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ベトナムの中の「三国志」を訪ねてー士燮廟訪問記

先日、夏休み時に日本で行った国立博物館の三国志展、久々にかつてハマりにハマった三国志の世界に浸りつつ、今住むベトナムとの繋がりに歴史ロマンの想いを馳せたところです。

そこで久々に名前を聞いた士燮(ししょう、ベトナム語で「Sỹ Nhiếp」)、そこからかつて良く行っていた歴史マイナー旅行好き心に火が着きました。そこで今回は、士燮廟を久しぶりに訪れてみようということで実際に行ってみました。「久しぶりに」 というのは確か15年前ほどに一度行ったことがあるはずだからです。 とはいえ、正直あまり覚えておらず写真も残っていないので、「改めてはじめまして」という感じです。

士燮、三国志に登場する最南端の太守

その前に士燮さんの功績を簡単に。彼のご先祖は元々魯国、現在の山東省辺りだったらしいのですが、戦乱を避けるため南に逃れてきました。彼はその先祖の6代目にあたるそう。優秀だったようで中原の方にも遊学したりしたそうですが、現地に戻ってからは同じく後漢末の戦乱を逃れてくる名士を手厚く礼遇し、地元をきっちり統治する、とても聡明な治世者であったそうです。

士燮は三国時代においては、孫権の呉国に属する形で交趾郡を納めました。 ベトナム統治の歴史的功績としては儒学をより広く、今で言うベトナム北部地域に広めたことが、彼のことを紹介する地元バクニン省政府ウェブサイトでも語られています。中国文化を理解し知識人を迎え、そして地元民からも慕われていた彼は、中国・ベトナムがまだ今よりも混ざり合っていた歴史の中で、異なる文化をブレンドして育てて行った存在なのかもしれません。

いざ、士燮廟へ出発!

さて旅の方はまずはバスで、ハノイの東バクニン省方面へ向かいます。今回はハノイ市ロンビエンにあるイオンの近くのバス停から、52A番のバスに40分ほど乗ります。バス代はたったの8000ドン(40円)。

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その終点で降りるとそこはちょうどハノイとバクニンの市・省境。ここからはグラブを捕まえようかなと思ったのですが、車はなかなか見つかりません。下のような牧歌的なツイートもしましたが、結局このグラブドライバーは来ませんでした(苦笑)。

しょうがないからと、今度はグラブバイクを捕まえて移動します。バス終点の場所から東へ約6キロほど。

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地元のバイクタクシー兄ちゃんも「そんな場所知らないなあ」と言いながら Googleマップを頼りに、ようやく士燮廟にたどり着きました。

やっとたどり着いた士燮廟、でも・・・

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やっとたどり着いた士燮廟、表門は大変立派なものです。「南交学祖」、その裏には「有功儒教」ともあります。単にこの地を治めた人というだけではなく、儒学者としての功績があったことを記していることが象徴的です。

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でも全く人の気配もなく開いているんだか、いないんだかもよくわかりません。中に入ってみるとがらんとした感じ、 残念ながら祠の本体は鍵がかかっていて入れませんでした。

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建物は立派ながらもお世辞にも訪問者がいる感じじゃないなーと、なんだか寂しい感じ。でも三国志に出てくる太守がベトナムで祀られているなんて…、と暫し自己満足に浸ります。しっかり展示してガイドすれば、日本人も含めて三国志ファンには結構観光価値あるんじゃないかなあと思うのに…。

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奥に入ると祭壇のような空間が。この左に小さく写る羊は、近くにある(この廟よりはもっと有名な)Dâu(ザウ)寺のものと対になっているそうです。羊といえば何となく広州の シンボルとして記憶にありますが、士燮さんは羊を飼っていたが、本人の死後一匹は本人の元へ、一匹はDâu(ザウ)寺に行ったんだとか。その辺は南方同士での関係があるのでしょうか。

折角なので「ベトナム最古のお寺」にも

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あんまりあっさり終わってしまったのでその近くのDâu(ザウ)寺にも寄りました。ここはベトナム最古のお寺として有名なようで、その歴史はこの士燮と同じ紀元2世紀あるいは3世紀頃にも遡るとか。おおっ、確かに羊さんいました(↑写真)。

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ザウ寺についての詳しい説明は、こちらに詳しいので是非ご参照を。古代ベトナム仏教の中心的なお寺だったそうで、この「法雲pháp vân」仏と呼ばれ、稲作文化の中で雨を祈願する大事な仏となったそう。それが元々ベトナムにあったという女神信仰と結びついたという歴史が大変興味深いですね。

いずれにしろ、士燮廟はやや寂しい状態ではありますが、ともかくも三国志からイメージする場所からは遥か南のこの地で活躍した太守の名前が、紀元3世紀に書かれた歴史書にしっかり残っている三国志という歴史(書)に、改めて歴史のロマンを感じます。 当時のベトナム人の様子や名前を記すのは三国志くらいだったでしょう。 それはまるで、日本人が卑弥呼の名前を魏志倭人伝から知るかのように。


11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。