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明日、なに着て働くか

毎日家で働くようになって起きた変化の中で、一番分かりやすい変化は服装かもしれない。

在宅勤務を始めた当初は不良を気取って一日パジャマで働いてみたりもしたけれど、仕事をしようという気分が高まらないし、特に楽しい気分になる訳でもないし、すぐにこれは悪手だと悟った。
かといって、会社に行っていたころのようにきちんとワンピースを着たりストッキングを履いたりしたいかというと、当然そんなことはしたくない。
シワや汚れに気を遣うワンピースは不自由だし、脚を締め付けるストッキングは窮屈でしかない。
それらを今まで身につけていたのは何故かというと、人に仕事ができそうに見られたいとか、きちんとして見られたいとか、強そうに見られたいとか、そういう他人にどう見られたいかという欲望が一番だった訳で、一人の部屋では誰かを威嚇する必要もないのだ。

在宅勤務にぴったりの服はどんな服なのか。
私の勤め先ではオンライン会議でもビデオをつけることは求められないから、誰の目も気にせずに純粋に自分のために気持ちの良い服を選べば良い。
それならば、実用的でありさえすればそれで良いかというとそういう訳でもない。
自分がどんな服を着ているかというのはわりとはっきり気分に影響するのだ。
好きな服を着て働きたい。

 *

私は自分のためのことにお金を使うのに奇妙な罪悪感を覚えがちだ。
特にファッションや美容については、お金を使うことに謎の居心地の悪さを覚える。
着飾るのは悪、という深く暗い呪いにがっちりと捕らわれているのだ。
会社に行っていたころは「仕事をするための必要経費だから」と言い訳をしながら服を買っていた。
自分のためのお金ではない、人から見られるためのお金なのだ。
そう言い訳しないと服を買うのが苦しかった。

その言い訳がこの一年間で無くなった。会社に行かないのだから。
服に対する物欲は激減したけれど、少ない機会で服を買う時には純粋に「自分が気分良くなるか」が物差しになった。

この一年で一番よく着たのはセントジェームスのボーダーカットソーだったように思う。
着心地の良いコットン素材。いくらでも気軽に洗える丈夫さ。真夏以外はほぼ一年中着られる万能さ。
ほどよいボートネックですっきりした形。


ユニクロや無印良品で似たような服がもっと安く買えることは知っている。
(セントジェームスの定番カットソーの定価は一万円くらい)
だけれど、誰にも見られなくても、セントジェームスが着たいのだ。
セントジェームスが一番格好良いと思っているのだ。
90年代に小沢健二がセントジェームスのボーダーカットソーを着ているのを見たあの日から、セントジェームスこそが一番のボーダーだと思う病が治らないのだ。

自分のために自分が本当に良いと思う服を選んで、お金を使うこと。
別にそこに罪悪感を覚える必要なんてないのだ。
その服を着て私が気持ちよく毎日を過ごすことができるのならば、そこにお金を使うのは悪いことじゃない。

人の目から開放されて、自分が本当は何を好きだったのかということを考えている。
私の服装は、ぐっと気楽なものになった。

 *

そういうわけで、三万円の素敵なシャツを家で着るために買ってみたいのだけれど、良いだろうか。
しわのままで着ても様になるきれいな形で、柔らかいコットンで出来ている。
タグにこっそり書かれた「Made in sunny California」という文句もなんだかご機嫌な感じがする。
誰かに見せるためではなく純粋に自分のための好きな服、増やしていって良いと思うのだ。

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