見出し画像

私が娘にしてあげられること

いつもと同じ道
いつもと同じ朝
いつもと同じ家族

幼稚園の玄関が
卒園式のために
華やかになっている

卒園の日が来たのだなぁ

バスがないから
毎日送り迎えを車でした
入園した頃は
まだ小さいチャイルドシートに載ってたね
今写真を見返すと
ぷくぷくしていて
赤ちゃんぽさが残ってるよねあの頃の娘

ちょうど今の息子と同じくらいの
大きさだったんだろうな

まだこんなに小さいのに
娘は弟が生まれたから
お姉ちゃんになったんだね

卒園が近づいてきたのを実感し始めた
二月ごろかな?
突然焦るような気持ちになって
でも生活はいつも通りで
すぐそれを忘れて
でもまた思い出すと
心はソワソワザワザワして。

抱っこしてと泣かれることもない
トイレに一緒に行こうと
せがまれることもない
これ買ってと駄々をこねたり
娘に手を焼くことがないのよ。

小さい頃から
ちゃんと話せば
わかる人だった気がするけど
さらに大きくなって
本当に手が掛からなくなった。

赤ちゃんの頃は
おっぱい飲んで
私が寝かしつけないと
眠らなくて
何度も夜目をさまして
おっぱいをあげて
おむつを変えて
私が全部してあげないと
生きられない
か弱い存在で

やってあげられることばかりだったんだね
毎日続くその生活はちょっと
息苦しくもあったかな

今思い返せば
それだけやってて
してあげてると
私は思い込むことができていて
幸せだったなと
今になってわかるよ

だけどずっと続いてたら
そこにも気付けないだろう。

私は食事は作るけど
娘は当たり前だけど
一人でご飯を食べることができて
着替えだって一人でできて
私がいないとできない事の方が
少ない気がしてくる

狭い世界で
ずっと私と一日中毎日
過ごしていた0歳から
3歳まで

ゆったりと時が流れたあの過去は
つい昨日のようなのに
いつの間にかこんなにも
大きくなったんだね

私がしてあげられることなんて
見守ることくらいなのかな?
私が『やってあげられた』と
満足するくらいに
やってあげられることって
日常では本当に
少なくなったんだなぁと

通り過ぎてから
気づくよ。

毎日幼稚園に行くのに
欠かさずお弁当を作り
それだって
小学生になれば
娘は給食になってしまう
私が毎日お弁当を作るなんてことは
なくなってしまったのだ。

お弁当を作ることに関して
毎日似たような内容で
提供していたのでw
特に負担に思ったりはしなかったけど
もっとできたんじゃないかな
なんて思ったりもする

だけど時はいつの間にか
過ぎていたんだね

最後のお弁当に
手紙を入れた。
娘はとても嬉しそうな顔で
手紙を読んでくれていたそうだ
先生が教えてくれた。

毎日娘のために
お弁当を作っていたことも
当たり前になっていたけど
私が娘にしてやれる
数少ない事の一つだったんだなぁ

これから小学生になって
さらにしてあげられることは減っていく

親子だから
大丈夫なんてあぐらをかいてちゃ
いけないんだよね
信頼関係は
まだまだ積み重ねる必要があって
それっておっぱいあげることよりも
おむつ変えることよりも
お弁当作るよりも
もっともっと地道で
積み重ねてる時には
達成感もないようなものなのかもしれない

どんな行動を私は
娘と自分の信頼関係のために
できるかな

どんな会話をできるかな



この記事が参加している募集

スキしてみて

育児日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?