屋台を引きながら暮らしているという。
 筆者はマレーシアに五、六回ほど行っているが、ペナン島がTSUNAMI被害を受けたとき、かつて宿泊したホテルが流されている映像を目撃し愕然となった記憶がある。
 海上交通路としてマレー半島の西側が昔から開け、クラン港、マラッカ港、そしてシンガポールとの結節点にジョホール・バルがある。
 半世紀近く前に初めてクララルンプールに立ち寄ったとき、滞在が24時間しかなかったので、車をチャーターし、半日だけ市内をみて回った。当時は行き交う車両はすくなく、英国時代の豪奢な建物が多く残り、美観が良いという印象があった。タバコはすべて英国製で、ロスマンス、ダンヒル、555(スリーファイブ)だった。
 そのクアラルンプールは近代都市に変貌していた。
 いまやプラタナスのツインタワーを中心に超近代的都市として生まれ変わり、空港から市内へのアクセスは特急列車で二十五分ほど。車なら渋滞が多いので一時間かかる。
 市場は物資で溢れ、国際色豊かで、西欧風のカフェのとなりに古風な和食レストラン、その隣が無国籍料理の居酒屋と、殆どイスラム国家という風情がなく、その香りがしない。インド系も多く、ヒンズーの巨大な寺院が北の郊外にどっかと腰を据え、あたかもチャイナタウンの殷賑を睥睨するかのような都市構図である。

 ▲イスラムの強烈な文化の臭いが希薄

 マレーシア国民は性格的におとなしく、過激なイスラム原理主義を忌避する。
近年、マレーシア国内でのテロは殆どないが、14年にマレーシア航空が二度の航空機事故に見舞われ、経営がふらふらとなった。ベトナム沖で消息を絶ったマレーシア航空機は、南インド洋で墜落したと見られるが、爾来、六年を経過しても、まだ残骸は見つからず、またウクライナ上空で撃墜された事件の犯人は、親ロシアの武装勢力だったのか、あるいはウクライナ過激派の演出であったのか、依然として真相は藪の中である。
 マレーシアの南端ジョホール・バルのすぐ傍にフォレスト・シティが造成されており、この開発をめぐってナショナリズムが沸騰し、政界を揺さぶった。

 フォレスト・シティはシンガポールとの西端国境近くに70万人口の高級団地を中核とする人工都市を造ろうというもの。
総工費1000億ドル。民間企業のカウンティガーデンが造成、建設、販売を担い、すでに最初の一区画は一万戸を販売した。その90%が中国人だった。 
現在、道半ばだが、2本の橋梁も架けられ、リゾートホテルも営業している。
この地区のマンション群の大半が中国人所有だから、さすがにおとなしいマレーシアでもナショナリズムに火が付いた。
 「このままでは中国の植民地となるではないか。中国の身勝手をこのまま許すのは政治の貧困以外の何物でもない」とマハティール前首相(その後、首相に返り咲いた)が反対の狼煙を上げると野党は一気に活気ついたのである。
  
 ▼中国主導の新幹線プロジェクトをキャンセル

 2018年選挙で、よもやまさか、引退した筈の老人が野党をまとめ上げて出馬し、首相に復帰したのだ。この「マハティール・ショック」(中国にとっての衝撃だが)は激甚だった。
 数々のスキャンダルと汚職にまみれていた親中派のナジブ首相が「まさかの落選」をし、93歳のマハティールが首相復帰、中国の事前の想定にはまったくなかった事態となった。
 政権発足直後、マハティールは中国主導の「新幹線プロジェクト」と「ボルネオのガス・パイプライン工事」の中止を発表した。総額230億ドルを超える、習近平の目玉「シルクロード」プロジェクトの一環である。
 
つぎにマハティールは中国の投資家へ警告を発した。
 「フォレスト・シティへの外国人投資を禁止する。不動産投資移民にはヴィザを発給しない。われわれは外国の植民地ではない」とした。中国人の投資家にとっては無駄な投資となる怖れが高まった。「あそこは、その名前の通り猿やオランウータンの楽園にすれば良い」とマハティールは訴えた。
 マハティールのいう投資家ヴィザとは、「十年間マルチ」という特権的な待遇を保証したもので、外国人が第二ハウスとしてマレーシアで物件を購入すれば機械的に与えられた。
 デベロッパーの「カウンティガーデン」社(碧佳園)はすでにマレーシアでいくつかの巨大プロジェクトを成し遂げており、従業員7万人、売上高200億ドルをこえる。
 マハティール首相の老練さ、中国を正面から批判せず、国内の劣悪な財政環境と前政権に責任を転嫁して、まずは中国との交易の拡大はお互いの利益のために発展させるとポーズをとった。

 ▲マレーシアのナショナリズム再燃

 これはトランプ流のナショナリズムへの回帰、すなわち「マレーシア・ファースト」である。マレーシアはマレー人が主流だが、華僑人口が35%、インド系が10%。複雑な民族構成がそのまま政治に絡み、マハティール政権は磐石とは言えないのである。

 この衝撃は将棋倒し現象をうんだ。パキスタンでもイムラン・カーン新政権が発足し、中国からの借金を見直すとした。グアダール港から新彊ウィグル自治区まで鉄道、ハイウェイ、パイプライン、光ファイバーを敷設し、総工費620億ドル。返済予定90億ドルの見通しはなく、カーン政権はIMFとの交渉に入った。
 インドの南端からインド洋に散らばるモルディブでも18年九月の大統領選挙で親中派のヤミーンが大敗北を喫し、インドの支援を受けたソリーが政権の座に就いた。
とはいえ空港拡張と海上の橋梁工事などで既に13億ドルを中国から借りている。「借金の罠」に陥ったのである。

 そこで筆者はマレーシアの各地を五泊六日の強行軍でまわった。クアラルンプール、ペナン、マラッカと長距離バスと高速鉄道を乗り継いで、現地で仕入れた情報とは、新幹線は全面的中止とはせず、首都近郊をつなぐ工事は残し、習近平の顔を立てた。
マハティールはつねに「日本よ、立ち上がれ」と台湾の李登輝総統と同じように日本を鼓舞し続けた。2020年二月、首相の座を降りたが、依然としてマレーシア政界に大きな影響力を持っている。

中国投資がピタリととまったフォレスト・シティは、香港大乱で、逃げ出した香港人が、分譲マンションの相当数を購入し、移り住んできた。
 松本清張が作品『熱い絹』の舞台としたキャメロン高原は「マレーシアの軽井沢」。意外と寒冷地で、お茶の産地でもあるが、日本人の年金生活組。およそ100名が住んでいて、マンションだらけだった。
偶然はいった食堂で隣にいた初老の夫婦が、そうだった。
 「あたり一面茶畑だったのに、いまはぼこぼとと高層マンションが建って、軽井沢的なキャメロン高原ではなくなっています。そろそろ日本に還ろうかと考えているところです」。
     
  ♪
樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@   【知道中国 2096回】                
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘56)
橘樸「道?概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

       △
 かくして橘は、「今日から云へば道?の理想は、之を『幸福』の一語に要約することが出來る」と結論づけた。道教理想の幸福は福(子沢山)禄(財産)寿(長寿)だろう。

「近世の通俗道?の理想は、煎じ詰むれば專ら『幸福の追求』にある」。では「幸福は如何にして求められるか」。「大體に就て言へば、道?的行爲が其儘に現世及來世に於ける幸福」を約束する。「道?生活を望むにしても、其の動機は多く功利的であり、『惡いことをすれば地獄に落ちる』と云つた樣な恐怖心から、止むを得ず與へられた道?律に囓り付くと云つた樣な風がある」。だから道教は「極めて幼稚又は俗惡」である。

 ──以上、橘の一般民衆間における道教に対する考えを要約してみた。たしかに橘の道教分析は現地調査をも踏まえ詳細を極めるが、どうも木を見て森を見ずの感が深いように思えて仕方がない。衒学趣味に過ぎて、鼻白むばかりだ。なぜ日本は、この手の衒学的道学者を生産し続けたのか。百害あって一利なし、だろうに。

 橘は「中国人の宿命觀は原始以來引續き今日に及んだところの精神的鐵鎖である」とし、「道?が斯る宿命觀の支持者であったと非難する」ような一般的見方を否定し、じつは「道?經典の作者や其他の進歩した人々の間には、中國民族から宿命觀を排斥する事に絶えざる努力を捧げて居る」と説く。

 だが「其効果が至つて微弱」であった。それというのも、「今迄中國に科學的思索の方法の發達しなかつた事や、?育の普及しなかった事にも因る」。その最大の要因は「政治及び社會組織の惡かつた爲に、中國人の生活が精神的にも物質的にもひどく壓迫されて來た事にあると思ふ」とした後、「生活が不安であれば、其の必然の結果として種々なる迷信が起こり、殊に宿命思想が勢力を張るのに何の不思議も無いのである」と結論づける。

 そこで橘によれば「中國人から宿命思想を排除する徹底した方法」として、「政治及び社會の根本的改革と云ふ事に歸着するのであるが、それと同時に、深く人心に喰い入つて居るところの民族的宗?、即ち道?の改革と云ふ事も頗る必要であり、且つ有効な方法の一つである」となるわけだが、この考えには疑問を持たざるを得ない。

「今迄中國に科學的思索の方法の發達しなかつた事や、?育の普及しなかった事」についての議論は一先ず措くとして、「中國人の生活が精神的にも物質的にもひどく壓迫されて來た」要因を考えるなら、「惡かつた」ところの「政治及び社會組織」だけが災いしたわけではないだろう。
それ以外にも、「中國人の生活が精神的にも物質的にもひどく壓迫されて來た」要因があったはずだ。だから「政治及び社會の根本的改革」だけでは「中國民族から宿命觀を排斥する」ことは出来ないように思う。そこで過酷な自然という避けることの出来ない要因を指摘しておきたい。

これを言い換えるなら橘の道教分析には、肝心な過酷な自然と言う要素が欠落しているのだ。あるいは橘の中国論もつ大きな欠陥は、この一点に集約されるようにも思う。

 ここで橘とは違った視点から道教を考えてみたい。
そこで取り上げたいのが、日本人では青木正兒(明治20=1887年~昭和39=1964年)であり、中国人では林語堂(1895年~1976年)である。

 京都帝国大学で支那文学を修めた青木が長江下流域の江南地方を旅したのは、橘が中国論を公にする拠点とした『月刊支那研究』を創刊した大正13年より2年早い大正11(1922)年だった。
ということは、中国共産党が上海フランス租界で設立された1年後だ。

 1923年には湖南省の長沙で学生による排日運動が発生し日本海軍陸戦隊が派遣され、24年に合作した国共両党は26年に軍閥打倒・全国統一を掲げて北伐を開始する。
      
   ♪
(読者の声1)貴誌前号の四人の大統領の彫刻ですが、グランドキャニオンではありません。ただ文中に「マウント・ラシュモア国立公園」正しい表示もありますので、何かの勘違いかと思われますが、見出しを訂正された方が良いと思います。
 マウント・ラシュモアの国立モニュメント(合衆国大統領4人の彫像)は、ノース・ダコタ州です。グランドキャニオンはアリゾナ州。地理的には全く別の場所です。   (S生ほか)

(宮崎正弘のコメント)見出しからグランドキャニオンを削除し、訂正します。早とちりでした。なおこの情報の出所は共和党系ですので、警告的アドバルーンの可能性があります。

   ♪
(読者の声2)明晩(3日)午後八時から放映予定の「フロントジャパン」は佐波優子さんと、宮崎正弘さんの担当です。深夜からはユーチューブでもご覧になれます。
  (日本文化チャンネル桜)
    


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月2日(木曜日)
       通巻第6567号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~グランド・キャニオンの四人の大統領彫刻。過激派が爆破を狙う
  全米各地、歴史解釈の転換、歴代大統領銅像を引き倒し、破壊。
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 黒人差別反対だとして全米各地では暴動が起きている。
過激派が破壊活動を主導しているようで、歴代大統領や将軍の銅像を引っ張り倒し、破壊し、南北戦争の歴史解釈の転換を迫る動きが先鋭化した。

 グランド将軍、ジェファーソン大統領、アルバート・バイク将軍像も倒され、リンカーンとアンドリュー・ジャクソンの銅像も引き倒されかけた。警官隊が駆けつけ、過激派を排除、その後は柵をつくって銅像を防衛することになった。
一部には西部劇で活躍したジョン・ウェインの銅像も狙われたとか。

 「次の標的はグランド・キャニオンの大統領彫刻だ」
 マウント・ラシュモア国立公園の突こつとした岩盤の頂上(標高1700メートル以上)には高さ18メートル、飛行機からも見える四人の大統領の彫刻がなされ、大観光地となっている。

 四人とはワシントン、ジェファーソン、リンカーン、セオドル・ルーズベルトだ。
 共和党関係者は、過激派は何をしでかすか分からないので、警備を強化せよとアピールを出した。

 米国では過去四半世紀ほどの間に「歴史修正主義」(この場合、黒人虐待の歴史の闇を暴露的に教科書に載せるなど米国版の「自虐史観」と言い換えても良い)、が浸透し、白人の若い世代の一部も「洗脳され」て、過激な人種差別反対、LGBT、環境保護などの極左運動に参加するようになった。
     
集中連載 「早朝特急」(30)  <<この連載は80回ほど続きます>> 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」(第1節 アセアンの国々)

第七章 東チモール、小さな島国国家なれど、地政学的要衝
 
 ▲東チモールはジャイカの支援でインフラ整備中、隙間に中国が大々的に進出

 世界が存在を忘れかけた小さな島嶼国家がある。アセアンに加盟申請しているが、まだ認められていない。
 チモール島は、東西に別れた二つの国家が併存している。
 島が南北に分断はキプロスとボルネオ、東西分断は、パプアの例もある。西のチモールは、オランダの植民地だった。それゆえ西チモールはインドネシア領のままだ。
東チモールはポルトガル領から一度はインドネシアに帰属し、2002年に正式に独立して「東チモール共和国」(ポルトガル語では「チモール東部」)となる。
 政情不安、政治対立が続行しているため、都心でも放火されたビルがそのまま残骸を晒しいまも国連軍が治安維持を担っている。

 中国は国際法的にも歴史的にもまるで根拠のない「九段線」を突如主張し始め、南シナ海を手中にし、つぎに「第二列島線」に照準を合わせて、フィリピンのスカボロー礁からパラオを視野に入れて、さらに南太平洋の島々の海洋戦力上の拠点に進出を決める。
 ポルトガルが放棄した東チモールは、あまりにも遠く列強はしばし関心を抱かなかった。
西側が支援した東チモールの独立に対して、インドネシアはつむじを曲げた。インドネシアは西チモールに多くの避難民を受け入れ、以後、インドネシア空軍は米国製ジェット戦闘機をやめてロシア製ミグに主力戦闘機を後退させた。その反米、反豪の姿勢は一時期、強烈だった。
かくして国際社会から置いてきぼりだった東チモール。人口113万人。現地を取材すると、案の定、この国は中国の経済植民地になりかけていた。
 東チモールの南海域に原油とガスの海底油田が発見され、俄かに西側の関心が集まり、豪はバンウンデンン油田とダーウィンをつなぐパイプラインを建設した。
 中国は同海域東側にあるグレートサンライズ海底ガス油田開発に照準を合わせた。東チモールの南海岸沿線に三ヶ所の拠点構築の青写真を提言し、そのプロジェクト総予算は160億ドル。まさに「釣り餌」であり、豪は、「借金の罠」と説得しているが、東チモール政府は聞く耳がない。
 (目の前に大金がぶら下がって、目の色が変わった)
 首都ディリの西10キロに位置するビアソ港の港湾開発工事は4億9000万ドルで中国企業が請け負い、工事は開始されている。コンテナのロゴはCNOOC(中国海洋石油)ばかりだ。この光景、じつはフィジー、バヌアツも同じである。

 ▲気が付けはそこにチャイナ商業軍団がいた

 この国にぬっと入り込んで大統領府ビル、外務省と国防部のビルを建てて寄付したのが中国である。凄まじい進出である。
 面積は飛び地も含めて関東四都県(東京、神奈川、千葉、埼玉)程度しかなく、通貨はなんと米ドル、公用語は現地語(テトゥン語)とポルトガル語。住民の99%がカソリックという異様な政体の国である。
 旧宗主国・ポルトガル大使館は国会議事堂の横にあるが影響力はゼロに近い。海岸沿いの大使館街には米国、韓国に日本と中国が並び、存在感がある。東チモールに圧倒的影響力をもつのはインドネシアと豪である。

 そこで、東チモールの首都ディリへ飛んだ。
日本から直行便があるわけはなく、バリ島で乗換のため一泊。一日2便しかないディリ(東チモールの首都)へ。ロンボク海峡を越え、北にフローレス島を見ながら雲の中を下降し、もと日本軍の水陸両用飛行場跡を埋め立てた空港へ着陸した。
 機内は半分しか乗客が埋まっておらず、ジャカルタとディリ間の便は休眠中だ。おりしも乾期で、雨は降らずバリ島より猛暑、タラップから歩いて入国管理事務所へ。ここで入島税30ドルを支払う。つまりアライバルビザだ。
 怖ろしいほどの田舎町。平屋建て、茅葺き、藁葺きの掘っ立て小屋が軒を連ね、道ばたの露店が商店街なのだ。肉屋は天日の屋台。行商人は天秤棒にバナナと落花生を売り歩く。
 GDPは60億ドルしかなく、しかも八割が原油とガスの収入だから国民の70%は貧困のままである。
独立後も暴動が頻発したため本格的開発が進捗しない。
 道路は埃だらけ、塵だらけ。広告塔が殆どなく幹線道路だけが舗装されている。意外や、この国は左側通行である。
 筆者にとって東チモールへの興味は、アジア諸国の中で唯一訪れたことがなかったからという単純な理由だった。
同行した高山正之氏と福島香織氏は、別の取材目的がある。もうひとりの参加者、鵜野幸一郎氏はコンピュータの専門家、だからこそ文明から遠く通信革命の乗り遅れた未開の国に逆に興味があるのだろう。

ディリ市内のど真ん中、海岸の前に建つホテルに旅装を解くや、真っ先に向かったのはジャイカの事務所だった。この国で日本の存在といえばジャイカの活躍なのである。
 東チモールに対して日本は無償・有償を含め、インフラ整備と農業指導に巨額を投下している。
 なにしろディリから第二の都市バウカウ(80キロ)へ向かう道路は未整備、部分的な舗装道路もあるが、ラレイア河の橋梁建設で日本が協力を惜しまない。飛島建設の事務所もある。
 走っている車はと言えば、トラックこそ中国製が多いが、乗用車、タクシーは殆どがトヨダである。とくに四輪駆動でないと山道をドライブするには無理がある。市内のタクシーはブロックごとに1ドル。名勝地キリスト像まで5ドルという安さ。想像とはちがって東チモールは山国なのだ。
 海岸線をハイウェイが繋がり、すぐに行けると考えたのが大間違いで、取材の第一目的だった旧日本軍基地跡や洞窟へは、旅行代理店に打診しても行くのを躊躇った。
 「その旅程では、ウチでは無理です」と言うのだ。それでジャイカのオフィスへ行って相談することになった。
 ジャイカは奥地にはいって米作りの指導をしており、第二の都市バウカウへいく途中の道路工事も資金を出している。だからジャイカには出入りの運送業者が多いのでアレンジを急遽依頼したところベテランの運転手がやってきた。
 翌日、朝九時ホテル発、夜十時ホテル着という強行軍のドライブ旅程が組まれた。

▼日本がカネを出し、中国が工事を請け負う

 山道、つづら折りの峠、砂利道はガタビシと振動するので、胃がおかしくなる。
 2時間ちょっと走ってようやく休憩所らしきドライブイン。バナナに飲料水と焼き魚、ビールはない。老婆の売り子、トイレは壊れている。十年前の中国の奥地の風景を思い出した。
 至る所で中国企業の看板には驚かされた。「中核」は原子力発電の会社だが、東チモールでは発電所を作っている。
 ラレイア河の橋梁工事現場では中国人労働者が多く、河川敷に弁当箱の容器が無造作に捨てられている。
 「ジャイカがカネを払い、中国が工事を請け負い、労働者は中国から数千人が来ている」とドライバーが言うので、「現地人の雇用は?」。「中国人の日給は10ドル、ところが我々チモール人労働者は一日3ドル。それでも現地雇用は殆どないです」

 時代を75年前に巻き戻すと、当時、この地を占領した日本軍を、海から上陸して攻撃しようとしていたオーストラリア軍が作戦を準備していた。
 秘かに侵入した豪軍のスパイを捕まえ、暗号と通信方法を知った日本軍は爾後、三年にわたって偽電報をスパイに打たせていた。
 曰く「日本軍は精鋭部隊が20万。攻撃したら粉砕される」と偽通信で攻撃を断念させたうえ、「現地人を組織化し抗日グループを組織中だから食糧、タバコ、酒を遅れ」などと伝達させ、間抜けにも偽情報を信じた豪軍が大量の荷物を投下したのが、この河川敷だったのだ。
 日本軍はラッキー・ストライクの紫煙をふかし、スコッチ・ウィスキーを毎晩のように愉しんだという。
 戦争裁判では、あまりの不名誉のため豪は、この件を一言も漏らさず、日本軍は意気軒昂に引き揚げた経過がある。
 奥地の山稜にその日本軍が掘った洞窟が二十箇所ほど残っており、付近の村民は日本にきわめて協力的だったという。高山、福島の両氏はこの過去の日本軍の活躍ぶりの裏付をとる取材である。

 ▲こんな山奥でも中国製の携帯電話が普及していた

 さて筆者はといえば、初めて聞く日本軍活躍歴史もさりながら、いったいこの山岳民族はどういう暮らし向きなのか? たしかに主食はバナナ、トウモロコシ、椰子の実にパパイアなどが豊富である。
 ところが、その山奥の集落で、中国製の携帯電話が普及していたのは驚きだった。
 山稜がどんと海に落ちるような地形、ところどころなだらかな丘陵(棚田が拡がる)、平野部が山々の狭間にあって漁業も盛んだが、物流システムがない。だから
農作物も地元でしか消費できない。水が豊かなので水田もあるが、農業技術は遅れている。耕耘機の代わりが水牛、山羊に馬車。文明が一世紀近く遅れている。なんとしても大量の消費者に輸出するアクセスが必要でありジャイカの活躍はこの分野だ。半分以上が未舗装の砂利道、ものすごい砂埃を上げて、やっとこさ、バウカウまでたどり着いた。午後二時、ここで遅い昼飯、ポルトガル風の瀟洒なレストランだった。
 定期バスは小型マイクロバス。乗客はぎゅうぎゅう詰め、屋根にも乗っている。山頂から海に落ちたら死ぬだろうと想像する。西洋列強の植民地政策は学校もインフラも整備せずひたすら搾取した結果だ。

 さっきも触れたように、東チモールの存在は、1975年まですっかり忘れられていた。
 海底に石油が発見され、国際社会の関心が俄に高まった。欧米がインドネシアの領有には正統性がないと攻撃し始めたのだ。
そしてポルトガルとの混血人が東チモールのエスタブリシュメントを形成しているため指導者のグスマンが初代大統領となり、カソリックのペロ司教と活動家のオルタ(のちの首相)にノーベル平和賞を与えて、一気に「旧宗主国の代理人」としての活動家を駆使し、独立させる
典型的な欧米の遣り方で、このパターンはセルビアから、コソボをもぎとって独立させたことに似ている。

 もともと首都ディリには十六世紀頃から華僑の移住が確認されており、小さいながらもコミュニティがあった。
近年、プロジェクトを餌に新しい中国人がやってくると港湾整備、コンテナヤード、大型クレーンにトラック、セメント工場、そして発電所建設と、ニューチャイナタウンがあちこちに出来ていた。
りっぱな中庭を備える関帝廟(金儲けの神様)やら超豪華な中華レストラン、ショッピング・プラザはホテルも兼ねて、ここへ行くと若い中国人だらけだった。オープン・カフェの客も八割方が中国人となって中国語が飛び交っていた。

 ▲ワインだけがポルトガルのラベル

 「インドネシア時代、国家予算で道路整備も計画性があったのですが、東チモール独立後は予算もままならず工事もなにもかも遅れ気味、中国の進出はその隙をついたとも言えます」と現地の事情通が説明してくれる。
 ともかくマシなレストランを探すには苦労を伴い、ホテルのフロントで紹介して貰ったところへ毎晩通う羽目となった。
 タクシーで十五分ほどの海岸通りにある「レストラン街」(と言ってもトタン屋根、粗末なテーブル)でタイ、ポルトガル、無国籍風料理、ワインはポルトガル産だった。

 東チモールの政治課題はASEAN加盟である。
 表向きインドネシアが反対して議題にもならないのだが、2011年に東チモールは正式に加盟申請をしている。
 ASEANは十ヶ国の持ち回りに年次総会を開く。くわえてASEAN+3など国際会議が目白押しで、ホスト国になれば国際会議場から宿泊施設、同時通訳のスタッフにリムジン、飛行場の拡充などが求められ、まだまだインフラ整備が遅れている状況で正式加盟は無理だろうと国際社会は見ている。治安の面でも不安が残り、1200名程度の軍隊では心許ないというわけだ。

 東チモールはもともと王国だった。
 13世紀ごろから中国人、つまり客家の入植が始まり、現地人との混血もあったため、中国人の血筋をもつチモール人がかなりいる。
現在、中国人が推定7000人弱。1970年の人口調査で中国人は6120人だった。
独立後、東チモールの政情はなんとか落ち着いたかに見える。しかし大統領派vs首相派、独立反対派vsナショナリストの対立に加え、軍隊のなかにも主流派と反主流派が対立しており、小さな国なのに少数政党が乱立。単独過半の政党はない。

 ▲最終的な狙いは何か。中国の海軍拠点化ではないのか?

 産業といえば、ガスと石油しかない。しかも沖合の油田の共同プロジェクトは豪と揉め続けており、「チモール海条約」は破棄された。
またインドネシアとは根が深いがあり独立直後の西側の支援もほぼ息切れ。当然、こういうチャンスを活かす中国は、さっと東チモールに接近し、まずは住宅建設のお手伝いと称して、6000万ドルを投下した。それからディリにはビル建設が始まった。このため北京、上海、深セン、義鳥、広州、香港を経由する貨物便(チャーター便)がディリと中国との間に開設され、労働者も入った。
 こういう状況下、次の予測されること? 港湾の近代化、そして中国海軍の基地化。スリランカ、パキスタン、ジブチでそうしたように。カンボジアのシアヌークビル、パプア・ニューギニアのポートモレスビー、そしてミャンマーのチャオピューで、同様な試みがなされている。
     
   ♪
(読者の声1)世界中で拡散されているアンティファによるデモ。アラブの春などと同じ匂いがしますが民主党・ユダヤ・中国など呉越同舟かもしれません。オーストリアではデモ隊に対し警察犬が吠えただけでデモ隊は蜘蛛の子を散らすように逃げまどう情けなさ。
https://twitter.com/P6AX3Er3HqoQynY/status/1277201227038654464
 アメリカでも警察犬を使えばいいのにと思ったのですが、1950年代から60年代の公民権運動で南部の州では黒人のデモ隊に警察犬をけしかけ問題になりました。
そういった意識からも警察犬は使えないのかもしれません。
 日本で警察犬を使うとしたら沖縄でしょうか。米軍基地前などで公有地を不法に占拠し妨害する連中にです。でも特亜の工作員ですから犬は食べるもの、警察犬程度なら犬鍋にしようと逆に襲ってくるかもしれません。しかし警察犬は強いし、警察犬を襲ったら動物虐待と公務執行妨害ですからどちらにせよ警察が勝ちそうです。
  (PB生、千葉)

   ♪
(読者の声2)コロナ騒動、東京で新たな感染者が67人などまだしばらくは続きそう。今週からは学校も通常通りの登校となり電車も以前とほぼ変わらぬ混み具合にもどってきました。理由は不明ながらアジアは感染者も死者も欧米とは段違いに少ない
これ以上経済活動を止めるわけにはいきませんから入国者のコントロールなど感染リスクとの折り合いをつけながら徐々にもとに戻していくのでしょうが、ブラジル・ロシア・インド・メキシコと感染が拡大中。南米・中東に加え南アフリカも急増中。これで年末に第二波が来たらオリンピックどころではなくなります。
 駅には3ヶ月遅れの新人研修なのかスーツ姿の新社会人たち、久々の大阪出張から戻ってきたのか蓬莱551の豚まんを下げた人もいる。
テレワークが広まってきたとはいえ得意先回りや商談は実際に顔を合わせ商品を手に取ってみないことには始まらない。電車内でテレワークだったというおしゃべりな管理職、部下に仕事の能率が下がるからずっとテレワークしていてくださいと言われたと愚痴っている。
たしかに声も大きく話はあちこち飛んで、こんな上司が側にいたら仕事がやりにくだろうと部下に同情したくなる。
 マスク不足では中国製に頼り切りの弊害が思い知らされました。100円ショップでも中国製が多い陶器など品揃えが悪くなっている。布マスクは配布終了のお知らせにもかかわらず未着、記念にとっておこうかと思っていたのに残念。
厚労省には不足や未着など6万件以上の問い合わせがあったという。給付金は本日7月1日入金、書類返送から3週間ほどかかりましたが50万都市としては悪くないのではと思います。
株価は上がれど景気判断は最悪の状況。外食は消費税増税+改正健康増進法による原則禁煙への対応に加えコロナ禍で息絶え絶え。コロナ禍以前に禁煙対応が難しいと閉店した大手チェーンの居酒屋もありました。24時間営業を取りやめたファミレスもあります。1980年代初頭までのセブンイレブンが朝7時から夜11時までの営業だったころ24時間営業の店などなく、スーパーもデパートも定休日が必ずありました。
それでもとくに不便だとは思わなかった。なければないが当たり前の時代でした。少子高齢社会といわれますが、電車の高校生は5年前とくらべても確実に減っている。しかもおしゃべりがなくなりました。
箸が転んでもおかしいという世代なのにおしゃべりはなくスマホでやり取り。Pokemon GO というスマホゲームがでたころ、どこもかしこもスマホを手にした大人が一言も発せず集まり立ち尽くす姿を見て、一瞬「ゾンビ」かと思ったほどでした。
今の高校生を見ているとそのうち井戸端会議ならぬスマホ会議になるのでは。
   (PB生、千葉)
 


★香港返還から23年、「香港は死んだ‼️」(産経一面トップ)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月1日(水曜日)弐
       通巻第6566号  
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<<読書特集>>
 ケント・ギルバート『日本人が知らない朝鮮半島史』(ビジネス社) 
 野嶋剛『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)
 矢板明夫 v 石平『中国はどこまで世界を壊すか』(徳間書店) 
好評連載 「暴走老人 アジアへ」(シンガポールは国際金融に特化した都市国家)☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆ 
  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
チャイナの暴走、「愚鈍の王」。権力闘争の暗黒部分を抉る
香港を奴隷化し、WHOを乗っ取り、トランプ落選の陰謀をめぐらし。
*** 矢板明夫 v 石平『中国はどこまで世界を壊すか』(徳間書店)***

 大局の流れを見据えつつ、全体主義の中国がどこまで暴走し、どのあたりで、いかように破綻するかを中国通のふたりが鋭角的に、痛快に論じあった。
 産経新聞の矢板氏は北京十年、三月からは台北支局長として赴任し、次々とスクープを飛ばしている。石さんの八面六臂はいまさら紹介するまでのない。 
 一言結論風に言えば、習近平の暴走がとまらず、奥の院の陰湿は権力闘争のあげくに世界を巻き込んで。大混乱となると予測する。
 習近平が側近に賢くて能力の高い人材を配置しないばかりか、潜在的なライバルを失脚させるか、左遷して遠ざけるのは「独裁の定則」にかなっていることは無論だが、自分より能力の低い、おべんちゃら能力だけが高いのを、側近とするのは自分の劣位を自覚し、自分の能力より低いのが重宝だし、安心感があるからなどト、ここまで言って委員会?
 じつは本書、裏話がまた面白い。

そこで、ほんのサワリをもうすこし紹介しよう。
 矢板 「日本も、安倍政権の次は親中派政権が誕生するかも知れない。」(台湾のテレビで『香港は中国にとって魚のエラだ』との発言に対して台湾のネットで)「日本こそ中国のエラだ」という書き込み」
石 「いくら騙しても日本という国は怒らない。『都合のいい女』みたい」

 こんな指摘もある。
 矢板 「これまで中国で洪水や地震などの自然災害があったときは、まず人民解放軍が動いたのですが、今回の新型コロナウイルスでは中国政府はいっさい軍を動かさなかったと聞いています。感染が怖いからです」
 石 「内憂外患のなかで習近平政権が追い詰められて、しかも(防疫で成功した)台湾の評価だけが日の出の勢いで上昇する。(中略)本気で台湾に対して武力侵攻を仕掛けようという軍事的冒険主義に(中国が)走る可能性もある」

 金融面に関してはこんな発言も飛び出す。
 矢板 「中国では銀行が潰れたことがありません。なぜなら全部国有ですから、危機になればすぐに共産党政権が資金注入して助ける」。しかしながら、もし「助けられなくなったときには、それこそ経済どころか、政権も一緒にダメになる」
 石 「デジタル人民元は」「最終的には政府の信用と経済の実力によって裏打ちされます。」しかるに「アメリカは中国をずっと為替操作国だと批判してきましたが、自分の都合で情報を隠蔽したり市場を操作したりする独裁国家が発行する貨幣を、みんなが使いたがるかどうか」。
 矢板 「デジタル人民元はそううまくいかない」(中略)「せいぜい政権を少し延命できるくらい」。
 石 (不動産暴落がはじめっているが、中国は)「何をするか」(中略)それは、「不動産市場を凍結させることです。不動産売買を禁じれば、価格が下落することはない」そうだった。
かの2015年8月の上海株式暴落では、「売るな、悪質な空売りは罰する」という、あの株式市場の取引凍結の手段を講じたではないか。
 こうした内部事情と逸話が全巻に詰まった有益な本である。

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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

台湾は社会構造的に医師が政治参加する土壌がある
WHOと中国をまったく信用しなかったから台湾は防疫に成功できた

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野嶋剛『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)
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 大東文化大学特任教授の野嶋剛氏は、元「朝日新聞」台北支局長である。その人が、こんにち産経系から著作を刊行されるという事態は、やはり激動期、変動期なのだろう。
 本書の骨子は次の二点だ。
(1)台湾は社会構造的に医師が政治参加する土壌がある。だから医師団の主導権が、コロナ封じ込め対策を効果的にできた。
(2)WHOと中国をまったく信用しなかったから防疫が成功したとする。
特徴は「攻めの水際作戦」であったこと、「躊躇なく対中遮断が可能だったこと」。そして、「神対応連発という防疫共同体」という体制をとれたことだとする。
 まさに日本の不手際と対照的ではないか。
ぐずぐずと中国の航空機を受け入れ続け、潜在感染者が、旧正月を挟んで90万人以上も来日した。だから中国人観光客が多かった北海道、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、そして福岡でどっとコロナ災禍が拡がったのだ。この時期の感染者の四割が「外国人」だった。
 日本が「中国遮断」を即決できなかったのは、目の前に習近平国賓来日という、国民が反対していても政府、自民党、財界が無謀に推し進めていた外交日程の都合があった。
 またSARSに被害が少なかったため、日頃の防疫体制に不備があったことも日本には災いしてしまった。

 本書では歴史を振り返っている箇所が重要である。
 「台湾を支配した清朝が、台湾を『化外の地』(文化を持たない場所)と見なしていただけではなく、『ショウレイの地』という呼び方があったことは日本ではあまり知られていない。『ショウレイ』とは、風土病や伝染病という意味で、平たく言えば、衛生状態が悪い土地」ということだ。
 「台湾を『ショウレイの地』と呼んだ一人は、清朝が日清戦争で敗北した時、下関の春帆楼で日本と談判した清の李鴻章大臣だという民間伝承がある」(中略)、しかし日本は台湾出兵で日本兵3600人が派遣されたところ、「戦闘死者は12人に対し、マラリアなどの疫病による死者は500名を超えた」(136p)。
だからこそ、日本は台湾統治時代に後藤新平らの決断と実行力によって、疫病体制の確立をなによりも優先し、まっさきに病院を建てた。そのうえで、医者を大量に養成した。
これが、コロナ対策で、台湾は医師が政治参加した前提条件を作ったのである。
    
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~〜~日本の安全保障はまず自分でなすべきことである
  ストーカー国家=韓国、カルト国家=北朝鮮にいかに立ち向かえるのか   

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ケント・ギルバート『日本人が知らない朝鮮半島史』(ビジネス社)
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 ケントさんにはすでに儒教を論じた書籍があり、朝鮮半島の歴史にも詳しい。
 三韓征伐、白村江、秀吉の朝鮮征伐、朝鮮通信使。そして幕末の征韓論、伊藤博文暗殺、日韓併合、日清・日露戦争と、日本が、あの半島とかかわるとろくなことは起きていない。巻き込まれたくないというのが日本のホンネであり、韓国は「ストーカー国家」でしかなく、北朝鮮は「カルト国家」であると多くの日本人は認識している。
 ケントさんの認識もこれに近いが、ディテールとなると、やはりアメリカ人的な世界観があって、そこから北東アジアの地政学的な見地に立脚して論をすすめる。だから、ほかの類似書籍とはふた味も三味も違う。
 本書を通読しながらも、評者(宮崎)は随所に、アメリカ人のホンネを聞いた気になった。
 つまり、アメリカのホンネは韓国から撤退したいのである。こういうストーカー国家には、うんざりしているからだ。
 だが、駐韓米軍の費用増をもとめるものの、なかなか撤退の決断が出来ないのは次の三つの事情によるとする。
 第一は過去の「朝鮮戦争の大きな犠牲」である。数万のアメリカ人兵士の慰霊に、その遺族に対して、おめおめとは出て行けない心理的な強迫観念ともいえるものがこびりついて離れない。そうした強い「思い入れ」があるという(174p)
 第二に「安全保障を左右する地政学的重要さが、まだ韓国、というより朝鮮半島にあるから」だとする(175p)
 第三にアメリカにとっては中国と日本の緩衝地帯をいう地政学的意味づけがある。
 ケントさんのみるところ、中東は『損切り』できるが、北東アジアは、撤退の選択肢があるとはいえ、それは出来ないだろうと結論する。
 ならば日米安保条約により「同盟国」扱いされている日本に、アメリカはいつまで米軍基地を置いておくつもりなのか。
 ケントさんは親日家ではあるが、国際政治の判断力は冷徹な力学に立脚して判断し、提言されており、「アメリカ軍は、べつに日本を守るためにいるわけではありません。(日本を)緩衝地帯として考えています。だからアメリカ軍は日本に駐留を続けているのです」(191p)と、冷静に厳正に、アメリカの国益を代弁する。
 このあたりに、アメリカ人のホンネがぼろりと語られた。
     
集中連載 「早朝特急」(29) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」(第1節 アセアン諸国)

第六章 シンガポールは国際金融に特化した都市国家

  ▼クリーンでグリーンな印象があるが

 清潔で緑豊か。シンガポール。トランプと金正恩の会談=世紀の政治ショーが開かれたのも、このシンガポールだった。 
嘗て「昭和島」と呼ばれ、わが帝国軍歌は♪「シンガポールは落としても、未だ戦いはこれからだ。。。。」
しかし、シンガポールの実態は、日本人のクリーンでグリーンなイメージとは、遙かに異なって「明るい北朝鮮」と比喩できるところだ。
リー一族の専政国家、言論の自由は完全ではない。与党「人民行動党」は89議席のうち、83議席。野党は「労働者党」「人民党」など、十もの政党があるが、議席持つのは労働者党だけ。
 国家と言うよりシンガポールは「都市国家」、香港のような金融都市機能を持つが、もともとマレーシアから華僑がもぎとって主権国家を名乗るフェイクな国家システムではないかと思える。
 それなのに、シンガポールが緑豊か、美しい国であるという誤った印象を抱く人が多い。
 筆者が初めてシンガポールへ行ったのは1972年の師走だった。この時代はマレーシアがもちろん父親的存在で、マレーシア通貨とシンガポールドルは対等の交換比率。どちらをつかっても通用した。1マレーリンギは1シンガポールダラーだった。
 その後、シンガポールの経済力がつよまり、等価交換からシンガポール優位となり、マレーシアは父親の立場から、すこし卑屈な兄貴分。ところがこんにちの経済実態はと言えば、マレーシアから圧倒的にシンガポールへ出稼ぎにでるほどに格差が広がり、マレーシア国民からみれば、癪のタネというところだろう。
 
インド系のオベロイグランドというホテルに滞在した。一泊12米ドルだった。ただし1ドルが330円くらいの時代である。中庭にプールがあり、そのプールサイドで、サラダをつまみにビールを呑んだ。静かな森に囲まれて環境も良く、ただしホテルの食堂がインド料理なので、その辛さには閉口した。いま、このホテルは移転し、高級ホテルに衣替えしている。
 夜店を冷やかしに街を歩くと、ジャップ(小日本)と叫ぶ中国人にしつこくまといつかれ、かれらは執念深く「シンガポール陥落」のことを叱責するのである。英国の植民地だったマレーシアから、リークアンユーが中国人だけの自治区をもぎとって独立させた。だから英国をののしるのならともかく、独立の恩人である日本に絡むとはいかなる了見かと思った。

 考えてみれば英国植民地時代に支配者に媚を売り権力の代理者として民衆から搾取して暮らしたのが華僑であり、現地人からは恨まれていた。
典型はベトナムで、フランス植民者の代官のようにふるまった華僑は、ベトナム人から恨まれ、ベトナム戦争後は、ボートピーポル化して太平洋を漂流、サイゴンのチョロン地区では華僑十万余が殺害されたらしい。
 ともかくシンガポールは独裁とまでは言わないが専制政治であり、言論の自由はあるように見えて実態は不自由極まりなく、国際都市、グリーンでクリーンな環境などというのは観光宣伝に過ぎない。

 ▲税制など利便性があり、日本企業の拠点が機能する

 リークアンユー前首相は一族の利権構造を在任中に構築、しかも息子を首相の座につけ、一族が運営するファンドが「タマサク」。中国工商銀行などの大株主を兼ね、いつの間にか反共の立場を捨てて、外交関係を台湾から中国へ乗り換えた。
 アジアの指導者と称賛されたのは一時期のこと、台湾に李登輝が出現するに及んで、リーカンユーの嫉妬が激しく、狭量な政治家だった。かれが残した政治的遺産は後遺症となってシンガポールを国際金融都市の座を魅力ないものにした。
 ところが、香港が中国の露骨な介入で「国家安全法」が導入されるとなると、次の金融都市を狙うのも、シンガポールである。
 多くの日本企業がシンガポールにオフィスを置いている理由は、税制面の優遇や商業面の法律的優位が手づだっているからだ、物価が高く、製造業はほとんどないにも拘わらず日本人駐在員は多い。それゆえに伊勢丹も紀伊国屋も進出しており、町中どこでも日本料亭がある。
 近年はアジアの生産・流通を管理するアジア支社機能だけをシンガポールに設置し、生産拠点はカンボジア、ベトナム、マレーシアに移転させた日本企業が目立つ。

 シンガポールの象徴といえばマーライオン像。この公園になぜか、トウ小平の銅像がある。なぜリーカンユーは、自分の銅像ではなくトウ小平を撰んだのか?
 なにしろシンガポールのひとりあたりのGDPは5万5千ドルで日本より高く、あとを追うマレーシアはその五分の一、タイが5000ドル。つまり所得を見ると、もはやシンガポールとタイで製造業が成り立つのは難しくなった。物価も高く、生活はしにくい。

 すでに「チャイナ・プラス・ワン」という流行語は廃れ、いま日本企業、とりわけ製造業界の合い言葉は「タイ・プラス・ワン」である。すなわち生産拠点をタイからカンボジア、ミャンマーなどに移転し、シンガポールは「アジア総局」のような活用がなされている。
 実際にシンガポールの株式時価総額はタイとインドネシアの二倍。マニラ市場の三倍強。この格差はさらなる規制緩和をむしろ周辺国から警戒される。
 たとえばインドンシアは「規制強化」に打って出た。シンガポールに対抗するためである。シンガポール市場には株式ばかりか株価指数も日経平均、インド、台湾の先物取引があり、中国、香港、インドネシア、タイ、フィリピンの先物も取引されている。
くわえて通貨取引は日本円、ドル、インドルピー、タイバーツから韓国ウォン、豪ドルまで、商品も金、鉄鉱石、ゴム、石炭、原油などの先物取引があり、金融エキスパートが勢揃い。

▲現場の労働者はほとんどが外国人である

こうなると現場労働者不足は慢性的で、バングラ、ネパール、ミャンマーなどからの3k労働者が大量に建設現場やレストランの従業員として働いている。この外国人労働者のドミトリーが、コロナの集団感染の温床となったのだ。
 シンガポールは観光立国としても、マーライオンにかわる象徴が54階建て三層のてっぺんにプールをそなえたマリナ・ベイ・サンズ(これは米国の本場ラスベガスの資本で本来はカジノホテル)、日本の若い女性の人気が高く一泊四万円でも世界中からツールストを呼び込んでいる。
 シンガポールは金融制度と経済流通は自由市場なので、大半の市民は政治的無関心である。いや、無関心を装っているのかも知れない。
 日本企業は都心に密集しており、町をあるけば至る所に寿司バアがある。韓国バーベキューや英国風のパブに混じり、アラブ料理、インド料理と多彩で国際都市もこういうかたちが典型であろうか、アセアンのなかではダントツの近代都市、現代文明の風情を誇る。
 ところが、その「近代都市」も裏道や細い路地を歩くと、金門通、福州通、厦門通など、出身地別に町が区分されていることに気がつく。とくにシンガポールには金門出身者が貿易方面では目だった活躍をしている。

 また全体がチャイナタウンなのに、町の一角に「チャイナタウン」があって、華僑記念館がある。二百年前にシナ大陸から流れ着いた往時からの古き良き漁村風景のパネル展示がある。
 トここまで書いてきて思いだしたことがある。二十年以上前だったろうか、シンガポールのニューオータニで、ばったり竹村健一氏と会い、その晩、呑みに行った。氏はJALの講演会で堺屋太一氏らと一緒だった。翌日はペナン島へテニスに行くと言っていたことをフト思い出した。
 シンガポールは国際線のハブ空港でもあり、筆者は乗り換えを含めて十数回は滞在した。近年でもブルネイへ行くときには、ここにトランジットせざるを得なかった。
 たしかに迅速な西欧化が進んでいるのだが、タバコ等への制限が厳しく、リゾート気分は希薄で、どこか気ぜわしく、落ち着かない町という印象である。
      
   ♪
(読者の声1)インフルエンザの新型、中国で発見、「世界的流行も」と科学者ミシェル・ロバーツ、健康担当編集長、BBCニュースオンライン。6/30(火) 11:48配信、とあります。
 パンデミック(世界的流行)を引き起こす恐れのあるインフルエンザウイルスの新たな型を、中国で科学者が発見した。科学者らによると、新型のインフルエンザウイルスは最近見つかった。ブタを宿主とし、ヒトにも感染するという。
 豚といえば、漢の高祖劉邦の呂皇后が、関夫人をジンテイ(人豚)と軽蔑し、両手両足を切断し、豚の居る便所にほうり込んだという有名な話がある。日本は古代に猪飼部というのがあり、野性のイノシシは食べた。だが、西海道の島以外は、豚を飼う習慣は近代まで無かった。
 これだけは、中国から伝来しなかったようである。豚が伝染病を媒介することは知っていたようだ。天然痘の流行で懲りているのだろう。   (斎藤周吾)

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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月1日(水曜日)
       通巻第6565号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~トランプ政権、香港への防衛装備品輸出を中止
   中国軍へ筒抜け、西側の安全保障に不利益だ、と。
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 6月30日、全人代常任委は、西側世界が一斉に反対を表明しているにも拘わらず、「国家安全法」を可決し、7月1日から施行される。
 事前に、米国は制裁を予告していたが、すぐ第一弾を発動した。

 香港への防衛装備品輸出を中止する、なぜなら「中国軍へ筒抜け、横流しされる可能性が高く、西側の安全保障に不利益だ、とした。

 具体的には昨年の香港大乱で香港警察が当初使用していた催涙ガス弾などだが、あまりの弾圧の横暴さに、米独などが催涙弾輸出を中止した。爾後、もっと毒性の強い催涙ガスが使われているが、中国製である。
     
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集中連載 「早朝特急」(28) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第二部 「暴走老人 アジアへ」(その8)第1節「アセアンの国々」
第六章 インドネシアの多面性

 ▲遷都という穏健な政変

 日本では革命に替わる政変、それよりもっと穏健な政変の手段として「遷都」がある。
 神武東征以後の首都というのは天皇の住まいであり、橿原に即位し三輪神社との縁(えにし)で権力基盤を不動のものとした大和朝廷は、朝倉の丘、巻向など、奈良周辺を転々とした。
 大津への首都移転は、新羅の軍事的脅威から守るための自衛であり、安全保障上の問題からだった。大津なら水運がひらけており、大阪への移動に便宜生が高いという利点もあった。だが壬申の乱で大津は荒廃した。
 飛鳥から奈良(平城京)への移転は既存勢力(僧侶、貴族)の横暴に対して清新なまつりごとの必要性からだった。
だが大仏開眼にみられるように甚だしい仏教擁護は、僧侶と貴族階級の専横を許し、桓武天皇は政治刷新をもとめて長岡京への遷都を決めた。
 長岡京市に行くと分かるが、地政学的な要衝であり、秀吉と光秀の合戦も、この近くで展開され、秀吉に敗れた光秀が当初逃げ込んだのは長岡京の勝竜寺城だった。長岡京が十年で廃れたのは、推進役の藤原種継の暗殺だった。そこで桓武天皇は京都への遷都をきめ、新しい都が建設された。
京は千三百年の長きにわたって日本の首都だった。

 過去半世紀の世界史を眺めると、諸外国でも遷都はしばしば実行されている。典型はブラジルの新首都ブラジリアの建設がある。
 そしてミャンマーは森のなかに新首都ネピドーを造成した。カザフスタンはアスタナに首都移転しヌルスルタンと改称した。

 直近の遷都話はインドネシアである。
 2019年にジョコ政権はボルネオ島の東カリマンタン。石油コンビナート基地=バリッパパンと木材輸出港の間にある密林を開発し、新首都とすることを正式に決めた。
 最大の遷都理由は、ジャカルタが人で溢れ、そのうえ下水、排水溝設備が悪いので、雨が降ると幹線道路は河になる。あまつさえ地盤沈下が著しいため首都移転という構想はスカルノ時代からあった。
 このプロジェクトに中国がつけいらない筈があろうか。
 そこで筆者は遷都候補地の現場を見ることにした。

 ジャカルタで国内線に乗り換え、まずはカリマンタンの入口に拓ける地方都市の典型=バンジャルマシンへ飛んだ。ボルネオ島の南端、人口64万人というバンジャルマシン市内へ至る道筋は綺麗に整備されブーゲンビルアの花々が咲き乱れていた。
 さぞや景気沸騰に燃えているに違いない。現地の英字紙を読むとセメント企業もデベロッパーもウハウハだと報じている。
 カリマンタンはボルネオ島の南東部で、島全体の80%をしめ、大半が密林と?地、富士山より高い山もあって火山活動が続く。ボルネオの北側20%はマレーシアのサバ州、サラワク州とブルネイ王国である。
 バンジャルマシンの表通りにはきらびやかな高級ホテルが並び、KFCなどファストフードもある。しかし近代的なショッピング・モールから一歩、裏路地へ入ると、ベニヤ、トタン屋根のボロ家、朽ち果てそうな木材の屋台。典型の貧困地帯が続く。早朝、近くのバザールを見学する。古着、古本、安物のサンダル、偽の時計、物価は安いが、しなびたキュウリとか、期限の切れた即席麺とか。
 「首都がカリマンタンと決まりましたね」と運転手に話しかけても、「それがどうした」と興味なさそう。
ジャカルタに反感を持っていることだけは会話の節々から伝わってくるが、「完成しても十年は先の話、一部の建設業者が潤うくらいでしょ」。
 バンジャルマシンで宿泊したスイスベルホテルはマカッサル海峡を南に臨み、早朝五時半にボートを出してくれる。一時間ほどマルタプラ河を溯って水上マーケット見学を無料で提供しているのである。
眠い目を擦りながら、二隻のボートは、それぞれが二十人ほどの宿泊客を乗せて、水上生活者の集落を両岸に観ながら遡上をつづけた。
 泥で汚染された河の水で水上生活者らは歯を磨き、顔を洗い、洗濯している。この「聖なる風景」は、インドの聖地ベナレスの光景に重なった。
 この衛生観念の希薄さを目撃すると、ここはインドかと錯覚したほどだった。コロナ感染がインドネシアで急拡大する基本の原因は、おそらくこの不衛生である。(2020年6月29日時点でインドネシアのコロナ感染は54000人。死者2754人)。

 観光の目玉だった水上マーケットは期待に反して廃れかけ、買い物客より観光客の方が多い。庭かカメラマンが撮影をあちこちで続けている。果物とか野菜を売りに来るが、インド人物売りのようなしつこさがない。そもそも外国人が興味をそそられるような物品を売っていない。
この町では通勤はもっぱらバイク、自転車は殆ど見かけず、タクシーも少なく大半がリキシャだ。バイクの三人乗り、四人乗りは珍しくなく、交通警官も注意しない。
 
 ▲中国が狙うインドネシア新首都開発
 
 さらに北のバリッパパンへガルーダ航空の国内線で飛んだ。
 バリッパパンは人口56万。筆者にはこの街を見ることに或る思い入れがあった。石油コンビナートの街、たいそう景気の良い大都会。人口は同じくらいでもコンビナートは四日市の数倍の規模である。
 新首都は、このバリッパパン空港を拠点にバスで四時間ほど北側の東カリマンタン州の州都サマリンダ市にかけてジャングルを開拓する計画である。
 サマリンダ市は木材の輸出港として栄え、人口はカリマンタン一の84万人。原始林を伐採し、マハカム河を筏を組んで港まで運ぶ。林業全盛である。
 このサマリンダとパリッパパンの間に拡がる密林を開墾する新首都には政府庁舎、大統領官邸、迎賓館、国会議事堂をコンパクトにまとめ、緑豊かなエコシティと
いう青写真だ。 しかし首都移転にかかる費用は3兆円。政府は、このうち19%を予算化し、残りは民間企業の投資に期待する。計画の具体策がまとまるのは2021年、ということは完成は2030年、多くの批評家が「本当に実現するのか」と冷たい目で見ているのも、ミャンマーの新首都ネピドーやカザフスタンの例を見ているからだ。まして、コロナ災禍で、首都開発予算から、かなりの額を疫病対策費用に廻したため、計画はさらに遅れるだろう。

 「バリッパパン海戦」と言っても具体的なイメージが湧かないかもしれない。
 戦前、わが帝国海軍はこの資源拠点を抑えていた。そして中曽根康弘元総理の名を思い出す人は、よほど戦史に詳しいに違いない。
 当時、東大をでたばかりの中曽根は海軍主計中尉に任官し、呉に赴いた。輸送作戦のため中曽根主計中尉はミンダナオのダバオからマカッサル海峡を経てバリクパパンへ入る輸送船団にいた。超硬切断機のメーカー大阪利器の奥村氏(先代社長)は資源問題のシンポジウムなどでよくお目にかかったが、中曽根の同期だった。彼によればバリッパパン海戦とは次の通り。
 日本海軍は数隻の船団編成で向かったが、米豪英の連合軍から攻撃され、多くが沈没、中曽根が乗船した船の前後四隻も撃沈された。日本海軍の輸送船団は敵潜水艦と空爆に脆弱だった。
 バリッパパンで筆者が真っ先に行ったのは日本軍の砲台跡地である。
 いまも二基の高射砲が記念碑的に置かれ、由来を書いた看板がある。しかし付近に墓地がないので花や線香の匂いはなかった。日本兵の多くは浜辺に打ち上げられ、火葬された。悲しみ、慟哭、中曽根は浜辺で追悼の詩を詠んだ。
 いま高射砲の残る高台から海と石油コンビナートが見渡せる。巨大なエネルギー基地となってインドネシア経済を支えている。

 ▲チャイナタウンに中国系の人々は少数派?

 慰霊を済ませると、埃だらけの下町を抜けて、「チャイナタウン」と称する地区へ行った。
 どこにも中華の匂いがしない。十人にひとりほど中国系との混血かと思われる住民もいるが、話しかけても北京語が通じない。
ただし店先に並ぶ品物は豆腐、胡椒、香料、中国料理に特有の麺、野菜。中華の食文化が濃厚に残っていることだけは分かった。
 市場をかなりほっつき歩いても中華街の雰囲気に乏しい。諦めかけて地区のはずれまで来ると、「広肇集会所」と漢字の看板があった。「広」は広州、「肇」は広東省の肇慶市をさす。
 その集会所の前に佇んでいた初老のおっさんに声をかけると北京語が通じた。
 「このあたりチャイニーズが分散していて、何人いるかは不明だけど、広東人に混じって金門(福建省)出身の中国人も多いよ。あんたどこから来た?」
 「東京です」と答えるとキョトンとなって、「東京って、(中国の)何処にあるのか」と聞き返してきたのだった。
 バリッパパンの中国人は移民三世、四世の世代であり、名前もインドネシア風に改名して現地に溶け込んでしまった。
 近年の中国人「新移民」はジャカルタに集中している。ジャカルタのチャイナタウンでは華字紙が四紙も発行されている。
 インドネシアにおける日本の存在と言えばジャカルタの大使館のほか日本領事館がスラバヤ、デンパサール、メダン、そしてマカッサルに置かれている。だが、商社や資源関連企業の駐在員がいるバリッパパンに日本領事館はない。目抜き通りのジャラン・ジェン・スディルマンの両脇には豪華なマンションが林立し、中心地には高層のショッピング・モール。吹き抜けのロビーでは、日本の盆踊りに匹敵するかのようなダンス大会が開かれていた。
 カリマンタンの貧富の格差、かなり大きいとみた。

 ▲このあたりは資源リッチ

 戦前、南洋諸島へ日本が進出したのは国策に沿ってのことだが、目的は資源確保である。米英は日本への石油を禁輸し、ABCD包囲ラインを強いた(A=アメリカ、B=英国、C=中華民国、D=オランダ)。とくにオランダが日本軍の進出に恨みをもったのも、かれらの権益と正面からぶつかったからで、スマトラのパレンバンでは、「空の神兵」と言われた日本軍落下傘部隊が降下し、オランダ兵は抵抗せずに降参した。
 その恨みをオランダは戦後「連合国」にすまして加盟し、日本から賠償金をせしめ、さらには昭和天皇訪問時に、卵をぶつけるなど、欧州における反日国家の典型となった。
 それも昔話、インドネシアの経済の現況はと言えば、よちよち歩きながら明確に離陸した段階と見た。ASEAN諸国の中で一番の人口大国でもあり、今後の発展が期待されている。
 
 インドネシアがややこしいのはボルネオの西がマレーシアとブルネイであり、チモールの東は列強の圧力でもぎ取られ、パプアも東はパプアニューギニアに分割されている。
パプア島の西側を1968年以来、インドネシアが支配する。西パプアは、もともとオランダ領だったため、この島はキリスト教徒が多い。
 ジャワはたしかにイスラム世界だが、第二の都市ジョグジャカルタの周辺は、かつての仏教寺院がずらりと並び、世界遺産のボロブドール寺院はそのひとつである。ところがバリ島はヒンズー教ときている。
 かくして宗教分布は多彩である。
 ジャカルタ政府がコロナ対策で振り回されているタイミングを狙うかのように、西パプア住民は、インドネシアからの独立を叫び始めた。これを支援するのは付近のキリバス、バヌアツなどだが、国際社会では、西パプア問題には触れようとしない。無関心である。
 この島の森林資源と土地に間をつけたのは、中国ではなく、韓国だった。
 土地を買い占め、森林を伐採し、パームオイルの植林事業を本格化させた。これに対して住民の反発が引き金となって都市部で暴動となった。住民らは「西パプア共和国」を名乗っているが、未承認国家である。
 インドネシアには、このような領土問題がある。

 ▼インドネシア独立は日本のおかげだった

 インドネシアの政治学博士、アリフィン・ベイ(ナショナル大学日本研究センター所長)はこう言った。
 「日本軍に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会い
であった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き揚げた後、アジア諸国に残っていたのは他ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に
新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、
アジア諸国に高く評価されているのである。そのひとつに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらねば
ならないのかということを我々に教えたのであった。
この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争のときに役立った」(『魂を失ったニッポン』)。


 この親日国家インドネシアがいま直面している問題は産油国やロシア同様の悩みでもある原油安により高い経済成長率が今後も維持できるかどうか、である。
 ジョコ・ウィドド大統領がまっさきに手を付けたのが東南アジアの「海の回廊」を円滑化させるための港湾整備だった。
 かつて石油ショックの折、つぎつぎと新油断が稼働したナイジェリアに一大ブームがあった。ラゴス港の沖合待ちが一ヶ月という信じられない状況が報道された。理由は港湾のインフラが整っておらず、貨物の陸揚げに時間がかかる。集荷された貨物も倉庫のセキュリティが悪くて盗難にあい、荷役作業が統一されておらず、コンテナ基地も建設が遅れていた。
 インドネシアの首都ジャカルタのタンジュンプリオク港は殺到する貨物に倉庫スペースも追いつかず「つぎはぎ」状態にある。
コンテナターミナルでの滞貨が十二日に及んだりで、向こう五カ年計画で24の港を整備し、総予算50兆円を投じるという。
タンジュンプリオクの沖合に人工島がようやく完成、貨物取り扱い量が激増するが、それでも追いつけない。インフラ整備に日本が協力する理由は目先の利益ではなく、構造の根幹、産業の基礎が大事だからである。
これまでは第一に発電、第二に道路整備、上下水道だった。港湾、空港整備は後回しにされてきた。それゆえに真っ先に港湾整備を完成したシンガポールが中継貿易地として東南アジアのなかでひとり繁栄したのだ。
 インドネシア各都市は摩天楼の林立があり、ジャカルタには「日本人村」ができている。スーパーでは冷や奴、惣菜、幕の内弁当、おでんがあり、付近には日本とそっくりな居酒屋にナイトクラブまで「完備」している。よほど日本人ビジネスマンが多い証拠である。そしておそらく居心地も良いのであろう。
日本企業の対インドネシア投資は、順調に伸びている。
         
  ♪
樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@   【知道中国 2095回】           
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘55)
橘樸「道?概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

    △
 橘は「『中國民族は宗?的民族』であり、彼等の精神的及び物質的生活の中には、宗?的信仰又は其れから生じた慣習や形式の力が強く働いて居る」とし、この点を見逃したままでは「到底中國人及び中國社會を完全に理解する資格はない」と説く。

 中国には儒教があり後漢時代に輸入された仏教があるが、「現在では、儒?も佛?も總て道?に吸収され」てしまい、「一般民衆の立場からすれば、儒?も佛?も完全に道?の爲に征服せられたと言つても差支えない状態にある」。

 道教には、学者が研究する「哲學的道?」、道教の僧侶である道士たちが説く「道士の道?」の外に、「民間に行はるゝ通俗的な一切の道?的信仰や行爲や思想を總稱した」ところの「通俗的な道?」がある。橘は、この「通俗的な道?」に依って「中國人及び中國社會を完全に理解」しようと試みた。

 一見すれば中国人は無宗教のように見えるが、じつは「中國人の九十九パーセント、或いは其れよりも一層多くの人々が道?信者」であるそうな。だとするなら意識しないままに毛沢東教や拝金教を信奉する者も、一皮剥けば「通俗的な道?」の信者ということか。

道教を信じながら道教を意識しないワケは、第一には「餘りに其れが有觸れたことであるので、特に信仰だとか宗?だとか云ふ樣に反省する機會が無」く、第二に「一般民衆には道?と云ふものゝの定形が與へられて居ない」からだ。いわば道教には他の宗教が持つ形式がない。いわば融通無碍でなんでもあり、ということになる。

 橘は「宗?とは、有限なる人間が無限なる神の力に?取され、無限生命を得て、其處に安住しようとする、自然にして且つ必然なる要求の反映である」と定義し、道教の宗教性、つまり道教が持つ永生観の淵源を、「太古以來の『祖先崇拝の思想』」「戰國の中頃から盛になつた『神仙思想』」「佛?の『三世因果説』」に求める。

この辺りから橘の衒学趣味が展開され、読み進むほどの鼻白む思いが昂進してしまう。そこで、彼の古今に亘る該博な知識と蘊蓄を傾けた道教分析はスカッと読み飛ばして、一気に結論部分に進むことにしたい。

 橘に依れば「道?とは、玉皇大帝を唯一至高の神として崇拝するところの民族宗?であつて、中國の社會に固有する一切の宗?信仰は例外なく之に同化せられ、或は同化せらる可き運命を擔つて居る。單にそれ許りでなく、外來の宗?にしても、其れの?理又は神々が中國人に心的生活と密接に結びついて後には、不可避的に道?の同化作用を受けるものである」となる。有態に表現するなら信仰のゴッタ煮であり、宗教のヤミ鍋だろうか。

 道教を構成する要素で「一番大切なものは、申す迄もなく中國人及び其社會それ自身である」。
ということは「中國人及び其社會」がなければ道教は存在・機能しないリクツとなるはずだ。第2の要素は「老荘思想殊に老子の哲學である」。第3は「儒?であるが、之は時代によつて道?に取入れられた部分が相違している」。第4が「神仙思想」となる。

「道?の理想を?史的に觀察すると、其の第一は、各人が一定の修業を經て『永生』に入り、即ち仙人となつて、一切の自在を得ると云ふ事にあった」。
そのための「高邁な哲學の思索」「嚴格な實踐」「熱狂的な煉藥の研究」も「馬鹿々々しくてお話にならない」ほどに全てがムダだった。かくして「神秘に憧れ易い流石の中國人達も、千年に餘る失敗の?史に痺れを切らして、物質的方法による永生の途を斷念し」、長生きや生殖力増強に切り替えたというのだ。それが「今日も猶大いに其の効果を収めつつある」そうな。

 最早、不可能である永生の願いに代わって中国人が求めるようになったのは「個人及び家族の幸福」であり、それを「出來得る限り擴大したいと云ふ望」ということになる。
      
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(読者の声1)貴誌6563号に「雄安新都心」でクラスターの記事がありますが、大手メディアは、河北省安新県で感染、このうち2100名の住民が北京の新発地市場で店を開いている関係者としているだけで、意図的にか、「雄安新都心」とむすびつけていませんね。習近平の目玉プロジェクトとは無縁という印象操作を感じました。   (SK生、神戸)
  
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