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【新型コロナウィルス 帰国までのイギリス その1『序章』】


先週末、イギリスでの1年間の滞在を終えて日本に帰国しました。
帰国が近づいた今月初め、どれだけ別れが辛いのか、どれだけ寂しい思いをしてヒースロー空港を発つのか、と想像していましたが、まさか、逃げ帰るようにイギリスを後にするとは!
まったく予想もしておりませんでした。

そして東京に降り立ち、イギリスとは打って変わって、今までと変わらない日常がそこにあったことに驚き、同時に不安を感じました。これは、2週間前のロンドンと同じだ。もしかしたら、東京は同じ道をたどってしまうかもしれない。せっかくの3週間の休校措置が泡となってしまうかもしれない。多くの犠牲者が出るかもしれない。

経験したことがないことを想像して恐れを抱くことは難しい。それはイギリスが、イタリアを他人事として同じ道をたどってしまっていることからもわかります。ただ、今は世界の多くの事例から学ぶことができます。私が出来ることとして、私自身が肌で感じた、イギリスの2週間の激変を、その序章と共に拙い表現ではありますが、伝えたいと思います。

『序章 2月〜3月半ばまで』
[2月の始め〜下旬] <感染者数 2〜13名 死亡者数 0名>
春節のお祭りの辺りから新型コロナウィルスについて、気に掛けるようになる。それでも、ロンドンの中華街では春節のお祝いが行われ、まだ自分とは関係がないことと捉えている。
half term(学期半ばの一週間休み)開けから、イギリスでも新コロナウィルスの感染について、気にする動きが見え始める。イタリアで新コロナの感染者が増え始め、休み中にSchool tripでイタリアに行っていたことによって感染の恐れがあるケースが現れた。2月26日、学校から2通メールが届く。一つは、Hertfordshire(地元の県)から、この県内では休み中イタリアに合宿に行った学校はないとのこと。もう一つは、政府のサイトを見るようにとのこと。手洗いの徹底、手の消毒、咳を肘で受けるという啓発。


[2月27日] <感染者数 13名 死亡者数 0名>
学校からのメールを受けて、朝、子どもたちの見送り後に手の消毒ジェルを買いに薬局に行くと、棚は空っぽ。店員さんに聞くと旅行用の小さいボトルはあるとのことで、家族4人分購入。さらに買い足そうと夕方に行くと、もう棚は空だった。でも、また買いに来ればいいや、というぐらいの気持ちだった。学校からのメールでは、ハンドジェルを学校で使い始めるとのお知らせ。街中は、まだいつも通り賑わっていた。

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[2月28日] <感染者数 19名 死亡者数 0名>
再び朝薬局を訪れると、運良く旅行用のボトルを発見。すかさず4本購入。でも、棚にはそれ以外のハンドジェルはない。棚を見ていると、ハンドジェルを求めに来る人が少しいるけど、目もくれない人もまだまだ多く。店も街もまだいつも通り。学校からのメールは、校長先生からのレターの添付。ここでも、新型コロナウィルスへの注意喚起が書かれていた。それでも、注意すればなんとかなるかな、という意識。

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*2月29日 地元県での初の感染者が現れた

[3月1日] <感染者数 35名 死亡者数 0名>
次男のクラスメートの誕生会参加のため、車で30分ほど行ったところにあるWatfordという街のボーリング場を訪れる。お天気が良く、街にはたくさんの人が出ていた。ボーリング場もすごい賑わい。一応ハンドジェルを持たせたものの、使ったかは怪しい。イギリスの人は、普段から手洗いを徹底しているので、こどもたちも食事の前には手洗いをしっかりしたはず。

この頃からイタリアでの感染者増加のニュースが目立つようになった。だけど、まだ自分事として捉えておらず、街にはたくさんの人が繰り出している。ちょうど春が近づいてお天気が良くなっていることも助けていた。

一方で、ハンドジェルの購入はさらに難しくなっていた。

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[3月2日] <感染者数 40名 死亡者数 0名>
朝、再び薬局を訪れるが棚はもぬけの殻。そこに偶然店員さんが現れ、ハンドジェルを棚に並べ始めた。少し大きい150mlのタイプ。店員さんから2本いただいてレジへ向かう。購入後棚に戻ってみたらもうすべてなくなっていた。一瞬の出来事だった。

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[3月3日] <感染者数 51名 死亡者数 0名>
学校からのお便りには、Department of Educationで新コロナのホットラインを設置したとのこと。そして、Department of Educationからのアドヴァイス無しに学校を閉鎖することはないとも。

私はこの日、ロンドンのNational Theaterを見学に出かけた。電車は心持ち空いていた気がするが、ロンドンの街中は人が多い。NTのカフェにもたくさんの客で賑わっていた。会話も弾んでいる。食事の前にハンドジェルを使っていたのは私ぐらいだった。

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[3月5日] <感染者数 144名 死亡者数 1名> *初の死亡者
お世話になったお友だちと教会のカフェでランチ。イースターに向けて作られているオルバン・バンズを一緒に食べましょうと誘ったのだった。カフェに行くと、ご高齢の方々が10名ほど集まってお茶をしている。お昼時になるとほぼ満席となった。ただ、レジのところにハンドジェルが備え付けてあり、注文した客は皆ハンドジェルを使って手を消毒していた。

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[3月6日] <感染者数 160名 死亡者数 2名>
この日は、Royal Opera Houseにて「白鳥の湖」のバレエ鑑賞予定。何ヶ月も前からチケットを購入して楽しみにしていた公演。どうしても行きたくて、医師の友人などに予防策を尋ねたり、悪あがきしたが、最後はえいやっと行ってしまった(ソロで)。すると、なんと満席。だれもマスクなどしておらず、幕間のロビーも混雑そのもの。咳払いする人も普通にいた。私は、公演中はマスクをして一応防御。ハンドジェルも常に使って。帰りにコヴェント・ガーデンに寄ったが、こちらも観光客でいっぱい。お天気が良くて、外を歩きたくなる日だった。

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[3月7日] <感染者数 206名 死亡者数 2名>
この日は地元の劇場でSound of musicのミュージカル鑑賞。こちらは長男と。劇場は人でいっぱい。中で普通に飲食も行われていました。このとき、地元県の感染者は10数名だった。感染の危険がないわけではなかったのだ。
帰りにスーパーに寄ったら、トイレットペーパーが売り切れていた。こんなことは初めてだった。

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[3月9日] <感染者数 321名 死亡者数 5名> 
*この日初めて地元県で死亡者が出た。

週が明けてイギリス全体の感染者数が増えてきた。どうしようか迷いながら、帰国までにわずかなのでロンドンに出かける。さすがに乗客数が減ってきた感じがした。咳払いする人は誰一人としていない(普段は結構いるのだけど)。口元をスカーフで巻いて覆っている人も見かける。それでも、街中は普通に人がいるし、働く人も多く見かけた。

一方で、友人がリモートワークになったとのことで、学校のお迎えに来ていた。この辺りから、民間企業はリモートワークを進め、万が一感染者が出た場合でも業務に支障がないように対策が取られ始めていたようだ。

所用があってGP(かかりつけ医)のホームページを開くと、注意喚起のメッセージが飛び込んできた。そこには、新コロナの症状が疑われる場合はGPに来院せず、NHSに電話をして対応を尋ねるようにとあった。

夜は、PTAの会合。私にとっては最後の会合なので、みなさんにお礼を伝えることも兼ねて出席。いつもよりは出席者数が少なかったが、3月13日に行われるコメディナイトを中心に、これからのイベントについての準備や段取りなどを相談していた。いつも通り。

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[3月10日] <感染者数 373名 死亡者数 6名>
朝、子どもたちの見送り後に街に買い物に出ると、ママ友に遭遇。すると、彼女はこれから開店する薬局でジェルを手に入れるために並ぶのだと。私が買い物を終えてその店の前を通ると、ハンドジェルを手にした彼女がいた。すると声を掛けられて「もしよかったら、並んで私の分をまた買ってくれない?」と。まだ在庫があるようだった。私も出来ればもう一つ余分がほしいから、買えたら1つを分けてあげるわね、と並んだ。無事購入できて1つずつ分けた。みな、ハンドジェルを購入するのに必死だった。

一方で、街中では工事現場が通常通りに進められている。
放課後はご近所のお友だちが遊びに来た。この頃はまだ、学校生活も放課後クラブも、放課後のお遊びもいつも通り。ただ、おやつを食べる前にジェルで手を消毒する人が増えていた気がする。
(学校帰りにおやつを食べる子どもたちが結構いる。)

校長先生からのレター配信。新コロナの疑いがある場合は欠席するように、そしてその欠席は認められた欠席とするとのこと。近いうちに行われる可能性のある学校閉鎖に対応するため、学校ではGoogle Classroomを利用した家庭学習の準備を進めているとのこと。また、次の日、テレビ局が学校を訪れ、閉校措置になったらどうか?というインタビューがあるとのこと。その一方で、3月の最終週にInternational Weekがあります、とのお知らせもあり、まだ通常通りとして予定が組まれていた。

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[3月11日] <感染者数 456名 死亡者数 8名>
午後、次男のクラスのSchool Tripに付き添い。地元の公園へ遺跡などを見学に出かけた。二人ずつ手をつないで、列になって行動。行く道では市場が開かれ、人出が多かった。この日もお天気が良く、公園では散歩している人、友だちと遊んでいる学生などを多く見かけた。

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[3月12日] <感染者数 560名 死亡者数 10名>
お友だちとのランチ、ママ友とのお茶のダブルヘッダー。お友だちの方は、数日後に帰国をするのでその前に会おうと急遽決まり。ママ友とは、私の帰国前だと慌ただしくなるから早めに会おうと。この日も気持ちが良く、カフェにはたくさんのお客さん。このときは、まだランチもお茶もおいしくいただける気持ちの余裕があった。

ママ友とは、日本の休校措置についても話題にもぼる。この頃、イギリスでは休校にすると医療従事者が勤務できなくなり医療の現場が混乱するので休校にはしないと言っており、ママ友は、それは理解できると言っていた。

夜には、フランス在住の友人より、13日をもってフランスの学校が閉校になることを聞く。

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[3月13日] <感染者数 793名 死亡者数 11名>
朝見送ってから街に買い物に出ると、再びファーマシーの前に長い列。チラシかメールでジェル入荷がわかるのだろうか? 

帰国に備えて、先生方との記念写真撮影をお願いして回る。これが大正解だったことに後でわかる。

夜は、コメディ・ナイト。プロのコメディアンを招いての、保護者向けのイベント。体育館をバーのようにしつらえて、ママ・パパたちが楽しむ。コメディアンが、「コロナの話題が出ると思いますが、みなさん問題ないでしょうか?」と断りが入る。観客が不快にならないかを確認するところが素晴らしいと感心。そして、司会の方が今後のイベントの紹介をしているが「多分中止でしょうね」と笑いを取っていた。そのときにはまだ本気で現実になるとは思わず。

みんなで大笑いして楽しんだ夜。これが本当の意味で、学校での最後のイベントになってしまった。
夜に、地元県にある大学の学生寮で新コロナの感染者が出たことを知る。それにより、次の日に予定されていたイベントが中止となった。

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序章はここまで。本章に続きます。

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