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愛情表現のすれ違いが原因で妻が涙を流した日のこと

「どうして愛してるって言ってくれないの?私のこと好きじゃないの?」

付き合い始めたばかりのころ、妻が涙を流しながら言った。日本とアルゼンチンの遠距離恋愛中だったから、僕は彼女の涙をぬぐうことも、肩を抱いてあげることもできなかった。

「君のことは愛してるよ。とても愛してる」、僕にできるのは精いっぱいそう言うだけ。

「じゃあ、もっと愛を見せてよ!」と彼女は震える声で訴えた。

*

コミュニケーションで大切なことは、認識のずれを生じさせないことだ。当時22歳ながらも、僕はその難しさを薄々感づいていた。

僕は大学入学から卒業までの4年間、町の小さなレストランでアルバイトした。

オーナーシェフは海外の大使館の料理長を務めたこともあるほど、プロ意識が高い人で、アルバイトにもプロとしての振る舞いを求められた。

シェフから多くのことを教わったが、中でもコミュニケーションについては鮮明に記憶に残っている。

大学4年生の僕は、新人のバイトの子と組むことが多かった。一緒に働きながら、仕事を教えるというわけだ。しかし、人に教えるというのは予想以上に難しい。

「お客さんが来たら、まずはメニューとお水を出して」
「取り皿をもっていかなきゃ」
「あそこのテーブル、まだドリンク出ていないよ」

指示を出しても、その通りに人は動いてくれない。お客さんが少ないときは冷静に教えてあげられるが、どうしても忙しくなるとカッカしてしまう。

その日もまた、僕が苛立ちを見せた仕事後のことだった。

「おっくん、ちょっと話そうか」、シェフが帰り支度をしていた僕を引き留めた。

「人を教えるのは難しいだろ。いくら言っても、ちゃんと動いてくれないもんな。俺もホテル時代、覚えの悪い後輩を何度もしかりつけたよ」

僕は黙ったまま、シェフの話に耳を傾けていた。

「でもなある日、俺が悪いんじゃないかと思って、教え方を見直してみたんだよ。そしたら俺は一方的に伝えていたことに気づいた。俺が一方的に伝えて終わり。相手が理解しているのかどうかは確認していない」

シェフは僕の目をじっと見つめてつづけた。

「だから、おっくんも教え方を見直した方がいいかもな。コミュニケーションはキャッチボールだよ。相手がボールを受け取ってくれなきゃ、成立したことにはならない」

シェフの言うとおりだった。忙しくなるほど、僕は指示をするだけになっていた。当然、相手はバイトを始めたばかりだから、指示内容の理解さえできない。

僕が一方的に、指示というボールを投げつけて、相手はキャッチできていなかったのだ。

*

愛情表現はコミュニケーションのひとつ。愛情表現しているつもりでも、伝わっていなければコミュニケーションとして成立していない。

僕は言葉での愛情表現が苦手だった。妻と出会う前までは、恥ずかしくて「愛している」さえ言ったことがない。いつも行動で愛情表現していたつもりだった。

でも、彼女は間接的な行動による愛情表現よりも、ずっと分かりやすい言葉での愛情表現を好んだ。

行動で愛情表現したい僕と言葉で愛情表現をしてほしい妻

この愛情表現のずれが、彼女の涙を引き起こした。行動による僕の愛情表現は、伝わっていなかったのだ。

原因が分かったところで、問題は解決しない。いきなり言葉で愛を伝えるのはハードルが高すぎる。僕は彼女に正直に伝えることにした。

「僕は言葉で愛を伝えるのが苦手だし、伝え方も分からない。その代わりに、行動で愛情表現をしていたつもりだった。これから言葉で伝えられるように努力すると約束する。君にもそのことは理解してほしいし、僕は君を愛していることを忘れないでほしい」

「そうだったのね。私の方こそ結論に急ぎすぎてごめん。あなたの行動から愛情を見つけるようにするわ」

「良いアイデアを思い付いた。毎月君にラブレターを送るよ。時間をかけて考えられる手紙なら、僕でもできると思うんだ」

*

いくら付き合いの長い恋人でも、結局のところは他人だ。相手が自分のすべてを理解してくれることはない。

良い関係性を築くうえで、期待は邪魔になる。だって、期待は身勝手なものだから。

勝手に相手に期待しておいて、勝手に裏切られたり、失望したりする。彼女と良い関係性を築くのに、期待はじゃまだ。だから僕たちは期待する代わりに、ちゃんと伝えることにした。


•言葉で愛情表現をしてほしい
•落ち込んでいるときは、笑顔を見せないでほしい(僕は慰めるつもりで微笑んでいただけなのに!)
•落ち込んでいるときは、そばにいてほしいけど何も尋ねないで(これは僕の言い分)
•眠るときは私の好きなように抱きしめさせてほしい(なんてわがままな!)
•皿洗いするなら、ちゃんとフォークとスプーンを分けて収納してほしい(これまた僕の言い分)


僕も彼女も面倒くさい。

良かれと思ってやったことが、実は相手のためになっていない、むしろ地雷を踏んだ回数は数え切れず。過去に地雷が撤去された場所に、新たな地雷が埋め込まれていることも多々ある。

面倒くさいし時には傷つきながらも、手探りでふたりの間にあるズレをなくそうとするのは、やっぱりそれはお互いのことが好きだから。

少しでも相手を喜ばそうと、毎日必死にアップデートを繰り返している。

*

あれから約5年たち、僕は彼女と共にアルゼンチンで生活を送っている。今ではすっかり言葉での愛情表現が得意だ。

妻は僕のことを「恋する詩人」と称したことがあるほど。ただし、僕は即興で愛の言葉を作れるほど器用ではない。

妻は知らないが、僕はいいフレーズや使えそうな知識を見かけたら、スマホにメモしている。シャワーを浴びているときや眠る前に、こんな風に愛の言葉を伝えたら喜びそうだなと考え、その瞬間に備えているのだ。

「あっ、まただ!前も私をチョウにたとえたわよ」

「たとえそうだとしても、君は喜ぶふりをすべきだと思うよ」、僕は目を細めて彼女を見つめた。

「そんなことできないわ!」と彼女は大笑いした。

ああ、結婚生活はなんて面倒くさくて、楽しいのだろうか。

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