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ダニエル・クレイグよ永遠に『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』
監督:キャリー・ジョージ・フクナガ 主演:ダニエル・クレイグ
公開年:2021年 上映時間:163分 製作国:イギリス/アメリカ


※以下、作品を鑑賞した前提のためネタバレあり※

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 イアン・フレミング原作の大人気スパイ小説『ジェームズ・ボンド』シリーズ第25作目の映画作品。そして2006年の『007/カジノ・ロワイヤル』より主人公のジェームズ・ボンドを演じてきたダニエル・クレイグがボンドを演じる最後の作品とされている。
 監督には『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』の脚本などを手掛けたキャリー・ジョージ・フクナガが務めている。

 ダニエル・クレイグがボンドを演じるのは今作で最後だと名言したことで公開前から注目度も高かったが、それ以外にも監督が『トレイン・スポッティング』などのダニー・ボイルに決定したというニュースに「悪役でユアン・マクレガーくる?」と期待した人も多かったのではないだろうか。結局、製作側との「クリエイティブな意見の相違」を理由に降板してしまい、ダニー・ボイル版007は幻と消えた。
 ダニー・ボイルの後釜として監督を任せられたのがキャリー・ジョージ・フクナガである。正直、この作品を観るまでは名前も知らなかったし、Wikipediaで主な作品を見てもあまりピンとこなかった。Wikipediaによると、父親が日系アメリカ人三世で、北海道に半年ほど滞在経験があるらしい。

 筆者は特段、小説の『ジェームズ・ボンド』シリーズが好きだとか、映画の007シリーズが好きというわけではない。このダニエル・クレイグが演じるジェームズ・ボンドの007シリーズが大好きなのである。
 ある種、古典的なそれまでのプロットから脱却し、現代的なニュアンスで再構築するという試みをこの007シリーズは少なくとも2006年から始めているのである。
 クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』然り、MCUシリーズ然り、2000年代前半はそうした古典作品のアップデートが多く見られたように思う。(そうした一種のムーブメントの理由や原因についても思うことや語りたいことが多々あるが、本筋とは関係ないので割愛……)
 そして今回の『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』である。筆者のボンド童貞を奪ったダニエル・グレイグが遂にボンドを引退し、2006年の『007/カジノ・ロワイヤル』から続いていた一連のストーリーにも決着がつく、文字通りの完結編である。
 結論から言ってしまえば、『007/スカイフォール』ほどの衝撃やドラマはなかったが完結編としては満足できる作品だった。

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 ダニエル・クレイグ版の007シリーズは徹底して「過去との決別」を根本的なテーマとして描いていた。『007/カジノ・ロワイヤル』で恋人のヴェスパーを失ったことで心に深い傷を負ったボンドが、それを癒やしていくまでの物語なのである。
 だからこそ今作の終盤、ミサイルが迫る中でマドレーヌと通信をするボンドの憑き物が落ちたような穏やかな表情にはグッと込み上げてくるものがあった。今作のタイトルでもある「ノー・タイム・トゥ・ダイ(まだ死ぬべき時ではない)」というのは、ヴェスパーや先代Mからボンドに向けたメッセージと捉えることもできる。
 ダニエル・クレイグ版の007シリーズでは作品ごとのストーリーの繋がりが明確にされていただけに、こうした一つの作品では描けない壮大で多角的なストーリーを通してジェームズ・ボンドという過酷な運命を背負った一人の男の人生を描くことができたのだろう。

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 今作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観てまず驚いたのが、日本的な描写が多いことだった。主にラミ・マレック演じる本作の悪役であるサフィンに関係するアイテムがことごとく日本風なのである。能面を被っている、アジトが日本庭園風、部屋着が空手や柔道の道着っぽいなどなど……。前述した通り、フクナガ監督が北海道に滞在経験があることを考えると、冒頭のロシアの雪景色も北海道での思い出からインスピレーションされたのではと都合良く考えてしまう。他にも冒頭のカーチェイスでのまきびしや煙幕はなんとなく忍者っぽいなと感じた。
 映画あるあるだとは思うが、このインターネットが発達した2021年においても“他国をイメージで描き過ぎ問題”は深刻だ。つい最近も『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』で描かれていた東京がまるで東京ではなかったことに少しイラッとしたばかりだ。だが、今作はそうした“ジパング的な日本”は登場しない。デザイン的にも非常に洗練されており、フクナガ監督が日本の文化をとても尊重してくれているのがわかる。
 ただ、サフィンがそうした日本文化を取り入れている背景まで描写されなかったことは少し残念だった。デザインやファッション以上の意味がしっかりと作品の中で語られていれば、サフィンという人物がもっと魅力的な悪役になったのではないかと感じる。
 それに付随して、今作では全体を通してサフィンというキャラクターの掘り下げやアプローチに物足りなさを感じた。家族の復讐という目的とヘラクレスによるバイオテロがイマイチ結びつかない。
 ラミ・マレックが類まれなる才能を持つ役者だということは『ボヘミアン・ラプソディ』で証明済みだが、製作陣が表現したかった“捉えどころのない恐怖”という存在をラミ・マレックはかなりのクオリティで表現していた。ただ、あまりにも表現され過ぎていたが故に163分という上映時間をもってしてもそのキャラクターを持て余してしまったようにも感じる。

 アクションシーンに関していうと、今作では作中のセリフにあるように“ボンド中佐”的なアクションが多かった。ジェームズ・ボンドといえば小ぶりなハンドガンがメイン武器のイメージが強いが、今作ではアサルトライフルを多用しており、スパイ(潜入)というより軍人(制圧)のような立ち回りを見せている。特に終盤の制御室に向かう階段での長回しのシーンは圧巻の一言に尽きる。

 そして今作では007シリーズとしてはかなり挑戦的な試みがなされている。新007として初の女性が起用されているのだ。昨今のポリコレ的な風潮やハリウッドに起因するMeToo運動が実を結んだ“配慮の結果”がノーミというキャラクターの存在ということになるのだろう。
 そもそもジェームズ・ボンドにダニエル・クレイグを起用するというスタートから挑戦的で批判も多かったわけで、それでも現代の社会背景を取り入れて新しいジェームズ・ボンド像を確立させてきたダニエル・クレイグ版007らしい面白い試みではあった。

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 女性といえば007シリーズでは作中に登場するボンドガールのキャスティングも非常に注目されるが、個人的に今作のアナ・デ・アルマスは歴代最高のボンドガールだった。
 アナ・デ・アルマスが演じたのはキューバでボンドを支援する新人CIAエージェントのパロマという役だが、これまでのダニエル・クレイグ版007シリーズには珍しい賑やかで茶目っ気のある役柄で印象的だった。そして何よりとんでもなく可愛い。

 エンドロール後に「ジェームズ・ボンドは帰ってくる」というMCUもろパクリのクレジットがあったように、ダニエル・クレイグが引退したとしても007シリーズはこれからも新しく作られていくだろう。
 まずは“次のジェームズ・ボンドが誰になるのか”に注目していきたい。ダニエル・クレイグのダークな雰囲気も良かったが、もっと若い俳優を起用してエンタメ方向に振り切るのも個人的には悪くない気もする。
 これからどんなジェームズ・ボンドが誕生しても、ボンド童貞を奪ったダニエル・クレイグは筆者にとってオンリーワンでナンバーワンの存在だろう。ダニエル・クレイグよ永遠に。そしてありがとう。

【余談の時間】
 筆者はクリストフ・ヴァルツが大好きなので、ブロフェルドの扱いがちょっと雑だったのは残念。
 マッツ・ミケルセン、ハビエル・バルデム、クリストフ・ヴァルツ、ラミ・マレック、悪役のキャスティングはめちゃめちゃ好みのシリーズでもあったな……。慰めの報酬?そんなもんは知らん。

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