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【だれも知らない小さな国】 書評#48

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

この本は、とある方から頂いた思い出の一冊なんです。
この本に出会わせてくれて、心から感謝しています。

※ヘッダーは、みんなのフォトギャラリーからめでたいこさんの作品を使用させていただいています。まさに本作にぴったりのグラフィックでしたので即決でした。ありがとうございます!


基本情報

佐藤さとる(著)
講談社 出版
昭和48年7月15日 第1刷発行

全227ページ
読書所要期間4日

この本は、私の手元にあるもので昭和52年発行の第13刷。
いつもは同じものをAmazonのサイトから引っ張るのだが、今回は省略。
同じタイトルのものが様々あるので検索してみていただきたい。

私が本書に出会うきっかけ

3年間、同じ方向を目指して共に働いてきた仲間がいた。
彼は、キャリアアップのため、次のところへと旅立った。

そんな彼から「最後にお互いの持っている本を交換しないか」と提案があり、喜んで同意した!
私は、これまで度々書いてきている「論語」に関する本を彼に託し、彼は私にこの本を託した。

私は彼に、この先の人生の道しるべとなればとの想いだった。
彼は私に、どんな想いでこの本を選んでくれたのだろうか。

この本の本質とそれを考える上で感じたこと

①タイトルについて

「だれも知らない」とは、どういったことだろうか。

だれも知らない私だけの大切な世界
だれも知ろうとしない、知って欲しいけど知られない世界

これらのほか、様々な言葉を想像したり、仮説を立てることができる。
そして、ネガティブあるいはポジティブ、両面の解釈ができるかもしれない。

では、実際本書では、どのように描かれているのか。

少なくとも登場人物たちは、決してネガティブに自分の世界に留まろうとはしていないように感じる。

本書と並行して、アドラー心理学の「嫌われる勇気」を読んだ(#47参照)が、これに通じる考え方が、本書にもあるように感じている。
つまり、自分自身というもののもち方を教わることができるのではないだろうか。

②自分の心の中のコロボックル

コロボックルとは、私たちの住む北海道に古くから住むアイヌの方々が信じてきた小人種の名前である。
本書には、小人たちが登場するのだが、主人公は彼ら彼女らをそう呼ぶ。

私は、子どもの頃からジブリ作品が大好きである。
私は、これらに登場するキャラクターのようなものの存在を信じていたが、いつの頃からか、いないと信じるようになっていった。

「だれも知らない」のなら、存在していないに等しいと言える。

「無人島で木が倒れる時、音がするか」という哲学的命題があるが、一般的には「音がしない」というのが正解なのだろうか。

しかし私は、これらに対し「するかしないかわからない」と答えたい。
なぜなら、「いるかもしれない・するかもしれない」と含みを持っていた方が、なんだか素敵だということを、この本を通じて思い出したから。

むすびに

この本をくれた彼にはきっと、コロボックルがいつもそばについていた。
だからという訳ではないが、彼のまわりにはいつも人が集まってきた。
人だけでなく、コロボックルさえも集める不思議な力があるのだろう。

彼は、現実世界に「小さな国」を作ってみせた。
「だれも知らない国」ではなく「みんなが知る国」を。
その国は、みんなの居場所となった。

しかし、その国に遊びに来る人々は、一人ひとり、心の中で「だれも知らない」自分だけの世界観、自分そのものを築き上げていたことだろう。

「誰も知らない小さな国」は、人々の心の中にあり続けるものであり、その人そのものである。
その国はやがてどんどん大きく発展し、その人らしく、その人を支え続けるのだろう。

彼はまさに、私たちのコロボックルそのものだった。


以上です。

彼は、子どもの頃から、何度も何度もこの本を繰り返し読んできたということです。

この本が、彼にとっての道しるべだったのでしょう。
それを私に託した・・・

だとすれば、私と想いは同じじゃないか!
そんな感動を覚えました。

彼は今日も遠い地で、元気に活躍していることでしょう。
北の大地から、これからも応援しているよ!


本日も、誠にありがとうございました!!


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