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水は高きより低きに流るる

↑前回の続き

脆くて傷つきやすい存在が自力で立ち上がろうとしている。

それをただ見守るだけの簡単なお仕事が実際には難しいのは、その人が確実に立てる保証がないからだ。不安を前にして何もしないでいられるように人間は出来ていない。

自力で立てるのか。そのまま潰れてしまうのか。自分のことならまだしも他人のことなら尚更わかるはずもない。どうでもいい相手だったら悩まない。大切だからこそ乗り越えてほしいし、潰れてほしくないのである。

そこへさらに罪悪感が加わる。助け舟を出して成長の機会を奪うより、見殺しにするほうが罪深いと考える。よほどの信頼か覚悟がなければ黙って見守る選択はしにくいだろう。

水が高いところから低いところへ流れるように、社会は弱くて優しい世界に向かっている。優しさが弱さを助け、弱さが優しさを必要とする。この心地よい共依存からは自然には抜け出せないと思う。

マルハラとか退職代行のニュースを見るたびにZ世代の繊細さが気になる。昭和の反動で優しくなった世界が彼らを弱くしている説はないだろうか。

最近の若いもんは…なんて言えるほど僕自身が強くないので根性を叩き直してやろうなどとは思わないが、どうか明るい未来であってほしいと願っている。

↓まだ続く