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やっと、「とことん好きなことに触れる」というフェーズへ。

色々と落ち着いてきたので、久しぶりに文章を書く気になっています。
病気のことも書くので、この話題にセンシティブな方は避けることをお勧めします。

まず母のその後を報告します。
お陰様で容体は安定し、HCUから出ることが出来ました。
入院しており、昨日あたりからようやく、杖をつきながらトイレに行けているとのこと。
寝たきりで筋力も衰えてしまっているので、ゆっくりリハビリを頑張っているようです。
この後は、リハビリ病院に行くか退院して介護をしながら生活を整えていくかを検討していく感じだと思うのですが、まだその域ではないです。

入院する直前はサチュレーションもかなり低く、入院してから数日間は最悪の事態も十分あり得る状況でした。
肺炎と、敗血症との診断。酸素の吸入を最大にしてもサチュレーションは90〜95を行ったり来たりで一喜一憂。
一時は、気管挿管一歩手前(肺に水が溜まっていたようです)、ICUが開けば入るかもという状況だったようです。
その後、主治医がコロナになり、濃厚接触者扱い(詳細は分からないのですが)。

病気的に、万が一が何度も頭をよぎり、気持ちが落ち着きませんでした。

(今も、色々な病気を抱えて苦しんでおられる方、1日でも早い回復をしますように。
コロナ禍で大変な中病院で働かれている全てのスタッフの皆さんには感謝をすると共に、少しでも休めたり、安心していられますように。
そして、医療関係以外の皆さんも色々なことでそれぞれの立場で大変だと思います、少しでも安心して笑える瞬間が、1日の中にありますように願っています。)

結果、母のことがあって、足が遠のいていた実家に足繁く通うようになりました。

父と1週間に1回〜2回病院に荷物を預けに行ったり、兄弟と一緒に料理をして夕食を食べたり、食事の後も少し話をしたりするようになりました。

これは正直、奇跡に近いです。
これまでの数年間、いや下手したら20数年間を埋めるかのようです。

同時に、母の人生のことも沢山考えました。
彼女は恐らくとっても、頑張ってきてしんどかったんだな、って。
そんな母に育てられた私たち子供がしんどいのは、当たり前だよねって。
父も、寡黙で絶対に不満を私たちに言わなかったけど、1人で悩んできたんだなって。

一時は命も危ぶまれたけれど母が奇跡的に回復に向かっていて、父も高齢ではあるが元気なうちに、こんな風に思える事実には、感謝の気持ちでいっぱいです。
しつこいけど、そんな風に思えるようになって、この2週間のような関係性になれるなんて思わなかったから。
母が病気になる前は。

でも、過去のこと、傷ついてきたこと、悩んできたこと、今の自分の性格や置かれている状況が全て解決したわけではないです。
なんなら、何も変わっていない…そもそも変わりようがないものだったりする。
だから、そのことも、最近感じたことも、カウンセリングで話をして整理をしています。
自分を客観的に捉えて、整理して、うまく付き合っていけるように。

「このまま仕事を復帰しても、同じことを繰り返すと思う」


と感じて、休職期間を2ヶ月延期してよかったなと、今の私にとってはベストな選択だったなと思っています。
母が病気になったのは予想外だったけれど、お休み中で実家にフルコミットできる状況で良かったです。
というか、これがあったから、家族との関係性も変化してきて、気持ちの整理もいい方向に向かっているような気がします。

人生、いつどうなるか分からないって、こういうことなんだなと思う日々です。

1年前までは、「これがベストだ」「この人が自分の支えだ」と思っていたことが、今の自分の目の前になくなって、それに変わって新しいものが入ってきている感覚もあります。
※もちろん、ずっと変わらず大切なものは居続けていて、より強固になった関係性もある。

手放すことで、受け入れられる。

この数年の私は、自分にとってしんどいことや負担なものに向き合うことが良いと思って手放さないように意固地になっていたり、思い込みや自己洗脳的な「私はこういう人間だから無理」「私はこうだからこれは苦手」みたいなものにしがみ付いていたり…そんなことで心の中をぱんぱんにしていたと思います。
楽しむことや、お休みの日の過ごし方すら頑張ってしまっていたと思います。

そうすることでとても無理をしていて心も体も疲労困憊なのに、私の問題だと自分を痛めつけて、鞭打って生きてきたような感覚。
もちろんその時は気が付かなかったし、一生懸命だったから、余裕がなさすぎて対処療法的な浅いところでの判断をするしかなかった。

ある意味、そうすることで自分を守ってきた。
もうこれ以上傷つかないようにって、頑張りすぎてたんじゃないかな。

でも。
休職をして何にもせずに過ごしたり、
カウンセリングに行くことに決めて1週間に1度通ったり、
母のことがあって気が気じゃなくなったり、
それがあって実家に通って家族の時間を過ごしたり、
車中泊をしてみたり、
noteを書いてみたり、
友達と話したり、
部屋を少しずつ整理して断捨離しまくったり、
メルカリで思い出の品を売ったり、

そんなことをして頭を空っぽにするように、
それをただひたすらに頑張って自分の心に従って生きてみると、
自然と好きなことややりたかったことが見えてきました。

無理していたことで埋めていたものを取っ払って、心に従うことで心の中が空っぽになって、そして心地よいものを受け入れたくなっている。

例えば、本を読みたいな〜と思って7年前から登録している「ブクログ」で検索をかけて「読みたい」本を何冊も登録したり、
美容院に行って好きな髪型を探したいなと思って、おしゃれな友人に紹介してもらった新しい美容院に予約をしてみたり(この何年かどうでもよくてお任せしていたけど、お洒落したくなった)、
ブランドだけで選んで、色とデザインも黒や紺ばかりの服を買っていたけれど、避けてきた好きな明るい色味やデザインのものを買ってみたり。

ちょっとした変化だけど、好きなものを取り入れる隙間ができたから、出たり入ったりし放題な状態。
やりたいと思ってやらなくなったとしても自分を責めることはない、この心地よい感じ。

今は休んでいるからこの状態が保てているだけで、復帰したら大変になることはわかっているんです。

社会に出れば全てが完璧な職場などなく、いろんな人がいるし納得できないこともあると思います。
それを感じやすい私です。

だから、そんな自分が社会に出て戦った頑張った私が崩れない生活を整えることが、今の私の目標。
自分を保てるようにするにはどうすればいいのか、自分を捉える。
そして忘れないように工夫をしたい(どっかに張り紙貼っておく?笑)。

ちょっとずつね。

無理をしない。

優しく、楽しく生きたい。

そのための、大切な休憩時間。

写真は、与論島のサトウキビ畑。
満点の星空、天の川、忘れられない。
近いうちにまた、行きたい!

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