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望まれない未来

↑前回のつづき

子供の落書きに指の数がおかしいとダメ出しするのは躊躇われる。一家団欒の風景なのに一人多いとか、青い空に漆黒の太陽が微笑んでいるとかでも、とりあえずは「上手に描けたね」と褒めてあげたい。

本人が描きたいように描けたのならそれ以上のことはない。写実的であることが絶対に正しいという価値観の押し付けは自由な発想を妨げてしまう。

そこには生物の多様性がある。

全員がひとつの正解に向かって歩いていけば未来にはディストピアが待っているだろう。伸び伸びと成長して凡庸な絵を描くようになるもよし、画伯と呼ばれるようになるもよし。どんな大人になるかは神のみぞ知るところだ。

しかし、AIは生物ではない。

少なくとも現在は生物として認められていない。というか生物たりえることを期待されていない。彼らは道具として生まれて、人の役に立つことが求められている。

だから指が6本の絵を描かれて困るわけだ。道具が用を成していないとみなされる。人間の子供には未来があるが、機械は今ここで役に立つかどうかがすべてである。

それで良いと思う。僕も人間なので便利な道具が人間を豊かにしてくれるなら諸手を挙げて歓迎する。

ただ、そこで満足するのは違う気がしている。

↓次回につづく