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遠野うろうろおぼえ 1巻

年忘れに訪れた温泉にて。浴槽の縁で滑って転倒、尻を打撲した。
忘れられない年になった。あゝ痛い。気をつけましょう。

巻頭言

2022年4月(ごろ)に岩手県遠野市に行った(ように記憶している)。
在来線を3回(ぐらい)乗り継いで2泊3日で訪れた(はずだ)。

当時あまりに意気軒昂だった(のだろう)ことは仰々しく【予告】篇を掲げていることから感じ取れる。

で、道中、あまりに楽しくってnoteに写真数葉を投稿した。
今は懐かしきあの人の古めかしいポスターを撮っていたり、さまざま興奮。

滞在からひと月を経た5月には「遠野阿房列車」と題して記事を投稿していた。
敬愛する内田百閒先生の名随筆「阿房列車」シリーズに触発された。
題名から感化されただけじゃなく、先生の弱目的万歳な気っ風にも惚れ込んだ。

なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ

内田百閒「特別阿房列車」

ちょうど遠野物語に関する講演会があるようだし、ちょっくら行くか。
ほがのこたぁ行ってがら考えっぺし。と、勇み足で列車に乗り込んだ。

だがこの「阿房列車」、最後まで乗ってから気がつくが、終着点は遠野駅である。
駅舎を出て、物語の息づく遠野の里山まで筆を走らせていないのである。
とんだ片手落ちには少なからぬ読者がヤキモキしていることだろう。
当事者たるぼくも薄れゆく記憶を見送りながら漠然とヤキヤキしていた。

小舟が風に吹かれて だんだん遠離とおざか

ゆらゆら帝国/通りすぎただけの夏

投稿から半年を閲してもなお遠野記事を好いてくださる奇特な方がいらっしゃり、かねてから励まされていた。おニューでファニーな記事が日夜溢れかえるnote海域にあって半年前のものが掬い上げられるとは滅多なこと。
かくなる上はありったけの記憶を列車に積載し、遠野の市中を駆け抜けて参ろう。
お待たせしました。

幾星霜を経て、やっと遠野駅舎を出る!!

11時くらいに遠野に着いた。
講演会「本当にはじめての遠野物語」が市図書館で催される13時まで時間があり、駅周辺をぶらぶらすることにした。宮城よりも北に位置するだけあって冷え込みが肋骨に沁み入るが、青々と晴れ渡った空から注ぐ陽光には暖かみを感じられた。
悠々と腕を振り、ずんずんと大股で街路を進む。頬に吹きつける風が心地よい。

柳田國男像(左奥の施設は市民プール)
木馬ベンチ
未生の太郎と関係者三氏、酸性雨を添えて
少女胡桃に坐る

午に近づくにつれ徐々に活気を呈しはじめる商店街のそこここにオブジェが据えられていた。遠野物語作者の柳田國男や地域の名士の銅像のほかにも、農耕馬に感謝する文化が盛んな岩手らしい造形のベンチや、さまざまな作家の手になるブロンズ像などがある。目を惹く大きさのものが相当数設けられていて、日常の風景に物語が溶け込んでいる、あるいはレイヤーとして重なっていると感じた。

ぶらぶら、ふらふら、あら、蔵にクラクラ
安藤忠雄設計の「こども本の森」(残念ながら今回は入らず仕舞い)

新しきも旧きも混淆し、遠野としての風景が立ち現れている。
脈々と受け継がれてきた過去を引き受けてこそいるが荷物を背負うのとは違い、「どんなものなんだろうこれ」と丁寧に点検し取捨選択、ときに修繕しながら当世に生き残っている。荷物というより、寒中でも朗らかに笑うための上着に近いか。

小一時間歩いて空腹を覚えたので、昼食。
軒を連ねる定食屋から手招きされるのを背にひしひし感じたが、せっかくだからと遠野市民の勧める店に寄ることに決めた。そのときちょうど、そばを一人の男性が歩き去って行った。紺色のジャージに身を包んだ彼の足取りはすこぶる軽快、とはいえ交通安全の意識が人一倍高いようで、交差点に差し掛かるたび両足を揃えて立ち止まり、掛け声とともに指差し確認する周到さを見せた。その日の遠野の空のように清澄で健やかな好人物とお見受けして、ぼくは駆け寄った。

「こッ」言い淀み、「こんにちは」
「んッ」男性がそばに擦り寄るぼくに気づき、振り向く。「こんにちは」
「はッ」ぼくは今なお憶えている。彼の目の綺麗さを。
無量の光を湛えた瞳をまるく囲む瞼が、鋭く長いまつ毛に縁取られていた。
ほんの一秒視線がぶつかっただけでぼくは魅了され、夢見心地で食事処を問うた。

「なら、伊藤家かな!」「ふむ、伊藤家?」
なんでも、そこは古い蔵か旧家を食事処に改築したらしく、歴史が長いとのこと。
素敵な店員さんがいてね、と補足しつつ、彼一流の身振り手振りで店までの経路を示してくださった。「ここを直進して」と説明するときの右手のしなやかなスナップが目に焼きつく。
ぼくが宮城から来たと知ると、平素からまるい目がさらに見開かれ、鮮やかな喜色が浮かんだ。「楽しんでってください、じゃ!」と言い残し、交差点を渡る彼の姿はあくまでキビキビしていた。

伊藤家。どのメニューも絶対ウマいと伝わる店構え

黒塗りの店構えがどっしりした安心を感じさせる伊藤家に着いた。
面積が広い店の奥に案内され、蕎麦を注文。愛嬌のある女性がほどよくフランクな態度で応対してくれ、先の男性の言葉に偽りなしと感じた。居心地が良い。

蕎麦来たる

ほどなくして配膳された蕎麦を大喜びで啜る。ぼくはうどんより蕎麦派である。
悲しいかなディテールは定かではないが、とにかく旨い蕎麦だった。
山葵を添えたりネギを混ぜたりして舌鼓を打っていると、厨房のほうからザルを手にした男性店員が半ば青ざめた表情でやってきた。今にも口に蕎麦を満載しようとしているぼくと目が合うと、おづおづと切り出した。

「スイマセン、これ食えます?」
ザルに載った蕎麦をこちらに差し出すその素振りは、カオナシが千に砂金を渡すのにも似た神妙さである。込み上げる笑いを堪えながら事情を訊くと、
「ちょっ、麺、茹ですぎちゃって……」
「マジっすか」予想外のことにぼくもたじろぐ。「ええ食えます」
「ああ、助かります」合掌しながら去り際に「足りなかったら言ってください!」

「いくらでも茹でますんで!」と言い添えて消える彼を呆然と見送る。

エキストラ麺。けっこうな量である

笑いながら蕎麦を啜る。滅多にない経験をした。
我、伊藤家の店員の真骨頂を見たり。ジャージの君子に内心拍手喝采を飛ばした。

小川

駅前から図書館に伸びる通りに架かる橋の欄干にもたれて、しばしポカン。
遠野は、いい静けさがある街だ。
緊張や恐怖、あるいは退屈や不満を感じるような虚ろな静けさではない。
山から里へ流れる息吹や気配が五感を常時包みこみ、満足させる。
喧騒に浮き足立つ仙台とも、ともすれば生気を感じにくいぼくの住む田舎町とも違う、じつにちょうどいいヴォリュームの気配がする。

いい静けさ発生装置、水車

清浄な気持になりながら付近を散策する。
水あるところに河童あり。そう断じていいぐらい河童像が多く点在している。
授乳する母子河童に、葉っぱを抱える河童、腕組みデフォルメ河童。
多様な造形が与えられる河童は、必ずしもカワイイに重きが置かれていない。
そのへんに暮らす、なんてことない水獣だという気がしてきて、目が慣れてくる。

けっこう胴が長い
青カワウソ
お墨付き、折り紙付きならぬ、河童の落ち葉付き
トーテムポールふう腕組み河童
カワイイ河童もいる(緑色だ)

ついでに神社に詣でた。
山がちな遠野には数々の素敵な階段がある(怪談だけじゃなく)。
階段が好きなあの方にも来ていただきたいものです。
ひとしきり境内をぶらついたら聖獣カモシカとエンカウントした。

ロマンスグレー、といいましょうか
市中一望

講演会の開場時刻を迎えたので、市図書館に馳せ参じた。
会場入口にて、ぼくを遠野に導いてくれた画家・デザイナー夫妻と落ち合う。自然の風物が生活に充満する遠野に、仙台から移住して活動しているお二人だ。7月にNHKの移住者特集番組「いいいじゅー!!」に登場したのでご存知の方もいるかもしれない。仙台の個展で知り合った縁で、このたび再会した次第である。

3月末に個展を訪れてから日が経っていないにも関わらず夫妻は歓待してくれた。
白熱のコンニチハの応酬のあと、ふたりはぼくを引き連れ、講演会参加者の知人につぎつぎ紹介した。「宮城から……」と言うたびに皆一様に目を丸くする。日帰りのつもりだと話すと「泊まっていきなよゥ」と頻りに勧められ、揺らぐ。
とくに忙しくないから宿泊も可だったが、懐事情が不安だったので決めかねた。

講演会場にはたくさんのパイプ椅子が展開され、開演に向けた準備は間もなく完遂しようとしていた。続々と参加者が入ってくるホールの片隅で、いわゆる投げ銭を求めるブースが設けられていた。投げた額に応じて返礼品が用意されている。
ぼくはそのうちの藁で編んだ馬のミニチュアに惹かれ、投げ銭した。

ノ馬(nouma)。萌黄色が目に快い

馬文化が盛んな遠野において、厳しい冬の手仕事として始まった「馬っこ」制作。
ぼくが惚れ込み、投げ銭したのは、遠野の伝統を継承した新ブランド「ノ馬」(nouma)による返礼品であった。
ぼくの家では現在、本棚の守護神としてうやうやしく祀られている。

開場から30分ののち、講演会が始まった。
「遠野物語を1ページも読んだことがない方にこそ」と謳う通り、基本的なところから物語が説き起こされる。解説を担当するのは遠野物語研究の第一人者の人物で、その口調には愛情と才知とがひしひしと感じられた。
遠野の生まれで、自らも民間伝承の収集にあたっていた青年、佐々木喜善の語る「遠野の今昔の逸話」を柳田國男が聞いてまとめた全119話の物語。「平地人を戦慄せしめ」る理想を掲げた柳田の願いは、上梓から一世紀を経た今なお豊かに実を結んでおり、人々に読み継がれている。
そんな遠野物語の面白いところは、事件の起きた時期や場所が明確に伝えられていて、しかも、その場所を訪れると記録や記憶が今なお息づいている点にある。
「この屋敷でどこそこの太郎さんが怪に遭った」
「この川べりで」「この崖で」「この家で」「この山中で」
遠野市内の各地を歩くと、往時を伝える屋敷や標識を多数みることができる。

こうした生々しい出来事がなにゆえ、内陸の深奥にある遠野に多数生まれたか。
そのナゾを解く鍵は、遠野の地理である。
西方の都市の花巻と、太平洋に面した港町の釜石の中間点に遠野は位置する。
東西を往来する人々が滞在する拠点として遠野は都市化していく。
現代を生きるぼくでも驚いた。「けっこう栄えてるな……」
はるばる電車に揺られて来た先に存外たくさんの人がいたので不思議だった。
しかし、人が盛んに行き交うようになった一方で、この街は極めて山がちである。
どこを向いても山、山、山。人工の建築物を寡黙にさせるほどの存在感を放つ。
都市としての文脈にまとまりきらない「異」の領域が残っている道を歩くことで、相異なる文化が触れあい、摩擦した火花が「物語」として伝えられたのだ。

講演会終了後に先述の菅野さんの紹介で、投げ銭ブースを担当していた女性と接点を持つことができた。しばし話し合った結果、自らも住まうシェアハウスに泊めてくれるという。望外のご厚意に甘えることに決め、日帰りプランから舵を切った。
そういうわけで遠野旅はもう少しつづく。

山、町、里、人、異 混じり合った街、遠野

シェアハウスでは焼きそばを作って啜った。
具材調達に訪れたスーパーマーケット「とぴあ」で面白いものを見たので添付。
あゝ日本語大好き。なかんずく、同音異義語。

太刀魚を小脇に抱えて遠野の市中を暗躍する、法被姿の河童を想像してしまう


(きっとつづく)



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