子の成長がどうしてこんなに寂しいのか考えてみる

自分の頭の中を整理したいだけの記事
どこに着地するかもわかりませんw

6年4ヶ月前上の子が生まれた
そこから2年8ヶ月後に下の子が生まれた

下の子が生まれた時
娘(上のこ)はまだ
保育園にも幼稚園にも行ってなかったので
私は家で二人の命を育んだ

誰かに子どもを預けて
自分一人の時間を取ったことは
どのくらいあっただろう

本当に少なかったように思う
そもそも私は、あぁ息が詰まりそう
一人になりたい。と思ったとしても
ほんの数十分一人でコンビニに行ったり
リビングで家族がいる中で
一人で寝室で昼寝するくらいで
リフレッシュできるタイプかなと思う
別にガッツリとまる一日
一人の時間がほしいと思ったことがない

リビングに家族がいる中で
その気配を感じながらする昼寝が
とても幸せと思っていた

いつか離れていくことを
わかっているつもりだから
離れないで済むのならば
誰にも預けずどこにでも連れて行ったなあ

子どもが大きくなるのは
どうしてこんなに寂しいのだろう

『小さな子どものお母さん』その肩書きが
なくなるのが寂しいのだろうか?
違う気がする
家にいて私とずっと一緒にいる子どもは
まるで私が世界の全てような存在だった
トイレにいるだけなのに
扉を開けて存在を確認し
眠っていてもたまたま目を覚ませば
私を確認してから再び眠りにつく
嬉しいことがあれば
私が見てるか確認し、
見ていなければ見てとしつこくいう
痛い、悲しいことがあれば
腕の中に飛び込んでくる

体に触れていないと眠らなくて
何年も自由に寝返りも打てない状態で
眠った
私の体は私のものなのに
さも子どもたちのもののように扱われた

何をしているのか見ればわかる
何を感じたのか何となくわかる
我が子を把握できる世界にいた

そうじゃなくなるのが寂しい?
子供にとって私が全てじゃなくなるのが寂しい?
一心同体だったはずの存在が
生まれ、別々の存在になって
徐々に徐々にこうして離れていく

24時間片時も離れずそばにいた我が子が
生まれて3年で5時間離れるようになり
小学生になって帰ってくるのは
まだ13時とかだけど
中身が全然見えない世界に行ってしまった

私にはもう守り切ることのできない世界というか。

あーわからない
何でこんなに寂しいのか


幼稚園に少し慣れてきた下のこ
やっと二週目で少しだけ私は
家に帰ってくることができた

玄関を入ると
飾られた絵がある
愛しいが子が描いた絵だ

いつも片付けてほしいなぁと
思っている散らかった家

おもちゃはそこにあるのに
子どもの姿がない。どこにも
無意識で私は一階も二階もふらふらと
子どもなのか
子どもの気配をなのか
探してしまっていた

遊ぼう遊ぼうと毎日誘われてる
娘がセットした
おままごとのおもちゃが目に入る

ただひたすらに息子が並べた
トミカがその隣にある

子どもの走り回る足音
笑い声
喧嘩する声

当たり前って何だろう

子どもの成長の何がこんなにも
寂しいのかわからない

いつか一番でいられなくなることが
寂しいのだろうか?
いつか毎日顔を合わせない日常が
くることが寂しいのだろうか?

そばにいても大きく慣れば
抱きしめることが
できなくなるのが寂しいのだろうか?

わからない。

我が子が大人になっても
ずっと愛しい存在なのは
考えなくたってそんなことはわかる

生まれた時は腕の中にすっぽりと
おさまるあんなに小さな命だった
私がいなければ生きていけないような
か弱い存在だった

一歳くらいまでは
たくさん抱っこしたなあ

二歳は抱っこは減ったけど
ギューはいっぱいして
肌がいつも
触れ合っていたような気がする

一年生になった娘は
重たくてもう長い時間抱っこなんてできない
いつまでも腕の中に
入れておけない

体の大きさと
母子の距離は
すごく比例している

私は母親とハグをしない
手を繋がない、キスなんてしない
いつからしなくなったかな

今私は一年生の娘と
ハグもする、手も繋ぐ、キスもする
これができるのもあと何年なのか

私は娘が大人になっても
手を繋いで歩けるような
親子でいたいな

体が大きくなって
見えない世界がたくさんあっても
体に触れたいなぁ

何が寂しいのか結局わからないけどさ
密着してた過去があるから
寂しさが強いのはあるかな

子供にとっての6年は
とても長いかもしれないけど
大人にとっては
あっという間だから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?