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教育のルーツ

「あなたの教育哲学は何ですか」
「教育者として何を大切にして
いますか」
「他の方が提唱されている教育と
あなたが提唱するモノは、何が、
どのように違うのですか」

「あなたの企業研修を採用すれば、
どのような成果を得ることができますか」

このような質問を受けるたびに、
答えに窮したわけである。

なぜならば、ただ何も考えず、
頑張ってきただけだったから
である。

自らの経験で、気力がみなぎる、
心熱くなる。そして、良い結果に
つながった学びをただ紹介していた
からである。

それが、他人にも役に立つだろう
という考えで、紹介していただけ
だったからである。

しかし、これではいけないと
思っていたわけである。

プロとして失格だと思っていた
わけである。

だから、自らの教育のルーツ。
これをたどりはじめたのである。

教育とは、「生活の糧を得るための
手段である」とする両親、祖父母の
元に生を授かったのである。

だから、学問の力で、安定した
職業を得るために努力してきたわけである。

そこに一点の迷いもなかったので
ある。

ほどなくして、公立の中学校教師と
なったのである。

教育現場に入り、これまでの自分の
価値観では、教師をやることは難しいと気づかされたのである。

なぜならば、出会ってきた子達は、
学問以前の問題で、深い悩みを
抱えていたからである。

劣悪な家庭環境に生を授かり、
思い悩む生徒に接するたびに、
人生の理不尽さ、不平等を嘆いたのである。

厳しい環境で、苦しむ生徒に、
気の利いた慰めの言葉も見つからない。そのような自分に無力さを感じた
わけである。

せめて、劣悪な環境を乗り越えて、
幸福になることができる。
その術を知っていれば、力になれる
のに。

そのようなことを考えながら、
教師をやってきたのである。

こういった疑問は、教師を辞め、
ウガンダで野球指導をした時も
続いたのである。

日本よりもさらに厳しい環境に
身を置く生徒と接するたびに、

「人生とは何か」
「なぜ人は生まれた環境がこれほど
違うのか」
「人生の目的とは何か?」
「どうやったら人は幸せになれる
のか」

このような人生に対する根源的な
疑問が、次から次へと湧いてきた
のである。

そして、これらの問いに対する、
自分なりの答えを追究したいと
心密かに思ってきた。

そのような自分だったわけである。

だから、これまでの価値観や
常識では、決して解決できない
ような、難問奇問に直面する羽目に
なったのである。

そして、その問題のすべてが、
家族と家系の不調和に起因して
いるという結論にたどり着いた
わけである。

それゆえ家族関係を整え、
家族間に調和を取り戻すことに
ただひたすら専心したのである。

莫大な時間とエネルギーを
家族と家系の調和を取り戻すために
捧げてきたのである。

結局は、生徒の劣悪な家庭環境は、
自らの家庭環境の鏡だったわけで
ある。

日本でもウガンダでも、生徒が、
「お前の家庭環境を整えよ」と
教えていたのである。

気づけば、あれほど多発してきた
家庭問題が雨散霧消、消えている
のである。

問題が無くなっただけでなく、
それが幸福の種となり、今度は、
芽を出しはじめているのである。

ここに至り、あらためて家族と家系の調和は、大事なことであると身をもって感じているのである。

考えれば、当たり前である。
自らの鏡である、家族との調和は、
自分自身との調和を意味して
いるからである。

そして、自分自身との調和が、
実現できれば、どうやら自らの使命、役割というモノにも気づいてくるようである。

自分自身との調和が、これまでにない、心の安定と平安、穏やかさを
もたらすからである。

そして、このような心の様相を、
人は、「豊かさ」とか「幸福」と
名付けているのだと感じるわけで
ある。

自らのたどってきた道のりは、
このような「幸福」や「豊かさ」を
目指す人にとっては、一つの道しるべとなるかもしれないと思ってきた
わけである。

それもこれも、自らの疑問を
解き明かそうと必死で、生きて
きたからである。

そして、身に降りかかってきた
問題の数々を自分なりのやり方で
解決してきたからである。

教育を生業としてゆく者として、
自らの教育のルーツ。
これをたどることは、とても大事な
ことであるとあらためて感じているわけである。

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