インドで道を尋ねるとどうなるか
インド渡航前、インドに駐在経験のある先輩から、面白い話を聞いた。
「インドで道を尋ねると、寄って集って教えてくれるが、指差す方向がみんなバラバラ」
そんなことあるんかいな、と思っていたけれど、その真偽を確かめる機会があった。
何のお店だったかは最早忘れてしまったが、何かのお店に行きたくて、Google map上で目当てのお店を見つけ出し、地図を頼りに近くまで行った時のこと。
地図上は確かに目の前にお店があるはずなのに、ない。
分かりにくい隠れ家のようなお店なのかな、とも思ったけれど、どうもそうでもないらしい。
あれ、そういえばWebサイトを確認していなかったな、と思い至ったものの、webにも何の情報もない。
Google mapの情報が古いのか?間違っているのか?
でもせっかくここまで来たんだし、一応Google mapを信じてみるか、と思い、そこら辺にいたおじさんに聞いてみる。
「このお店に行きたいんだけど、どこにあるか知らない?」
あぁ、そのお店ね、という風に自信たっぷりな様子で、角を曲がって2件目辺りの2階だよと言われる。
おぉ、やっぱり我らがGoogle、場所は少し間違っていたかもしれないけれど、やっぱりお店はあったんだ!と喜びに浸りつつ、おじさんに礼を言い、指示された場所に行ってみる。
が。
おじさん、本当に?
お店がある様子は微塵も感じられないけれど。
てか、全く違うお店の看板が掛かっているけれど。
英語には相応に自信があったけれど、私がおじさんと上手くコミュニケーション出来なかったのかもしれない。
じゃあこっちのお兄さんに聞いてみよう。
するとお兄さん、私が元居た場所を指し示して、「お店はあっちだよ」と。
あ、やっぱり??
地図上はあっちだもんね、私もそうだと思ったんだよ、私が見落としていただけだったんだ!
お兄さんに礼を言い、元居た場所に戻る。
目を凝らして、もう一度丁寧に、2階建ての建物の上下左右を確認してみる。
・・・・・やっぱり、無いよね?
と、ここまで来てようやく記憶が想起される。
あぁ!!!
これ、先輩が言っていたやつ!!!
こういうことだったのか、というパズルのピースを発見したような喜びと、え、でもじゃあやっぱりお店はないんじゃん、という落胆と、
おじさんとお兄さんの言葉は何だったん??口からでまかせかい!という、怒りに似たような失望と、
どうしたら堂々と嘘の情報を人に教えられるのだろう??という純粋な疑問と、
私は騙しがいのあるカモだったのか??という恥ずかしさが入り混じって、その場に立っているのが急に居心地悪く感じられた。
「知らない」と言うことが恥ずかしかったのかもしれないし、
「聞かれたら何でもいいから答える(例え間違っていたとしても)」が彼らにとってデフォルトの行動様式なのかもしれないし、
「ちょっと揶揄ってやろう」と意地悪く思ったのかもしれないし、
背景は分からない。
でも、先輩が言っていたことは、正しかった。
もちろん、きちんと「自分は知らない」と答えてくれるインド人もいることだろう。
でも、「Noと言えない日本人」ではなく「Noと言えないインド人」ということなんだなぁと、やたら腑に落ちた感覚だった。
自分の名誉に関わることは死守する。
自分の行為の後先を深く考えずに突っ走る。
あとは、ちょっとの遊び心?
日本人とは異なる理由で、彼らは「出来ない」「知らない」「分からない」とは言わない。
だから、プロジェクトなんかを進めていて、彼らの言葉を鵜呑みにしてしまうと、後で痛い目を見ることもあるかもしれない。
え、出来るって言ったじゃん!
話と違うじゃん!
ということが、日本より遥かに高い頻度で起きる印象。
一方で、手付かずの夏休みの宿題を最終日に鬼の馬力で片付ける小学生のように、
「全く計画通りには行かないけれど、最後の最後は何とか帳尻を合わせる」(夫談)
という面も持ち合わせているらしい。(お尻にきちんと火が付きさえすれば)
ここまでOSが違うと、面白い。
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