患者の主観を引き出せているか

例えば、「ここが痛いです」という患者に対して検査・評価をし、「この筋肉をマッサージすれば痛みが楽になるだろう」と結論づけマッサージを行うとする。その後、効果判定として痛みが出現する動作を行う。そのときにこう聞く。

「楽になりましたか?」

僕はこの質問に違和感を感じる。もし痛みが変わってなかった場合、自分が患者側だったら「楽になってません」とは言いづらい。人によるかもしれないが、本音を言いづらい人がいるのは事実だ。ではこう言うのはどうだろう?

「どうですか?」

前者と比較して、【楽になった・なってない】の二者択一(選択話法)ではなくなった。こうすることで答え方は広がり、色んな回答を選択することが本人に委ねられる。しかしもう少し考えてみる。この「どうですか」の背後に(楽になったと言って欲しい)という自分はいないだろうか?患者は自分が思っているより鋭く、セラピストの心のうちを読めるものである。そして「マッサージ前後で痛みが変化することが多いのかな」という先入観も生まれる。

相手の主観を引き出すには

自分が望む返答を期待することはとても危険である。相手の本音(主観)を聞く耳を持っていないも同然だ。人間同士の関わりであるリハビリテーションにおいて、主観から逃れることは不可能であり、嘘偽りなく相手が本音を述べられるように環境を整えなければならない。

相手の主観を引き出すときには、まず自分を相対化することが必要だと考えている。イメージとしては、患者と話している自分らを横からみる第三者の視点を持つような感じ。二人の会話を内ではなく外から聞いていく。そうすることで、「こいつ(自分)は楽になって欲しいと期待しているんじゃないか?」という外からの視点により、自分のなかに内省が生まれる。

では、どのように聞けばいいのだろうか?僕はこう聞くことが多い。

「ここが痛いですか?」

患者が最初に述べた言葉である。もし、マッサージ前後で変化していない場合、「そうなんです、ここなんです」と本音を述べることが容易になる。そして、楽になった場合は「あれ、さっきより痛くないかも」という嘘偽りのない主観が飛び出してくる。

自分自身も質問一つで変わってしまう

痛いのに「楽になった」と患者に言われると、信じてしまうことが多い。そしてその瞬間、【自分の治療が患者の痛みを変化させた】という確信に陥ってしまうのである。質問一つで、自分のクリニカルリーズニング力を上げられるのか、下げてしまうのか決まってしまうのではないだろうか?

僕はこの聞き方に変えるまで年数が経ってしまった。患者は気を使っているのではないか?自分が答えを誘導しているのではないか?そのようなことを考え続けた結果、現在はこのような質問に行き着いている。全然面白みもないちょっとした違いの質問ではあるが、そこには僕自身による数年間の考察が含まれている。もちろん、その患者の性格に合わせることも大事である。



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