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わたしがアーユルヴェーダを学ぶわけ

私がアーユルヴェーダを学び
伝えている理由は。

はっきりしました。


それは、
わたしの大切な多くの人たちを
病気や自死や
先天的病、精神的病で
亡くしたから。


みんな、病院で亡くなりました。

病院って助けてくれるところじゃないの?

違います。

たくさんの素晴らしい医師の方たちにも出会いました。

命というのは、
その人のものである。
ということ。

そして、
多くの方が
精神がズレ
肉体がズレ
ちょっとずつ
ちょっとずつズレていき

苦しいのに
でも、まだ大丈夫。

まだこのくらいならましさ。

って、自分をだましだまし、

それで死んでいく。

両親も、
祖父母も、
友達も、
いとこも、
あの子も。

みんなが、
わたしの人生に登場した大切な人たちだけど、

命はその人のものだから。

この命の使い方だったのだ。と、

自分の気持ちに整理をつけようとしていました。

どうしてこんなに、
悲しく、苦しく、悔しく辛いのだろう。
と、
考えたとき、

その人が、
いつも幸せであったのか。
という思いが浮かんできました。

自分をだましだまし、

仕事だから、
子どものためだから、
親に心配かけちゃうから、
信用失うから、
やらなければ。

少しのズレは、
少しずつ広がり、
気づかないうちに、
大きくズレていたりする。

その、ズレ。

それがなんだか分からなくて、
心理学や、犯罪心理、精神科学、
哲学、仏教など手探りで独学をしたり、
カウンセラーの先生から学んだりしました。

そして、辿り着いたのが、
生命科学  5000年前から伝わる、
アーユルヴェーダでした。

アーユルヴェーダの定義
・アーユルヴェーダとは
有益な人生と無益な人生、幸福な人生と不幸な人生、人生にとって有益なことと無益なこと、人生の長さ、人生そのものについて説かれているものである。


有益無益‼️((((;゚Д゚))))??

寿命の長さ‼️((((;゚Д゚))))??

人生そのもの??‼️((((;゚Д゚))))

そんなんあるの❓❓
と驚きました。

それまでも、
手探りで学んだつもり散らしていた私でしたから、もちろんアーユルヴェーダを知らないわけもなく、
本など何冊もよんでいました。

がぁしかし、

アーユルヴェーダドクターである、
澁谷るみ子先生の
スヴァルナ・アーユルヴェーダスクールが
コロナ外出禁止に伴い、オンラインスクールを開校されたタイミングで、
入学し、本格的学びを始めたら、
目から鱗を通り越し、
目玉飛び出る、
心臓くちから出そうになることばかり。

そ、そ、そんな事、
しりませんでした。
すみません🙇‍♀️

すみません、わたしのからだ。

というような教育があったのです。

「有益」
「無益」があること。

それはまず、
自然の摂理、
流れを理解し、

からだを知り、
自分を知る事だったのです。

肉体を持って産まれて来てる以上、
魂、精神、肉体、感覚器官を切り離せないのです。

そして、
はじめて、
「その人のいのち」
と、言えるんです。

だから、
わたしは、アーユルヴェーダをまなぶことは、

これ以上、わたしの大切な人達が、
ズレてしまったまま人生を終わらせてほしくない。

あなたのいのちを、
存分に味わい、楽しみ、人生の本題を生き抜き、
全うしてほしいです。

というわたしも、 
もちろん。
大切な人たちを大切にすべく、
人生の本題からズレない生き方をするために、
アーユルヴェーダと共に

終わりのないアーユルヴェーダを学び、
自然の流れというものに身を委ねて生きていこうと思っています。









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