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絵画を知った、といって何者にもなれなかった

目が見えるだけであなたは絵画が楽しめる。体を動かせるだけであなたは運動を楽しめる。ありとあらゆる不条理、故の無い悲哀、醜く、さればこそ人間らしい事象が溢れているが、一方で、人類の作り出した素敵な何かを死ぬまで楽しむ事もできる。

「絵画、ってあれですよね。幼稚園児に落書きさせて、額縁の下にピカソとか書いてあればありがたがって見る程度のものだし、なんでそんなものに有難がって金払うのか意味わかんないです。」
「いや、君。ピカソが落書きとか言っているけど、まともにピカソとか当たりの近代美術見たことなでしょ?」
「ないですね。お金勿体ないですから。」
「ほら」
「でも、昔、家族旅行で彫刻の森の美術館だかなんだか行って、ピカソ―うわー落書きじゃん。とか思って、なんか体験芸術コーナーみたいなところで、陶器にピカソ風の落書き書きましたけどそんなものですよ。美術なんて。僕が書いた絵、相当ピカソしてましたよ。」
「ピカソしてましたよって君ね。落書き落書きって繰り返し言っているようだけど、まともに見たことすらないのによく言えるね。私はね。ピカソの絵を見て感動した。ピカソの絵だけじゃなくて有名な画家といわれている人たちの絵、色々な美術館に行って、君が、そう、見たらすぐ落書きとかいいそうな絵を見て感動したの。何が良かったとか具体的にどうという話は言えないけど。絵の前にたって、眺めて、心を揺さぶられた。」
「いやーどうですかねぇ。まともに見たって落書きは落書きですよ。少なくとも僕には。心とか揺さぶられている場合じゃないです。」
「つべこべ言わず黙って美術館に行きなさい。せっかくロンドンにいるんだから。日本じゃまず見ることができない作品が当たり前のように並んでいるから。そう。今ちょうどTate Modernで、君が落書きよばわりしたピカソとマティスという画家の特別展示会やっているから、行きなさい。」
「ええー。何が悲しくて、お金謎払って美術館に行かなきゃいけないんですか。」
「黙っていく。絶対に。」
「はー」

夏。普段は陰鬱なイギリス人がパブから溢れだし束の間の陽気さを発揮する季節。リッチモンド公園。ロンドン中心部から電車で45分程度の郊外にある。濃い緑の木々と水辺、どこまで続くのか不安になるほどの広さの広大な敷地に家族連れやら、カップルがピクニックをする中、自分はなぜか、年上の日本人のお姉さんに説教をされていた。黒のロングヘア―コンパクト一眼レフをぶら下げ、緑色の古着のTシャツにジーンズというざくっとした格好だが、サイズ感が絶妙で自分に合うものを古着でうまくまとめている。なんというか、まぁ、白人にモテそうな容姿のお姉さんだ。

彼女は自分より8つ位年上で、靴職人になる修行のために訪英。本格的な修行をする前に語学学校に通って英語を習ってそれから本格的に修行と2年計画でこちらに来ている。そもそも、なぜ自分は彼女とリッチモンド公園くんだりまで来ているのだろうか、よくわからない。さらに、何故怒られているのか。これもよくわからない。おそらく「いい写真ってなんなんですかねぇ」という辺りから話が美術に転じてこのような話の流れになったのだろう。

***

テムズ川南岸にあった火力発電所を美術館に改装。火力発電時代の巨大な煙突が建物の中央から天を突き、周囲の再開発中の建物群から生き残れたことを誇るかのような威容。美樹幹内部は旧火力発電所のおそらく発電機器を置いていたドックだろう、軽く見ても8階以上の高さの巨大な吹き抜けエリアが灰色の壁に建物や二つある棟をつなぐ橋が黒い鉄が硬質なトーンであるのと対照的に、展示室となっている棟は敷き詰められた木の床と、ガラスが白い壁が暖かなトーンを醸し出している。控えめに言っても凄まじく洒落ている。美術はわからないが、少なくともこの建物はとても素敵なものだ。

特別展示はMATISSE PICASSO。確かに開催されている。で、チケットは、えーっと。あった。チケットオフィス。値段は、何、10£?10£あれば中華街でぶっかけご飯が2杯食べれるぞあんた。2杯分のぶっかけご飯と比べると、この食事不毛の地でこんがり上がった豚にあんかけをたらしたご飯2杯に落書きは勝てないよ。ちょっと、ね。美術でお腹は膨れない。でもなぁ、ここまできたしなぁ。チケットオフィスの近くでうんうんとしていると「失礼ですが、貴方」品のよさそうな英国の婦人が突然声をかけて来た。

「MATISSE PICASSO展を観に来たのかしら。」
「ええ、まぁ、はい」
「どこのご出身で?」
「日本ですね」
「まぁ日本からわざわざ。この美術館と展示会を見に来たのね」
「ええ?ええ、まぁ、はい」
展開がつかめず生返事しか出ない。
「私この美術館のメンバーだからチケットはただなのよ。余っているチケットがあるから、あなたみたいな人に是非ゆっくり楽しんでほしいから、ほらこのチケットあげるわ」
「ええ?有難うございます?」

少なくとも中流階級以上であろう品のよいご婦人に日本からMATISSE PICASSO展を見に来た美術に熱心な若者と勘違いされたおかげで、チケットがタダで手に入った。ラッキー。口が裂けても美術に全く興味が無いし、今日ここにいるのはお説教の結果、感動なんかするものかと半ば反抗心からいるという事も、ピカソ落書きとも言ってはいけない。ここは素直に感謝するしかない。

***
特別展示会場に入る。ピカソが10代前半に書いた写実的な絵画、青の時代の「人生 La Vie」、バラの時代の「馬を引く少年」、幼稚園児の落書きのイメージが見事に崩されていく。あれれ、これいとてもいいものではないか?ちょっと話が違くないか?キュビズム時代、「アビニョンの娘」、ゲルニカに至る習作、そして、よく知っているつもりであった落書き風の絵画に。でも「流れ」で見ていくと、絵画表現の限界を崩そう崩そうと、表現の裾野を広げ続けて落書き風の絵に至っているという事がよくわかる。一方のマチスはコートダジュールの景色を描いた鮮やかな風景画。色合いが良い。静物画もなんかよくわからないが良いね。あ、なんか、踊りだしているぞ、こりゃ裸で夏祭りか?ああ、いいね鮮やかな色の組み合わせあれれ、紙細工始めちゃったよ。

すっかり「心を揺さぶられて」しまっている自分がいる。なんだかなぁ。こんなはずじゃなかったのになぁ。

常設展に移動。これでもか、これでもか、これでもかと続く芸術家達の一発芸。これだ。少し安心した。なんか、便器あるし。展示室に石が転がっているし。ぼんやりと2色だか3色だかの色を塗っているだけの絵が並んでいる部屋や、同一色を塗りたくっただけの絵、ペンキをまき散らしただけの絵、白地のキャンバスに穴空いているだけの「絵画」もあるし、明らかに日常風の写真を並べて飾ってあったり、不気味な映像を流すくらい部屋があったり。これがとてつもなく洒落た美術館に並んでるというだけで、それが芸術とされているという事の胡散臭さ。これが美術館に作品置いたら人はありがたがるとか、ピカソって書いてあれば人が有難がるっていうことだよ。うんうん。とほっとしながら、ちゃっかりTate Modernの常設展の展示画集まで買う。いったい何をやっているのだろう。

外は穏やかな夏のロンドンの天気。どこまでも抜ける青空がまぶしい。テムズ川に架かるミレニアムブリッジに向けて歩くと、聞いたことのあるようなメロディーが耳に入った。ただ、ぱっとは何の曲だかわからない。歌もギターもあまりに下手だからだ。音の方角へ足を向けてみると、金髪、長髪の兄ちゃんがギターをかき鳴らしている

「Hello Hello Hello How Low」えええ、これ、あれじゃないかこのテンションでまさか公衆の面前でサビにいってしまうのか。歌っちゃうのか。

「With the lights out, it's less dangerous
Here we are now, entertain us
I feel stupid and contagious
Here we are now, entertain us
A mulatto, an albino, a mosquito, my libido」

はずしに外しまくってたサビ、何を引きたいのかもはや制御不能になったギター、リズムからも、音階からも自由になったアコースティックギターは世界に放り出され、通行人の耳を突き刺し、そしてテムズ川に飲み込まれた。自由だ。多分これが自由ってやつで、彼が自由ってやつを体現したなにかなのだろう。サビ終わりのYeahに至って、気の抜けた炭酸水のようなへっぴり声が聞こえる。何故に音だけを鳴らすのに間違えるのそこの間奏部分と思いながら、すでに対岸にむけてミレニアムブリッジを歩き出していた。顔を上げれば、St.Paul寺院が厳かに鎮座している。

***
2002年夏の英国での出来事。その時自分は就活に失敗した腹いせで(完全に就活をなめていたのが悪いのだが)箔でもつけようと一カ月の語学留学でロンドンにいた。今回、それから17年の月日が経って再びTate Modern Museumに訪れた。

残念ながら今回の特別展はあまり興味のある作家の展示ではなく、また時間もなかったのでパスをしたが、常設展を駆け足で回ってみた。

素敵な建物だ。


相も変わらず一発芸にしか見えないものだらけだなぁ、と似たような感想を思ったものの、今なら現代美術のたいていの作品を楽しむためには感覚だけでは少々厳しくて、美術史や、作家の背景知識を抑えなければいけないという事もよくわかる。ただその勉強をやっていないというだけか、コードが抑えられていないというか。

例えば、展示室転がった石ころでと似たようなものとして、文化的な背景を踏まえて把握している竜安寺の石庭は楽しめるが、この展示室に並んでいる転がっている石達をみても何も思わない。ただ、そのコードを知らないだけだ。

足を進めよう。ああこの便器はデュシャンなんだ、この作品はロシア構成主義の影響あるなと思えば、旧共産圏のセルビアの画家だったり、一発芸、一発芸を連呼していた17年前とは少しは成長したのだろう。

ロスコが展示されている部屋に入り込む。矢張りロスコは良い。和む。(千葉県佐倉のdic美術館にもある) キリストや天使、ガネーシャ、仏が直接描かれている絵画よりも宗教的に感じる。最大でも3-4色程度でグラデーションを描いているだけにも関わらず。深く深く吸い込まれる。17年前であれば一発芸だなと足早に立ち去っていただろう部屋に少し時間をとり深呼吸をする。

これはロスコの部屋の手前にある彼の作品。ロスコの部屋は照明が落とされていて手持ちのカメラではまともに作品が取れなかった。

さて、フライトの時間が迫っている。地下鉄に向かおう。美術館を出てミレニアムブリッジに向かう。

あの時、わけのわからぬ調子でニルバーナを歌い散らしていた彼はどうしているのだろうか。17年たった今、当たり前のことだが、彼はもうテムズの畔で歌ってはいない。今日は圧倒的な歌唱力を見せるロシア人がロシアのクラカルな歌を歌っている。これは自由という感じはしない。自分ももうおっさんだが、あの彼ももうおっさんだろう。別にどうなってようと構わないが元気でやっているといい。

チケットをくれた貴婦人はまだ健在だろうか。MATISSE PICASSO展、貴方がいなければ結局見に行かずに、常設展だけみて、「なんだ美術なんて落書きでさらに悪いことには一発芸じゃねぇか」とかのたまいそのまま中華街でぶっかけご飯を食べにいき、さらに割る事には美術への興味が一切なかったかもしれない。

リッチモンド公園で僕を説教してきた語学学校同期のお姉さん、連絡先を交換することもなく、あっという間に名前すら忘却の彼方に忘れ去ったが、あの時の会話、情景はよく記憶している。彼女は願った通り靴職人になれたのだろうか、それとも挫折したのだろうか。別にどうなってようと構わないのだが、元気でやっているといい。もう50歳近くですか。「ずいぶん年をとってしまいましたねお互い。あの時説教してくれたおかげで、人生が豊かになりましたよ」と伝えられればとは思う。まぁ僕の発言に相当ムカついていただけだったと思うが。

あれから17年経て結局、僕は何物にもなれなかった。絵画に少しだけ理解が拡がりそれを楽しめるようになった。ただ、それがどうしたというのだろう。それで何かしらの作品を生み出したわけでも何でもない。それでもまぁいいのだ。

今までの人類は大体において生活に格闘し、幸か不幸か問わず、みな死んでいった。一握りの「積み重ねてきた」、「才能に恵まれた」、「巡り合わせの良かった」人々だけが、歴史に名を刻んだり、何か偉大なるものの創造に名を刻んでいった。無名兵士の墓に入るのか、はたまたどうなるか知らないが、生活に格闘し、何か自分にとって意味のある事をやっていくしかない。偉大なる作家の作品達を愛でる事ができるようになっただけ、僕の人生は豊かになったんだ。それでいい。

テムズ川は茫々と流れる。St.Paul寺院が厳かに鎮座してこちらを見下ろしているような気がする。が、まぁ気のせいだろう。


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