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560年間鳴り続ける「雨乞い太鼓」-菊池市泗水町住吉地区-

毎年7/20前後の日曜日に、菊池市泗水町の住吉という地区で雨乞い太鼓という風習が受け継がれている。

※僕のInstagramに動画をアップしています。よろしければ是非みてみてください♩

皮を張り替えながら大切に保存されている大太鼓は約560年前から代々使われているもの。これほど大きく密度の高い欅は今ではもう採れないだろう

この日は住吉地区の男性11名が集まった。1番若い人で51歳。雨乞い太鼓保存会の副会長さんは、若い人に伝えていけたらなとは思うが、強要してやるものでもないし、自分から興味を持ったり、楽しいと思ってやってくれる人が入ってくれるのが一番なんだがねと話していた。
地域中に響きわたるような太鼓の音。交代しながらバチを振り下ろす男達の顔は真剣そのもので、しかしその眼からは少しの緊張と、楽しいという感情も同時に感じることが出来る。

細いバチはリズムをキープする役割の人が使うもの。

当たり前だが、ここ菊池でも明治の時代までは乾季が続くと村や集落をあげて、雨乞いを行っていた。
100年ちょっと前の話だと思うと、民族の歴史として捉えるならば、まだまだ最近の事のようにも感じる。
それでも科学やテクノロジーによって、気候を把握したり、コントロールすることが常である現代人にとっては考えられないような事だろう。

重要なのはそれが本当かどうか、効果があるかどうかなんて部分ではなくて、見えない何か(ここでは気候や天災、もしくはそれらを司る神のようなもの)に対して、人々が一帯となって祈ることや、時間や思いを共有すること、それらを動かしたり受け継いでいく為の、それぞれの地域固有の村としての仕組みのようなもの。人と人とが密接で、当たり前に助け合っていたその距離感に他ならないと思う。
単に風習や信仰が科学の力によって衰退しているだけではなくて、資本主義社会における圧倒的個人主義が、1人1人かそれぞれ社会の一員であることを忘れさせ、仲間や地域で助け合っていく意識をゆっくりと消失させているのではないだろうか。

さて、今僕はこの問題意識を表層に出しながら解決に向けて邁進していきたいわけではない。
去年アフリカを旅した時に、小さい頃から憧れだった民族や民藝に触れて僕は心から感動した。
しかしそこで生まれたのは「僕は自分の生まれた日本のこと、熊本のこと、菊池のことを何も知らないじゃないか」という疑問だった。
生まれた国や地域の民族のことも信仰のことも、僕は何も知らないなと思った時、単純に知りたいという興味が湧いた。
熊本人、菊池人としてのアイデンティティの獲得なんてのは二の次で、とにかくあれからずっと興味があったもっと身近な民族のことを、僕はもっと知りたいと思う。
こうして今もなお残り続ける風習や民間信仰を、繋いでくれてきる人がいるうちに追いかけたいというのが純粋な行動原理である。

音楽をやっていることも、畑をやっていることも、それ以前にどんな生き方をしてきたか、考えを持っているか、そんな概念も全て脱ぎさることが出来たなら、おそらくただ単純に「熊本に生まれた」という事実があったという部分まで遡ることが出来るだろう。
どうしたって拭うことが出来ない、血に刻まれたアイデンティティだ。
世界を旅しなくとも、そこにある。何者にならずともそこにある。
その部分をこれからじっくりと見つめていきたいと思う。
測らずとも、その先で僕はまた新たな表現に向かっているだろう。それもごく自然に。
纏うのでなく、ただ脱ぎ捨てる。
何ものでもない自分にこそ、最大純度の可能性を感じる。


太鼓の話に少し付け加えるとするならば、儀式の後、「兄ちゃんも叩いていかんか?」と声をかけていただき、見様見真似で立派な大太鼓を叩くことが出来た。
細いバチでリズムをキープする役割のおじちゃんが、いつでも入っておいでと目で訴える。バチを振り下ろす。「いいねぇ」と言って下さった後はひたすら目と音だけで会話した。おじちゃんの優しい目に受け入れられた時、世界が繋がったような気がした。
雨乞いの儀式を、欅の大太鼓を通して、人と人とが繋がる感覚を、僕も少しだけ体感する。誰かと音を出すという意味の、音楽でありながら音楽以前に存在する何かがそこにあるような気がしてならない。

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