なぜ僕らは簡単に語彙力を失うのか。
SNSの発達によって、僕らは日常的にたくさんの言葉に触れることができるようになりました。
ネットニュースやTwitterをダラダラと眺めるだけで、最新の若者言葉から聴き馴染みのない専門用語まで、数々の言葉たちが目に飛び込んでくるため、自然と語彙が身につきやすい環境にあると思います。
しかし、たくさんの言葉に触れやすくなった時代にも関わらず、多種多様な言葉を使えている人は、それほど多くはないでしょう。
先週、高校の同級生の千葉くんと話をしていたとき、千葉くんは何度もこんな言葉を使っていました。
「この前、プロ野球の試合見てたんだけど、明らかにアウトなのに、審判がセーフ!とか言っててさ・・・。あの審判、本当にザルだぜ・・・」
「えっ、雨降ってきた。今日、雨降る予報じゃなかったよな? まぁ、iPhoneの天気予報、ザルだからな・・・」
「俺、キッチンでアルバイトしたことあるんだけど、全然使い物にならなかったよ。マジでザルだったぜ!」
ザルというのは、料理で湯切りの時などに使用される調理器具のことで、会話中に出てくるときは、漏れや抜けが多いさまを指したいときに、喩えとして使われます。
そう考えると、審判のチェックが甘いことをザルに例えるのは頷けますが、天気予報の精度が悪いことや自分が仕事ができないことについて、「ザル」を用いて表現するのには、無理があるように感じます。
しかしながら、千葉くんは意気揚々と「ザル」を使っており、このとき僕は、ハッとしました。
僕らが言葉を上手く使えていないのは、言葉を探す努力をしていないからだ。
そして、それを繰り返すことによって、僕らは語彙力を失っている。
千葉くんは、良くないこと全般に対して、「ザル」という言葉を使いつづけ、その言葉に頼りきっています。
適切な言葉を探そうともがけば、ザルよりも適切な言葉は見つかるはずのに、それを考えるのも面倒だから「ザル」を多用するのでしょう。
そして、それを聞いている僕も、いちいちツッコむことはしません。
千葉くんの話を遮るのは悪いと思ってしまい、適切な言葉を探す努力をさせず、そのさまを傍観しています。
これでは、千葉くんの語彙力は低下していく一方だし、僕自身もそれに慣れると、語彙力が低下していく。
同じ言葉を何度も使い回すのではなく、それぞれの状況に応じた言葉を使って、もっと面白い会話がしたい。
僕は、勇気を持って言いました。
「千葉くん、審判の話はまだしも、天気予報や自分の仕事のできなさに対して『ザル』を使うのは、意味合ってるの?」
こんなことを言ってくる友達は、きっと鬱陶しいでしょう。
でも僕は、身近な人が語彙力を失っていく瞬間を見ていられなかった。
その思いが届いたのか、千葉くんは僕のその質問を受けて、すぐに他の表現を探してくれました。
「ごめん。『ザル』じゃなくて、『ゴミ』だよな」
千葉くん、それも適切じゃないと思います(笑)。
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