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カッタン

 だまって私を見据える母の目のどこにも目立った変化をとらえることは出来ないが姉が言うには随分症状が進んだらしい。
 さらに最近「カタカタ」と意味不明の言葉を繰り返してごねるという。
 カタカタ?カタカタ?私は二回棒読みで繰り返した。
 そんな私に向かって母は、カッタンカッタン、と言った。
 ほらね。姉が少しおどけたように首を傾げる。

 母の言葉を「解読」しようとはするがまったく糸口が見つからない。
 ただ、カッタンカッタン、を繰り返し訴えるばかりである。
 ミシンを踏む音だろうか?それとも編み機?
 いや母は手編みだったな。母が編み物をする姿を思い起こす。
 柔らかな光に満ちたリビングルームで。
 新聞を読む父の傍を選んで。

 機嫌の悪い日にはとりわけその口調が強くなるそうな。
 姉は母の気分のむらにはすっかり馴れているが、これほど強く言うには何かよほど強い衝動があるのでは、とそれが気になるらしい。
 しかも私が顔を出したらテンションが上がるという。
 だったら責任重大ではないか。母さん、私に何を伝えたいんだよ。
 買った、掛った、固かった、賭けた、勝った、勝てん、

 母さん!まったく気がつかなかった!ごめん!
 息せき切って飛び込んで姉の驚くのもそのままに母の真正面に座る。
 母の目をしっかり見つめながらゆっくり、カッタン、と呼びかけた。
 彼女の眼前には幼い頃の私が座っていた。
 母は手を叩いて私をほめてくれた。
 覚えたての言葉で自分を呼ぶのが嬉しくて愛おしくて何度も手を叩いた。