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頭の中にあるものを傑作だと思い込んでしまう「全能感」こそが、想定外を生むきっかけになる〜頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな〜

こんにちは!!稲木拓也と申します。

私は現在25歳で、写真家として、東京の街で人物撮影しています!!

今回は「頭の中にあるものを傑作だと思い込んでしまう『全能感』こそが、想定外を生むきっかけになる」というテーマでお話しさせていただきます。

私の好きな小説家は、朝井リョウさんです。

中でも、「何者」は何回も読み直している小説の一つ。

その中で、印象的なセリフがあります。

それは

「頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな」

です。

人は、何かを思い描き、「こんなことができたらいいな〜」と想像します。

それを行動に移さない限り、夢物語で終わってしまう。

つまり、このセリフを言い換えると、

頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、『駄作』なんだよな」

になります。

本当は駄作なのに、傑作だと思い込んでいる。

であるならば「頭の中にあるものを、形にしよう」ってなります。

でも、頭の中にある時点でも駄作なわけで・・・

だから、それを形にしても、駄作しか出来上がらない。

「え? じゃあどうすればいいの?」

ってことです。

私の場合、写真をはじめたばかりの頃「こういう写真が撮れたら、絶対面白いよな〜」と思っていたことがあります。

「やばい!!これ俺にしか撮れないんじゃ?」と笑

実際に撮ってみると

「あれ? 思っていたのと違うかも」

と気づきます。

先生に見せても「面白くない」という一言・・・

つまり、駄作を作っていたということです。

でも、この駄作は無駄にはなりません。

「駄作を作ったことで、想定外なことが生まれる」から。

実際に形にすることで、「こうした方がいいのでは?」と気づくのです。

だからといって「とにかく駄作を作りまくれ」と言いたいわけではありません。

ここで一番大切なことは「傑作だと思っていたのに、形にしたら駄作だった」という全能感から生まれる想定外なのではないでしょうか?

だって「駄作だと思っていて、作ってみたら駄作だった」は、無能感から生まれる想定内でしかないわけです。

そこに、成長はありません。

こう考えると、

なぜ

「頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、駄作なんだよな」

ではなく、

「頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな」

というセリフにしたかが分かります。

前者は、無能感から生まれる想定内しか起きない。つまり、絶望のセリフ。

後者は、全能感から生まれる想定外が起きる。つまり、希望のセリフ。

頭の中にあるものを傑作だと思い込んでしまう「全能感」こそが、想定外を生むきっかけになるのです。

朝井リョウさんは、その全能感を肯定するため、希望のセリフを選んだのではないでしょうか?

だから私は、

「頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな」

と思える人で居続けたいと思っています。



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