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真面目という呪縛。

こう日記に書いた。

結局のところ、自分はどれだけ強がったり悪ぶったりしてみても、臆病な小心者であることに変わりなかった。

R5  7/7(金) <晴/くもり/雨>

自分の真面目さが足枷になっていると自覚しているけれど、何故かいつも抗えない。


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地方国立大学の医学生である僕は、大学での病院実習の真っ只中である。

各診療科を1〜3週間でローテーションするのだが、メジャーな診療科から大学病院ならではのマイナーな診療科まで、そのグラデーションは多彩だ。

基本的にメジャー科の実習はハードで、マイナー科の実習は緩い。

僕は現在マイナー科を立て続けにローテーションしているところで、医学に対する興味や熱量が低めの自分にとっては、可能な限り省エネモードの中弛み期間になっている。

この前ローテーションした診療科もマイナー中のマイナー科で、僕はモチベーションが全くなかった。

午前中は休憩なしの座学をみっちり3時間、午後は患者さんの問診をしたり設備や検査の体験をしたりして過ごした。

午後の実習は僅かに存在する興味を掻き集めてきて何とか取り組めたが、午前の実習はただただ憂鬱だった。

座学は低学年の頃に各診療科を一通り終えているというのに、毎日3時間も大人しく座っていなければならない。ただでさえ興味の薄い分野なのに、面白みの欠片もないヤバい意味での真面目ドクター(以後、Aドクター)が話し手であるため、その憂鬱はいつしか苦行にグレードアップしていた。

即時的な意味を見出せないと自分からは動けないという幼児並みの性格の持ち主である僕は、とにかく午前中を省エネモードで過ごした。

少人数グループだというのにあからさまに"the 無関心"な態度で居たし、毎朝のカンファレンスも一度だけ欠席して電子カルテを見ていたこともある。


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省エネモードでいるその瞬間は、有意義な時間の使い方をしているような錯覚を覚えて悦に浸る。

しかし、夜になってからそのことを後悔する。

その場で理想とされる行動の型から逸脱したことに対して不安を感じ始め、無礼ともとれる自分の行動を反省して、最終的にはAドクターに謝罪したい気持ちが湧き上がってくるまでに至る。

そしていつも思う。
結局、自分は真面目人間なのだと。

同調圧力的な行動の枠を打ち破る重要性はよく分かっているけれど、規範から逸脱する(した)ことに対して(後から)不安を感じずにはいられない。

今回のエピソードはあまりにも幼くて些細な内容だが、実行に移せたかどうかの如何に関わらず、何らかの”異なる”アクションをする際にはどうしても自分の真面目さに呪い縛られる。

自分で蒔いた種が発芽して、自分の首を絞めるという滑稽さ。


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こうして文字に起こしてみると、自分がいかに面倒臭い人間であるかがよく分かる。

実は、一つの診療科の実習を終える毎に指導医に評価を依頼するオンラインシステムがあるのだが、Bドクターに評価依頼する(最終日に告げられた)ところを、僕は早とちりしてAドクターに依頼してしまった、、、

Aドクターごめんなさい。

僕、真面目なので。

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