ふる@目標500文字

何者でもないただのおっさんです。あんまり欲がないわりにそこそこ器用なのでお金がなくても…

ふる@目標500文字

何者でもないただのおっさんです。あんまり欲がないわりにそこそこ器用なのでお金がなくても結構幸せに生きてます。500字くらいがちょうどいい。2024年3月で51歳に。

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  • それでも共存するために

    争いのない世界について不定期に妄想します。

  • 好きな言葉

    胸に刺さるとか、語呂がいいとか、僕が気に入った言葉をまとめます。

  • 欺き欺かれて

    嘘に関する記事を不定期に追加していきます。嘘を善悪で語るのはナンセンスだと思うの。

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    人間関係の記事をピックアップしていきます。不定期。

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    お金は上手につかいたい。不定期更新。

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対象読者

筆者が自分に向けて書いています。メッセージ性とかはなく、ほぼ全部の記事が自問自答の記録なので、筆者と同じ関心を持っているか、筆者自身に興味のある人でなければ楽しくないと思います。 ITエンジニア崩れの冴えないおっさんに特段の興味を持つ人などいないでしょうが、簡単に自己紹介をしておきます。たぶん、まあまあの変わり者です。 高卒で学がない上に読書も嫌い。もっとも影響を受けた著作物はテレビで観たドラえもん。「三月の雪」の回は筆者の誕生月なのもあって強く印象に残っています。知識よ

    • 優しい世界

      ↑前回の続き 産休クッキーで傷つく人がいる。守ってあげたいと思うのは優しさであると同時に子供扱いでもある。子供といっても侮蔑的な意図はなく、客観的にダメージコントロールが未熟な人間と見られている。 また、親もしくは近しい誰かの庇護下にないとも思われている。支えてくれる人がいるなら放っておいても大丈夫だろう。そうじゃないから自分が守ってあげなければならないと考えるのだ。 その心配が当たっているかどうかはともかく、少なくとも心配が生まれやすい土壌ではあるのだと思う。 たと

      • ダメージコントロール

        ↑前回の続き 獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすと言うが、そんなことをすれば昨今のSNSで炎上は免れない。親の資格がないとか、愛護団体に訴えますとか、もう動物園には行きませんとか、めちゃくちゃに叩かれる未来が見える。 これが谷底から這い上がれる者だけを育てる選別の儀式だとしたら、叩かないにしても子には同情する。王者であり続けるためには必要なことなのだろうが、他の血筋に生まれていればもっと楽な生き方もできただろうに。 しかし、訓練が目的となれば話はまったく違う。親の目が届

        • ガラスのハート

          ↑前回の続き 基本的にみんな幸せになればいいと思っているので、誰かの幸せで自分が傷つくところを想像しにくい。唯一、思いついたのが推しの結婚だった。 僕の推しは結婚報告をせずに表舞台から去ってしまった。それはもうそういうことだと察しているが、まだ確定はしていない。これがもし確定したならば少なからずダメージを受けることになるだろう。 2、3日は寝込むと思う。しかし、立ち直れる自信がある。その強さ(≒鈍さ)があるから他人の幸福を願える。 前回のリンク先の記事によると産休クッ

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          幸福の副作用【産休クッキー問題】

          ↑前回の続き そういえば最近、産休クッキーが話題になっていた。なんかもう絶望的な気分になる。 僕は食べ物をくれる人には無条件で好印象を持ってしまうが、そうでない人も当然いるだろう。とくに妊娠となると男には一生理解できない心情がありそうだ。 妊娠がひとつの幸せだとするなら否定派の主張はつまりこういうことになる。 お前の幸せが誰かを傷つける。 だから自重しろ。 気持ちはわかるが、その道はディストピアに続いている。人と関わり合いを持つ以上、誰も傷つけずに生きることはできな

          幸福の副作用【産休クッキー問題】

          多様性のるつぼ

          前回の続き 人が集まると楽しいこともあればその逆もある。ABEMAのコメントを見ていて悲しかったのは特定のアニメを執拗に貶す発言があったことだ。 作画やストーリーが残念な作品はそれ自体をネタとして楽しめる。制作側の本意ではないだろうが、ツッコミどころが多ければ多いほど面白い。そういうケースだとコメント機能はプラスに作用する。 件の作品はとくに出来が悪いというわけではなかったと思う。ただ、中国で作られているようだった。 たしかに演出やセリフ回しに日本のアニメでは見られな

          多様性のるつぼ

          すぐでかいって言う

          今期新作アニメの第一話をおおよそ観終わった。すべてABEMAで視聴。他のサイトで独占配信されているものや、配信自体がなく地上波でしか観られないものは諦めた。最近のアニメは数が多すぎて追いきれない。 ABEMAは新作一覧を配信日の順に並べてくれるので視聴管理がしやすい。また、もう一つの良い点としてコメント機能の存在がある。以前は有料会員専用だったと思うが、いつの間にか誰でも見られるようになっていた。 コメントの投稿はリアルタイム配信時のみに制限されていて、ニコニコ動画のよう

          すぐでかいって言う

          空気を運ぶ

          物流業界の言葉らしい。以前、テレビのニュースで初めて耳にして妙に感動したのを思い出した。 トイレットペーパーは軽くてかさばるため、トラックの積載重量にいくら余裕があっても荷台に収まる分しか輸送できない。この状況を指して「空気を運んでいるようなもの」と表現していた。 運ばれる空気に価値はない。ずいぶん昔にハワイの空気の缶詰が話題になったりしていたが、製紙工場の空気を欲しがる人がいるとも思えない。要は実質的に荷台がスカスカだと言いたいわけだ。 似た言葉に「雲を掴む」とか「空

          トイレットペーパーをいつ補充するか問題

          トイレットペーパーは使い切った人が補充するべきという意見をたまに見かける。この記事のお母さんもその派閥らしい。「わかったね」と念を押す様子がジワジワ来る。 これはそう簡単に結論を出せる問題ではないと思う。同居人がいれば話し合って決めるのだろうが、個人的には次に使う人が替えるほうが良い気がする。 用を足した後で替えるスタイルだと手を洗うタイミングが悩ましい。新しいロールには綺麗な手で触りたい。しかし、ロールホルダーに触れた手は洗いたい。このふたつを叶えるには手を二回洗わなけ

          トイレットペーパーをいつ補充するか問題

          色づく世界

          昔の出来事を一部だけ鮮明に覚えていることがある。当時は流れ行く記憶の1ページにすぎなかったものが、後になって自分にとって大切な何かだったと気づくのだ。そうやって自己を知るのは楽しい。 小学校の体育館で壇上の誰かが作文を読んでいた。弁論大会優勝者のウイニングランだった。視覚障害者に寄り添いたいという今で言うダイバーシティの話で、その中の一文が忘れられない。 「目を閉じると怖くて一歩も足を踏み出せませんでした」 相手の立場になってみるのはいい。しかし、嘘は良くない。ビルの屋

          YouTuberの心の闇

          テレビのお笑いは好きだが、YouTuberを積極的に観たいとは思わない。単に好みの問題である。僕の好き嫌いとは関係なく、すでに彼らは市民権を得ていてテレビとはうまく棲み分けが出来ているのだと思っていた。 これを読むとヴァンビという人は相当なルサンチマンを抱えているようだ。 面白さの種類が違うと言いつつ、自分から相手の土俵に上がろうとしている。喧嘩の強いほうが偉いと考えるのはその人の勝手だ。それをわざわざダサいと貶すのは喧嘩では敵わないけど認めて欲しい願望の現れに見える。

          YouTuberの心の闇

          だんしゃる

          人生二度目の引越しを経て現在に至る。あの頃は精神を病んでいたのだが、それにしては悪くない選択だった。自分の、自分による、自分のための住居選び。あるいは病んでいたからこそ出来た決断だったのかもしれない。 引越しは断捨離の機会でもある。荷物の量はそのまま輸送コストに影響するし、新居の収納スペースに合わせた持ち物の整理も必要だ。いらないものは捨てていくことになる。 一度目の引越しからなるべく物を増やさないようにしてきた。が、それでも不要品はたくさん出た。惰性とか愛着で手放せなか

          耳が幸せ

          これまでに引越しを2度経験している。引越しは住居について考える絶好の機会である。が、1度目の引越しは希望の条件を考える間もなく親が決めてきた。僕はそれを事後承諾して追い出されるように出ていく形となった。 結果的には大きな不満もなく、そこで20年暮らすことになる。 駅から徒歩10分は駅近とは呼ばないそうだが、山の上の実家と比べれば目と鼻の先みたいなものだった。利便性と静かさが両立する好立地ともいえる。 しかし、雑踏の騒音がない分、生活音は気になった。実家が鉄筋コンクリート

          デコボコの地平線

          せっかくなので住居と自分の成り立ちについてもう少し考えてみる。人生の大半を過ごす場所なのだから人格に影響しないはずがない。住むところが違っていたらたぶん今の自分はなかっただろう。 現時点だと最も長く住んでいたのは実家ということになる。期間を抜きに考えても幼少期を過ごした場所であり、まさに礎となっていると思う。ご近所の人間関係からも当然影響は受けたが、今回はあくまで住居にのみ注目したい。 うちの実家の最大の特徴はその立地にあった。まあまあ高い位置にあるのだ。山というほど高く

          デコボコの地平線

          帰巣本能

          車中泊が面白そうだと思う理由がもう一つある。家を拠点とする生活では当たり前だった概念が大きく変わるのではないかということだ。 普通、外出には終わりがある。買い物でも旅行でも、とくにあてのない散歩でもなんでもいい。一歩でも家から離れれば頭のどこかに帰り道が意識される。家に着くまでが遠足であり、それを途中で止めることは基本的にない。 家に縛られている。 家の布団で寝たくて帰るのだから自由意志ではあるのだが、そのせいで行動範囲が制限されている点は無視できない。行きの距離が長け

          起きて半畳、寝て一畳

          ↑前回のつづき それでも車の免許があったら楽しいかもしれないと思っている。是が非でも欲しいとまでは行かないが、乗り物酔いの元凶として車を忌避してきた今までの態度からすれば120度くらいの方向転換といえる。 以前の記事で家に固執する必要がないと気づいてから車中泊という選択肢が視野に入るようになった。昨今のキャンプブームの流れでも注目されているが、べつにアウトドアで「うぇーい」したいわけではない。 車にはなるべく乗らないように、乗ったとしても早く降りることばかりを考えていた

          起きて半畳、寝て一畳