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ただ彼女のことが好きなだけだったのに

ベランダのビオトープに、ずばぬけて美しく艶のある一匹のメスのヒメダカがいる。
そして、彼女のことが好きで好きでたまらないオスがいた。

いつも彼は、彼女の背後や下を泳いでいる。
他のオスが彼女に近づくことが気に入らないのか、近づくたびに激しく攻撃し追い払う。

ただ、あまりにも攻撃的なので、艶のある彼女も彼を怖がり、距離を置こうとする。

彼女がほかのオスに興味を示し近づいていっても、「彼」が来るのでオス達はあわてて逃げていく。

だから、彼女はいつもひとりぼっち。
愛って難しい、生きるって大変。

艶のある彼女は、この小さな世界にもっとも長く暮らし、たくさんの卵を産んできた「ゴッドマザー」だ。

やってきたばかりの昨年の夏。
小柄でエサを食べるのが下手で、よくいじめられていた。

目の前のエサよりもひなたぼっこを優先する、優雅な呑気さが彼女にはあった。
長くは生きないだろう・・・と誰もが思った。
しかし、彼女は誰よりも長く生きた。

たくさんのオスが彼女に求愛し、彼女を巡って争い、そして死んでいった。

それを見てきたからだろうか。
ひと時のひとりぼっちも「まぁ、そういう季節もある」とでもいうように、“長い時間軸” を生きる者に特有の落ち着きと諦めがあった。1000年を生きるエルフのように。

「異質なものを排除しない」が、為政者としての私の信条である。

しかし、彼の攻撃は目に余り、「痴情のもつれ」から犠牲者が出ることもあった。

彼を小さな睡蓮鉢に移してみることにした。
そこは、昨年うちで生まれたメダカ達が暮らす、若い世界。

彼が若者達をいじめないか、一抹の心配はあった。

しかし。

いじめられたのは彼の方であった。
攻撃の急先鋒は、あの艶のある彼女の息子だった。
なぜ分かるかって?そんなの見れば分かる。

急に、彼が憐れに思えてきた。

慣れた大きな組織から追い出され、小規模だが若いベンチャー企業に入社するも、スピードとエネルギーについていけず、公園のブランコで缶コーヒーを飲んでいる一介の中年サラリーマンのようだった。

彼は、ただ彼女のことが好きなだけだったのに。

つくづく、生きるって大変だ。


ひめだか

【写真】姫睡蓮の間を泳ぐ、優雅で呑気な彼女

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