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『無回答』の示唆するものとは?

『戦争が起きたら国・地域のために戦うか』と言う記事を読んで。

昨今の情勢ではそういう記事を見かけることが多くなった。

これを読んで衝撃だったのが、“無回答”の欄である。

対象は19〜30までの男女、徴兵令の国も併せて。日本は志願なので徴兵令ではないが、他の国を挙げると

  • ウクライナ 20%

  • 米国 0%

  • スイス 10%

  • フランス 15%

  • 韓国 0%

  • ロシア 15%

  • 台湾 0%

  • スウェーデン 5%

  • ノルウェー 2%

  • 中国 0%

※数値は図で示してあるので、若干のずれがあります。

さて、日本は?
日本の”戦う“に18% 
対して、無回答が40%

…衝撃な数値である。
『日本の”戦う“に18%で無回答が40%』ということ。

無回答とは?と言うことになる。
どう言う意図があり無回答となったのか。
40%も占めているという。
それに対してアメリカ、ロシア、韓国、台湾、中国は0%はなんとなくだが理解できる。隣国との情勢、そしてまぁ国家の有り様が詳らかになっているのも相俟ってこういう結果になるのは然りなのかと。

無回答が多かったのは日本であるが、このアンケートでは2番目に続くのがウクライナである。ウクライナの数値は18%。侵入されてから1年以上、国が侵されていくということがどう言うことかと言うのが、顕著に現れている。
先のわからない恐怖と国防のいう危うさも相まり無回答となったのかと推測する。
国家の安全があってこその国民の安全が保たれているということ。
日々、「明日ハワイ〜」と言ってパスポート片手に行って帰って来れるというのは国家の安全がまず第一で、そして国交が通常に機能しているということで、
“お気軽海外旅行”が成り立っているのである。
先の戦争により敗戦国となった日本、混沌とした時代を経て、今では世界190か国もの国にビザ無しで観光でき、90日も滞在できるというのは世界でも稀に見るものである。
先日の方々の絶え間ない努力により、“日本の国”という安全性、信頼度がこれほどの国に理解され、認証され、自国にきても安全、犯罪率のなさを証明しているからこそのビザなしでも行けるという日本のパスポートの信頼度…。

そして、敗戦から約80年迎えようと言うこの令和の時代でも、その日本という国の安全性が保たれており、今でも“明日ハワイ〜”なんてことが可能なのは、先日達の弛まぬ努力に加えて、今もなお、この令和においても継続して日本という国が維持を続けているという恩恵を受けているということである。

経済大国となって久しいが、この背景には“国防”というのが絶対切り離せないのである。国家の安定、物の流通、国同士の交渉等が普通にできるということは国の安全があってこそのやり取りができるわけで、貿易が成り立つのも国内で紛争がない、侵略もされず、日本硬貨が海外間でも普通に取引される安定したものということであり、それには国防が乱れることなく保たれているからこそである。

日本の国防、所謂自衛隊は、志願制であり、先の戦争以降は“軍”という呼称は消滅し、自衛隊という名の下国防が保たれている。
この『無回答』と言う意図はまるで京都の人々がどちらかに加担すると自分達の人生も左右されてしまうので、公言しないし、支持もしないということが思い浮かばれてしまうのは自分だけだろうか?

昨今の侵入により、日本人も戦争という侵入というのを否が応でも観る機会があるだろうこの世で、『無回答40%』は、自分なりに思案した結果、戦争は勿論反対で、でも戦うのは嫌だ…と言うことで無回答なのだろうかと推測する。

以前、自衛隊で初めてコブラに女性パイロットが就任したと言うことでインタビューを受けていたのを観た。
インタビュアーが『あなたは操縦して人に向けて撃ちますか?』と聞いていて衝撃を受けた。

国防とはどうことだろうか。人を殺すと言うことの倫理性を戦争に当てはめてしまうと何が倫理観に問われるのか曖昧になってしまう、勿論人殺しなんて禁忌であり、すべきではない。でも侵略され戦争が起こってしまい、「国民を守る為に人間に向けて発砲しますか?」という質問は、殺人犯が銃を向けてきて、自分も銃を持っていたら発砲するのか?という質問に相当すると推測できるのは自分だけだろうか。
自国民を守る為の国防、人を殺すための武器を持つべきではないというが、この世は一般人の殺人率の方が断然多いのである、武器なんてなくても人は殺せる。特に車の運転なんて、殺意がなくても運転を誤れば人を轢き殺すということも十分にありうる。自分が加害者になりうる可能性は日々の方が十分にあるのである。


愛国心という言葉は日本ではほぼ聞かなくなった。まぁYouTubeでやたら外国人は「ニホンスキデス〜」というので「日本を愛してくれてありがとうございます!日本のために怒ってくれてありがと〜」や、サッカーやラクビー、野球などでのスポーツイベントで掲げる日本の旗を観るいうところでしか昨今見ない。
無回答0%は強制的な国も含めてもやはり愛国心が大半を占めているのではないだろうか。昨今では皆無に等しいくらい見なくなった一般家庭でも「国旗掲揚」昔はどこの家にも国旗掲揚できる金具なんて見ない…。
海外のドキュメンタリーで観たスコットランドの子供が救急車では運ばれて病院で看護師さんが「ギブスに何かいて欲しい!?」って聞かれてその子供は「勿論スコットランド国旗!!」と言っていたのを思い出した。…自分の知る範疇でも日本の国旗を書いて欲しいという子供は皆無に等しいと確信が持てる。
それ位“普通”なのだ。国歌も歌わない、国旗掲揚もしないという学校もザラにある…強制ではないにしても日本国という国に生まれその国歌も国旗掲揚もしないというは、多様性ではなく、完全なる”大人からの強要“ではないのだろうか。せめて自分で理解し、それを選択しないというのではなく、これはあくまで大人からの強要である、幼い頃こそそういう大人からの強要はない環境で育てて欲しいものであるが…。子供は特に幼少期は周りの大人が全てである。なのでできるだけ本人が選択できるようになるまでは、敬うべきことはすべきではないのだろうか。


国民性というのが顕著に現れる『無回答』

国家の有り様、国防への無関心ということなのか?
今この瞬間にも365日毎秒国防をしている。自衛官達は日々鍛え、税金泥棒と言われ続けることが1番平和でいいと。自分達が活躍することがないことこそが平和であり続けているという証拠と伺ったことがある。

平和ボケと言われても久しい昨今でも、国防を担う人々のおかげで自分の体重の何倍も重力を受けながら、目の周りの毛細血管が切れてもスクランブル発進を年200回以上し続けても、災害派遣でお前らの施しは受けないと石を投げられても黙々と作業をしている自衛官達が“抑止力”のみで国防を保っていることの素晴らしさ。それは“起こさせない戦争“を日々毎秒維持し続けていることだからである。

いつか国防が変わることが起こりつつある未来、人口減少に伴い、自衛官の数も減少、国防というのが危うくなった時は『無回答』はなくなるのだろうか?

先の戦争中のような富国強兵の考えに及ぶことはないように切に願うが、『無回答』は“無関心”ではなく、身の保身からでる京都の人々のように加担する事が情勢を左右してしまうので『無回答』と留めたのではないかと。


ニュースからの学びは無回答という定義はどちらともにも転んでしまう危うさと今いる現状が変わればまた変動するであろう普遍的ではないもの。曖昧さが今の現状を顕著に表しているという事実に向き合う事ができるということである。

アンケートとは何とも不思議で魑魅魍魎としたものであるかということに気づけた瞬間でもあった。『無回答』程思案し言及するのに躊躇うほどの情勢を指し占めているのではないか。






#ニュースからの学び


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