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「年を重ねる」ということ

今月に誕生日を迎え、31歳となった。ありがたいことに今年もまた年を一つ重ねることができた。20代は「年を重ねる」ということに焦りや嫌悪感を感じていたが、年々それが自分のなかで薄くなっているのを感じている。


孔子の『論語』には「三十而立」という言葉が出てくる。「人は三十にして立つ」。人として30歳にして学問に対しての基礎的なものを身につけたという意味合いだ。


残念ながらそんな高尚な人間にはなれていないのだが、年を重ね、日々を過ごしていくなかで気づくことは出てくる。それは、人生には「流れ」というものがあること、そして物ごとには「始まり」と「終わり」があるということだ。


人生においてうまくいく時期というのは訪れる。自分のなかでそれは学生時代でいえば学業も部活のサッカーもそこそこ頑張っていた高校時代であった気がするし、直近でいえば20代後半から裸一貫でライターを志し、数年でプロのライター、編集者になるというところまで辿りつけたことだった気がする。


一方で全くうまくいかない時期というのも残念ながら人生には訪れてしまうもの。自分の中では大学時代に留年を経験したこと、就活で落ちまくったこと、さらに病を発症した20代前半から中盤にかけてであった。あの時は31歳まで生きる自分は想像できていなかった。


うまくいく「山」の時期といかない「谷」の時期。この両方を経験すると、山がそんなに長く続かないことが経験則で分かるし、どんなに苦しい谷にもいつか終わりが来ることも分かる。これは年を重ねて分かってきたことの一つではないかと自分では感じている。


きっと今感じているこの想いや考えも、さらに年を重ね、経験値が増えることで変化していくものなのだろう。生きるとはそういうことの繰り返しなのだと思う。過去の自分を今の自分が塗り替えていき、その今の自分を未来の自分がさらに塗り替えていく。


新たに年を重ねてもとくに変わりはしないのだが、しいて目標、指針のようなものを挙げるとすると、新しい発見や気づきが得られるような人生は送っていきたい。自分が喜びを感じられるのはそういう部分であり、変化することを厭わず、恐れない気持ちは持っていたいものだ。


「年を重ねる」ということをテーマに自分なりの考えを綴ってみた。このような表題で言葉を連ねるようになるとは、自分もそれなりに生きてきたのだと実感する金曜日の夜。

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