交通事故のあとの心境
いきなりの出来事
先日、交通事故に遭ったというか、起こしたというか、とにかくそういうことがあった。
助手席に恋人を乗せて、彼女がずっと行きたいと言っていた場所に向けて、車を走らせていた。複雑怪奇な首都高を難なく抜けて、常磐道に入り、茨城方面に向けて、気持ちよく疾走していた。
目的地は常磐道をまっすぐ走れば着くところにあった。ドライブで一番気持ちがいいのは、ただまっすぐ道を走ることだ。スピードに乗って景色を切り、スピーカーから流れるロックに気持ちを弾ませて、その先にある目的地へと近づいていく高揚感。
休憩で立ち寄ったサービスエリアでトイレを済ませて、ゆっくりコーヒーブレイクをして、駐車場から車を出した。
周囲の案内標識や道の形状から本線に戻るルートを確認した。駐車場から出て、右折し、ガソリンスタンドに沿ったカーブを抜けた先に、本線が、と思ったら、急に後方から大きな衝撃が走った。右側の死角から突然青いトレーラーが現れた。僕らの車は弾かれた。
後ろきたトレーラーにぶつけられた。聞いたことがない破壊音がした。
やられた。どうして?何が起こった?
いろんな感情や疑問が駆け抜けた。突然のことに身体は動かなかった。助手席から「ブレーキ!」と叫ぶ声がした。車は目の前のガードレールに衝突しようとしていた。右足を蹴るようにブレーキペダルに押し付けた。
大きな音と衝撃。細かいことは思い出せない。
目を開けて、運転席にいる自分を認識した。とりあえず生きている。
次に助手席の恋人の方におのずと目が動いた。
「大丈夫!?怪我はない!?」
返事はすぐに返ってきた。「大丈夫」と言う声に痛みが滲んだ響きはなかった。
フロントガラスの方を向き直ると、車体は無惨にガードレールに突き刺さっていた。僕らの体の前にはエアバックが展開されていて、バルーンの穴から白いガスが立ち上っていた。エアバックが体に触れた感触は覚えていない。きっと衝撃から瞬間的に僕らを守ってくれたのだろう。
非現実な光景に映画のワンシーンかと思った。
そこからは必死だった。
事故を起こした相手、高速道路会社、警察、保険会社、レッカー業者、カーシェア業者。
色々な利害関係者と話をし、情報を交換し、物事が自分の理解の外に行かないように、場の主導権を事故相手に渡さないように、とにかくアドレナリンをドバドバ出して場の収拾に努めるので必死だった。
2時間ほど経って、僕らは最寄りのIC出口からすぐのコンビニの前にいた。
アドレナリンはすっかり引いて、ぼーっと虚空を眺めていたら、悔しさと悲しさで心が埋め尽くされた。
事故なんかなければ今頃目的地に着いて、彼女の喜ぶ顔を見れていた。忘れられない楽しい思い出が作れていた。
どうして事故は起こったのか・・・どうして僕らはポツンと田舎のコンビニの前にいるのか・・・。車は失って、どこに行こうにも行けなくなってしまった。
「帰ろうか」。
彼女は「うん」って首を振って、一緒に駅に向かって歩いた。
地獄のように重い足取りだった。
後悔と分析
事故現場の対応が少し落ち着いた頃、僕は現場を俯瞰的に見聞して、事故の原因を考えていた。
SAから本線に出る道は僕らが走っていたカーブ道とは別にもう一つ直線の道があった。青のトレーラーはそこから走ってきた。直線とカーブがちょうど交わるところで、事故が起きた。
反省すると、僕はカーブと交わる直線の道があるのを認識すらしていなかった。ただ言い訳させてもらうと、カーブと直線の間には何台も大きなトラックが停められていて、カーブを走る車内からは、それらのトラックが完全にもう一つの道を隠していた。
だから僕は確認を怠り(そもそも確認する道の存在すら認識していない)、ちょうど同じタイミングで走ってきたトレーラーと接触した。
トレーラーは後ろから追い越すように僕らの車にぶつかってきたわけだから、少なくとも次の二点のことは言える。一つは、トレーラーは僕らより速いスピードを出していたこと。もう一つは、トレーラーの運転手は僕の車の後ろ姿を目視できる位置にいたということ。目視したタイミングですでに接触間際の状態だったのか、僕と同じようにもう一つの道の存在に気づいていなかったのか、ただ直線に任せるままに車体を走らせて、ぶつかったのか、それはわからない
確信して言えるのは、この場所は事故が起こるべくして起こる場所だったということだ。運転手二人ともに落ち度があり、鳩のふんが頭上に落とされるのと同じ種類の、運命のイタズラがあった。
落ち度が両方にあると理性の方は思うものの、相手を一方的に憎む感情は止められなかった。SAの中でかなりのスピードを出していたんじゃないか。トレーラーの高い運転席からはカーブ道が見えたんじゃないか。脇見運転していたんじゃないか。
相手の運転手は、礼儀正しい態度で僕らとコミュニケーションしてくれた。それにはとても感謝だ。ただ事故の瞬間の話題を降ってきた時、一言も謝罪の言葉は出さず、僕の落ち度だけを一方的に糾弾しようとしてきた。「あなたの車が急に現れて、接触を回避できなかったんです」と起こったことを言い訳っぽく話してくれればタイミングと地形の悪さのせいにお互いできた。僕だけを悪者にしようとする言動からは、自分の非を自覚しているからこそ、相手を悪者にして、自分は悪くないと思い込もうとしている心理が透けて見えた気がした。
実際のところはわからない。不要な波風を立てたくなかったから、僕は話題を逸らし、相手もそれ以上僕を悪者にする言動はしなかった。
相手への憎しみと同じくらい運命の悪さも呪った。
車を駐車する位置が違う場所だったら。出発するタイミングがあと数秒違っていれば。
いくらそんなIFを考えても、起こったことは変わらない。後悔先に立たずだ。頭では分かっていても、思う気持ちは止められない。
情けなくて涙
その日、僕らが行こうとしたのは彼女が去年から行きたいと言っていた場所だった。そこはディズニーランドのように一年中同じ形である場所ではなく、季節によって大きく姿を変える場所だ。だから、彼女が夢見るその場所は、一年でこの時期しかない。
去年、僕はペーパードライバーだったから、そこに一緒に行くのは諦めた。だけど来年連れて行ってやりたいと思った。脱ペーパードライバーを目標に、その一年、色々と理由をつけては月に2、3回ほど車を運転する習慣を作った。カーシェアに登録して、好きなサウナに行ったり、旅行に行ったりした。その甲斐あって、普通に楽しく運転できるようになった。昔は苦手だった高速道路の合流、車線変更、追い越しも今はむしろ得意になった。
そして一年がたって、去年は行けなかったその場所に行こうとして、思わぬところで事故にあった。
僕は連れて行ってやれなかった。1年間の積み重ねが崩れ去った。
男として、これほど情けないことがあるか。カッコつけて約束したくせに叶えてやれなかった。彼女が見たいと言った景色を見させてやれなかった。あまつさえ、彼女を危険に晒した。たまたま怪我がなくて良かったけど、あとちょっと不運が重なれば、大きな怪我をさせてしまったかもしれなかった。
一人で事故る分には「あちゃ〜、やっちゃったな〜。反省反省。」と済ませられるが、そういうわけにはいかなかった。
彼女は、
「二人とも無事で良かった」「そんなに自分を責めないで」「また行こう」
と言ってくれた。
本当に心が優しい人だ。
だけど、それで心が晴れることはなかった。彼女も人間だ。優しさからそういう言葉をかけてくれることはできても、事故を起こした人間の車にこれまでのようにこれからも安心して乗ってくれるだろうか。きっと不安になるだろう。
令和にあるまじき、昭和的な男のエゴイズム丸出しだが、僕は恋人を安心して助手席に座らせられる、頼れる男になりたかった。先述の1年間の積み重ね云々は嘘じゃないけど、それ以上に、単純に華麗に車を操作できる男になりたかっただけなのだ。だがもうなれない。たとえ運転技術的にその水準に到達し切ったとしても、今回の事故の記憶は彼女の脳裏からは決して消えない。確実にその夢は破れ去った。
とことん打ちのめされて、家に帰るや否やベッドに倒れ込んで何をする気も起きなくなった。怪我はしてないのに、何かの支えなしには立ち上がれないほど、体が酷く重かった。頭の中ではずっと事故の瞬間がフラッシュバックされたり、事故が起きないIFの妄想が繰り返し駆け巡った。
情けなさと後悔と悲しみで一晩、泣き明かした。
その後の心境変化
たくさん泣いて、たくさん不貞寝して、徐々に僕は心を取り戻していった。
それでも、漫画やドラマの中で、そういうシーンが出てくると、事故の瞬間を思い出して、感情が暗くなってしまう時がある。
時間と共に濃度は薄まっていくと思うけど、一度海馬の中枢に溶け込んだ強烈な記憶は決して消えず、その苦さを味わい続けることになるのだろう。
だから今回この文章を書いているときなんかは、ずっと身が裂かれる思いだった。トラウマを映像として思い出すだけでなく、その時の感情や情景を明確な言葉に置き換えていく作業は想像以上に過酷だった。
やろうと心に決めて、やり切れた理由は一つ。
この事故に紐づくあらゆる記憶や感情をここに一切合切吐き出して、一つの形あるフォーマットの中に封印するためだ。
記憶がぶり返してきた時、言葉にならない不安が僕を襲った。ならば、言葉にしてしまえばいい。
人が恐怖や不安を感じるのは、言ってしまえば「正体不明」だからだ。目に見えないもの、理解が及ばないものに人は弱い。だから、正体不明に言葉でラベリングして、正体不明ではなくする。
しかし、正体を明かす、その作業は先述のように過酷なものだ。正直、ここまで過酷だとは思わなかった。。
例えるならば、不味くて苦い飲み物を大量の水で薄めて時間をかけて少しずつ飲んでいくのがめんどくさいから、一気に原液で飲み干してしまおうという作業なのだ。人によっては前者が好ましいかもしれないが、僕にとっては後者が自分を救う一番の方法だった。
さて、多分これで吐き出すものは全部吐き出せたはずだ。
記憶は記憶として僕の中にあって、あの時感じた後悔や情けなさはきっと忘れることはできない。忘れてはいけない。思い出すことがあれば、ここに書いた言葉を思い出そう。
最後に、僕が立ち直るきっかけになった詩をここに書き留めておこう。
詩
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