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83歳祖父と湯に浸かり、眺めた背中

カーナビも付いていない古い軽に乗って北陸自動車道を北進する。

春の日差しに輝く新緑の並木道に、広大な田園風景の中を馬力の弱い車が駆け抜けて、海が見えた。海水浴場に隣するそこが祖父が毎日通う温泉施設だ。

ゴールデンウィークの中の平日二日間に有給を取り、石川に住む祖父母を訪れた。毎年のように訪れていたけど、コロナ禍に入ってから行けなくなってしまった。落ち着きを見せ始めた今年、3年半ぶりに会いに行けた。

昼食どきに、両親と姉一家と一同に介した。3年半の歳月は否でも応でも時の移ろいを感じさせる。70代だった祖父母は80代を迎えていた。幸いにも、耳が遠いことを除けば、身体のどこも病気や怪我はなく、認知症の傾向も全く見られない。

だけど、前回会った時よりも「歳とったなぁ〜」と圧倒的に思わせられた。近くに住む叔母さんは、「認知症も出てきてないし、体も一応は元気。だけどやっぱり80を超えてから二人とも一気に老け込んだわ」と教えてくれた。

祖父は毎日15時ごろに近くの銭湯に行く。
日が沈んで暗くなってからの運転は危ないから日が明るいうちにお風呂を全て済ませてしまうのだそうだ。

「俺そろそろ風呂に行こうと思うんやけど」
時間は16時に差し掛かろうとしていた頃だった。いつもよりも遅くなってしまったこともあり一緒の車で行きたいと思ったのだそうだ。しかし父と母は夕方に姉たちを送る都合上、動けなかった。それに第一、風呂に行くには早すぎる時間だった。

「それなら僕が一緒に行くよ」
皆が一斉にこっちを向いた。「そういえばお前がいたな!」と父と母が声を揃えて言う。この息の合いようは仲のよろしいことだ。感心しつつ、間違い探しゲームで間違いを見つけた時みたいな物言いには内心複雑な思いをした。残念なことに、あまり父母から頼りにされない長男なのだ。

祖父を助手席に乗せて車を出した。カーナビがないから事前にGoogleマップで地図を大まかに記憶して、細かいところは祖父の道案内に従って行くことになった。

大通りに出ればあとはまっすぐ行けばいいだけの単純なルートだ。確かにこれならば、日が明るいうちなら、80歳を超えた祖父でも通える道だ。

”80歳を超えた祖父でも”

旅をするのが好きだった、かつての豪胆な祖父を懐かしむと、ふと心に浮かんだこの言葉に、時の移ろいを実感した。

思えば、祖父と二人きりで銭湯に行くのははじめてだ。もしあったとしても、それは僕の物心がつく前の遥か昔だ。

「俺服脱ぐの遅いから、先に入っときや」
脱衣所で祖父がそう言い、気を遣い合いすぎるのもよくないと思って、先に風呂場へ行った。

祖父は僕が身体を洗い終わった時にちょうど浴場に入ってきて、僕と交代するような形で洗い場に腰を下ろした。

日頃から運動をしているだけあって、首から下については年老いた感じがまるでなかった。全身(特に背筋と足)に程よく筋肉が付いている。強いて過去との違いを挙げると、体毛がほとんど無くなった点くらいか。ほぼ全身脱毛な感じで美肌になっている。

チラチラと祖父が身体を洗う姿が目にとまる。気まぐれに、このまま祖父を観察してやろうと決めた。僕が知っている祖父は、孫と接するときのおじいちゃん、としての祖父だけだ。毎日ここに通っている彼が普段どういう感じでお風呂を楽しんでいるのか気になった。

彼の動きはとにかくゆっくりだった。例えるなら、ウサギとカメの亀だ。とても重くゆっくりな動きながらも、一つ一つの動きには無駄な部分がないのだ。老齢で頭の回転が遅くなり、身体も以前のようにはやく動かせられなくなっているのがわかった。だけど、遅くなっただけだ。自分自身が思い描く動きをただ自分のペースで作っているのだ。

最初に始めたのは歯磨きだった。大きく口を開け、およそ6分ほど時間をかけて、隈なく丁寧に磨いていた。
次に、タオルをお湯で濡らして、そこにボディソープをかけた。手元でゴシゴシすると、遠目でも分かるくらいにたくさんの泡がタオルに綺麗に纏っていた。僕は下手くそすぎて、同じようにやっても全然泡が立たない。何かコツでもあるのだろうか。すごい。そのタオルをパン生地みたいに伸ばして、身体の各部位にあてがうと、全身が白い泡に包まれた。洗面器に溜めたお湯をざぶんとかけて、気持ちよさそうに洗い流した。
最後に、シャンプーに手を伸ばした。これもまた頭がゴマ色になるまでゴシゴシと泡を立てて、同じように洗面器に溜めたお湯でざぶんと流した。
どういうわけか、シャワーは使わなかった。

16時15分から洗い始めて、ここまでにおよそ20分かかっていた。

僕はその間湯船に浸かっていた。地方の、高齢者が主な客層の銭湯だからだろうか、湯の温度がとにかく熱かった。ほとんど半身浴状態でいたのに、20分経つ頃にはサウナに限界まで入った後くらいに身体が熱っていた。

たまらず、水風呂へ足を伸ばす。

祖父はシャワールームでシャワーを浴びていた。洗い場でシャワーを浴びない代わりにこちらで浴びるようだ。5分間たっぷり浴びて、それからひのき湯の中に腰を下ろした。

祖父の隣に僕も腰掛けた。ひのき湯は僕が先ほどまでいた内湯よりもさらに熱かった。熱さに身体が火照りながら僕は祖父の話に耳を傾けた。

近頃の日々の過ごし方について話してくれた。
午前中は地域の運動センター(ジムのような所)に行き、1万歩を歩いていること。午後はお昼ご飯のあとに銭湯へ行ってゆっくりと汗と疲れを流していること。日が沈む頃に好きなビールを少しだけ飲み、たくさん(20代の僕からしてもホントにたくさん)のご飯を平らげること。

その規則的で健康的な日々に僕は素直に「すごい」と口を付いた。見習わないとと思った。

「まわりに迷惑かけたくないからな」

祖父は言う。それがその習慣を続けるモチベーションと言わんばかりに。

ひのき湯の熱さに限界が来て、僕は一段上って半身浴に切り替えた。
祖父は「熱いよな〜」と言いながら、そのまま窓外の庭を眺めながら湯に浸かり続けた。

自分はなんでもかんでもを急かされたようにやっているな〜。
祖父を見ているとそんな思いが湧いた。仕事や家事をテキパキと済ませ、1秒でも長く自分の時間を作り出す。そうやって物事をこなす自分のことは嫌いじゃない。だけど、別に急ぐ場面でもないのに急ぐように何かをしてしまう自分がいる。さっきだって、「混んでいるからはやく洗い場を空けないと」と変に気を遣って、身体をはやく洗っていた。丁寧でゆっくりな祖父とは対極的だ。

わかっている。祖父がゆっくりなのは老齢ゆえで、私が急ぎめなのは若さゆえの生き急ぎだ。それでも、自分のペースを貫く祖父の後ろ姿が尊く映った。

一緒に浴場を出て、ゆっくりと、リラックスできる速度で髪を乾かし、服を着た。さらにゆっくりな祖父を休憩場のテレビの前で待って、車を出した。

夕日に輝く景色を目に焼き付けながら、ゆっくりと帰った。

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