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数の論理

↑前回の続き

ネット社会のおかげで個人が自由に発信できる。これは自分以外の誰もが発信できるということでもある。発信しないのも自由なので100人いても全員が声を上げるとは限らないが、最大で99人の意見を受信する可能性がある

つまり自分が発信する以上の情報量にさらされることになる。

この影響は大きい。言うまでもなくテレビ等マスメディアの影響だって決して小さくはない。が、あくまで「多くの人が受信するであろう情報」である。「実際に多くの人が発信した情報」とは根本的に性質が違う。

99人が白いと言っているものを自分だけが黒いと主張するのはとても勇気のいることだ。この時点でもう自由ではない。自由に発信できる環境が自由に発信できない状況を生み出している。

構造的に避けられないものだと受け入れるしかないのだろうか。自由は勇気ある者だけに与えられた特権だと納得するしかないのだろうか。

多様性が受け入れられつつある。世の中は少数派の意見にも耳を傾けるようになった。僕はこの動きを好ましく思う一方で、おぞましさも感じている。

多様性を選別しているように見えるからだ。認められた一部の少数派だけが温かく迎え入れられ、それ以外は相変わらず世界から冷遇または排除される。

↓つづく