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男でも女でも良いノンバイナリーの世界

寝れないのはなんでだろう。

自身が時に女として扱われ、時に男として扱われることに悩むからだろうか。

それは冗談。上記のことは事実としてあるが悩みではない。そんな事実あるの?もやっとしない?と思ってくれたら、そのまま読んでいただけるとありがたい。

「ノンバイナリー」ジェンダーとして自認するまでの過程や、ノンバイナリーからみる世界観・感覚を、初めて言語化してみる。


レズビアンだと思っていた。

社会人1年目で東京に引っ越した当初、あてがわれたジェンダーに違和感を感じ、情報収集のために新宿二丁目通いを始めた。ここが居場所になると期待もしていた。

しかしそうはならなかった。

新宿ニ丁目がゲイタウンと呼ばれるように、たしかにゲイやレズビアンの仲間に容易に会いに行くことができる。ただし、LGBTQsの町といえるほど、すべてのマイノリティが羽を伸ばせるわけではない。LGBTQsとはかなり多様な人々(ジェンダー等)をひっくるめてしまっているから、当たり前である。

「旅好き」とひとくくりにしても、国内旅行が好きな人、カメラで撮影しながら練り歩くのが好きな人、とにかくいいホテルに泊まりたい人がそれぞれいる。そして、それらの条件をもっと細分化し、その中で巡り合った価値観の合う仲間と旅をすることで羽をのばすのと、感覚は近いかな。

どんな違和感か


「会社に行く時、化粧するの無理じゃない?」と、同意してくれることを期待してなげかけたものの、「え、全然嫌じゃないけど」となったり。

レズビアンクラブで流れる、「絶対彼女(feat.道重さゆり」や「おジャ魔女ドレミ」に沸く空気についていけなかったり。

いっつも元気なんて無理だもん、でも新しいワンピースでテンションあげて
一生無双モードでがんばるよ

絶対彼女の歌詞

自分の場合はワンピースでテンションが上がることはないし、赤い口紅できらめくこともない。

おジャ魔女ドレミの曲においても、もちろん履修はしてきたけど、どちらかといえば「ハリケンジャー」にハマっていた幼少期だったから「ハリケンジャー参上!」で盛り上がりたかった。

このクラブが対象としている客層は、これらの曲で沸ける人なんだと理解した。

マイノリティのマイノリティ

もっと早くしりたかった

居場所は見つからなかったものの、「セクシャルマイノリティであることは間違いないが、GでもLでもない」という自己理解の解像度アップを果たすことができたので、大きな収穫の年だった。

(実は、ジェンダーに違和感を感じつつもトランスジェンダーほど明確な違和感を持てないひとは、セクシャルマイノリティとしてはマジョリティであるGかLだと認識する傾向があるらしい。そのほかの情報量や知名度がまだまだなので。)

あまりにも遅い。それまで自分が何者か分からず生きていた。苦しかった。「なんか周りとちがう」がはっきりしなくて、モヤモヤを晴らすのにかなりの時間を要してしまった。

「LGBTQ教育は早すぎると良くない」なんて、当事者を除け者にしすぎている。自分が何者か知るのに遅いことなんて無いのだから。

どうやって自認した?

自認に到る経緯は紆余曲折しているが、この本の著者から大いに勉強させてもらった。

「13歳から知っておきたいLGBT」

この著者は本を出す以前からYoutubeチャンネルでノンバイナリー当事者として発信してくれていた。「トランスジェンダーじゃなくても、手術していいんだ。」「一人称悩むのってノンバイナリーだからか」

他者との違いの一部は、ノンバイナリーを背景としていることだと理解することができた。そして、この本にはスペクトラム的な柔軟なジェンダーの考え方について言及されていることが一番の功績だと感じている。ジェンダー観を柔軟にしたおかげで自己受容や自己認識を深めることができた。著者に大変感謝している。

ジェンダーにモヤモヤしているひとや、周囲にいるセクシャルマイノリティのひとを理解したいというひとにぜひ読んで欲しい。カラーでかわいいので、Kindleよりも紙が良いと思う。


ノンバイナリーは「誰を好きになるか」の話ではない。

最近は「クィア」「ノンバイナリー」「Xジェンダー」、そんな言葉で、自分のアイデンティティを表現している。

「ノンバイナリーだ」って自己紹介をした時に、「私も/俺も女男どちらも好きになるよ」と返されることは多い。

「も」じゃないんだよな…

LGBTQsという言葉が、複数の観点を混ぜこぜにしたグループを詰め込んでいるので、理解の難度を上げてしまっているので、仕方ないと思う。

観点を整理するには、「SOGI」という語が有用である。

SOGI(ソジ)は、英: Sexual Orientation & Gender Identityの頭文字を取ったアクロニムである。日本語では「性的指向と性自認」と訳される

Wikipedia「SOGI」

「性的指向」がいわゆるどんな性を好きになるか。で、「性自認」は自分をどんなジェンダーと認識しているか。

「ノンバイナリー」は性的指向についての情報はゼロ。性自認についての情報が100%の語である。自分は、性自認が「女や男という二元的な考え方の外にあるジェンダー」という表現として使っている。

比較として「レズビアン」を分析すると、性的指向は女性であり、性自認は女性である。つまり、どちらの情報も表現している。そして、性自認が「女性」である点はLGBTQsの中ではマイノリティ性はないため、性的指向に重きが置かれた言葉といえる。

ノンバイナリーの世界

ノンバイナリージェンダーの世界を少し掘り下げる。
前述の通り、トランスジェンダーほど明確な違和感があるわけじゃない。だからこそその違和感を言語化するのがとても難しいけど、やってみる。

曖昧さ自体が、とてもノンバイナリー的だ。と思ってもらえたらありがたい。

どっちの性で生きるか「決めた」

ノンバイナリーを表すエピソードがある。小2のとき。

席替えだったり、記念撮影の並び順だったり、「女の子〜」「男の子〜」って飛び交う学校。

「どっちで生きようかな〜」って思った小2。学校の先生を叩いたり、拳でコミュニケーションをとっている男の子たちをみて、消去法的に「女の子として暮らそう」って決めた。

そこからしばらく、「女の子〜」と呼ばれたらそのカテゴリーの人間として機械的に反応することで、問題なく適合した。

大きな決断ではなかった。性別が人間を構成する重要な要素となることを知らなかったから。あくまで社会生活を送るための「記号」でしかなかった。

ワンピース時代

他のエピソードも紹介してみる。

高校生以上になると、性別「らしさ」を追求すると人間関係がうまくいくし、同調できることを理解した。(今では勘違いと気づいてるが)

自分にとって、ワンピースを着ることは、テンションがあがるどころか、物凄く覚悟がいる。「着たくない」「自分らしくない」を押し殺して着ていた。

そうすれば、周囲から「かわいいね」と言ってもらえる。共感ポイントの欠乏感が高いために、「かわいいね、どこでその服買ったの?」という会話が生まれることが嬉しかった。

他人の「かわいい」ポイントに合わせて身なりを決めることが正しいことだと思っていたし、みんなそんなものだと思っていた。たった4年前までその価値観で生きていたのだからゾッとする(笑)

そんな勘違いを改めてからは、難しさを感じつつも、自己表現や性表現の手段として服装を楽しめるようになった。

久しぶりの友人にあうと「男になった・・・?」「どうした??」「ボーイッシュになったね」といわれるので、めちゃめちゃ恥ずかしいのだが。

それでも、ワンピースを身にまとっていたロングヘア―の私が、メンズスーツを身にまといベリーショートで結婚式にいけるようになるほどまで変われたのは、自己理解の深まり、自立、成長、それらの証なので胸を張っていくつもりである。

性別間違われるくらいがちょうど良い

フィリピンに行った時のことである。

フィリピンはゲイ(G/L両方の意味を含む意)が多いことで有名である。ジェンダーに寛容なため、ノンバイナリーの自分にはパラダイスだった。

宿についたとき、共有のトイレの場所を説明するとき、日本であれば私の見た目等から「女性トイレはあちらです」と言われるのだが、フィリピンでは「男はこっち、女はこっちね。好きな方使って」と言ってくれる。

自分が思う性別に居させてくれる。という感覚が新鮮で、快適だった。

そもそも、感覚のズレを感じるのは、

性別を間違うことは失礼

という感覚である。

銀行で書類を書いていて、「こちらに〇をしてください」と書類の「男」欄を指さされる。戸籍上女なので、「女」に〇をつけると、めちゃめちゃに謝れる。

失礼ではなく、むしろたまに間違われるくらいのほうが「ちゃんと性表現できている。」と思えるので、ありがたいのだ。

生物学的に女性的な要素が強く、また社会的にも女性として生きてきたので、ほぼほぼ女にしかなり得ない。なので、服装とか態度とかでバランスをとって、自分が心地よいジェンダーに位置取れるようにしている。

そして、誤られると、こっちも謝らせてしまって申し訳ない。と思ってしまう。

書類に「その他」が増えているのはありがたいトレンドだし、パスポートにノンバイナリーを顕す「X(エックス)」を選べる国が出てきているのも、こういったトラブルを解消する手立てではないかと思う。

いつジェンダーを自認した?

自分に当てはまることは、他人もそうだって思っちゃう。

なので、ジェンダーはグラデーションで良いじゃんって考え方が普及すれば、実はみんなノンバイナリーなんじゃない?とたまに思うってしまったりする(笑)ノンバイナリーとまではいかなくても、みんながみんなグラデーション(スペクトラム)の完全右端・左端なわけないでしょ…と。違う人間ではなく、箱となるカテゴリーは全部つながっていて、延長線上に皆立っているって思ってもらえたらうれしい。

あと、他のジェンダーのことは全然わかっていないので、私はこういう理由で自分のことを「女だと思う」「男だと思う」っていうのも教えてほしかったりする。

こんな本もちらり・・・


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