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5分 de 読む『新古今和歌集』入門【全文無料】

『新古今和歌集』とはどのような古典作品なのか、そのあらましや魅力を5分で読めるテキストにまとめました!

『新古今和歌集』の概要・選者

本日ご紹介する『新古今和歌集』は鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の院宣によって編纂された勅撰和歌集の8番目です。全20巻、歌は約1980首で、選者に藤原定家がいることが知られています。

『新古今和歌集』のここがすごい!

この『新古今和歌集』のすごい点は、新興勢力の武士の台頭、鎌倉幕府の出現という激動の時代にあって、京の人々、すなわち後鳥羽上皇を中心とした皇族・貴族が自分達のアイデンティティーを結晶化させた究極的な言語芸術の作品であるところです。

「自分達がどういう存在なのか?」というアイデンティティーは、内側から湧き出てくるものだけではありません。対抗的な存在(ライバル)がいることによって、「それと比較して自分たちはどうか?」を意識する、そうした外からの刺激でのアイデンティー形成の方向もあります。

まさに『新古今和歌集』成立の背景には、武士がどんどん力を増してくる中で、翻って「自分たちは何なのか?」を問い続けた京の人々の自負や矜持(きょうじ)が詰まっています。

その中心となったのは、後に承久の乱を起こすことになる後鳥羽上皇です。蹴鞠だったり琵琶だったりと風流な趣味をたくさん持っていた後鳥羽上皇が、ある時期から目を付けたのが和歌でした。

後鳥羽上皇はほんの数年間でめきめきと和歌の実力をつけ、歌会・歌合を主催し、複数人で共通の題で詠む「百首歌」の企画も自ら行い、『新古今和歌集』の編纂にもかなり積極的に携わっています。

承久の乱後、隠岐に流されてからも、『新古今和歌集』の編纂、歌の整理を自分なりに続け、『隠岐本 新古今和歌集』を作っています。このことを考えても、後鳥羽上皇にとって、和歌を中心とした宮中の文化が大きなアイデンティティーになっていたことがうかがわれます。だからこそ、『新古今和歌集』にかけている気合いが凄いのです。わざわざ250年ぶりに「和歌所」という専門の役所を設置しています。

『新古今和歌集』第一次の完成は1205年でしたが、この年にも意味があります。

『古今和歌集』という勅撰和歌集の1作目が905年の完成でした。そこから300周年です。十干十二支の60年のひとまとまりでもちょうど5周分で、切りのいい同じ干支の巡る年に合わせています。

また、その名前にも、気概が凄く感じられます。絶対的なバイブルとして存在する平安時代の『古今和歌集』に対して、自分たちが作ったものを『新古今和歌集』という風にネーミングしました。そういえば、庵野秀明監督が『ゴジラ』に対して『シン・ゴジラ』を作りました。同じように、『新古今和歌集』も『シン・古今和歌集』で、自分たちが『古今和歌集』に肩を並べ、その新たな決定版としての凄いものを作るという満ち満ちた気合が、和歌集の端々からも感じられます。

激動の時代にあって、京の都に咲いた美しい花のような歌集といえると思います。

『新古今和歌集』の吉田個人的おすすめポイント①濃縮した言語芸術

吉田の個人的なおすすめポイントの1つめは、これまでの文学の蓄積をふまえ、濃縮した密度で完成度の高い珠玉の和歌が多数みられるというところです。

たとえば、『新古今和歌集』「春歌」の上巻には、後鳥羽上皇の次の和歌があります。

ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく

「春歌」の上巻の2首目に置かれた、春の到来を告げる歌です。ほのぼのと夜が明けていく時間帯を描いています。

「春の夜明け」といえば、『枕草子』で清少納言が「春はあけぼの」と綴りました。その感性がこの歌にも流れ込んでいます。

また、霞が立ち始めることによって春の到来が実感されるというのも、長年の和歌の世界観の中で確立してきた美意識です。

なお、後鳥羽上皇は京都で生活していたわけですけれども、この歌には奈良の香具山が詠まれています。それはなぜでしょうか。

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山

これは百人一首の持統天皇の歌ですが、この歌にも出ているように、香具山は皇族と結びつきの深い山です。実は、天から降ってきたという伝説があり、天とのつながりのある神聖な山でもあります。

だからこそ、この山に新たな季節が到来していると詠むことが持統天皇にとっても、そして後鳥羽上皇にとっても、古からの深い意味を持つのかなと思います。

そして、この歌は『万葉集』の「人麻呂歌集」にある「久方の天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも」という歌もふまえています。

いわゆる本歌取りですね。本歌となる有名な古歌を下敷きにして、そこからアレンジを見せることによって、伝統的な教養とつながりつつ、そこに新たな担い手として自分なりのアレンジを加えます。この塩梅が『新古今和歌集』の時代の歌人にとって腕の見せ所でした。

後鳥羽上皇の場合、この『万葉集』の歌が「霞たなびく夕べ」「春の夕べ」を描いていたのに対して、同じ香具山の春霞を明け方に置き換え、夕べから明け方に向かう時間の流れの雄大さも感じさせながら、ほのぼのと明けていく空の美しさを効果的に描き出しました。さらに言えば、この和歌の情景のスケールの大きさは、帝王たる後鳥羽上皇にふさわしいものです。

このように、背景となる古歌や先行する文学作品があり、そこにセンス良く工夫を施して世界を展開し、自分なりに一首の歌にまとめる、そんな言語芸術としての和歌が濃密に完成したのが、『新古今和歌集』の歌の世界なのです。

『新古今和歌集』の吉田個人的おすすめポイント②技巧が美しく調和

もう一つの吉田のおすすめポイントが、背景の教養をふまえた濃密な歌でありながら、その凄さとは別に、一首の歌として軟らかく繊細な美しさを持っていることです。

先ほど後鳥羽上皇の「ほのぼのと」という歌には、

  • 清少納言の『枕草子』の感性

  • 皇族と天の香具山の結びつきの歴史

  • 『万葉集』の「人麻呂歌集」の歌の本歌取り

などの要素があることをお伝えしました。

しかし、これらを脇に置いておいても、「ほのぼのと春が空に来たんだなあ、天の香具山にほのかに霞がたなびいている」という歌は、単純に一首の歌として軟らかく美しいのではないでしょうか?

教養深いということも大切ですが、ただそれだけだと、蘊蓄大魔王みたいになってしまいます。実際、『新古今和歌集』以降の和歌の世界を追っていったとき、蘊蓄大魔王みたいな作品がありますりごてごてと知識を使ってはいるけれども、完成した歌が美しくない、そんな残念な例もあるのです。

『太平記』や江戸時代の文学にも、知識披露がメインになって、肝心の作品が美しくも楽しくもないというのがあります。……現代でも、Twitterの引用RTで自分の知識を披露するだけの嫌な奴がいますよね?

『新古今和歌集』はそうなっていなくて、先人の伝統をふまえながらも、完成された作品一首一首がそれぞれとても美しい世界になっています。これが素敵なところだなと思います。

新古今和歌集 古典初心者向けの参考文献

そんな『新古今和歌集』を勉強してみたいと思った方には、角川ソフィア文庫の『新古今和歌集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』が出ています。

また、この魂の勅撰和歌集『新古今和歌集』がどういったコミュニティーから出てきたかを知りたい方には、田渕句美子先生の『新古今集 後鳥羽院と定家の時代』という角川選書があります。これは『鎌倉殿の13人』を熱心に観ていた方にもおすすめです。


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