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プロモデラーの師匠と情けない俺の話 第十三話~一つだけ成した事~

師匠に言われたことで印象深い言葉の一つに「とりあえず栃木県で一番になれ!」という言葉がある。師匠が現役で存在してる以上無理だろうと心の中で突っ込みながら聞いていた。当然師匠たちプロ勢抜きでという意味だったと思うしただただ冗談で言っていたのかもしれない、今となっては真意は闇の中だがとにかく俺の中にはずっと強烈に残っていた。

もともとミーハーで好奇心が強い性格なので社会人になってからは面白そうな事や楽しそうな事や儲かりそうな事で自分で出来そうな事には何でも手を出した。不幸自慢をする気は無いが社会に出るまでの自分の家庭事情への鬱憤と社会に出てからも想像以上に思い通りにいかない鬱憤を何とかしたくて遊びまくっていった。仕事の後に友人宅に毎日のように入りびたり夜中までテレビゲームや麻雀をやったり週末はフットサルをやったりパチンコを覚えたりラジオMCのワークショップに通ってみたりネットワークビジネスをやったりヤフオクでせどりをやったり悪い事じゃなければなんでもかんでもやっていた。20代中頃からプラモデルはほとんど作らなかった。

ちょうど30歳になったとき自分の生活や人生観を変えなければダメになると思い人生が充実しそうな、自分の為に成るような趣味に絞ろうと思った。そのときに思いついたのは高校時代に少しだけやったドラムと子供の頃からずっと好きだったプラモデルだった。模型離れしていた時もホビージャパンだけは欠かさず読んでいた。両方ちゃんと目的を持って取り組み、生涯続けられる趣味にしようと思った。

「とりあえず栃木県で一番になれ!」まずはこの師匠の言葉を達成しようと思い30歳からまた趣味としてプラモデルを再開し始め、栃木県で一番になるということはイエローサブマリン宇都宮のコンテストで一位を獲ることだ!と具体的に目標設定しコツコツと作った。

33歳だった2015年10月3日 
イエローサブマリン宇都宮店 プラモデルコンテスト小型キット部門優秀賞

審査方法はお客様と店員さんとの投票によるもので大型スケールなど他にも2つぐらい部門があり部門別に1位であるものが優秀賞というもので全体の1位は設定されていなかったがどうしても全体の投票数が知りたかった。全体で1位じゃないと自分の中で栃木県で1位になれたとは言えないと思い店員さんに直接聞いたら教えてくれた。結果は全体数でも1位だった。めちゃくちゃ嬉しかった!一番プラモデルに触れていた時期でも6位までしか獲れず簡単には獲れないと思っていたし、もしかしたら一生獲れないかもしれないと思い設定した目標だった。信じられなかったし本当に嬉しかった。
自分で設定した目標を達成できたのは人生で初めての経験だった。

このことを師匠に報告したかったがこの頃すでに師匠が音信不通になっていて町のおもちゃ屋のおじさんたちも師匠の所在が分からなくなっていた。師匠に見せたら恐らく冗談まじりにダメ出しの嵐でけちょんけちょんに言われるだろう。通っていた当時は恥ずかしさが強くて作ったものを見せられなかったが今はちゃんと見せてダメ出しの洗礼を受けたいと思う。
報告は出来ていないが師匠に出逢ってなければ成せなかった事だと思うし自分にとってとても大切な経験になっている。

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