人は、言葉にできるものは表現しない

面白い話を聞いた。何を言っているか、想像もつかないけれど、話していることはものすごく興味深かった。

言っていることはわかるし、事実も追える。

しかし、その人の感覚が全然想像がつかない。

その人の、当たり前がわからないのだ。

その瞬間から、僕の中で「辞書の改訂」が始まった。あの言葉は?あの状況は?あらゆる経験から、その人の話を表そうとした。自分の中の言葉を変えていくこと、意味を加えていくことで対応しようとした。

だが、無理であった。

どうしても言い表せない。言葉を適切に当てられない。

ざわざわして、居心地が悪くなってきた。その人の話から「なにか」は受け取っているのだが、その「なにか」を言い表せない。

そのときに「表現」の感覚が少しわかった。人は、なにかを掴んでいるけれども「表せない」ときに、表現をするのだ。

たとえば、今受け取ったざわざわを「絵」にしたり、「音楽」にしたり、「詩」にしたり、現状ではわからないものをなんとか形にしたいから「表現」をするのだ。

僕が「表現」に至らないのは、「言い表せる範囲」だけのものを「表現」しようとしているから。

違う。そうじゃない。

その、どうしようもなさがあるからこそ、「表現」は駆動し始める。自分を「エッジ」につれていくのは、「死」からスタートするのは、そういうことなのだ。

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