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【ずっとやりたかったことを、やりなさい】 書評#69

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、アーティスティックな自分の開発。
創造性の開発的な感じの本です!

ヘッダーは、うなりもいさんの作品を使わせていただきました!
自分の思考・創造性を爆発させているように私は見えて、とても前向きで楽しい気持ちになりましたので使用させていただきました。
ありがとうございます!!


基本情報

ジュリア・キャメロン(著)・菅靖彦(訳)
サンマーク出版 出版
2017年10月10日 第1刷発行

全397ページ
読書所要期間ー日 ※現在進行形

私が本書に出会うきっかけ

私と同じ地域に住む勉強仲間、活動仲間がいる。
その方から「この本で一緒に読書会をやろう!」と誘われ、早速購入することにした。
薦められるまで、正直この本の存在を全く知らなかったが、私が買ったものは『新版』となっており、どうやら長らくのベストセラーらしい!

この本の本質

本書を一つのツールとして、人間が生来持っている『創造性』を引き出そうとするものである。
そして最終的には、その人それぞれが持っている個別の困難な問題をも解決するきっかけを与えようとするのものである。

つまり、自分が自分らしく生きる、『自立』することを促すことが本書の本質である。
だから、「ああすれ、こうすれ」と著者は言わない。
あくまで私たち自身が、自分自身のことを気付くためのサポートをしてくれる。
なお、このサポートは、12週間かけて行うプログラムとなっている。

私とその読書仲間は、そのプログラムを毎週行うという勉強会・読書会を実施している。
現在4週目が終わろうとしているところであるが、もうすでに書きたいことが一杯になったため、とりあえずいったんnoteに書こう!と決めた。

私が感じたこと

1点目 〜「教育」のあるべき姿

上記「本質」を書いていて思った。
「創造性」とは、「自立」を促すためのものだと著者は指摘する。
一方、「教育」もまた教育基本法に掲げられている大目標として「自立」があるものと認識している。

ということは、演繹的に考えて「創造性を育むことが教育」と言えるのではないだろうか。

翻って、私たちの周りにある「教育」はどういったものか。
ともすれば、一方的に教示しているだけのケースが多いと言えるかもしれない。また、そういったイメージが定着しているかもしれない。
だとすれば、創造性を育むことは少し難しい
つまり極論、それだと教育ではないと言うことができてしまう。

そういった意味で、本書は教育実践の教科書ともいうべき存在であると私は考えている。

2点目 〜「自立」とは・・・

1点目を書いていて、さらに思った。
私はこれまで、「自立」を経済的自立、つまり大人になって社会に出て稼いで、ご飯を食べてゆくということに目を向けていた、重きを置いていたということに気付かされた。

しかし、「本質」で書いた様に、自分が自分らしく生きること、つまり「創造性」を解放させて生きることが自立であるということができるとしたとき、その自立の意味合いが私の中で大きく変化した。

つまり整理すると、
自立=経済的自立
ではなく、
自立=創造性の解放
になったということである。

パラダイムシフト、あるいはコペルニクス的転回と言えるほど、考え方の大転換、大革命が起こったといっても過言ではない。

3点目 〜現在に注意を払う

心が病んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、私は現在に注意を払うことを学んだ。

本書P118

この現在という一瞬一瞬に気を配ることで、先の不安に対して一歩ずつ進んでいくということなのだろう。
私はここに「幸せ」の定義を見出した気がしている。

その瞬間瞬間で感じた気持ち、あるいは感じることができる心を取り戻すために重要なのが、「現在」を積み重ねるということなのだろう。
だとするならば、そのわずかな瞬間に感じるそのわずかな変化、その些細な違いを感じることができるということが「幸せ」と言えるものなのではないだろうか。

必ずしも能動的な活動から生まれるもの、つまり「欲」が起点となって得るものではなく、受動的にそのときそのとき何かを受け取ることができること。
これが「幸せ」なのかもしれない。

小さな花を見た。
元気に輝く太陽を見た。
子どもたちが元気に挨拶してくれた。
子どもたちが元気に登校して行った。

この一瞬に感じるものは、過去にも未来にもあまり関係はない。

今現在を生きる。
それを積み重ねる。

それが幸せなのかもしれない。
だとすれば逆説的に、生きることが幸せなのかもしれない。

だからまずは、一生懸命生き続けてみよう。
そこにきっと幸せは訪れる

というよりはきっと、自らが幸せを感じ取る
その土台が、自立であり創造性なのかもしれない。

むすびに

現在4週間目のプログラム。
これを終えたとき、私はいったいどうなっているのだろう。

創造性は解放されているのだろうか?
それとも現状維持なのだろうか?

でも少なくとも今回、
・自立とは何か
・幸せとは何か

については、私なりに深く考えることができた。
そして、ここに共通するキーワードは創造性だということを学ぶことができた。

創造性という性質を知ることが、解放の第一歩なんだと思う。
私は少なくとも、その一歩を踏み出すことはできたと言えるだろう。


以上です。

タイトルにある、私が「ずっとやりたかったこと」っていったいなんなんだろう。
12週間を通してこれを思い出し、それをブロックしていた私の創造性を阻むものを洗い出し、解放することがこのタイトルに込められた想いなのだろう。

これはつまり、「私とはいったい何なのか」というアイデンティティの問題に直結します。

人生100年時代。
そして私は孔子の言うところの「不惑」目前。
残りの人生60年、私というものをしっかりと見定め、より幸せな人生を送っていきたいものです。

本日も、誠にありがとうございました!

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