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自在化は東洋ならでは|稲見昌彦×石黒浩対談シリーズ 第1話

ロボット工学者/大阪大学教授の石黒浩氏が、自在化身体セミナーに満を持しての登場です。人に酷似したアンドロイドや遠隔から操作できるアバターの研究で知られる石黒教授は、各方面で精力的な活動を展開しています。内閣府の「ムーンショット型研究開発制度」では、目標1の「誰もが自在に活躍できるアバター共生社会の実現」のプロジェクトマネージャー(PM)を担当。2025年の大阪・関西万博では、テーマ事業プロデューサーの一人として、「いのちを拡げる」をキーワードに50年後の世界像を描きます。2021年9月には、アバターを用いた実世界の仮想化と多重化を掲げるベンチャー企業「AVITA」も立ち上げました。人間の進化を共に目指す「同志」として、稲見教授との対談は予定時間を大幅にオーバーし、自在化の起源から人類の行方まで、思う存分語り尽くしました。(構成:今井拓司=ライター)

イントロダクション

対話の始まりは「自在」という言葉の由来から。石黒教授が、ムーンショットのプロジェクトに「自在」という言葉をあえて織り込んだわけを語ります。

石黒 最近、私、ムーンショットで「自在」という言葉を勝手に使ってます。何で自在という言葉にしたかっていうと、(我々が手掛ける)ムーンショットの目標1がアバターで、(それとは別の)目標3が完全自律ロボットなんですよ。1人の人間が複数台のアバターを使うのが目標だったときに、「半自律」とかだと意味がよく分からないですよね。

 自在という言葉で伝えたいのは、いかに細かい指示を出しても、どれだけ抽象的に指示を出しても、思い通り、意図通りに動くのが、自分のアバターであるということ。例えば、「いいようにしといて」って言っても、ちゃんと自分の意図に合う行動をすれば、それは自分のアバターだと。

 いろんなレベル、抽象度の指示で自分の思い通りに動くならば、アバターを自在にコントロールできてるといえるわけです。「自律」は意思決定機構がロボットの中にあるけれども、自在ってのは、あくまでも人間側、操作する側にインテンション(意図)があって、それをロボットが実現していると。

 もう1個重要なのは、ロボットが勝手に動いても、それが逆に自分の意図だと(人の側に)フィードバックされる場合もある。その両方を扱うのに、自在っていい言葉だなと思って使わせてもらっています。この言葉って、これからどんどんポピュラーになるんじゃないかな。

稲見 ありがとうございます。

 石黒 ただし、英語にするときに何て言っていいかは分からなくて。「as intended」とか、いまいち歯切れが悪くって。「オートノマス」みたいな、すぱって一つの単語で言える言葉がないんですよね。「インテンショナル」って、ちょっと違うんだよね。

稲見 難しいんです。私は「バーチャル」を日本語に訳すときにいつも苦労してるんですけど、逆に今度は自在を英語に訳すのにこんなに苦労するとは。

石黒 だから、自在って結構日本的な概念なのかなという気もしていて。

 稲見 東洋の人というか、漢字文化圏は(自在と言われて)分かるんですよ。前にHAJIMEさんっていう大阪のレストランにご案内いただいたときに、テーマを選べるって話だったので、私がむちゃぶりで「『自在』でやってください」とお願いしたらば、ものすごい調べていただいて。

石黒 あの人、そういうところはクレイジーなんです。 

稲見 ですよね。石黒先生と確かに気が合うはずだとよく分かったんですけれども、そのときに仏教の概念とかも調べていただいて。きっと我々はそこら辺を自然と分かっているけれども、実は西洋文化の中では、「オートノミー(自律)」までは(単語で)あるんですけど、あとは熟語になっちゃうんですよね。 

石黒 何ていうか、意図とか魂みたいなものが、いろんなところに中途半端な形で存在することを、たぶん西洋人は許せないんだと思うんですね。我々は、そういうことを許すわけですよね。意図ってちょっと魂的なところがあって。日本人の方がはるかにフレキシブルな考え方をするし、機械ってそういう(意図を受け取って動く)ものかなと思っていて。

稲見 (機械の)効果の話になると、(西洋では)エンハンスメント、エンパワーメントの話になっちゃう。それは結果としてそうなるのであって、自在そのものがそうではないという。

石黒 そうそう。

技術で進化するのが人

石黒 僕はERATOの中で、稲見ERATO(自在化身体プロジェクト)が一番好き勝手やってる感じがあって、いろんなチャレンジが起こってるんかなと思っていて。だから今日は、もし僕が稲見ERATO的に自由にやるんだったら何をやりたいのかとか、この先、何やりたいのかみたいな話をしたいなと思っておりまして。

石黒 これは、2019年だね。  

稲見 これはどこですか。

石黒 生命と倫理について世界で最も権威がありそうな、バチカンの教皇庁生命アカデミーですね。山中(伸弥)先生とかがメンバーになってるそこに呼ばれたんで、好き勝手しゃべってきたわけです。 40分ぐらいしゃべったら、会場がどよめいちゃって、その後40分ぐらい質問が続いて終わらなかった。

稲見 怒られはしなかったですか。

石黒 僕はちゃんと答えましたからね。きっちり答えたんで、怒られはしなかったんだけど、最後は、「プロフェッサーは違う星から来たみたいだ」って言われて。

 何を話したかっていうと、人間はどう変わっていくのか。人間には二つの進化の方法がある。遺伝子と技術ですよと。重要なのは、人間は他の動物と違って技術によって能力を拡張してるっていう、まさに稲見ERATOの話ですね。

 だから、「技術による進化」なんですよね。遺伝子による進化よりも、はるかに速度が速い。農耕が始まってから我々は急速に技術によって進化していて、どんどん、どんどん人間の活動が技術によって置き換えられてきた。さらには人工臓器とか、義手とか義足とか、人間は体を技術に置き換えようとする。動物的な部分がどんどんちっちゃくなっていくっていうのが正しいかなと。

石黒 こういう技術開発って止まらないから、我々は能力をどんどん拡張して生き残っていく。例えば地球に異変が起こって、地球がなくなっても生き残るためには、宇宙空間で生き残れる技術がないといけないわけで。そのときに、どういう姿になってるのかを想像したいんですね。逆にいえば、技術開発が止まった瞬間に人間は滅びてしまう。

 人間が生命の限界を超えた進化を達成するには、たぶん最後は脳(が壁になる)かなってところがある。でも脳だって、今コンピュータがどんどん速くなってるし、デバイスも量子コンピュータなんか出てきたら、本当に人間の脳をはるかに超える。

 はっきり言って遺伝子操作もできるし、人間も機械と思えば全てをマニピュレーションできる。そうすると、人間は最終的には無機物、要するに機械になる。全てが人工物になる。そういう時代に入ってきているわけですよね。

人間はデザインされる無機物に

石黒 だから人間って、自らが自らを設計するような、技術の産物になっていくんですよ。分かりやすく言うと、人間の体を機械化するっていうか、テクノロジーで置き換える、デザインし直すことが人間の目的になる。人間をデザインする上で、一般の人に分かりやすいように「ロボットになる」って言ってるわけですけど、そこにはいろんな物質が使えるわけで。 

 でも、こういうことって既に我々は受け入れ始めてる。義手や義足を使ってる人を見て、人間性が劣ってるなんてことは全く思わない。つまり、生身の体って、人間を定義する要件に全く入っていない。だから別に機械の体になろうが、人工物で体を作ろうが、何の問題もないでしょうと。

 だから、生身の体があるからって偉そうに「私こそは人間です」なんて顔ができるわけもなく、「人間性って全く別のところにあるんですよ」ってことなんです。むしろ人間は無機物から生まれ、無機物に戻ろうとしてるんじゃないか。無機物っていうのは、ちょっと語弊があるんだけれども…。

稲見 非生物から生まれる。

石黒 非生物から生まれて、非生物に戻ろうとしてるって言いたいわけですね。
 地球の歴史はこんなもんです。45億年前に地球が誕生して、35億年前に生物が生まれて、最も進化した生物として人間がある。

石黒 それがもう1回、非生物化しようとしてる。生物が存在した意味っていうのは、生物って有機物からできてるから、環境適応性が非常に高い。

 でもタンパク質は非常に壊れやすいっていう側面があると思う。だからこれ(有機物の人間)は、明らかに一時的な姿なんですよ。早くこのタンパク質の制約から抜け出ないと、宇宙空間で生きれるようなものはつくれないと思うわけですね。有機物の生物の体って、進化を加速させるための一時的な姿だから、人間は次を考えないといけないってことなんです。

同列では進化しない

 石黒 ただ、我々は全員が平等とか、能力をみんな一緒に伸ばしましょうって考えだけれども、一方で進化って、普通の人からちょっと飛び出たものが出て、それがマジョリティになっていくプロセスなので、全員平等で進化ってあり得るんですかって問題がある。

 だから、大事なのは価値観が変わることなんですよ。例えばサルは、人間をうらやましいと思ってない。人間はサルから進化したんだけれども、価値観が違うとケンカにならないわけです。自然淘汰っていうか、自然に広がるっていうか。

 (進化が生じるには)価値観が違うことが重要で、僕は今の世界って結構それが起こりつつある気がして。例えばアメリカでも、前はデジタルデバイドとか、何とかデバイドって言ってたのに、もうほとんど言わなくなって。今までは、みんなに平等に技術を教えようみたいなのがあったけど、今それ、やってるかっていうと…(怪しい)。

 だって、トンカチみたいな道具から、僕らでも中で何が起こってるかよく分からないようなコンピュータの話まで、平等にみんなに教えて、「危険性を考えてください」とか、「可能性を考えてください」って、もう言えないわけですよ。

 実際、最先端の技術開発をしてるような、技術をちゃんと理解して使おうとしてる人たちと、技術の中身を知らずに使ってる人たちでは、随分考え方が違う。相容れないというか、興味の視点が、かなり違うんじゃないかって思うんですね。明らかに技術を使う側の人と作る側の人たちは、結構違う次元で生きてるなと。

 あるいは僕、SDGsは今更な感じがするんです。SDGsは、そもそもがほとんどビジネスモデルで、新しい設備投資を促すために看板を掲げてる。本気でSDGs考えたら、「あんた、それするのか」っていうことが山盛りあるわけですよ。

 だって、電気自動車造ったら環境にいいとか、エコだと思ってる。本当にそうなんですか、電気自動車1台造るのにどれほど環境に悪い影響与えてるんですか、と聞きたい。

 トータルの影響を考えたら、必ずしも環境によくはないし、はっきり言って自動車造らない方が環境にはいいんです。本当のエコって(人間が)活動しないことです。地球温暖化防ぐのは活動しないってことなのに、「頑張ってエコやりましょう」って、何だかよく分からないことを言っている。

稲見 むしろ、(物理的に移動しない)アバター社会の方がいいって話ですね。

石黒 そうそう。アバターの方がはるかにいいって言いたいけどね。だから、一般の人が本当の中身を理解しないままに、甘い言葉で誘われながらマーケットをつくってるところがある。最近言われ出したネイチャーポジティブっていうのもそうだし、大抵エコなんかそうなの。

 でも、エコとかSDGsってみんな大好きなんですよね。SDGsいいなって思う人たちが、やっぱり7割から8割はいる。

 だから、一見みんなで同じ価値観を共有してるように思うわけです。ところが、SDGsっていうすごいハイレベルなことを考える一方で、ウクライナでは戦争してるんですよ。いつの時代やねんと。SDGsの前に戦争やめることもできない。すごいねじれた世界だなと思うわけです。

 そろそろ、そのねじれをもう少しちゃんと受け止めて理解する必要があるんじゃないか。理解できないんだったら、何らかの手段で、理解できる人たちと理解できない人たちを分けるとか、次のアクションが必要になってきてると僕は思います。もう、みんなが平等に同じように理解して、同じように能力を拡張する時代ではなくなってきてる感じがします。

 今度の万博では、そこにもっと踏み込まないといけない。「Beyond SDGs」を議論しようって言ってます。そうすると、人間というものが、もうちょっと見えてくる気がしているんですね。そこに踏み込んでいったときに、テクノロジーで人間がどう進化するのか、しないのか。

多様な体と人間の尊厳

石黒教授が指向する人類の進化の方向は、人々が肉体の制約を取り払い、多様な身体を獲得する未来です。ただしそこには、「人が人でなくなる」という恐れがつきまといます。

石黒 人間が無機物の知的生命体になるって、要するに生物から非生物に戻るってことです。そう言ってると、ターミネーターみたいな怖い存在になるんじゃないかと思われるんだけど、そうじゃない。どんな姿形にもなれるので、僕、これはカンブリア爆発だと思ってるんですけど。

稲見 そうですね。

石黒 これはまさに稲見ERATOでやってることですけど、人間はありとあらゆる姿形になって、もっと自由になる。2本の手とか2本の足とかは制約でしかない。こうした生身の制約から解放されたら、ものすごく面白いっていうか、人間はもっともっと進化するというのが、僕が言いたいことなんですね。進化って多様性なんです。

 だけど、これが我々の未来だっていうと、バチカンの人間はどよめくわけです。人間が非生物になるっていうのは。

 じゃあ人間は何で人間なのっていったら、ディグニティ(人が神に似せて創造されたことに基づく尊厳)だって。「ディグニティって何よ、見たことないし」って言っても、「ディグニティはディグニティなんだ」って、一点張りなんですね。

稲見 ディグニティって、神から与えられたことになってるんですか。私も、よく分かりませんが。

石黒 人間が持ってるアンタッチャブルなものが尊厳です。それはカントだってそうだし、ドイツ哲学はそう考えるんですよね。よく分からないけれども、もちろん神から与えられたものだから、そう言うんでしょうね。

 大前提として、人間と他のものは違うんだ。そこを混ぜちゃいけないんだ。何でかっていうと、尊厳があるから。

 ドイツに行くと「おまえは誰の許可を得て、人間そっくりのアンドロイド作ってんだ」って、半分ぐらいの人間がまともな顔して聞いてきます。半分ぐらいは、「心理学の研究だ」とか「ロボットの研究だ」とか、普通に受け入れてくれるんだけど。実はドイツって一番哲学の縛りが強い。

稲見 そうですね。ヨーロッパは、やっぱりエンハンスメント(技術による人の機能の強化)もやりにくいって言いますね。(障害を補う)補綴だったらやってもいいけれども、それ以上のことをやろうとすると、ものすごい反発がある。

石黒 ただイタリアは結構オープンマインドなんだ。だから、例えばASIMOのグループが最初に二足歩行やるときにバチカンに聞きに行ったんです。バチカンの答えは、人間が作ったものなので、当然それも人間の活動の一部だって言って認めてくれるわけです。

 僕を(教皇庁生命アカデミーに)呼んだのも、基本認めてくれてるんだけれども、中で話すと、やっぱりディグニティが出てきちゃうんですね。でも、それがないっていうと、やっぱりキリスト教的にはまずいんで、ちょっと面倒なことになります。

アンドロイドで自分を超える

稲見 自在化身体プロジェクトの関係でいろいろと話を聞く中で、三十三間堂に行くことになって。あそこも千手観音ってたくさんあるじゃないですか。それとか阿修羅とか、人じゃない形のものを作ってしまうことに、何か懸念はあるかってお伺いしたんです。

 そのときおっしゃったのが非常に仏教的で。自分たちが様々な多様な身体をどんどん作って人間を拡張していくということ自体、他者への思いやりで作っているならば、ありかもしれない。それがエゴの発露であるならば慎重に考えるべきと。

石黒 なるほど。でも、例えば観音様って千手観音もあればいろんな観音様がいるし、そもそも僕は高台寺でマインダーっていう観音様を作ったんで、観音様作るのは全然問題ないですね。(観音様でなく)お釈迦様を作ると物議があるかもしれないけれども、観音様は元々自在化人間なので。

稲見 そうですね。自在化するのが観自在菩薩ですからね。

瓜生(司会) たぶん、我々ぺーぺーの人間が観音様になってしまう技術はいいんですかってところにちょっと難色も。

石黒 そこは当然ですね。私が作ったやつは、(自律的に動く)アンドロイドで、開眼法要もやったので本物の観音様なんですね。人間そのものだとちょっと……。

 でも、アンドロイドの能力をめっちゃ拡張して、人間を超える能力を持たせることができればいいんじゃないかな、と思うんですね。

  僕のムーンショットのプロジェクトで、(石黒教授を模した遠隔操作ロボットであるジェミノイドの)第6バージョンっていうのが最近あって。めっちゃ上手に(プレゼンレーションができる)。僕はここまできちんと絶対できない。ちゃんとそういう人たちにディレクションしてもらって作ってもらった。

 稲見 これ、リアルタイムじゃなくて作り付けなんですか。

石黒 これは作り付けなんだけど、リアルタイムでやるのも今開発中。どうやるかっていうと、言葉に対してジェスチャーが大体対応するので、言葉を(ディープラーニングに基づく言語モデルの)BERTとかで予測しちゃうんですよ。次、しゃべりそうだなと思ったら、先にジェスチャーを起動して、それに言葉がかぶるようにすると、リアルタイムできる。ジェスチャーなんで、間違ってもそんなに影響出ない。

稲見 なるほど。

石黒 だから最近のディープラーニング、すごいなと思うんですけどね。

 何が言いたいかっていうと、僕よりもこの人(ジェミノイド)の方がプレゼンうまいんです。そのうちこの人は、いろんなことで僕を超えていく。だからこれ、稲見プロジェクト的には究極の自在化ツールかもしれない。

稲見 そうですね。だって、私は英語をペラペラには話せないんですけど、そういうふうに話せたり、(自分の代わりのロボットによって)私の全てができるようになるわけですよね。しかも、アメリカ人向けのジェスチャーと、ヨーロッパ向けのジェスチャーで微妙に違うところもチューニングされるわけですね。

 伝統芸能の身体表現に学ぶ

石黒教授がロボット/アンドロイドの研究に託す狙いは、人の能力の拡張にとどまりません。動作によって意図を表出する能力にも期待します。その手本になるのが、能や文楽といった伝統芸能です。

石黒 もう1個、僕が言いたいのは、人間の手足って道具として発展してきたんです。歩くためとか物をつかむためとか。でも今、いっぱいロボットがいるじゃないですか。だから、こういう手足って、特に手は道具として使う必要がだんだんとなくなってきた。

 じゃあ要らないのかっていうと、そうじゃなくて。やっぱり表現手段、視線もそうだし、頭もそうだし、表現手段として、もう少しちゃんと体を使っていかないといけないんじゃないか。

 だから、うちのムーンショットのプロジェクトでは、全身を使ったマニピュレーションもやってるんだけれども、対話を割と重視してる。人間そっくりのアンドロイドで作業させるのは結構大変なので、むしろまずは対話かなと思ってる。対話において体の意味って、どういうものなのかを考えてるんです。

 それを考えるのに日本の文化ってすごく重要で。例えば。めっちゃ面白いのはやっぱり能なんです。能ってロボットなんですよね、動きが。

 真っすぐ動いて、くりっと回って、真っすぐ動いて。駄目なロボットみたいな動きをしてる。しかも能面って無表情で、うちの「テレノイド」みたいな顔してるんだけれども、(観客は、演者の)微妙な動きから感情を推定していく。「想像してください」みたいなことですね。

 能って神様に対する舞なわけで、神様の前では人間って、最もそぎ落とされたミニマムな動きとかミニマムな顔をしないといけない。だから人間がロボットになろうとしてる。ロボットは神に近いんだという、何かアナロジーがあるなと思って。

稲見 私この前メタバース工学部のお手伝いをしたときに、本当はプラチナスポンサーの企業の人たちにメタバースの中できちんとあいさつしてほしかったのが、やはりそう簡単にはできない。

  どうしたかというと、遠隔会議のZoomの音声に合わせて、実は能楽師の方にアバターの動画を合わせてくださいと言ってみると、むちゃくちゃうまくいきました。やっぱり能楽師って、そういうスキルがあるんですよ。しかも顔とかもそんなに表情豊かじゃないわけですね、今のアバターは。そうすると、ちゃんと頭の動きとか手の動きとかで、表情を伝えたりもできたり。

 さらにロボットに変身して『敦盛』も舞っていただいたんです。そしたらこれは確かに能だって感じがしました。

石黒 今のロボット、ロボットらしいロボットが、ちょうど能に合ってるんじゃないかなと思いますよね。

 ジェミノイドで能はやってないんですよ。僕らはまず文楽から学んでて。20年前、一番最初にロボットのプログラムを始めるときに文楽の桐竹勘十郎さんっていう有名な人に(教わった)。文楽が一番少ない自由度で人間らしさをきれいに表現してるから、どういうふうに手を動かしてるのかとか、首をどう動かしてるのかっていうのをいろいろ教えてもらった。

稲見 3人で一つの身体を動かすと、たぶん1人で演じるよりも、よっぽど演技力があるってことになるんですね、きっと。

石黒 そうですね。ただ、今度新しいチャレンジで、あれを全部マニピュレータに変えようと。(人形を)動かす棒をマニピュレータに握らして、どこまで再現できるかをちょっとやってみたいなって思ってる。

 ああいう世界も、なかなか後継ぎが難しいんですよね。だんだん予算も削られるし。勘十郎さんも冗談か本気なのか、「早くロボット作ってください」って言うから、そういうことをやろうと計画してる。

稲見 「ダビンチ(da Vinci)」とか使うと、うまくいくかもしれません。

人の想像を引き出す動き方

石黒 能でもう1個重要なのは、表現の方法なんです。表現っていうのは、いかに人の想像を引き出すかってところがすごく重要で。例えば物をつかむときに、いきなりガッとつかんでやると、物をつかむなってすぐ分かるんだけども、何ていうのかな、メッセージとしては単純で強過ぎるわけです。

 能は、必ずまず体幹を動かすんですね。体を動かして、それから次に関節を動かして、最後に手を動かす。そうすると、「この人は何かしたいんだ」って想像が働く。「もしかしたら物を取ろうとしてるのかな」とか。最後には「コップの水が欲しいんだな」って、ちゃんと順番に想像できる。相手のことを想像できると、早くサービスを提供するとか、おもてなしができるようになる。

 これが能の極意ですね。ロボットのように動いてるようで、実は人の想像をかき立てるすごいちゃんとしたルールがあって。ミニマムな動きなんだけれども、人の想像を豊かにかき立てる。そこがすごく大事で。僕もアンドロイドでニュートラルなデザインをやってるときに、人の想像をいかに上手にエンハンスできるかを大事にしてたんだけど、能の舞ってそうなんです。

 その極意が日本舞踊に引き継がれていて、日本舞踊もそうなんです。必ず体を先に動かして、体の中心から末端に行くようにする。いきなりこんな(素早い)動かし方をしない。非常に合目的で、相手に自分の意図を悟らせるような。

稲見 武道の逆な気もしますね。 

石黒 そうですね。

稲見 柔道の野村さんとお話ししたら、相手の肩をつかむと相手の意図がすぐ分かっちゃうらしいんです、触覚を通して。逆にそうじゃないときは、いかに自分の動きを読ませないかが技術。

石黒 そうね。だから意図が読めないと、たぶん攻撃的になる。コミュニケーションのための舞とかって、やっぱり十分に意図を想像させる動かし方をしないといけない。

 これも、なかなかトレーニングしないと難しいんですよ。でもこういうルールさえ分かれば、ロボットはプログラムできちゃうんです。制御の問題なんで、そんなに難しくなくできちゃう。

稲見 人のほうが、いろいろと(難しい)。「こうすればよい」と分かって身に付けることができたら、みんな能を舞えちゃうわけで、そう簡単にはいかない。それこそTED Talksでスピーチやる人とかは、事前に振り付けの練習やったりするらしいです。

 先生、よく平田オリザさんと(ロボット演劇の公演を)やってらっしゃいましたけれど、平田さんの演出の付け方もそういう感じなんですか。

石黒 オリザさんは、むしろ普通の人をやるんです。素晴らしくジェスチャーがうまいとか所作がきれいとかって人じゃなくて、普通の人をつくるんですね。心理学や認知科学をいっぱい勉強されて、普通ってのはどういうことかを研究してる。だから、すごく自然に見えます。

 ただ、アンドロイドは、逆にもっと人間らしくできたんですけど、あえてアンドロイドっぽくしてくれって言われて。

稲見 そういうこともあったんですね。

 

石黒 演劇にもよるんですよね、オリザさんの作品、いかに自然に体現するかってノウハウが、いろいろあるんですよ。

 非常に大事なノウハウは、言葉と動きだったら動きが100%必ず先行すると。「こんにちは」って言うときに、(頭を下げてから)「こんにちは」って言う、これが普通じゃないですか。「こんにちは」(と言ってから頭を下げる)、これはおかしいですね。

 人間って、やっぱり声出したり、意識したりするよりも動作が早いって、よくいわれることなんです。そこで苦労するのが、いかに動作を先読みするかってこと。それが最近のBERTで、100%は絶対できないんだけど、4割とかそれぐらいできればいいかなと思ってますけどね。

 僕が言いたいのは、豊かなジェスチャーとか人間の動きとかに意味を持たせるには、日本の文化がめっちゃ重要だろうってこと。何ていうか、ヨーロッパの人間にプレゼン指導なんかされたくないって感じですね。

 能とか日本舞踊とか、日本はマルチモーダルで複雑なコミュニケーションができるようになってる。ヨーロッパ系はジェスチャーとか付けるけれども、どっちかっていったらバーバル(話し言葉)が有意で、日本みたいにマルチモーダルな非常に深いコミュニケーションって醸成されてない気がしますね。

アンドロイドかアバターか

司会を務めた瓜生大輔氏が、議論の土台となる概念を改めて整理します。

瓜生 一つだけ質問していいですか。アンドロイドとアバターって境界線あるんですか。あるいは全然ベクトルが違うんですか。

 石黒 僕は(アバターを)遠隔操作型、(アンドロイドを)自律型と呼んでる。自在っていうのがやっぱりキーワードなんですよ。

 人間って、誰かのために自在なんじゃないかなって思ったら、全部がアバターですよね。稲見先生は僕の言うことをよく聞いて行動してくれると思ったら、僕は(稲見先生を)自在制御してる。本当のいい社会って、互いに自在制御することなのかもしれない。主従関係があるということでもないし、完全なオートノマスでもない。

 完全にオートノマスな人間って本当にどうしようもないですよ。生物の世界でオートノマスって、アウト・オブ・コントロールって意味なんで。全く行動が予測できないと、社会性のかけらもないわけで。互いに自在になれるっていうのが、本当はゴールなんだろうなと思う。

瓜生 (人に似せたアンドロイドに抵抗感がある海外でも)基本的にアバターが評価されてるのは、見た目が本人と似つかないものだからっていうのが大きい?

 石黒 そうですね。むしろ受け入れやすいデザイン。自分がなりたい自分じゃなくて、どういう見かけが受け入れられるかとか。簡単に言うと、中性がいいんですよね。受け入れられやすいデザイン。だから僕はテレノイドとかやってた。

 瓜生 誰のアバターにもなり得るロボットが今はすごく受けると。

石黒 そうですね。想像をちゃんとかき立てるように。生身の人間は、「この人にこんなこと言っていいのかな」とか、すごいプレッシャーがかりやすい。

 受け入れられやすい見かけのキャラクターだと、いろんなことをしゃべりやすいんですね。ほとんどの対話サービスって、(相手との)付き合いはめっちゃ短いけれども、プライバシーに関わるようなことを言わないと、リッチな対話サービスにならない。そういう状況においては生身の人間よりもアバターのほうがいい。

自在化身体セミナー スピーカー情報

ゲスト:石黒浩|《いしぐろひろし》
大阪大学大学院 基礎工学研究科 システム創成専攻 名誉教授

ロボット工学者。大阪大学基礎工学研究科博士課程修了。工学博士。京都大学情報学研究科助教授、大阪大学工学研究科教授を経て、2009年より大阪大学基礎工学研究科教授(栄誉教授)。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。遠隔操作ロボットや知能ロボットの研究開発に従事。人間酷似型ロボット(アンドロイド)研究の第一人者。2011年大阪文化賞受賞。2015年文部科学大臣表彰受賞およびシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム知識賞受賞。2020年立石賞受賞。2021年オーフス大学名誉博士。著書には、『ロボットとは何か──人の心を映す鏡』(講談社現代新書)、『どうすれば「人」を創れるか──アンドロイドになった私』(新潮文庫)、『僕がロボットをつくる理由──未来の生き方を日常からデザインする』(世界思想社)ほかがある。

ホスト: 稲見 昌彦|《いなみまさひこ》
東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授

(Photo: Daisuke Uriu)

東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野教授。博士(工学)。JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト 研究総括。自在化技術、人間拡張工学、エンタテインメント工学に興味を持つ。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。超人スポーツ協会代表理事、日本バーチャルリアリティ学会理事、日本学術会議連携会員等を兼務。著書に『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』(NHK出版新書)、『自在化身体論』(NTS出版)他。

「自在化身体セミナー」は、2021年2月に刊行された『自在化身体論』のコンセプトやビジョンに基づき、さらに社会的・学際的な議論を重ねることを目的に開催しています。
『自在化身体論~超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来~』 2021年2月19日発刊/(株)エヌ・ティー・エス/256頁

【概要】

人機一体/自在化身体が造る人類の未来!
ロボットのコンセプト、スペイン風邪終息から100年
…コロナ禍の出口にヒトはテクノロジーと融合してさらなる進化を果たす!!

【目次】

第1章 変身・分身・合体まで
    自在化身体が作る人類の未来 《稲見昌彦》
第2章 身体の束縛から人を開放したい
    コミュニケーションの変革も 《北崎充晃》
第3章 拡張身体の内部表現を通して脳に潜む謎を暴きたい 《宮脇陽一》
第4章 自在化身体は第4世代ロボット 
    神経科学で境界を超える 《ゴウリシャンカー・ガネッシュ》
第5章 今役立つロボットで自在化を促す
    飛び込んでみないと自分はわからない 《岩田浩康》
第6章 バーチャル環境を活用した身体自在化とその限界を探る        《杉本麻樹》
第7章 柔軟な人間と機械との融合 《笠原俊一》
第8章 情報的身体変工としての自在化技術
    美的価値と社会的倫理観の醸成に向けて 《瓜生大輔》