【短編小説】剽窃人間と時間旅行

私はかつてエリートだった。
小中高大と学問成績は常にトップ。私にとっては教科書と講義の内容を覚えていれば簡単に満点が取れるテストで点を取れない意味がわからなかったのだ。
そうやって学歴街道をひたすら登り詰めたのだが私には課題があった。何になれば良いかという答えのない問いであった。そんなものはどの文献を探しても見当たらなかったからである。
しかしながら若き私は焦るでもなく寧ろそういった事由を小馬鹿にしていた節がある。自分自身の理念だの夢だのをもつ他の誰も私より優秀ではなかったためだ。鉄血宰相として知られた、かのオットー・フォン・ビスマルクも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言っていた。私自身が頭からその格言を信用するわけでもなかったが、不出来な級友が持つ夢が貧相な経験から抱かれたものだと発覚し、この言葉は私の中での信頼を勝ち取った。寧ろ歴史以上の経験など存在せず、その中から自己をデザインする要素を適切にピックアップすれば何も問題ないとも思えた。
そうして明確な意志がないものの能力に満ち満ちた私が選択肢に困ることはなかったので、私はエリートとしてふさわしいキャリア官僚の道を進んだ。試験も当然合格し、面接では用意した解答を問題なく述べ、とある省庁に入省。しばらくのあいだ順風満帆そのものであった。
そんな生活を送っていたある日、通例に倣い行った…明言はできないのだが、とあるお偉方との接待の最中、不正行為があった事が世間に発覚する。当然私は何も察せぬわけではなかったのだが、不正に関して本当に一切を知らなかったため充分知らぬ存ぜぬで通せるだろうとたかを括っており、それが甘かった。行政のクリーン化を世間にアピールするというお上からの大義名分のために、なぜか同席した私まで、これまた仔細は言えないが懲罰を受けることとなった。常に周りの先頭に立ちエリート街道をひた走ってきた私にとってそれは耐え難い屈辱であり、そしてその理由を探した際に通例などという事に無条件に従った私自身の理念の空虚さに行きついたのである。

しかしながら夢や自身の理念というものを体得するにはもう中年に差し掛かろうとする今からではあまりに難題であったため、多感な青年期に刺激を送るために時を駆けるしかないと思い至り、我ながら大胆な発想ではあるが、所謂タイムマシンの開発を秘密裏に行うことになる。私自身の自らの理念を得るという仮の理念をひとまず獲得し、持ちうる能力を最大に使って様々な文献を基に、罰があけた後も多忙な仕事の合間を縫って研究に没頭し、およそたった2年の歳月でタイムマシンを作り上げることに成功した。私の理念が成し得た最初の事例であった。

私の目的はただ一つ。若き私に夢を施すこと。タイムパラドクスを最小単位で済ませ、優秀な私という存在を極力保ちながらしかし耐え難き屈辱を回避することである。夢に関する様々な文献を若き私の書庫に忍ばせ、手に取るように仕向ける。青き私に何かを芽生えさせるいわば種まきを行い、現代に帰るのだ。私は密かに心の高鳴りを感じた。
そして即座に実行した。答え合わせは現代に帰った先にあるだろう。私は思った。何らかの変化が起きているはずだと。それが私の成し得た成果であるだろうと。

結果を言えば全く何も変わることはなかった。青少年が夢を抱くプロセスに関する文献をいくつも持っていったがなんの追加情報も情念も頭に無い。もっとも、置いて行った文献の数々は経験則を重んじるものだったから今の私に何を与える者でもなかったのだが若き私は突如増えた得体の知れない文献を疑って読まなかったのだろうか。否、読んだはずだ。私の、特に若き日のこの私の知的好奇心が猜疑心に勝るはずがない。おそらく得た知識を切り捨てたのであろう。真偽はわからないが、文献を漁る日々に明け暮れ始めた私は既に夢を重要な情報として処理しない人間になったのであろう。人間とはかくもはやくその意思決定の基準が決まってしまうのか、人間とは簡単に変わらないものなのだと私は絶望した。結局私は2年かかって人は簡単に変わらないという陳腐な結論だけ得て、汚名を雪ぐことすらままならないのか。そんなことは許せない。誰が許してもこの私だけは許せないと強く思った。

その後あらゆるパターンを試した。ここで問題が生じる事になる。
時間旅行というのは概念がわかりづらく、私が様々な試みを行っていたあいだに現代に私が観測の対象とする事実に何も変化が起こらないため、旅行中に同じく時を進める現代の時間経過にしばらく気づかなかった。数日、否、数ヶ月か。そうこうしているうちに無断欠勤の連続で私は積み上げてきたものをも失い、もうこの望みに賭けるしか無くなっていたのである。直接の接触は大きな歪みを引き起こす可能性があると判断し、親や祖父、何代も巻き戻り『子に夢を持たせよ』という達しを送ったのだが一向に効果はあらわれない。現代で全て失ったと気付いたのちは積極的に同じ面々に再度直接の接触を行ったり、新たな試みもいくつか試したが何をやってもどうにも私に変化は起こらない。
全てに嫌気がさした。初めての試みを行う直前に小さな心の高鳴りがあった事が嘘のように絶望に打ちひしがれた。もうダメだ。これだけやってダメならば私という存在がどう足掻いてもこの世界で汚名を免れる事はかなわないのだと感じた。それでもなお私はその事実が許せなかった。
そうして回転をやめた私の脳は本来ならば無謀とも思える大望に行き着いた。
もし人間全ての始祖、アダムとイブが知恵を得る事が無かったらこんな屈辱を味わう事もなかっただろうに、と。

私は最後の試みを行う事を決意した。人間を終わらせる、否、始めさせないという試みを決意した。私の脳は再び勢いよく回り始める。空想上としか思えないアダムとイブの神話も今では私にとっては唯一この私を救う現実でしかなかった。そしてもし仮に、アダムとイブが存在しなくとも、始祖は確実に存在するはずだ。そしてそれを破壊するべきであり成し遂げるのはこの私であるべきだ。この私の最後にして最大の計画に狂いは起こらない。起ころうはずがない。
実行する直前、私はこれまでにない胸の高鳴りを感じた。とうとう成功するのだ。とうとう終わるのだ。アダムとイブが実在するか神が実在するか、ニワトリが先かタマゴが先かそんなことはもうどうでもいい。始祖を、知恵を持った状態で子孫を繁栄させる大罪を犯した始祖にその知恵をあたえなければ、私は取るに足らない動物になるか、寧ろ私という存在が生まれてこない可能性の方が高い。これは良い。今から太陽に地球をぶつけるよりもおそらく遥かに簡単だろう。抑えきれない鼓動とともに私はタイムマシンに乗り込んだ。
結果としてアダムとイブは実在した。そしてへびがイブに接近するところを視認した私はそのへびを踏み殺して『禁断の実を口にしてはならない』とイブに告げる事に成功した。
やった。やったのだ。伝承ではアダムは神によって既に禁断の実を食べてはならないと忠告を受けている。そしてイブにその実を口にするよう唆したへびを殺し、そのへびに唆され、果てはアダムを唆すイブも懐柔した。とうとう私は人類の歴史にまでも勝利した。歴史上に私より優れた者は存在しないだろう。学ぶ対象である歴史そのものを書き換えたのだ。何の文献も残らないことが私にとって最大の勲章になるであろう。心のうちで高らかな勝利宣言をし、私は悠々とタイムマシンに乗り込み現代へと帰還した。

-またしても私に変化は起こらなかった。
唖然とする私に唯一起こった変化が話しかける。
《時空警察です。あなたにタイムパラドックス防止法に関する重大な疑いがかかったため署まで連行いたします。》
ああなんだそんなとこに人が居るのか。あるいは来たのか?何なのかよくわからない状態で少し考えたこの時に、私は敗北を悟った。
ぼおっとした頭で時空警察とは何かを尋ねた記憶はある。確か返答は
《あれ、こんなことしてるのにニュースもみてないんですか?いやー、はた迷惑な国のはた迷惑な科学者がロクに申請も出さずにタイムマシン作ったでしょ?おかげで既存の警察が国家単位で連携取ってこんな組織作らされたんですよ。で、なんかその科学者をとっつかまえたらもうすでに時空に何度か入り込んでるヤツがいるとか騒ぎ立てるからどこからか聞いたら我が国からじゃないですか。もう参ってしまいますよ。》とかいう内容だった。
なんと私が時間を駆けて壮大なプロジェクトを行なっている間に、他の科学者がタイムマシンを作り上げていたのだ。
その驚きによって惚けた状態からほんの少し醒めた私は、のちに最初の旅から今に至るまでに時空を駆けるという経験から得た、"人は簡単に変わらない"という学びを軽んじた事が敗因であったと悟る事になる。

    【時空警察第一事例犯人の獄中手記より】


『ふーん。時空改変とかはすごくいいアイディアだけど、全体的にアプローチがあんまりうまくないよなぁ…何より詰めが甘いし…
まあでもこの歴史を知っている優秀な僕にならもっと上手にできるだろうね。』

誰かが本を閉じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?