深く深く人を愛するということ、そして嫌われるということ

どうもこんにちは、営業マンブロガーです。

私には今好きな人がいます。それは恋人であり、友人であり、兄弟であり。複数の好きな人がいます。それぞれ私の大切な宝物です。

それは私が27年間生きてきて、唯一手に入れたものといっても過言ではないでしょう。こればかりはお金で買うことも出来ないし、出会い系でも相手がやっていない限り会うことも出来ない。幸せはお金じゃ買えないという言葉があるけれどもこれに関しては、やはり私の財産とも言えると思う。

他のスキルなんてお金を買ったり、勉強したりすれば身に着くスキルだけれども友達を作るというスキルは若いころから自然と身についていくスキルでもあると思う。

私は、世界を救うためには愛が必要だと考えている。人を愛すだけでなく全てのものを愛する力だ。

いきなり世界を救うと言われてもはてなマークが浮かんでくる人もいるかもしれないが、私はそこまで見越して今日は記事を書いていく。

深く愛するということ、それは傷つくこともあるということ

人を愛すことが出来るのは人間が生まれ持った才能であると思っている。

愛することは実は難しい。自分が相手のことを受け入れ、相手も自分のことを受け入れ一緒の時間を過ごしていくということである。

それは恋人であろうが、家族であろうが、友人であろうが一緒である。

でも愛するということは実は傷つく可能性が高いものでもある。愛していたのに裏切られたり、変なことをされたりすると何とも思っていない人よりも何倍も傷ついてしまう。人を愛するということはそれだけ傷つく可能性があるということなのだ。

もちろん、そんなネガティブな感情で人を愛したりしないだろう。でもこれは事実なのだ。人は人を愛すれば愛するほど、自らは嫌われることを怖がってしまう生き物なのだ。だから愛というものは綺麗であり、そしてはかないものである。

私は調子ものだ。だから、自分は深く愛しているつもりでも相手に不快感を与えてしまうこともある。自分の愛に相手が反応してくれないパターンだ。

でもこれも愛のカタチなのだ。そしてこういったケースは致し方ないのだ。人間である限り。大事なのは相手からの見返りを求めないこと。愛は一方通行でも構わないのだ。もちろん、それは行動ではなく、心理的なことを言っている。ストーカーなどは一切愛のカタチとは言えず、あれは自らの欲望に負けている愛の湾曲した形と言えるだろう。

真の愛の形はもっと伸のあるまっすぐとしたものなのだ。

世界を愛で満たしたいと本気で思う

私は世界が真の愛で充ち溢れたらどれだけの人が幸せになるであろうかと空想にふける。世界各地に愛する人やモノがあって、世界中に自分を愛してくれる人やモノがたくさんあったら人はどれだけ幸せになるだろうか。

よく幸せの価値観をお金やモノに対して抱く人が多いが、特段反対するわけではないが、私は心に豊さを持ってほしいなと思っている。

世界が愛で充ちたらきっとあの国の豊かさがどうだとかそんな会話ではなくなるのではないか。

甘いって思われるかもしれないが、甘くていいと思っているのだ。だって普通に生きているだけでも現実は甘くない。

だからこそ、甘い愛で満たしてあげたいとまずは自分が思うようにした。

嫌われることもあるだろう。それが人間だ。でもそれが愛だ。

大事なのは、自分から愛を発信すること。

傷ついたとしてもそれが愛というものなのだ。また次を愛してあげればいい。人はそうやって豊かさを手に入れていくものだと思う。

全てが手に入るということはないが、愛さえあふれていれば人は幸せになれる。

終わりに


どうでしたか?

本日はどちらかというと哲学的な話になってしまいましたが、でももっとこの世界は愛であふれるべきだと本気で思っています。

ぜひ今から愛のある発信を心がけていきましょう。

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