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20時45分の習慣

平日、20時45分が近づくと少しだけ家族が色めきたつ。目を瞑ってうーんうーんと呻く母、遠い目をしながらも悠然と座椅子で構える父、天を仰いで過去を反芻しはじめる妹、口をぽかんと開け放って天啓を待ちもうけるぼく、四人が示し合わせたようにテレビの前に集まる。チャンネルは3、NHK総合。45分を迎えて画面には仙台の夜景が大写しになり、目と耳に優しいオープニングが流れる。
オープニングが終わるのを待たずして、四人は鋭く一言ずつ発する。
「高木」「津田」「タマ」「ナントカ太朗」

夜景がNHKスタジオに切り替わり、アナウンサーの顔が現れるなり、ある者は快哉を叫びながら拳を掲げ、またある者はひどくしょげかえる。平日この時間は県内のニュースと気象情報を伝える番組が15分つづくのだが、われわれ家族は報道内容をそっちのけにして、日々のアナウンサー当てに一喜一憂する。
うわー昨日も高木じゃん。連勤おつかれさまだ。最近たまの姿を見てないなあ。母はタマしか予想しないね、いつも。だって見たいんだもの。きょう昼のニュースで彼が喋ってたから夜は出ないと睨んでたよ俺は。えー言ってよ。ははは。
こんな調子だから番組がいちばん伝えたいはずのトップニュースをほぼほぼ聞き逃す。ときに全員の予想を颯爽と裏切る謎の新顔が滔々とニュースを話し出そうものなら茶の間はさらに紛糾する。誰だ誰だ誰だ。混乱が場を占めるなか、きまって母がNHK仙台放送局登録のアナウンサーを調べ、新人のデータベース(出身、趣味、座右の銘など)を読み上げ、四人の頭にその存在がインプットされていく。
とはいえインプットしたからといって翌日以降精度よく当てていけるかというと、さにあらず。20時45分のニュースを担当する10名程度のアナウンサーを憶え即座に召喚するだけでも難しいところへ、新顔が加わったり、あるいは謎めいたタイミングで異動してしまったりすれば戦いは極めて苦しい様相を呈する。たとえば、「ナントカ太朗」といつもぼくが咄嗟に呼ぶ黒澤太朗氏の姿は登録アナウンサーの一覧に見えなくなっている。そうと知らずに「ナントカ太朗」にこだわりつづけ、連敗を喫している。恐ろしいことである。記憶の底流から苦労して引き揚げた切り札がじつは失効していたとは。震災当時からずっと宮城の報道の第一人者である津田喜章氏(母のいう「タマ」、玉ねぎ然の風貌をそう呼びたくなるようだ)の名を高い頻度で繰り返す無難な母と妹をぼくは侮れない。

その日のアナウンサーをメモしたり、一覧を毎日チェックしながらしかつめらしく戦略を立てたりするほど熱を上げているわけではないので、気象情報に話題が移る頃には翌日の天気に自然と注意が向く。だが、それでも毎晩20時45分になれば皆の脳裏にアナウンサーの名が記された手札がざーっと舞い込む。45分からの放送じゃなかったり、そもそも県内の放送自体がない土日だとしても、「その時刻」の足音を感じると無意識に手札を点検してしまう。すっかりわが家の習慣である。

母のお気に入りはなんといっても「タマ」。
父のお気に入りは昼メインで出演していた杉尾宗紀氏。退職されたのかな…
妹のお気に入りは高木優吾氏か、オノタクこと小野卓哉氏、あたりか。
ぼくのお気に入りは黒住駿氏。ひしひし切実な緊張が伝わる挙動にいつも感銘。
おのおの愛着と記憶をひっさげて、きょうも20時45分と対峙する。




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