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「なんでインドなの?」〜とあるインド旅のとある出来事〜

こんにちは、Merthi Coffee( メルティコーヒー )です。インド産コーヒーのインポートをしています。
日本ではまだまだ知名度がひくいインド産コーヒーですが、近年そのクオリティは着実にあがってきています。
メルティコーヒーは、note・Instagramでインドのコーヒー事情やユニークなインドカルチャーを日々発信しています。


今日は、なんで私がインドが好きなのか、というおはなしです。

よく聞かれます。
「なんでインドなの?」と。

私はこの10年間で何度も何度もインドばっかり旅をしてきました。
もちろんはじめは怖くて、正直言ってあんまり好きじゃなかった。でも、回数を重ねていくうちにインドのひとたちとコミュニケーションとるうちにかれらのパワーに惹かれていきました。
“ 生きるチカラ ” というのでしょうか。かれらと接すると、こちらも元気になるパワーをいつも感じます。だれかを大切におもったり、信じるべきものがあったり、自国のことも世界のことにも関心がある、勉強熱心、多種多様の文化・宗教・言葉が日常的に飛び交い混ざり合う環境での生活は、日本では感じることのできないなにかおおきなエネルギーがあります。


ある時のインド旅のおはなしです。
南インドのコーヒー農園で滞在をしたのち、チェンナイへ私たちは向かいました。卸先でもあり大のインド好きなイマジンコーヒーの店主さんと一緒です。
イマジンさんはチェンナイでは、コーヒーではなくインド料理の旅を希望されていたので、たくさん現地の味を食べました。チェンナイは、インド国内でも美食の街として有名で、日本で食べるインド料理とはまたひと味違う現地の味が体験できます。


私はインド料理に関しては、食べる専門で知識もあまりなくネットで検索したり教えてもらったりしつつ、お店めぐりをしました。
とはいうものの、食べてばかりも限界があります。合間の時間に、寺院へお参りをすることにしました。神様にご挨拶したりお参りをすることが、日本よりももっともっと身近な国であるインド。地図で検索すればすぐに出てきます。ちょうどホテルから行きやすい寺院があったので、行ってみることにしました。

南インドを旅するとき、ガイドブックにもよく登場する南インドの寺院。とってもユニークなかたちをしています。私の推しの『魚の目をもつ神様・ミーナクシー』がいるマドゥライのミーナクシーテンプルも代表的な南インドの寺院です。


食事だけでなく、その土地の文化にふれることもまた学びはおおい。ということで、夕食前にお参りに行くことしました。
私はいつも寺院では必ずお花や御供物をします。それは、日本でもインドでもおなじです。寺院のまわりにはたくさんのお店屋さん(といっても、地面に布をひろげて売っている)があるので、そこで購入します。そのときもいつものように、入口のとなりにいるおばちゃんからお花を購入。プラスチックのカゴの中に色鮮やかなお花と御供物が山盛りです。1カゴ15ルピーくらいだった気がします。カゴは最後に返さなくちゃいけない、そして、寺院は裸足で入るのでそこで履いていた靴は人質のようにしておばちゃんに渡します。笑
裸足になってぽてぽてと歩いて石畳の敷地内にはいりました。受付もあって、なんだかちゃんとしたところだなぁ…なんて思いながら。
ちょうどお祈りの時間もちかづいていたこともあり、寺院内にはいる入口には長蛇の列がありました。
「よし、私たちも、並ぼう!」
と、思ったら、、、
「 NO !    」
と、警備の人に断られてしまいました。
というのも、ここは、観光地ではなく、厳格なヒンドゥー教の寺院。ヒンドゥー教徒以外の人ははいれないとのことでした。
そりゃそうだよね、こんなわけわからんいかにも観光客の外国人をいれるわけないよね。
と、あきらめつつも、カゴ山盛りになったお花と御供物どうしよう…。捨てるわけにもいかなし…。
オロオロとしていると、列のなかの女性が私たちを手まねきしている姿が見えました。若いインド人女性とその母親らしき2人です。
そうだ、彼女たちに私たちのかわりにこのお花を供えてもらおう!
と私は思い、そう伝えました。すると、女性は、
「列のなかに入りなさい!」
と、強く言いました。
「え、、」
と、戸惑っていると、今度は、列に並んでいたその周りのひとたちも、
「入りなよ!」
というように、私たちを迎えいれてくれたんです。
それを見た警備の人もあきらめたように、
「行っていいよ。」
と、合図を出してくれました。

寺院のなかにはいると、とても薄暗く、湿気をおびてしっとりとした空気が漂っていました。ヒンドゥー教の神様がたくさんまつられていて、お参りをする人々がたくさんいました。
いちばん奥のシヴァ神の前にたどり着いて、手を合わせて、
「ありがとうございます。この人たちのおかげで私はあなたに会えました。」
と、心のなかでとなえました。

感謝と感動と不思議なパワーで胸がいっぱいになり涙があふれました。

列に招きいれてくれた女性が私に寄り添ってくれて、
「大丈夫、泣かないで。」
と、あたまをなでてくれました。


話を聞くと、彼女たちは地元の人ではなく、マドゥライからの旅行中だったそう。旅行先で毎日のお参りをしに寺院にきて、見知らぬ外国人を助けるなんて…もし私が彼女たちの立場だったら同じことができただろうか。
人々の優しさと、神様の寛大さにふれて、私にとって忘れられないすばらしい体験になりました。このときに、イマジンコーヒーさんに撮ってもらった写真は一生の宝物で、今でも時おりながめています。


私はインドですごすとき、『 自分の感覚を研ぎ澄ませる 』ことを意識するようにしています。これは、自分の身をまもることにとてもおおきな役割をはたしています。「だまされた!」「ぼったくられた!」「危ない目にあった。」という話は少なくありません。トラブルからまもってくれるのは自分自身だと私は思います。危ないと思ったらすぐにその場から離れる、逃げることが大事。だから、それにいち早く気がつかなくてはならない。「なんか、危なそうだな…。」と勘が働かなくてはなりません。

この“ 感覚の開放 ”は、危ないことから私をまもり、人々の愛情をキャッチさせてくれます。

チェンナイで出会った親子との思い出もまさに彼女たちの優しさを疑わずキャッチできたからです。
インドに行けなくなってかなりの時間が経ちます。英語力と同様、この感覚の使い方も、インドだけでなく日本でも同じように意識していきたい…と思うと同時に、意識しないと出来ない自分の未熟さを痛感したり。


「なんでインドなの?」の質問からかなりズレた結末になってしまいましたが…
私の話でなんでもいいから何か考えたり気がついたりしてもらえるとうれしいなぁ、と思います。



ここまで読んでくださってありがとうございました。
Instagramもしていますので、ご興味あるかたは、ぜひのぞいてみてください。

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