見出し画像

霧と茨の道

叶うかどうかわからない夢のために人生という限りある貴重な時間を限度もわからないまま捧げることになる。この時点でもう十分に狂気だと思うが、それでもまだ足りないのだから努力って怖い。

誰もが経験するであろう身近な努力として試験勉強を考える。試験の日程は決まっていて、それが一週間後に迫っている。もっと早くから取り組むべきだったと後悔しても始まらない。残された時間を有効活用しなくては。

とはいえ、7日×24時間をすべて勉強に費やすことはできない。食事や睡眠は必要だし、テレビも観たいし、ゲームもやりたい。天気が良ければ散歩にも行きたいし、そろそろ部屋の掃除もしたいと思っている。

おいおい、努力はどこへ行ったんだよ。

食事や睡眠の時間を削って自分に負荷をかけて、テレビやゲームなど普段の生活は犠牲にする。散歩や掃除で現実逃避したい誘惑にも打ち勝たねばならない。

負荷、犠牲、節制を伴う苦難の道をあえて選択するのが努力である。まあ、それは覚悟している。スキマ時間にちょろっと勉強するだけで良い結果が出せるとは思っていない。

問題はどこまで自分を追い込めばいいのかがわからないことだ。苦しければ効果が高いというものでもない。このさじ加減は成否に大きく影響するが、正解は誰も知らない。