服装の乱れは心の乱れという”嘘”

どうも。いんでぃ(@musikstudent)です。

昨日に引き続き投稿していきます。

今回は「校則」に関するお話です。

私は、中学時代をマンモス校。高校時代を私服校で過ごしました。
前者は、厳しい校則のもとで生活し、
後者は、緩やかで比較的自由なものでした。

多くの方は、前者のような中学・高校時代を送ったでしょう。

男子なら、シャツ出しや第二ボタンを開けて・・・
女子であればスカート丈を短くして・・・

あの手この手で工夫して制服をおしゃれに着こなそうとしては、
生活指導の先生に叱られて・・・

おっちゃんたちは、
「服装の乱れは心の乱れ」
とか、訳の分からない理由をつけて、服装指導してきましたよね(笑)

まして、髪を染めようものなら言語道断。
私の中学校では、
染髪やソフトモヒカンなど、
奇抜な髪形にしてきた生徒は、
生徒指導室に連れ込まれ、
しばらくしてから半べそかいて出てきたものです。

もちろん。翌日彼らは坊主頭になってましたね(笑)

今思えば、髪型でいちゃもんつけて、さらに切ってこさせるなんて、
人権的に無茶苦茶やってたな・・・
そう思わざるを得ません。

中学時代は、
まぁ校則はあって当たり前だし。
逆らわないほうが身のためだな・・・

くらいに思ってました。
完全に思考停止です(笑)

それでも、やっぱり服装が指定されるのは窮屈でしたし、
学年が上がるごとに着崩すようにはなりました。

しかし、前述の私服制の高校に進学して価値観がガラッと変わります。

高校に入ってみると、
周囲にはいろんな色の髪の毛の人がいました

ほんとです。
茶髪はもちろん、水色やピンクなんてのもいました。
毎日が体育祭みたいなヘアカラーです(笑)

もちろん、私服ですから
女子ならヒールをはいたり、ブーツだったり。
男子でも、サンダルだったり、
夏には浴衣+下駄もいましたね。

本当に自由な学校でした。
じゃあ。これだけ統一感のない服装で、
生徒たちの関係性が希薄だったかというと・・・

もちろん。そんなことはありません。
体育祭や文化祭などの行事にはアツいですし、
特に文化祭は2日間も開催されます。
(前夜祭含めれば3日間ですね)

そりゃもう、自由で楽しい高校生活を過ごしました。

スマホの持ち込みも自由ですし、
制服も来ていないですから、
放課後の寄り道も自由です。

下校中に、街に出て買い物したり、
ご飯に行ったりしました。

確かに、この辺りは中・高生にとって、
リスキーな世界かもしれません。

子どもたちの安全確保のために、
危険の芽を摘んでおきたい
そんな、大人サイドの策略ももっともな事でしょう。

しかし、おもしろいのが、
「私服でいいよ」
といわれ、自由を与えられると、

逆に着る服に困り、最後は制服のコスプレ(なんちゃって制服)
を選択するのです。

これと同様に、
髪型や染髪だって、
一度染めたり、奇抜なヘアスタイルを経験すると

逆に手入れや維持がめんどくさくなって、元に戻ります

多分、大学時代を経験された方は、
制服や頭髪規定のあった中等教育時代が
「案外楽だったなぁ」
と振り返る人も多いのではないでしょうか。


ここからたどり着いた結論としては、

校則は廃止して、服装も頭髪も一度自由にしてみる

ことで、結果的に風紀を守り、
生徒たちを守ることにつながるというものです。

一回やってみればいいんです。

やってみれば、伴う責任も、面倒も。すべてわかります。
百聞は一見に如かずです。

実際、そのような取り組みを行う学校も増えつつあります。
有名な例としては、

千代田区立麹町中の例です。
詳細は麹町中校長の工藤勇一氏の著書

「学校の「当たり前」をやめた。 
生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革」

https://books.rakuten.co.jp/rb/15688969/

というものが挙げられます。

ここでは、担任制を廃止し、宿題もやめ。
学校での学びの在り方を根本的に問い直しました。

そして、工藤校長は
「制服の良さは、制服をなくしてみないとわからない」
とTVのインタビューにもこたえていました。

全国レベルに、変化していくには時間はかかるでしょう。

だけど、明治の学制。
あるいは、明治19年から今に続く学級制、学校の校則。

これらに対し、
ずっと昔から続いている物だと、
思考を止めて従うのではなく、

一度立ち止まって考え直さなければならないんです。

そのきっかけとして、
「服装」
は、最も共感の得やすいワードではないでしょうか。

誰しもが、どうして制服を着て、
髪型を指定されることに疑問を覚えたはずです。

むしろ。大人だけでなく、
今、学校という現場で不条理な校則に
従うことを余儀なくされている中・高生に読んでほしい。

そして、いま置かれてる状況を見つめ直してほしいと思います。

その社会から、飛び出してしまった人間のできることは、
たかが知れていますし、
やったとしても、

「学校の外」
という視点からの、外部的な小細工しかできません。

やっぱり、当事者が気づいて、
動かなければならないんです。

大人は、それをサポートするしかないんです。

1960年代の学生運動が良かったとは言いません。
暴力に訴えて、我儘を通した部分もあったと思います。

しかし、そうした運動によって、
・服装の自由化
・定期テストの回数削減

などの自由を勝ち取った高校も数多くあります。

その高校は今でも進学校ですし、標準服はありますが、
基本的に服装は自由です。

少し熱くなってしまいましたね・・・

最後に、まとめると。

「服装の乱れは心の乱れ」
なんてのは、当然。大嘘です。
生徒の言うことを聞かせるために、無理やり作った、
意味不明な理論でしかありません。

そして、そんな無茶苦茶な理論で、自由を拘束するのは
立派な人権問題です。

そして、制服の良さは、無くなってから初めてわかるものです。

やたらと、服装が乱れるのが気になる。風紀が気になるなら、
一度、縛り付けている留め金を全部取っ払ってみてください

すると、今まで身に着けていたものや、
地毛のありがたみ(笑)

こうした物を自然と学びます。

結局、体験してみないと、それがいいのか悪いのか・・・
人は理解することができないんです

試験勉強の暗記と一緒です。あんなの。何の役にも立ちません。
結局、物事を根本から理解して、体験しないと意味がないんです。

そんな、服装と校則。そして体験することの大切さのお話でした。








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