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時所位の自己限定

「たったひとりしかない自分を
たったいちどしかない人生を
ほんとうに生かせなかったら
人間生まれてきたかいがないじゃないか」
                     山本有三~路傍の石より~

小学校の卒業式に校長より贈られた
色紙の言葉である。

思えば、ずっと「たったひとりしかない自分をたったいちどしかない人生をほんとうに生かすために、どう生きたら良いのか」

これを模索してきたわけである。

「いったいどう生きたら、生まれて
きたかいがある人生を生きることが
できるのか」

これを追求してきたわけである。

だからまず、勝利を目指してきた
わけである。

成果にこだわり、成長を目指して
きたわけである。

とにもかくにも何かで、他に秀でる
ことを目指してきたのである。

これが、競争社会を生き残る
唯一の術と信じていたからである。

だから、自らの可能性を見限り、
競争社会からドロップアウトして
生きている。

両親のような人生は決して
生きたくはない。

そのような思いで、生きてきた
わけである。

その結果、両親の見ることが、
できなかった景色を見ることが
できたのである。

しかし、両親が当たり前のように
我が子にしてきたことが、
自分は、何ひとつできなかったの
である。

ここに至り、長年の非礼を
詫びたのである。

自らの愚かさを恥じたわけである。

両親は、両親の価値観で、
「たったひとりしかない自分を
たったいちどしかない人生をほんとうに生かして生きていた」わけである。

それを一刀両断、自分の狭小な
価値観で、切り捨てていたわけで
ある。

両親から与えられた無償の愛を
土台にして、美しい景色を見ることができたにも関わらず、自らの生き方の正しさを誇っていたわけである。

「時所位の自己限定」とは、
教育哲学者、森信三氏の言葉で
ある。

「時」とは、自分がどのような時代に生きているかを深く認識するということである。

「所」とは、自分が、どこで生まれたのか。いまいる場所はどこなのかを自らに問うて生きなければならないということである。

そして、「位」とは、「時」を
理解し、「所」を理解すれば、
自らがどう生きるべきかの使命が
見えるということである。

自らの人生を振り返れば、ことある
ごとに、自らの「時所位」。
これを考えてきたのである。

アフリカのウガンダにおいては、
日本を祖国とし、日本人として
生を授かりしその理由について
自問自答を繰り返してきたわけ
である。

帰国後は、度重なる家族の葛藤、
断絶という問題に直面し、家系に
流れる因縁に気づき、その解決策を
ひたすら模索してきたわけである。

そして、それらすべての問題が、
終息した時に、自らの「位」に、
気づいたわけである。

「自分とは何者か」
「自分の役割とは何か」
「自分は何をするためにこの世に
生を授かったのか」

人生に対する根源的な問いかけを
しながら生きている。

そのような方々の、「時」と「所」を深く掘り下げ、その方の「位」を
明らかにする。

そのお手伝いをできれば、
本望なのである。

それが、自らの「位」であると
気づいたわけである。

これが、「たったひとりしかない
自分をたったいちどしかない人生を
ほんとうに生かすための道」と
気づいたわけである。

家族や先祖の生きざまを知り、
生まれた地域や国の成り立ちを知る。

そして、自らの人生という歴史を深く掘り下げた、その先に、「ほんとうの自分」「自分の使命」というモノが
発見できるということに気づいたからである。

自らの「時所位」を深く掘り下ることで、感謝とともに生きることができ、
それが、自分という存在を知るための
近道と気づいたからである。

そして、自分を深く知ることを、
生きる目的と定め、
生まれてきたことを思い出した
からである。

ずいぶん遠回りをしてきたように見えるが、それが自分物語の脚本だった
わけである。





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